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破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その2)

 3月23日土曜日、朝5時半。

 モスクから鳴り響くアザーンに見送られながら、僕は自宅を後にした。朝一の礼拝に向かう数人の敬虔なムスリム以外は、早朝の街路に人の姿はない。10分ほど歩いてたどり着いた大通りで待ちぼうけしていると、程なく働き者のCNG(天然ガスで動くオートリキシャ)が僕の前に止まった。鉄格子のような扉を開けながら、運転手に告げる。

 「サイダバット・バスターミナルまで頼む。ノアカリへ行くバス乗るんだ。」

 週末のこの時間は渋滞が無いために、まるでダッカの町全体のサイズが縮んでしまったのかと思うほどだ。ダッカの南部にあるサイダバットへは平日であれば軽く1時間半はかかる道のりだが、今日は30分少々で到着。しかし、バスターミナルは週末の早朝にもかかわらず、人とバスとリキシャでごった返していた。 ノアカリ行きのバスはどれだろう、道行く人々に聞いて回っていると、指差されたその先で、

 「ノアカリー!、ノアカリ行き、Asia Classic、出発するぞ!!」 

と叫びながら、車掌がフトント・ガラスにひびが入ったバスの横っ腹をバンバン叩いているのに気付く。朝食用にドカン(道端の小店)で買ったルティ(クレープの皮のようなパン)、ディム(焼き卵)、パニ(水)を紙袋に突っ込んで、既にゆるゆると動き出している長距離バスに飛びってようやく一息。350タカ(約350円)の切符を手に向かう先は2週間前に友人とともに訪れたノアカリ県のBegumganj Upozila(郡)、Rajganj Union(ラジゴンジ・ユニオン)のArandhinogor(アランディノゴール)村だ。

 Bangladesh Noakhali Map
 
 バスターミナルを出発したバスは、ダッカ-チッタゴンを結ぶ幹線道路に入って、そのスピードを一段と上げた。対向車線いっぱいにはみ出して前方の車やオート三輪を次々と追い抜きながら疾走を続けるバスの車窓からは、心地よい風とともに、乾燥しきったバングラデシュの大地から舞い上がる土埃が間断なく吹き込んでくる。半年続いた乾季も終わりが近い。バングラデシュに来てから早1年8ヶ月、これまで週末のかなりの時間を農村や地方都市で過ごしてきた僕にとって、ローカル・バス、船、あるいは汽車を使って一人で移動するのは特別なことでは無い。しかし、今日は幾分の緊張感が、“腰の周りに”感じられる。ダッカ、ワシントン、そして日本にいる多くの友人や同僚から預かっている“志”の一部、9万タカもの現金を携えて移動するためだ。これを必要としている人々に、そしてコミュニティへと届けるために。
  • 偏狭な過激派によって生活の基盤を全て破壊されたヒンドゥー教徒のコミュニティ支援に至る経緯については、下記記事をご覧下さい。
   『破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その1)
  • 現在バングラデシュの全国各地で発生しているマイノリティへの攻撃や暴動の引き金となった「戦犯問題」の背景については下記シリーズをご覧下さい。
   『国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?

  ノアカリの中心地、マイルディ・バザールに到着した頃には、太陽は既にその強烈な光をほぼ直角に地面に投げかけていた。幸い大した渋滞は無かったが、150キロの旅路を行くのに約6時間を要したことに気付く。ここで電話をかけると、口ひげを生やした一人の男性が、往来の激しい交差点の向こう側で、手を振っている。
 
 「Ghandhi Asram Trustのアシム・クマール・バカッシュです。ノアカリへようこそ。待っていましたよ。」

 握手を交わしたその男性、アシムさんは、僕がこの地で協働するパートナーだ。攻撃されたコミュニティ支援のために、世界銀行ダッカ事務所の全職員宛にE-mailでメッセージを送ったところ、上司であるバングラデシュ担当局長(Country Director)のサルマンが、

 「個人的な支援活動をするなら、現地の状況を良く知るNGOと連携をしたほうが良いかもしれなよ。それに、今回の件は政治も色々絡んでいるから、政治色の薄い中立的なNGOと一緒に現地に入るのが無難だ。私が以前より懇意にしているNGOの代表を紹介するから、もし良かったら連絡をしてみたまえ。」

と言って つないでくれたのが、ノアカリ県で40年以上活動を続けるNGO、Ghandhi Asram Trustなのだ。

 Ghandhi Asram Trustの発足は1947年にまで遡る。当時、インド・パキスタンの分離独立に伴ってノアカリ県、チャンドプール県の村々で発生したヒンドゥー教徒とムスリム教徒との間での暴力を憂いたマハトマ・ガンジーがこの地を訪問、宗教や価値観の違いに対する寛容さ、非暴力の徹底といった理想を説いて回ったのだ。これに感銘を受けたノアカリの人々が、ガンジーの理想を守り、そして広めていくために私財を投げ打って立ち上げたのがGhandhi Asram Trustなのだ。

  Aradhinogor-11
 ~ノアカリ県の北部、Jayag郡にあるGhadhi Asram Trustの敷地内には、マハトマ・ガンジーが説いた普遍的なメッセージが掲げられている。今のバングラデシュが取り戻さなければならない大切な精神ではないだろうか。~

 パキスタン統治時代は、その土地や資産を凍結されるという憂き目にもあったが、1971年のバングラデシュ独立を機に活動を再開。現在では、イギリスの援助機関DFIDやオーストラリアの援助機関AUS-AIDEといった海外のドナーからの資金を得て、最貧層の特に女性に対する就業支援や、小規模なインフラ整備プロジェクト等を実施している。約150人のスタッフのうち6割がムスリム、4割がヒンドゥーだという。 

 「長いバス旅でお疲れでしょうから、例の村に入る前に、とりあえず茶でも飲みながら、状況をお話しましょう。」

 アシムさんに誘われて、街道沿いの茶店に入り、言われ無き暴力の被害にあったラジゴンジ・ユニオンのアラディノゴル村の被害状況とGhandhi Asram Trustのこれまでの救援活動について話を伺った。アシムさんがカバンから取り出したノートには、2月28日金曜日の午後に発生した暴力によって被害を受けた人々の氏名、職業、家族構成、被害総額等が丁寧に記されている

 Aradhinogor-1

 Ghandhi Asram Trustは、当面の運転資金を活用して、被害にあった家族向けに、ろうそく、服、野菜、食器、灯油といった基本的な生活必需品を詰めた袋を提供しているほか、あるドイツ人から寄付された10万タカを使って、破壊されてしまった共同トイレの敷設に取り掛かろうとしているという。

 「難しいのは、 コミュニティのメンバー同士の信頼の回復です。燃やされた家や家財道具は、金さえあれば何とか原状回復できるけれど、お金で信頼を取り戻すことは出来ません・・・」

 遅れてやってきたGhandhi Asram Trustのマネージャー、ナバ・クマールさんが、額の汗をぬぐいながら悩ましげに語る。ちなみに、このナバ・クマールさんが上司である世銀の局長が紹介してくれた人物だ。

 「ユニオン・パリシャド(ユニオン評議会:住民からの選挙で選ばれるバングラデシュの基礎自治体)のメンバーなどは、コミュニティの信頼回復のために、何か活動を実施していないのでしょうか?」

 こうたずねると、ナバ・クマールさんは、いすを少し前に引き、身を乗り出して声を潜めながらこう語った。

 「実は、ユニオン・パリシャドのチェアマン(議長)が数日前逮捕されましてね・・・あのチェマンはBNP(バングラデシュの野党第一党であるバングラデシュ国民主義等:Bangladesh Nationalist Party)なんですが、どうやら、2月28日に暴れたジャマティ・シビール(野党ジャマティ・イスラム党の学生団体)の連中を影でサポートしていたようなんです。評議会のメンバー数人も、同じ疑いで今警察の取調べを受けているんですよ。

 逮捕されたユニオン・チェアマンのことは、私も個人的に知っているんですが・・・あの日、どうもラジゴンジで大変なことが起こっているらしい、という噂を聞いて、私も彼に電話をしたんです。ノアカリ県の知事(District Commissioner)等の政府高官も、必要な対応を早急に取るよう彼に指示を出すために連絡を何度も試みていたようなのですが、彼の携帯も秘書官の携帯もまったく通じなかった。暴徒を具体的にサポートする側に回っていたかは私にはわかりませんが、見て見ぬ振りをしていたのは確かだと思います・・・」 

 ナバ・クマールさんが小声で話すキナ臭い匂い話に耳を傾けながら、僕は2週間前にラジゴンジ・ユニオンで目にした風景を思い出していた。鉄パイプで打ち壊され、手製爆弾を投げ込まれ、そして灯油をかけて焼き尽くされた、あのヒンドゥーのコミュニティには家が18軒あった。しかし不思議なことに、そのうち2軒だけが、何故か無傷で残ったのだ。その理由はその2軒の家の裏手に回ってみると察しがつく。すぐ後ろにムスリムの一家が住む家があるのだ。隣の家に火が燃え移らないように、ヒンドゥー・コミュニティとムスリム・コミュニティのボーダー付近にあった2軒については、攻撃の対象から除いたのだろう。 
 
  Aradhinogor-12 
  ~破壊され焼かれたコミュニティ。本来であればマンゴーやジャックフルーツなどの恵みをもたらしてくれる周囲の木々も焦げた無残な姿をさらしている。~

 ちなみに、ガロ、ラカイン、チャクマといった少数民族の家を除けば、バングラデシュ人の田舎の家の外見は、住み人の信仰の違いではっきりと分かる特徴がある訳ではない。従って、村のどの家に、どんな家族が住んでいるのかを知っている誰かの協力が無ければ、 上記のような手の込んだターゲティングは決してできない。

 大分ぬるくなった茶をすすりながら、僕は暗澹とした気持ちになっていた。これまで村の人々はバングラデシュ独立以来40年にわたり、宗教の違いなど関係なく平和に暮らし、ともに働いてきたのだ。「戦犯問題」を契機とする今回の騒動で、そうした暮らしの基盤となっていた信頼は粉々に壊されてしまったのだろう。修復には相当の月日と忍耐とコミットメントが求められる。そして、ターゲットを絞った攻撃や暴力が起こっているのはノアカリだけではない。チッタゴン、フェニ、ブラモンバリア、ラッシャヒ、ニルファマリなどなど、バングラデシュ全国のあちこちの村で発生しているのだ・・・

 でも、今はやれることをやるしかない。そのための力を、大勢の友人や同僚の皆から預かっている。少しでも前向きな力をコミュニティの人々の心に灯すことができるはずだ。甘ったるい茶とミシュティ(水飴を濃縮してつくったようなバングラデシュのお菓子)をすきっ腹に流し込んだ僕は、アシムさんが運転するバイクの後部座席にまたがって、ラジゴンジ・ユニオンのアラディノゴル村へと向かった。(続く)

 
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/03/27 03:35
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