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破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その5)

 竜巻による甚大な被害を受けたブラモンバリア県ジャルイルトラ(Jaruiltora)村に入った僕は、重傷を負ったものの病院に行けず応急処置だけで寝込んでいるメンバーを抱える家庭を探しまわった。バングラデシュの農村では、モスクや学校、そして一部の富裕層の家を除けば、殆どの家がトタンか土壁で作られた質素なものであり、竜巻に襲われれば根こそぎ持っていかれてしまう。そして、強風で吹き飛んだトタン板や竹の柱は凶器となって人々や家畜に襲い掛かる。

 ダッカから東へ約100キロ離れたブラモンバリア県にて、3月22日午後に発生した竜巻の被害を受けた村々に対する支援に至る経緯は、下記記事をご覧下さい。  
   破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その4)

 この日、二番目にお邪魔したご家庭のご主人、24歳のロトン・ミヤさんは、竜巻に巻き込まれながらも九死に一生を得た一人だ。大工仕事で得ていた一月1万2千タカ(約1万2千円)の稼ぎで、奥さんのシリーナさん、7歳になる長男のアルファット君、5歳の次男リファット君、そして8ヶ月前に生まれたばかりのナディアちゃんを養っていた。

 ロトンさんは、その日も仲間とともに現場に入っていたが、突然の竜巻で倒壊した建物の下敷きになり、全身に傷を負ったほか右足を骨折した。しかし、一緒に働いていた5人の仲間は、吹き飛ばされ、あるいは建物に押しつぶされて亡くなったという。

  Bramonbharia 6
   ~傷付き、家も家財道具もすべて失ったが、家族は全員無事だったロトンさん一家~

 家族みなが無事だったのは何よりだったが、ロトンさんは松葉杖がなければ歩くことが出来ず、骨折した右足には包帯が無造作に巻かれているだけで、ギプスもつけられていない。被災地では大工仕事は引く手数多であろうが、これでは仕事に復帰できそうにない。しかし、病院でまともな治療を受けるための現金は一家の手元に、無い。そんなロトンさんに激励の言葉を添えて一万タカを手渡した。

 ロトンさんのテントから出ると、いつの間にか大勢の村人たちが集まっている。

 ジャルイルトラ村に着いてから、かれこれ1時間。村人たちの間に外国人がカンパを持ってやってきた、という噂が広まったのだろう。「私のテントに来て下さい」、「いや、うちが先だ!」、「この子の足を見て!こんなに酷く怪我をしている!」・・・みな、口々に窮状を訴え、僕の腕を引っ張る。ノアカリでの活動とは違って、現地でパートナーになってくれるNGOもいない。 取りあえず手を引かれるままにテントに入り、人々の話に耳を傾けるものの、どれも厳しい話ばかり。優先順位はつけ難い。しかし、このままでは僕と偶然出会った、声の大きな家庭にカンパを手渡していくことになってしまう。意味が無いとは言わないが、もう少し工夫の余地は無いだろうか。 
  
  Bramonbharia 7
                ~ 竜巻の被害や家族の窮状について必死に語る被災者の声に耳を傾ける ~  

 思案に暮れていると、ジュマのお祈り(金曜日の正午過ぎに行われるもっとも大切なお祈り)を告げるアザーンが、村にこだましているのに気付く。今なら、この村の男性全員がモスクに集まっている。ひょっとしたら全体感がより良くつかめるかもしれない・・・そんな希望を胸に、瓦礫の山を越えて、モスクに向かった。 殆ど無傷だったモスクでは、大勢の村人たちが、純白の帽子とパンジャビに身を包んで祈りをささげている。

 お祈りを終えて三々五々、家々に散っていく人々の中に、見覚えのある顔を見つけた。周囲に抱えられ、ぐったりとした表情のあの若者は・・・さっき病院にいくために20,000タカを渡した“18歳の大黒柱”ジュルハッシュ君じゃないか!?

 「何で彼はここにいるの?お祈りが大事なのは分かるけど、動かしたら余計悪くなるじゃないか。早く病院に連れて行ってよ!」

と詰め寄る僕に、彼を支える周囲の人々は、

 「いやいや、彼の状態が大変よろしくないので、一緒にお祈りをしていたんだよ。病院には後でいきますから。」

という返事。何ということだろう!!ジュルハッシュは自力で起き上がることも出来ないのに、モスクに運んでいってお祈りするなんて・・・これでは直るものも直らない。一刻も早く病院に連れて行くようにブロークン・ベンガル語でワーワー言っている僕に、「どうしましたか?」と綺麗な英語が語りかけてきた。振り返ると、一人の紳士が立っている。事の経緯を語ると、これまたパーフェクトな英語で丁寧に応えてくれた。

 「村を代表して、あなたと、あなたのご友人の皆さんに、心から感謝します。私の名前はマニール・ホッサン。イスラム銀行のダッカ本店でマネージャーをしていますが、私はこの村で生まれ育ちました。実家はすぐ近くです。今回私の村が被災したので、金曜日朝一番の列車でダッカから戻ってきた訳です。え!?あなたもあの列車に乗って来たんですか・・・本当に感謝しても仕切れません。幸い我が家は何とかつぶれずにすんだので、中でもっと詳しく話をしませんか?大丈夫、彼らには今すぐジュルハッシュを病院に運ぶよう、私からも伝えましたので。」 
 
 バングラデシュ有数の大銀行のマネージャーだけあって、マニールさんの実家はコンクリートで出来た立派な家だった。庭はなぎ倒された大木や倒壊した納屋で足の踏み場も無いが、家の中はほぼ無傷だ。冷たいジュースをご馳走になりながら、僕はマニールさんに相談した。

「村の皆さん全員が、本当に大変なのはよく分かります。ただ、今日持ってきているカンパにも限りがあるので、重傷者を抱えながらもお金がなくて必要な治療が受けられないでいる家族、特に、一家の中での稼ぎ手がそのような状況に陥っている家族を、優先的に支援したいと思っているのですが、状況がつかみきれません。力を貸して下さい。

 すると、マニールさんは僕の手を握り、「全面的に協力する」と力強くうなずいてくれた。村の様子を知り尽くした強力なパートナーを得た僕は、瓦礫の山の中で頼りなげに並ぶテントの群れへと戻っていった。 

  Bramonbharia 11
 ~被災者の家族構成や被害状況について、詳しく教えてくれたマニールさん。故郷思いの熱血漢だ。~

 マニールさんに伴われて最初に訪問したテントでは、老婆が一人うずくまっていた。目はうつろで焦点が定まっていない。
 
 「このお婆さん、今年70歳になるジャハナラ・ベグムさんといいます。この一家はね、私の知る限り、村の中で一番厳しい状態でしょう。」とマニールさん。

 なんでも、息子は数年前に土地を売って得た資金で飛行機のチケットを買って、サウジアラビアに出稼ぎに出ているが、未だ職が見つからないようで、まとまった仕送りが来ていない。そんな中、故郷のブラモンバリアで、年老いたジャハナラさんと、お嫁さんのリナさん、そしてジャハナラさんの孫に当たる二人娘、ファヒムちゃんとソニアちゃんが留守を守っていたところに、竜巻が襲ったのだ。家はなぎ倒され、下敷きになった末娘のファヒムは亡くなり、奥さんと長女は重傷を負って入院中だが手術費用が払えないため、満足な治療が受けられないという。一方、中東の地で、悪夢のような知らせを聞いたジャハナラさんの息子は、卒倒するほどショックを受け、すぐにでも帰国したい思いでいっぱいだが、帰りの航空券を買うお金ないので、今はただ、異国の地で職探しに励むしかない。一人娘を失い、残された娘と妻が生死の境にあるにもかかわらず。   
 
 あまりにも厳しい現実に、ジャハナラさんにかける言葉が無い・・・とにかく、リナさんとソニアちゃんの治療のために使って欲しいと告げて2万タカをお渡しすると、ボロボロ涙をこぼしなら何かをつぶやいているが、よく聞き取れない。マニールさんも、沈痛な表情で立ち尽くしている。

 マニールさんの話では、政府からはテントに加えて、被災者一人当たり3,000タカ、死亡者一人当たり2万タカの見舞金が支給されているらしい。しかし、これだけでは大きな手術代や長期にわたる入院費用は賄いきれない。また、被災者が生活を持続的に再建するには、仕事を始める元手が必要だが、それも彼らの手元には無い。
  
 次に出会った36歳のダナ・ミヤさんは、まさにそんな苦難のどん底にあった。瓦礫の上にぼんやりと座っていたダナさんは、18年間サウジアラビアで出稼ぎをして稼いだお金で家を建て、奥さんのムクセーダさん、12歳になった長女のムルセリンちゃん、そして8歳の末娘のムスタリスちゃんと暮らしていたが、竜巻は長年かけて作り上げてきた一家の幸せを一瞬して奪ったのだ。ムスタリスちゃんは倒壊した家の下敷きになり亡くなり、奥さんと長女は県病院でも治療が出来ないほどの重傷を負って、ダッカ市のメディカル・カレッヂ・ホスピタルに緊急移送され
 
  Bramonbharia 10

 貯金は無いのかとたずねると、竜巻被害に遭う3日前、新しい仕事を始めるために10万タカをかけて買ったオート・リキシャと、当座の入院代で全てなくなったという。そして買ったばかりのオート・リキシャは瓦礫と化してしまった・・・本当に辛い。ダナさんの手を握り、肩をたたきながら奥さんと娘さんの一日も早い回復を祈って2万タカをお渡しする。ダナさんは御礼を繰り返すも、その表情は硬いままだった。
 瓦礫の中を歩き回り、被災者の声に耳を傾け、マニールさんの助けを借りながら最も厳しい苦難の元にある家庭に義捐金を手渡していくこと数時間、ダッカから持ってきた10万タカ入りの封筒が空になった頃には、夕方の涼しい風が吹き始めていた。「また戻ってきます」そう約束して別れたマニールさんに見送られて村を後にしながら、改めて、災害に対する備えの大切さを思い知った気がした。

 世の中から竜巻をなくすことは出来ない。しかし、もしもジャルイルトラ村の家々の多くが、マニールさんのご実家のようなコンクリートの、あるいはレンガ造りの家だったら、僕が目にした被災地の風景は、大分違うものだっただろうまた、真夏日に発生する突然の雹(ひょう)といった竜巻発生の予兆に関する蓄積がコミュニティにあり、モスクのメガフォン等を使って村人に避難を呼びかけていたら、僕が耳した悲惨なストーリーの数はもっと少なかっただろう。 あるいは、政府が支給しなければならない見舞金やテントの数もぐっと少なくて済んだだろう。 
 
 特に人の命がかかっている局面でのタイムリーな緊急支援は大切だ。これでテントや病院のベットで寝たきりだった人が、必要な治療を受けること出来る。しかし、被災地の人々が、今後提供される義捐金で、家の修理のために昔と同じトタンを買うだけだったら、次の竜巻や台風で同じような目に遭うだけだ。彼らがトタンではなくレンガを、さらにはコンクリートで我が家の壁を作る力を得るためには、それに必要な元手を手にするための仕事と、忘れた頃にやってくる災害に対する感度をコミュニティ全体で高めていくことが欠かせない。長年にわたる本人の多大なる努力と政府や開発パートナーの支援によって積み上げてきた、ささやかだが確かな開発の成果と、何より大切な家族を守るために。 (終わり)
 
 
 
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/04/08 03:40
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