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破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その3)

 ダッカから約150キロ南東に離れたノアカリ県に入った僕は、現地の水先案内人であるGhandhi Asram Trustのナバ・クマールさん、アシムさんとともに、ラジゴンジ・ユニオンのアランディノゴル村へと向かった。途中すれ違うのは青々とした水田、学校帰りの子供たちの楽しげな笑顔、茶屋で井戸端会議に花を咲かすおじさんたち・・・この地で狂気と暴力が発生したとはとても信じられない風景ばかりだった。

 田舎道をしばらく行くと見覚えのある橋に目が留まった。この橋を渡るとアランディノゴル村だ。村の入り口には無残に破壊されたヒンドゥーの神々の像を収めた小屋がある。寺院を過ぎると1-2分もしないうちに、焼けた木々の下、トタンで作った掘っ立て小屋が並ぶ集落が現れる。ここが、攻撃されたヒンドゥ教徒の人々が細々と暮らすコミュニティだ。


  • 偏狭な過激派によって生活の基盤を全て破壊されたヒンドゥー教徒のコミュニティ支援に至る経緯については、下記記事をご覧下さい。

   『破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その1)
   『破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その2)



 家の基礎にするための泥をかごに入れて運んでいた見覚えのある若者が、僕に気付いて駆け寄ってきてくれた。「また来たよ、覚えているかい?」とベンガル語で声をかけると

 「もちろんですよ。シャゴレル・ボロバイ!!会えて嬉しい。」

と満面の笑みで応えてくれた。彼は今年二十歳になったビカッシュ君。ノアカリ大学で生物学を学ぶ2年生だが、今回の人災で教科書やノートを全て焼かれてしまい、また、家の修復作業にも忙しく、事件以来大学に行けていないという。教科書を買い揃えるのに5,000タカ程度は必要だが、当然そんなお金は彼の家族にない。このコミュニティには、彼のような大学生が他に2人いるらしい。

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  ~ノアカリ大学で生物学を学ぶビカッシュ・チョンドロ・ダッシュ君。14歳の弟ジョイデブ君とともに、家の修復の手伝いをしていた~

 ちなみに、僕の名前、“洋一郎”は、初対面のバングラデシュの農村の人々にはなかなか覚えてもらえない。そこで、ベンガル語で「大洋」を意味する「シャゴール」と、「一郎(長男)」を意味する「ボロバイ」を合わせて、「僕の名前をベンガル語に訳すと、“シャゴレル・ボロバイ(海の兄貴)”だよ」とベンガル語で自己紹介すると、老若男女に大いに受けて、すぐに名前を覚えてもらえるのだ(その代わり、本当の名前が定着することは無いのだが・・・)。

 村には、政府が配給したトタンや、一人当たり4,000タカの給付金に加え、今回僕を案内してくれているGhandhi Asram Trustや赤新月社(Red Crescent Societies:イスラム社会で活動する赤十字社の姉妹組織)等のNGOが、当座必要な食料などの生活必需品を現物で寄付しているため、飢えをしのぐことは出来ているようだ。昼ごはんを準備中のおばさんは、調理用のなべ、火をつけるためのマッチや燃料なども支給されたと話してくれた。   
 
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 前回訪問した際にもこの集落で支援活動をしていたムスリムの女性、シャイーンさんとも再会。

 「元気かい?今日は一人で来たんだね。私の家はここから歩いて5分くらいのところだから、毎日通って、手伝いをしているんだ。」

と相変わらずの明るい大声。シャイーンさんのカラカラとした笑い声がコミュニティに響くと、雰囲気も少し明るくなる。 今回の事件で心を痛めているムスリムはシャイーンさんだけではない。ムスリムの教えを大切にするダッカの大学生たちがそれぞれお金を出し合って集めた10万タカを攻撃されたヒンドゥー・コミュニティに寄付したという話も聞く。一連の事件は、多数派ムスリムによる少数派のヒンドゥー教徒に対する攻撃では決してない。バングラデシュの国としての一体感、宗教や文化の違いを超えた調和を揺るがそうとする一部の指導者と、それに盲従する暴徒がもたらしたものなのだ。

 僕がアランディノゴル村を前回訪問したのは3月8日。その際、政府からの給付金をもらい損ねていた家庭5軒に対してそれぞれ5,000タカずつの支援を手渡した。まずは、その家庭を訪問し、先日提供したお金がどのように使われているかを尋ねると、一枚900タカのトタンや、ドア(4-5,000タカ程度)といった家の資材に使っていたケースが多かった

 もうすぐジョールが来るから、今の状態では小屋がすぐに壊れてしまう。政府から配給されたトタンだけでは足りなかったので、支援を頂いて助かりました。」

と語ってくれたのは、前回の記事でも登場したお母さんルンパさんだ。ノアカリを含むバングラデシュの多くの地域では、毎年乾季が終わる4月の中下旬頃、ジョールと呼ばれる猛烈な風雨と雷を伴う嵐がやってくる。多くのバングラデシュ人にとってジョールは、半年以上待ち焦がれた雨をもたらす恵みだが、それは雨風をしのぐ家があっての話だ。掘っ立て小屋ともいえない今の状態から一刻も早く脱却しなければ、赤ちゃんや老人などの命に関わる。 

  他のご家庭の話を聴いて回ると、家族が病気になったが薬を買う現金が無い、燃えてしまった教科書を買わなければならない、今まで職場までの足として使っていた自転車が燃やされてしまった一方で現金が無いので、職場に復帰できないなどなど、さまざまな声が聞こえてくる。

 さて、

 友人や同僚から預かった支援金のうち、今日持ってきたのは9万タカ(約9万円)。これをどう配分するか?一通りコミュニティの人々の声を聞いた後、Ghandhi Asram Trustのアシムさん、ナバ・クマールさんとともに、地面に座り込んで、配分方法について相談をしてみた。
  
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 「実はこの前、政府からの給付金をもらいそびれた5家庭に対して5,000タカをお渡しするとき結構大変だったんです。『うちは家族の数が多いのにこれしかもらっていない』とか、『旦那が失業している』とか、『家族のメンバーに障がい者がいる』とか、それぞれ大変な事情があって、全部に耳を傾けながら『正しく、平等な配分って何だろう』と考えていたら、混乱してしまって・・・」

 「イケダさんの悩みはよく分かります。実際、我々もドイツの方から頂いた10万タカの寄付の使途を考える際に悩みました。確かに彼らは今、切実に現金を必要としていますが、全家族に対して同額ずつ渡していくと、薄く広い配分になってしまい、結局消耗品にしか使えない額になってしまう。しかも、各家庭の人数や被害額も違うので、均等配分は必ずしも「平等」を意味しません。それに、お金を渡すことで、彼らが働く意欲をそいでしまうかもしれない。この点にも注意が必要でしょう。」

 被災者名簿を繰りながら悩みを共有してくれたアシムさんに続いて、マネージャーのナバ・クマールさんはこんなアドバイスをくれた。
  
  「我々には当座使える支援金は10万タカしか無かったので、悩んだ末に、コミュニティの皆が使う水洗の清潔なトイレの設置に使うことに決めたのです。 一案ですが、例えば教科書が無くて困っていた学生がいたでしょう。教科書はお金が無くては買えない将来の投資です。彼らに教科書代だといって、渡してみるのもいいかもしれません。あとは、我々が作った被災者名簿を見れば、子供の数や事件発生前の収入が分かるので、この中から、イケダさんが特に優先的に資金をお渡しするべきだと考える、脆弱な家庭や超貧困家庭に対して、皆さんからの支援をお渡ししてはどうでしょう。」


  なるほど、教科書や教育費に使うようにお願いをして、その使い手である学生に直接渡すというのは一案だ。どうせこれから何度も来るのだから確認も出来る。あとは、もっとも貧困な家庭の見極めか・・・僕は被害者の名前や収入、職業、そして被害額が丁寧に記されたリストのページを繰りながら考えていた。

 「まぁ、そんなに一生懸命悩まなくても・・・我々からも、これはまったくの個人的な善意であって、政府がやるように皆一律という訳ではないんだ、という事情や、イケダさんのお考えをしっかり彼らに伝えますから。それに、イケダさんがきてくれているだけで皆ハッピーなんですから(笑)。」

 ナバ・クマールさんの言葉に背中を押されて、僕は腰の辺りから、皆の気持ちが詰まった分厚い封筒を取り出した。まずは教科書を必要としている大学生3人だ。一人ひとりに声をかけながら、5000タカずつを手渡していく。 
 
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 ~ ノアカリ大学の3年生、ノクール・ チョンドラ・ダシュ君。「このお金は、バングラデシュの将来を気遣う大勢の友人たちからの気持ちだ。これで教科書を買って、一生懸命勉強してほしい。バングラデシュの将来を創るのは、君たち大学生だ」とベンガル語で伝えると、まっすぐな瞳で、「わかりました。次に来たときに、買った教科書を見て下さい。僕らの大学にも来て下さい」と応じてくれた。~

 次に訪問したのは、今年70歳になるおばあちゃん、ビシュヌ・ラニ・ダシュさんのご一家だ。

 ビシュヌさんは夫の先立たれ現在3人息子、3人娘と暮らしている。子供たちはもう20代、30代と十分に大人なのだが困った事に一人も結婚していない。訳を尋ねると、「3人娘を嫁に出すのに必要なダウリ(結婚持参金)を支払えない」のだという。いくら必要かとたずねると「20-30万タカ」という法外な金額。一方、3人息子たちの状況はというと、長男のオジョンドルさんは病院の清掃員の仕事で月給が2,500タカ、次男は街の散髪屋で働いており月給2,000タカ、三男も清掃員で月給2,500タカと、3人足しても7,000タカ。3人息子がそろいもそろって結婚しないのは、「自分が結婚したら妻と子供の面倒を見なければならなくなり、姉・妹・そして老いた母の面倒を見切れなくなってしまうから」という理由。

 収入は少ないが家族思いの7人がつつましく暮らしていた家は、30年前、ビシュヌさんの旦那さんが若かった頃に建てたもので、以来、少しずつ家財道具を買い揃え、それなりに住み心地の良い家だったという。それが、狂信的な無法者による攻撃で、全てが灰になってしまったのだ。実り豊かだった家の裏のマンゴーの木も、炎に飲まれて今は黒焦げの無残な姿に変わってしまった。 
 
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   「ビシュヌさん、このお金、あなたとあなたの家族のことを心配する、バングラデシュの、そして世界中の友達から預かった気持ちです。皆、あなたのことを大切に思っています。一日でも早く、元の暮らしが戻ることを祈っています。このお金を家族の幸せのために使って下さい。」

 ビシュヌさんに手渡すと、彼女は「どうか、あなたと、友人の皆さんに祝福がありますように」とささやきながら、その細い手で、僕の頭を優しく撫でてくれた。年老いた母の目には、涙があふれていた。

 他に5歳になる一人息子シマント君と暮らす未亡人プリティさんのご一家、そして耳と喉に障がいを持つショミール・チャンドラさんとその奥さん、息子のご一家に2万タカずつ、ご夫婦と小学校に通う二人娘と高校生の一人息子のビマル・チョンドルさんのご一家に1万タカ、そして一月3,500タカの年金暮らしのマヤ・ラニさご夫婦に5,000タカをお渡しし、とりあえず、“腰の重み”はなくなった。

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   ~  ビマルさんご一家のお母さん、ショロショリティさん。5歳のティアラちゃん、11歳のディーパちゃん、そして16歳のドロン君の3人の子供を抱えたこれからの生活に不安は尽きない。泣き崩れる彼女を前に、長男のドロン君に「今は本当に大変だろうけど、君は長男なんだから。強い一人息子として、妹たちとお母さんを支えなければね。」と伝えると、唇をかみ締めながら強くうなづいていた姿に印象付けられた。~
 
 30度を超える気温の中、ファンも付いていないトタンの掘っ立て小屋は蒸し風呂のような暑さだ。額からは汗の粒が間断なく零れ落ち、土の床に染みを残していく。「腹も減っただろうし、そろそろ引き上げましょう」と声をかけてくれたアシムさんに促されて村を出ようとすると、村の人々が、「何もないけど、何か食べていって欲しい」と手を引っ張ってくる。僕にあげるものがあったら子供やお年寄りにあげてくれと伝えてもまったく聞き入れてもらえない。という訳で、頂いたココナッツのジュースを遠慮なく一気飲み。カラカラに乾いた喉にさわやかなココナツの果汁が染み渡っていく。

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 ランチというには遅すぎる食事を済ませた後、アシムさん、ナバ・クマールさんと固い握手を交わしてノアカリを後にした。夕食の準備のために買い物に出る人々で街道沿いの市場は熱気に満ち、人々が群がるドカン(雑貨屋)は、夕日に照らされた長い影を、乾燥した街路に落としている。次第に深い藍色に染まっていく空を眺めながら、僕は、ノアカリで出会った人々の表情、交わした言葉、その時生じた心の動きを一つ一つ思い出していた。

 残念ながら、いつの時代になっても、暴力、偏見、差別は人々の心の中から無くならない。僕の心のどこかにも、そういう悪魔が巣食っているだろう。人間が本質的に持つ負の感情が、政治的・経済的な動機と結びついて扇動された時、マイノリティへの攻撃という人災が発生する。そのような事件は歴史を振り返り、地球儀を回して見れば山ほど見つかり、また日本だって、その例外ではない。

 でも、天災や疫病と違って、こうした事件は人間が起こすものだから、その解決も人間に委ねられているはずだ。人間が右脳を使って生み出す共感力や想像力を軸に、左脳を使って作り出した例えばウェブ等の新しい技術を使いこなして、自身を取り巻く様々な壁を乗り越えていけば、一人ひとりが問題を解決する主体になれるはずだ

 今日、僕がアラディノゴル村の人々に届けたのは、生活を再建するための元手であると同時に、言われのない暴力に突然襲われた人々の痛みに対する共感であり、多様性や異なる価値観への寛容さを大切にする想いだ。そんな気持ちを僕に預けてくれた友人たちと、アラディノゴル村の人々とは、それぞれの生涯を通じて、直接出会うことは多分ないだろう。でも、僕が今、バングラデシュのローカル・バスで揺られながら見上げている夜空と、東京やワシントンで見える空はつながっている。そして、身の回りにある様々な壁や物理的な距離の存在にもかかわらず、ひとつの空の下で、人々も、実はつながっている。そんなつながりを少しでも広げ深めるお手伝いをするメッセンジャーとして、僕はまた、人々のもとへと向かいたい。

 ダッカの我が家にたどり着くと、時刻は午前零時を過ぎていた。長くて深い一日の幕を、抗い難い眠気と心地よい疲れが、すぐに下ろしてくれた。

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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2013/03/31 05:51
コメント:
No title
現在シンガポールに留学中の学生です。

留学中にバングラデシュに興味を持ち、このブログに辿り着いて以来、示唆に富む記事をいつも楽しみにしています。

これからも不安定な政情の中、思うようにはいかないことばかりとは思いますが頑張ってください。きっと想いは届くと思います。

本日、Crossover21にも登録させて頂きました。
5月からはインドにいく予定で、バングラデシュには行けませんが何かの機会でお会いしたいです。

記事に深く共感したので思わずコメントしました。
No title
こんにちは。
東京でバングラデシュ人と働いている者です。仲間の国が大変な事になっていると聞き、調べているうちに池田さんのブログに辿り着きました。大変分かりやすく、またリアルな現状が伝わってきました。ありがとうございます。

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