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グラミン銀行 ~信頼を基盤とする金融は如何にして創られるのか?(その2)~

 ◇ 誰がグラミン銀行の顧客なのか?(続)

 グラミン銀行からいつ、いくら借入れをし、それを何に使っているのか、その結果、生活はどのように変化したのか、 タンガイル県のジョイエルパーラ村に軒を構えるグラミン銀行の「借り手センター」に集った約60名の女性達に対して、Crossover Bangladesh Study Tripのメンバーは、ランダムに尋ねていった。

 ちなみに、1983年に制定されたGrameen Bank Ordinance(グラミン銀行法)は、その機能について定めた19条で、貸付け対象をlandless persons(土地無しの人々)と限定している。さらにグラミン銀行の内部規定は、最初に借入れ申請をする段階で土地、その他資産を持たない、自ら働くことが出来る程度に心身が健常で、管轄支店区域内にPermanent Addressを持つ18歳以上の人に対して融資を実施すると定めている。僕らの目に前に居る女性達は、つまり、そういう人たちだ。

    Grameen Borrower's Center-1
 ~グラミン銀行の「センター」に集まった女性達。彼女たちが手に持っているグリーンのシートには、それぞれの借入れ状況・返済履歴等が記されている~

 最初に立ち上がって質問に答えてくれたのはソ二アさんという恰幅のいいおばちゃんだ。現在村で雑貨屋を営んでいる彼女は、10年前からグラミン銀行のローンを活用しており、現在の借入額は10万タカ(約10万円)。バングラデシュの、例えばベテラン小学校教師の給与が8,000タカ、僕の家で働いてくれているコックさんの月給が1万2千タカであることを考えると、ちょっとびっくりするよう額だ。しかし、毎週2,500タカを確実に返済しているという。彼女が10年前に初めてグラミンのローンを利用した際の借入れ額は3,000タカだったそうだ。その時は住んでいた家は小さく、生活は家族が食べていくだけで精一杯だったが、現在は4軒の家を持ち、水道システム、トイレ、電気、テレビが備わっているという。
  
 次は答えてくれたナズマさんも、8年という比較的長い借入暦を持つ女性。借入額もソニアさんと同じ10万タカで、毎週2,500タカを返済しているという。借りたお金で牛を買い、日常的なミルク販売、及び年に一度の犠牲祭(富裕層が牛を大量に買い入れて街中で捌き、貧困層に分け与えるイスラム教徒の祭り)向けに牛を市場に出す商売を営んでいるという。昔はトタンと木の枝葉で作った粗末な家だったが、今は清潔なトイレもついたレンガ造りの家に住んでいるとのこと。一人息子と二人の娘は皆High School(中学校)を卒業し、それぞれ結婚した。ちなみに、バングラデシュで中学校を卒業するのは10人中4人程度に過ぎない。
     
     Grameen Borrower's Center -2
    ~グラミン・ローンを元手にはじめた牛関連の自営業が生活にもたらした変化について笑顔で語るナジマさん~
   
 三番目の女性は小さな男の子を連れたロシナさん。2年前にグラミン銀行の融資を受けたばかりで現在の借入額は12,000タカ。彼女も借りたお金を元手に牛のミルクを売る仕事をしており、一週間で300タカ、一月1,200タカを返済するとともに、毎週30タカの貯蓄もしている。これから仕事の幅を広げし、一人息子の教育や家の建て替えの費用を工面したいという。

 続く女性はクッキー作り、その次の女性は米の脱穀や加工の自営業を営んでおり、それぞれ1万タカのローンを毎週250タカずつ返済するとともに、毎週50タカを貯蓄しているとのことだ。このようにセンターに集まった女性達の間で借入額に大分差があるようだったが、グラミン銀行のウェブサイトによれば、2010年現在の平均貸付金額は約10,000タカということだ。

 なお、グラミン銀行が融資に当たって、同じような経済的・社会的な境遇にある“ご近所さん”同士で「5人組」を作るよう女性に求めることは良く知られている。そして、このセンターはそうした「5人組」が12グループ集まって毎週ミーティングを行う場であることも前回の記事で触れた。ここで重要なポイントは、グラミン銀行の融資は「5人組」に対しでは無く、あくまで個人に対して実施されるということ。つまり「5人組は」、仮にグループの誰かが貸し倒れた場合に、他の誰が保証しなければならない、といった連帯保証の仕組みではないということだ。



(注) この点は僕も誤解をしていましたが、極めて重要なポイントですのでグラミン銀行ウェブサイト上の出展と併せて紹介します。
 Grameen Bank At A Glance
 3.0 No Collateral, No Legal Instrument, No Group-Guarantee or Joint Liability
 Although each borrower must belong to a five-member group, the group is not required to give any guarantee for a loan to its member. Repayment responsibility solely rests on the individual borrower, while the group and the centre oversee that everyone behaves in a responsible way and none gets into repayment problem.


 では、「5人組」の役割とは何か?グラミン銀行の幹部は、本店で僕らに示したプレゼンテーションで「Peer Support & Close Supervision」と言う言葉で表現した。即ち、お互い助け合い、学びあい、そして規律付け合うためのグループ、ということだろう。このセンターが、各グループの借入れ・返済状況の共有だけでなく、自営業を営む上でのベスト・プラクティスを学びあう場であることは既に述べたが、ここで少し深堀りして紹介したいのが、「5人組」のメンバーを「規律付け」るための方法だ。

 女性達が5人組をつくり、そのグループがグラミン銀行に承認されても、全員がすぐに借入れを出来るわけではない。5人のうち2人がまず借入れをし、両方が6週間連続で、利子と元本部分について、毎週、期限内に必要な返済をした場合に限り、残りの3人が借りられるようになるという仕組みが採用されている。当然、残りの3人は最初の2人の借入れ動機、借入額返済スケジュール等について、相当の注意を持って観察するだろう。無茶な内容であれば、最初から借入れをさせないかもしれない。そうでもしなければ、自分が必要とするローンを借りられなくなってしまうのだから。こうした仕組みにより、「5人組」に結成当初から、一定の規律が生み出される。こうした規律が、人と人との距離が物理的にも精神的にも極めて近いバングラデシュの農村部の状況と相まって、強固な貸し倒れリスク管理のメカニズムとして働くことになる。しかし、繰り返しになるが、借りるのは個人、返済するのも個人なのだ。周囲は、正しい行動を動機付ける存在でしかない(無論、緊急の場合に、お互い資金を融通しあうことはあるかもしれないが、それはグラミン銀行の公式の融資メカニズムではない、あくまでも非公式の相互扶助だ)。


 話を、ジョイエルパーラ村の借り手センターに戻す。Crossoverのメンバーから借り手の女性達への個別の質問が一息つくと、僕らを引率してくれているグラミン銀行マネージャーのモーシェッドさんは、女性全員に対して、幾つかの質問を投げ掛けていった。まず、子供の数を聞いてみる。すると、一人っ子が6人、二人が16人、三人が12人、四人以上は一人、という結果だった。また、携帯電話の所有を尋ねると全員の手が上がる。他にも、以前と比べてイードのお祭りの際に実家に持っていける土産が多く買えるようになったとか、昔は服も十分な数なかったが、今では、外出に当たって服の色に合わせてサンダルを選べるようになったとか、景気の良い話が色々聞こえてくる。 また、グラミン銀行から資金を借りて女性自ら事業を始めることについて、夫をはじめとする家族の反応を尋ねてみても、皆、一様に好意的だった、との回答が返ってくる・・・

 その後、僕らはモーシェッドさんと共に借り手の女性達の家を数軒お邪魔する機会を得た。どれも、レンガ造りのしっかりとした建物で、テレビや天井のファン、綺麗なベッド、そして水で流すことの出来る清潔なトイレや立派な井戸も整備されている。モーシェッドさんは、自信満々の様子で説明をしながら、我々を連れて回る。そして、感心しつつも若干腑に落ちない僕達がいた。

 「余りにも出来すぎのストーリー・・・本店の偉い人が外国人一行を連れて来るということで、皆口裏を合わせているんじゃないか…宣伝用に、特に上手く回っているセンターに連れてきただけじゃないのか??」

  Grameen Borrower's House
 ~ グラミン銀行の借り手の家々を案内しながら、「どうだ、グラミン銀行はスゴイだろ」と言わんばかりの自信満々の説明を続けるモーシェッドさんを囲むCrossoverのメンバー ~ 

 そんな、もやもやとした疑念は、従来の金融の常識とはかけ離れたグラミン銀行の金融サービスのライン・アップについて、村の支店で聞いていくなかで、少しずつ晴れていくことになった。次回の記事では、モーシェッドさん、支店の職員の方々から伺ったお話、及びグラミン銀行のウェブサイトにまとめられている情報を下に、グラミン銀行が現在顧客に提要しているサービスの概要及びサービスを提供する際の方法について紹介していきたい(続く)。
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/15 01:15

グラミン銀行 ~信頼を基盤とする金融は如何にして創られるのか?(その1)~

 いまやソーシャル・ビジネスの代名詞ともいえるグラミン銀行。創設者のムハンマド・ユヌス博士とグラミン銀行が2006年にノーベル平和賞を受賞して以来、小額のローンを5人組の女性に無担保で貸し付けるマイクロ・ファイナンスのモデルは、貧困削減や女性の地位向上に資するツールとして世界中の注目を集め、バングラデシュのブランディングにも貢献してきた。
   Grameen Bank1
 ~グラミン銀行本店の一階ロビーに設けられた「Nobel Gallery」に展示されている2006年秋のノーベル平和賞受賞式の写真。ユヌス博士と共にグラミン銀行を代表して栄誉を受けているのは、モサマト・タスリマ・ベグムさん。彼女は1992年にグラミン銀行から一匹のヤギを買うための約20ドルを借り、それを元手にビジネスを成功させ、ついに、グラミン銀行の経営を担う取締役の1人となったのだ。~

 他方、お金を貸し付けるだけでは顧客である貧しい女性の持続的な生活水準の向上に結びつかないのではないか、20%前後に設定された金利は高すぎるのではないか、などの議論も巻き起こっている。インドのアンドラ・プラデーシュ州で発生したマイクロ・ファイナンスの多重債務と借り手農家の自殺問題に端を発する関連規制の強化、あるいは、グラミン銀行とバングラデシュ政府側の確執による2011年春のユヌス博士のグラミン銀行総裁(Managing Director)解任騒動といった出来事が、マイクロ・ファイナンスへの懐疑的な見方を増やしているのも確かだ。

 世界中の賞賛と論争の的になっているグラミン銀行のビジネス・モデルや、その背景にある哲学をより深く知りたい!2泊3日のマヒン村でのホーム・ステイからダッカに戻ったCrossover21のBangladesh Study Tripのメンバーは、こんな想いをもって、ダッカのミルプール地区にあるグラミン銀行の本社での幹部との意見交換、支店での現場ローン・オフィサーとの議論、そして「センター」と呼ばれる借り手の女性達のミーティングの場への訪問に臨んだのだった。

 今回、我々を引率してくれたのはグラミン銀行International Program Departmentのマネージャーであるモーシェッドさん。グラミン銀行勤務暦約20年の彼は、ミーティング中はもちろん、車での移動時間も含め、一日中、殆ど絶えることの無かった僕らからの様々な質問に、まっすぐと、そしてクリアに答えてくれた。 以下、数回の記事に分け、モーシェッドさんとのやり取りを中心に得られたStudy Tripでの学び、及びグラミン銀行のウェブサイト等を通じて公開されている情報を元に、
  •  誰がグラミン銀行の顧客なのか?
  •     グラミン銀行は顧客にどのようなサービスを提供しているのか?
  •  誰がグラミン銀行に資金を提供しているのか?
  •  誰がグラミン銀行を所有しているのか?
  •  グラミン銀行のビジネス・モデルは、資金面での持続可能性と社会的ミッション追求を持続的に両立できているのか?
  •  グラミン銀行のビジネス・モデルの背景にある哲学とは何か?

といった問を解きほぐしていきながら、「グラミン銀行~信頼を基盤とする金融は如何にして成り立つのか~」というテーマと向き合っていきたい。

◇ 誰がグラミン銀行の顧客なのか? 
  
 グラミン銀行のビジネス・モデルの原点、それは、1976年に当時チッタゴン大学教授だったユヌス博士が、ジョブラ(Jobra)という村で、高利貸からの借金取立てに負われ、貧困の連鎖から抜けることの出来ない状態にあった女性達に、自らのポケットマネーで20ドル程度のお金を貸し付けた結果、彼女達の生活水準が大きく改善し、また、貸したお金が博士の手元に戻ってきた、という印象的なストーリーである事は良く知られている。その後数年間、ユヌス博士は彼の研究室で学ぶ学生と共にこうした取組みを続けながら、より広範囲でのマイクロ・クレジット展開を模索していたが、その際に障壁となったのが、無担保融資を認めていなかった当時の銀行法だった。そこで、ユヌス博士は、政府の計画委員会の委員を務めていた際の人脈を活用して、バングラデシュ農村部の貧困層の生活水準改善を目的とする小額の無担保融資を実施するスキームを合法化するための新法制定を、当時の中央銀行総裁に働きかける。ユヌス博士の提案に共感した中央銀行は新法の策定に着手、国会議員の賛同も得て成立したGrameen Bank Ordinance(グラミン銀行法)」に基づいて正式にグラミン銀行が発足したのは1983年のことだった。 

 発足当時の顧客数は5万8千人。発足から約30年を経た2012年現在、グラミン銀行の顧客数は約150倍以上となる860万人に上っている。では、その顧客は一体どのような人々なのだろうか?グラミン銀行をはじめとするマイクロ・ファイナンスの主たる顧客が女性であることは、既に多くの人々が知るところだが、それが当初からの姿だったという訳ではない。下のグラフが示すとおり、発足当初は顧客の半分以上が男性であった。しかし、その後女性の割合は一貫して 伸び続け、発足から10年後の1993年には9割を突破している。この変化の背景にはどのような考えがあったのだろうか。
   Grameen bank members  
 この点に関してモーシェッドさんはこんな印象的なストーリーを共有してくれた。
 
 「理由の一つ目は、女性と比較して、男性は規律がつけ難いのです(not disciplined)。5人でグループをつくろうというとき、あるいは、一定数のグループが集まって「借り手センター」を運営しようというとき、男達は得てして『俺がチーフになる』という輩が多すぎて議論がまとまらない。言い争いに熱を上げているかと思えば、タバコを吸いぷいっと外に出ていってしまう。マイクロ・クレジットを効果的に継続展開する上で、こうした傾向は良いこととは言えません。『グループ全体が上手く機能するにはどうしたらよいか』という発想での言動が、女性のほうに傾向として多く見られたのです。」

 「二つ目の理由は、我々が顧客の生活状況について明らかにするために実施した調査の結果から得た示唆によります。例えば、『日々一番気にしていることは何か?』という質問。男性の主たる答えが『(外での)仕事の状況』である一方、女性の殆どは『子供のこと、家庭のこと』という回答。『日中の時間を何に使っているか』という質問に対しては、男性は『5-6時間ほどの外での仕事、残りは茶店で仲間とおしゃべり』という風である一方で、女性は『日の出から日没まで、一日12時間近く水汲み、子供の面倒、炊事・洗濯などに汗をかく』といった回答でした。他方で、『資産をどのくらい持っているのか』という質問については、牛、土地、家屋等の大きなものから始まり、農機具やカーテンといった消耗品の類まで、何がしかの資産の所有権を持っている、と回答した女性は殆ど居なかったのです。この調査の結論を一言で言えば、「Women work hard work for their family, but no assets」 という感じでしょう。そして、これには、女性の家庭内でのハード・ワークが目に見えるキャッシュを生まない、という事情も影響していたのです。」

 「我々が女性に焦点を当てた理由はそこにあります。つまり、女性に小額ローンという形のキャッシュにアクセスする力を与え、それが、彼女達自信の手で何がしかの事業を始める力に転換されれば、例えば、牛を買って牛乳を売るビジネスでも良いでしょう、そうすれば、女性達は自らの資産とそこから生み出されるキャッシュ、そして、家庭内での発言権を得ることが出来ます。こうした高められた女性達のPowerは何に使われるか。それは、彼女らが日々一番気にしていること、つまり、家庭と子供です。これは、例えば各家庭が得る所得の向上といった経済指標だけでなく、乳幼児への十分な栄養提供、女子の就学率の向上、早期婚の防止、合理的な家族計画の実施、あるいは性感染症の予防といった各種社会指標の改善にも大きく貢献しうる。我々の顧客の殆どが女性である理由はここにあります。

 モーシェッドさんの説明に大きく頷くCrossoverの女性陣、うつむき加減の男性陣・・・ 

 なお、女性へのフォーカスが大きな開発効果を生むことについては、世界銀行の最大の知的プロダクツ「World Development Report」の2012年版「Gender Equality and Development」が世界に向けて発信した「ジェンダーの平等を目指すことは正しいだけでなく経済合理的である(Gender Equality: the Right and Smart Thing to Do )」とのメッセージとも重なる。上記レポートは、このメッセージを例えば以下のような統計により裏付けている。

・女性の農民が男性と同等の扱いを受けることで、メイズ(トウモロコシ)の収量が、マラウイで11~16%、ガーナで17%増大する。
・ブルキナファソでは、肥料や労働などの農業インプットへの女性のアクセス向上、つまりこうした資源の配分を男性から女性に移すだけで、追加的な資源を投入することなく、世帯当たりの農業生産高が全体でおよそ6%向上した。
・食糧農業機関(FAO)の推定によると、女性の農民が男性と同等に資源へアクセスできれば、途上国における農業生産高は2.5~4%も増大する。
・特定の職種やセクターから女性を締め出してきた障壁を撤廃すれば、多くの国々で男女の労働生産性の差が3分の1から2分の1ほど縮小し、労働者1人当たりの生産量が3~25%改善される。

 既に、このブログでも何度か言及してきたが、バングラデシュは女性の地位向上による社会指標の改善のフロント・ランナーだ。例えば、女子の中学校就学率が1991年の30%から2005年には56%に向上、女性の労働市場参加率は倍増、そして、出生率は1971年の約7人から2008人には約2人にまで低下する等の成果がWorld Development Reportでも紹介されている。こうした成果の裏には、政府や開発パートナーによる各種のプロジェクトだけでなく、グラミン銀行をはじめとするマイクロ・ファイナンスの力も大きかったのかもしれない。

 モーシェッドさんの案内で、僕らはダッカから北西に約3時間ほどのドライブを経てタンガイル県ゴライ・ユニオンのジョイエルパーラ村にあるグラミン銀行のセンターへと向かった。センターとは、借り手の女性達5名でつくられた12のグループ、つまり60名の女性達が集まって毎週一度ミーティングを行う場所だ。ミーティングでは、各グループの借入れ・返済状況の確認や、借りたお金で女性達がビジネスを実施するうえでのベスト・プラクティスの共有などがなされる。なお、グラミン銀行は顧客と従業員の双方を合わせて、「グラミン・ファミリー」と呼ぶそうだが、その全体像を下に図示した。
       Grameen Familiy
    
  センターの入り口から中を伺うと大勢の女性達が座っている。「別に君達が来るから特別に集まってもらった訳ではない。毎週やっているミーティングにちょっとお邪魔させてもらうだけだよ。」と言うモーシェッドさんに手招きされて中へと入るCrossoverの一行。モーシェッドさんに伴われた僕らが入ると、センターのチーフのアグリーマさんの号令で、女性達が全員いっせいに起立し、敬礼をし、そして着席をした!まるで軍隊のような一斉動作に面食らう僕らに「これもいつものこと。効果的なマイクロ・ファイナンスには規律(discipline)が必要ということでしたよね。毎回ミーティングの最初と最後にこれをやるのは、グラミン・ファミリーのしきたりなのだよ。」とモーシェッドさん。

 ちなみにセンター・チーフは12のグループのチーフの中から代表者一名が女性達の手によって選ばれる。彼女は毎回のミーティングの議事進行に加え、グラミン銀行が主催するテーマ別の起業向けセミナーに出席し、そこでの学びをチームの皆に共有する役割も果たしているそうだ。さて、グラミン銀行の借りて手である目の前の女性達は、グラミン銀行から一体いくらを借り、それを何に使い、そして、どのように生活を変えていったのだろうか?借り手の女性達と僕達との対話が始まった(続く)。
 
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/14 00:55

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑧~農村の若者たちが教育機会を手にするには何が必要か?(その3)~

 「首都圏と比べ、経済的・社会的・地理的に圧倒的に不利な立場にあるバングラデシュの田舎の高校生の手元に、よりよい教育機会を届け、彼らの可能性に火を灯したい!」

 こんな初志を貫き、商業ベースでの受講料設定を求める日本の大手企業との連携をご破算にしたマヒンとアツ。その前には、事業の持続可能性確保という大きな壁が立ちはだかった。いくら社会的に意義のある取組みでも、コストをリカバーするための資金を継続的に確保することが出来なければ、志を貫き通すことも、社会に変化を齎すこともできない。

 アルバイトで稼いだポケット・マネーも使って、不安を胸に抱きながら東奔西走していた折、彼らの前に新たなエンジェルが現れた。それは、東京大学のある研究室だった。E-Educationにかける二人の若者の意欲だけでなく、当プロジェクトの経済・社会開発上のポテンシャルに強い興味を持った研究室の教授は、E-Educationをインパクト評価の対象とすることで、その効果を学術的に検証しつつ、彼らの活動の継続を支援するための資金を提供するオファーを提示したのだった。

   e-educadtion-2
~バングラデシュの高校生用の英語の問題集。難解な単語が並ぶ。バングラデシュの大学受験は徹底的な暗記と短時間で大量の択一式課題を正解していくための要領のよさが求められるという~


 インパクト評価とは、ある開発プロジェクトが、如何なる経済・社会的な効果をもたらしたのかを、統計的に分析・検証する手法だ。客観的な証拠に基づいたプロジェクトのデザイン(Evidenced-based project design)、そしてプロジェクトに資金を提供するドナーへの説明責任の強化が求められる中で、近年その手法の精緻化や対象の拡大が世銀やJICAでも求められている。

 例えば、「職業訓練の提供による若者の雇用支援プロジェクト」にインパクト評価を適用したとしよう。目指すゴールは「職業訓練の結果、若者が仕事に就くこと」だ。さて、このプロジェクトのインパクトはどのようにして計測できるだろうか。訓練を修了した若者へのアンケート調査は典型的だが、これにより仮に「100%の受講生が就職先を見つけた」との結果を得たとしても、それが本プロジェクトによって得られた成果だと、説得力を持って主張できるだろうか?プロジェクト以外にも様々な要因が考えられる。たまたま、その年に景気がよくなって求人が増えただけかもしれない。訓練校の近くに偶然、大きな工場が進出したからかもしれない。あるいは、そもそも、自主的に職業訓練を受けようと考える若者が、そうでない若者よりも、元々意欲や能力が高かったせいかもしれない。とにかく、様々な要因が考えられ、終了後のアンケート調査の結果だけでは、プロジェクトが真に効果があるもの(言い換えれば、金と人を投じるに値するもので、今後も引き続き実施すべきプロジェクトである)と主張するのは難しい。

 そこで、プロジェクトを開始する前に、同じ属性を持つ集団から、ランダムに、プロジェクトの対象者と非対称者をピックアップし、プロジェクト実施前の段階での彼らの学力やスキル、就業への意欲等を測定(これをベース・ラインと呼ぶ)、プロジェクト実施後の段階でのそれと比較する。このように「プロジェクトの前/後(before-after)」、「プロジェクトの有り/無し(with-without)」の二つの視点から集団の特徴の変化を観察することで、より精緻にプロジェクトの効果を検証できる。無論、集団のピックアップや測定項目の決定や定手法、そして測定した結果の検証については、統計学の知識に基づく専門的な手法の適用が求められる。

 東大の研究室はこうした手法を使って、E-Educationプログラムが農村部の若者の学力・意欲の向上と大学進学に寄与する効果を検証するべく、マヒンとアツにアプローチをかけたのだった。つまり、経済的な動機で出資をオファーした企業の次に登場したエンジェルは、学術的な動機付けで彼らとのパートナーシップを模索したという訳だ。とにかく、これにより、E-Educationプログラムは、初年度同様、受講料無料で村の若者にサービスを提供できることとなったのだ。


 こうした経緯を経て今年立ち上げ3年目を迎えたE-Education プログラムは、マヒンの生まれ故郷であるチャンドプール県に設けられた4つの教育拠点において、578 人の高校生に対して、英語、会計、経営学、ベンガル語(国語)、国際関係、バングラデシュ政治・経済の6科目をビデオ講座形式で提供している。こうした拠点において受講生やプログラムの管理をするスタッフは現在16名、うち2名が有給のフルタイム・スタッフだ。このように、E-Educationは二人の若き社会起業家のパッションとイノベーション、そして、それに共感した外部のパートナーの手によって、その基盤が整いつつあるように見える。
   e-education
 ~2-3人で1台のパソコンと向き合い、E-Educationプログラムの講座を学ぶチャンドプールの高校生~

 しかし、東大の研究プログラムの期間は2年。つまり、マヒンは「如何にして事業を継続するのか」という難題との格闘から解放された訳ではない。幸運にも東大に続く新たなエンジェルが三度舞い降りたとしても、外部の支援者に経済的に依存する状況が続けば、外部者のモチベーションに引っ張られて、自らのコア・ミッションの追及が難しくなる。他方でE-Educationの顧客層である経済的・社会的に不利な環境におかれている農村部の学生たちに、まとまった受講料を払う余裕は無い。マヒンの試行錯誤は続く。

 「E-Educationのプログラムと、小額のマイクロ・学資ローンを組み合わせて受講生に対して提供することで、E-Educationを真に必要としている若者にサービスを届けつつ、事業の持続可能性を確保することが出来るかもしれない。まぁ、色々勉強することは多いし、この方法で上手く回るかは分からない。」

 「でも、自信はある。継続性の源は、結局のところ、僕が自分をどれだけ信じられるかなんだ。」

 「僕は、E-Educationを10 年継続させて、田舎の貧しい家の出身でダッカの一流大学を卒業する同志2,000人のネットワークを作る。その頃には、彼らはそれぞれ、政府やビジネス、あるいは大学において、重要なポジションで働いているだろう。僕は、E-Educationが創りだす、人のネットワークを総動員して、社会に役立つ多彩なデジタル・コンテンツを、バングラデシュの様々な分野に提供していく。長期的にはそんなソーシャル・ビジネスを創っていきたいんだ。」

 意志の強い目を光らせながら、マヒンは語る。Crossoverのメンバーは、マヒンの確固とした意志とビジョンに基づく建設的な楽観主義、そして懸命に走りながら徹底的に考える姿勢に強く印象付けられた。そして、共に悩んだ。この素晴らしい取組みをどうしたら継続させられるだろうか?

 緑豊かなハムチャ村の田舎道を歩みながら、美しい紅に染まった夕暮れ時のメグナ川の畔で茶を飲みながら、、マヒンのお母さんの手作り料理を頬張りながら、あるいは、マヒン家のベッドに「川の字」になって添い寝をしながら、共に、語り、考えた。僕たちに出来ることは何だろうか?

  メグナ川の夕暮れ
  ~ 赤々とした夕焼けと豊かな水をたたえるメグナ川が溶け合う風景は息を呑む美しさだ ~

 答えは、既に僕たちの中にあった。それは、つながること。継続的につながっていくことだ。

 この記事を書いている今この瞬間、マヒンは東京の国立に居る。かねて念願だった一橋大学大学院への留学の機会を奨学金と共に手にしたマヒンは、Crossover Bangladesh Study Tourの丁度一ヵ月後の9月末から、日本で学んでいるのだ。期間は一年間。自らのプログラムの将来を如何に創っていくか、という等身大の問題意識を持って、一橋大学院でソーシャル・ビジネスについて学ぶ機会を得たマヒンは、きっと何かを掴み取って母国バングラデシュで待つ仲間の下に戻ってくるだろう。

 そして、CrossoverのStudy Tourのメンバーは、マヒンが日本にやってきて10日程たった週末に、国立駅に彼を迎えに行き、東京都内の見所を案内して回った。また、「日本は想像以上に何もかもが高い!」とこぼすマヒンに、服や日用品など、使えそうなものを譲るべく、友人や親戚に掛け合ってくれているメンバーもいる。そして、10月20日には、マヒン、そして共同創設者であるアツこと、税所篤快君の参加も得て、国際NGO、Oxfamの協力の下、今回のトリップの報告会もかねて、E-Educationに関する勉強会を開催することになった!こちらも動きが早い!

 勉強会の詳細は、下記Facebookの関連ページをご参照の上、ご興味とお時間のある方は、専用フォームから申込みを!
- Facebook特設ページ:
   https://www.facebook.com/events/152260818251891/
- 参加申込みフォーム(日時:2012年10月20日 14:00-16:00 @国立オリンピックセンター)
   http://www.ivgjapan.org/index.php/component/seminar/?task=3&cid=51

 ここでの出会いや議論が、新しいアイディアや動きにつながっていくかもしれない。そう、マヒンがE-Educationを通じて創り上げていく、志ある人と人との絆は、ハムチャという村の小さな校舎から始まり、大都会ダッカ、そしてバングラデシュの全国津々浦々に、さらに、国境を越えて日本までをも繋ぎ、バングラデシュ、そして日本の未来を変える原動力となっていくだろう。そんな機会を創ってくれたマヒン、そして僕らを温かく迎えてくれ、本当に多くの学びと素敵な笑顔、そして美味しいベンガル料理を惜しみなく与えてくれたマヒンのご家族、ハムチャ村の人々や子供たち、そしてE-Educationで学ぶ高校生やスタッフの皆に、心から伝えたい。

 ショバイケ・オネク・ドンノバート! (皆さん、本当に有り難う)
  アプナデール ションゲ デクテ アムラ クープ クシホエチェ!!!(出会うことが出来て僕達とても幸せでした!!)
 
  bangla trip 8
~ハムチャ村にあるマヒンの実家の玄関で。マヒンとマヒンのお母さんを囲んで~
                    (本シリーズ終わり)
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/09 12:37

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑦~農村の若者たちが教育機会を手にするには何が必要か?(その2)~

バングラデシュの若き起業家マヒンの先導でCrossover Bangladesh Study Tripの一行は鉄筋コンクリート1階建ての小さな建物に入った。チャンドプールの港から車で20分程度移動した先にあるこの建物は、E-Education Projectの4つの学校のうちの一つなのだ。貧しい農村出身というディスアドバンテージをものともせず努力と気合でダッカ大学への道を切り開いたベンガル人の若者と、志と身一つでバングラデシュに飛び込んだ日本人の大学生の協働が創り上げたソーシャル・イノベーションの結晶が、ここで展開している

 小さな教室では、40人ほどの高校生がイヤホンをしながらラップトップと真剣に向き合っている。パソコンの画面には、ダッカの有名予備校で教鞭をとる一流講師が、困難な受験を突破するための英語のテクニックを伝授するべく、黒板に英文を書きながら熱弁をふるっている姿が映し出されていた。パソコンが足りないのだろうか、一台のパソコンを3人の学生が共有している

e-education

 マヒンの姿を認め、皆いっせいに起立をした。E-Educationの共同創業者であり、また、自らの努力でダッカ大学合格を勝ち取った大先輩、マヒンに、学生たちは一様に熱い視線を注ぐ。マヒンは学生たちに僕らを紹介しつつ、彼らを励まして回る。大学を卒業した後の将来の夢を尋ねるCrossoverのメンバーに、ある女子学生は「医師として人を助けたい」、別な男子学生は「起業をしてこの国を豊かにしたい」と、それぞれの想いを語る。「ちなみに僕の夢はね、物凄くかわいい奥さんをもらうこと。そして沢山子供が出来て、良いお父さんになることだよ!」屈託の無い笑みを浮かべながら、ちょっと恥ずかしそうに、そんなことを語るマヒンに、小さな教室は大きな笑いに包まれる。

e-education-3

 場所をスタッフ控え室に移した僕らは、マヒンとそのスタッフの大学生を囲んで、E-Educationのこれまでの歩みと現状、課題と今後の展望に耳を傾けたのだった。


 バングラデシュの都市部と農村部との間に存在する巨大な教育機会の格差を少しでも解消するために、ダッカの大手予備校のカリスマ講師の授業をビデオに収録、それをDVDにコピーした上でラップトップと共に農村に持ち込み、経済的に余裕の無い家庭の高校生に提供するというE-Education Programは、2010年にマヒンの生まれ故郷チャンドプール県のハムチャ村で始まった。

 初年度は、寄付で集めた中古のラップトップ・パソコンをつかって43名の高校生(バングラデシュの学制ではClass10からClass12の学生)に無償でビデオ講座を提供。その結果、1名のダッカ大学合格者を含む13名の大学合格者という快挙が齎されたことは前回の記事で紹介した。しかし、こうした快挙の影で若き起業家の頭を悩ませたのが、事業の継続性をどのように確保するか、という問だった。心躍るようなイノベーションにより、耳を疑いたくなる結果を齎したE-Educationに受講希望者が殺到するのは目に見えていた。しかし、ラップトップや教室などを確保するためのまとまった資金は手元に全く無い。ダッカとチャンドプール、東京を行き来するための費用は自分たちのポケットマネー。高まる需要に応えるどころか、現状を維持することすら困難であることは明らかだった。

 そこで、共同創業者のアツがアプローチをかけたのが、日本の某有名企業だった。その企業は、折りしもバングラデシュで教育関連のSocial Businessに乗り出そうとしていたのだ。そして、日本人とベンガル人の意気盛んな若手起業家が起こした奇跡に強い興味と共感を抱いた同社の社長は、会社の経営判断としてE-Educationに対してまとまった金額の出資をすることを決めたのだった。心強いパートナーの登場。E-Educationの前途は一気に開けたかに見えた。しかし彼らは同時に発生した別な困難と向き合うこととなる。それは、その企業が主要出資者として提示した二つの条件。一つは、その企業の社名を前面に出すこと、二つ目は、ビジネスとして継続的に利益が出るような受講料の設定だった。そして、先方が最初に提示した金額は、4ヶ月のプログラムで4,000タカ(約4000円)。

 先に教室で出会った現在のE-Educationの受講生に父親の職業を訪ねたところ、リキシャ引きや農家、あるいは村の小さな雑貨屋といった回答が目立った。農村部でこうした職業についている人々の月収は、季節や場所、規模によって違いはあるが、概ね7,000~10,000タカ程度といって良いだろう。こうした家庭が、子供達の塾代に4ヶ月で4,000タカという金額を支払うと期待することは、まず出来ない。特に女子に関しては、高校に行かせることすら経済的・社会的に家庭の中で優先順位が低いバングラデシュの農村部において、高価な塾代まで支払って大学受験の勉強をさせようという親は皆無といって良いだろう。

 「多額の出資金をもらっているとはいえ、とても受け入れられる内容ではない。E-Educationは営利目的の事業では無く、教育機会に乏しい農村部の貧困家庭の学生たちの可能性を拓くためにはじめたのもなのだ。」マヒンとアツは先方の説得にかかった。交渉の末、受講料は最終的に2,000タカに落ち着いたのだった。しかし、2000タカという金額は、本当に「落ち着いた」と言える水準なのだろうか?

 彼らの悪い予感は当たった。初年度の成功にもかかわらず、集まった学生は一年目を下回る27 名。しかも、二人が本当に手を伸ばしたい、マヒンの弟や妹のような経済的に余裕の無い家庭の学生たちの姿は無かった。

悩んだ末に彼らが出した結論は、パートナーシップの解消と出資金の返還だった。初志を貫徹したE-Educationのメンバー。一方で、事業の持続可能性は崖っぷちに立たされることになった。ダッカ大学の授業もこなしつつ、塾講師のアルバイトで必死になって稼いだポケットマネーを使って金策に走り回る日々。その資金も底をつきかけていた。

 「あの時は、もうE-Educationを続けることは出来ないのではないか、と思ったよ。お母さんもからも『事業のことより、あなたの将来のことをしっかり考えなさい』といわれ、大分心配をかけてしまっていた」。マヒンはこう振り返る。

しかし、万策尽きたかに見えた若き起業家に、別なエンジェルが現れたのだった(続く)。
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/07 19:46

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑥ ~農村の若者たちが教育機会を手にするには何が必要か?~

ダッカの河の玄関口ショドル・ガット港を出てから約7時間、メグナ川を下る夜行船のキャビンで過ごした一夜が明けた。時計の針は朝7:00過ぎを指している。既に他の乗客はずいぶん前に船を降り、それぞれ、自分を待つ人の元へと散っていったようだ。
 朝の静けさが支配する船の甲板に出た僕らを迎えてくれたのは、雨上がりの空にかかる虹と、川面に浮かぶ水草の群れだった。

    bangladesh trip 2
       ~ 静かに流れる早朝のメグナ川にかかる虹 ~

 ダッカの喧騒を抜けてCrossover Bangladesh Study Tripのメンバーがやってきたのは、チャンドプールという地方都市の港だ。夜行船で僕らをここまで導いたのはマヒンという名のベンガル人の若者彼は、「教育機会に乏しい農村部で暮らす若者のポテンシャルと自信に火を灯したい」、こんな思いで「バングラデシュにおける都市と田舎の教育格差の解消」という課題に挑戦を続ける、若き起業家だ。そして、虹のかかるチャンドプール港は、マヒンの人生の軌跡を辿りながら、彼のビジョンと挑戦に心を揺さぶられる旅の玄関口なのだ。



 ここで少し、僕の友であり、弟であり、また多くを教えてくれる師とも言える、マヒンと、彼が手がけるE-education プロジェクトについて簡単に紹介したい。

 今年23歳になるマヒンは、ダッカから約150キロ程南に位置するチャンドプール県のハムチャという村で生まれ育った。ハムチャ村に電気が通ったのはつい数年前。その供給は心もとなく、夏場は停電している時間のほうが長い。ガスや水道は今も無く、ライフ・ラインはかまどの火と井戸水。その井戸水が天然の砒素に汚染されていることが最近分かった。

父は、一家を養うために中東へと出稼ぎに出ている。母は、父が長期間不在となる家を守り、4人の子供たちを懸命に育ててきた。「姉は僕よりもよっぽど優秀で勉強熱心だった」とマヒンが言う長女は、生活に困窮する家族を前に、高校進学をあきらめ、嫁いでいった。「姉の分まで自分が努力をしなければ。」当時中学生だったマヒンはそう心に誓い、凄まじい執念と努力で、バングラデシュの最高学府であるダッカ大学の開発経済学部に、約7万3000人の受験生中11位という成績で合格する。村で初めての快挙だった。

 ちなみに、バングラデシュの東大に当たるダッカ大学の学費は、国立ということもあり、最も高価な学部でも月々200-300タカ(一タカ=一円)と、極めて安価だ。しかし、ダッカ大学をはじめとする有名大学に入学するには、苛烈な受験戦争を勝ち抜かねばならず、試験突破に必要なテクニックを授けてくれる予備校に通うには相当の資金が必要となる。そして名門予備校はダッカに集中している。地元の高校に通うだけで精一杯という農村部の高校生は、冷房の効いた大手予備校の教室で特訓を受けているダッカの裕福な学生と競争しなければならない。これでは、国立大学の学費が安いとはいっても、実態として、田舎の高校生にとっては、閉ざされた門に等しい。マヒンは、その壁を途方も無い努力と根性で突破したのだ。

 Mahin High School
~マヒンがかつて学んだGandamara 中学(High School)の校門。数学と科学を教えているShetol Khanthisen 先生の話では、同校では生徒数約1,000 人に対して教員数は校長も含めて僅か17 名という状況だ~

 マヒン一家の喜びもつかの間、遠く中東で家族に仕送りを続けていた父が不慮の事故で背骨を傷める重症を負ってしまう。大黒柱を失った家計を助けるべく、マヒンは勉学の傍ら塾講師のアルバイトに精を出し、稼いだお金を田舎の母や妹の元に送った。当時16歳だった弟のトゥヒンは高校を中退して、父の代わりにバーレーンに赴き、出稼ぎ労働に勤しんだ。

 マヒンは類まれな努力家だが、育った家庭を取り巻く物理的な環境は、農村に暮らす他の多くのベンガル人同様、とてもつつましく、時に厳しいものだった。そんな中、「たとえ環境は厳しくとも、大学受験に挑戦し、人生の可能性を広げて欲しい。同じような環境で育った僕が出来たのだから、君たちも、きっと出来るはずだ!」マヒンは、弟・妹、そして後輩たちへ檄を飛ばしていた。そして、彼の切実な想いが、大きく展開するきっかけとなったのが、当時グラミン銀行でインターンをするべく、ダッカに乗り込んできていた東京の大学生、アツとの出会いだったのだ。

 マイクロクレジットという革新的なビジネス・モデルで多くの貧困層の人生を変えたユヌス博士に憧れてダッカに飛び込んだアツも、バングラデシュの農村に足しげく通う中で、都市部との圧倒的な教育格差に気付いていた一人だった。「何とかしたい、でもどうやって??」渦巻く想いのヒントとなったのが、「偏差値40台の落ちこぼれ」だった自分を、早稲田大学現役合格へと導いてくれた、大手予備校のビデオ講座プログラムの記憶だった。

 「あの方法は、ひょっとしてバングラデシュでも活かせるのではないか?」

 具体的にはダッカの大手予備校で活躍するカリスマ講師の授業をビデオに収録してDVDに録画、それをラップトップとともに農村に持っていけば、田舎の高校生も、都会の裕福な高校生と同じく、一流予備校の講座を受けることが出来る。都市と田舎の競争条件が平らになり、より多くの田舎の若者が、挑戦をし、そして成功を勝ち取ることが出来るかもしれない。

 アツのこんな思い付きを実行に移すには、ベンガル人の同年代のパートナーが必要だった。共通の想いと、固い意志、そして抜群の行動力を持つ同年代のアツとマヒンが出会ったのは、必然だったのかもしれない。

 そんな二人が“バングラデシュでドラゴン桜”をキーワードにE-Education Projectを立ち上げたのが2010年。カリスマ予備校教師の協力も得て創り上げたE-Learningプログラムをチャンドプール県の貧しい村に持ち込み、30名の高校生を集めてプロジェクトを展開した。結果はどうだったか。

なんと、これまで一度も大学合格者を出したことが無い貧しい村から、ダッカ大学への合格者1名、その他18名が大学進学という奇跡のような現実がもたらされた。これにより地元の有力者、メディアから日本の企業・新聞社まで大きな注目を集めたE-Educationは、現在、立ち上げから3年目を向かえ、マヒンはバングラデシュの事業を本格起動に乗せる責任者としてコア・メンバーを統括し、アツは、E-Educationのモデルを五大陸で展開するというでっかい夢を実現するために、中東そしてアフリカへと飛んだ。そんな彼らの等身大の挑戦については、E-Educationのウェブサイト、そして、僕が敬愛して止まないアツこと、税所篤快君が痛快・爽やなタッチで綴る著作「前へ!前へ!前へ!~足立区の落ちこぼれが、バングラデシュで起こした奇跡~」をご一読あれ。
     Do it! Do it! Go ahead

 そんな若き起業家の軌跡と想い、そして将来の展望や課題を共有するべく、CrossoverのBangladesh Study Tripのメンバーは、夜行船に揺られて、チャンドプールへと向かったのだ(続く)。
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/03 19:09
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