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破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?

 東日本大震災から2年が過ぎた。僕はあの日、あの時、バングラデシュの農村にいた。その年の夏からの世銀ダッカ事務所での勤務に向けた面接と新しい職場の見学のために、1週間の出張の機会を得てバングラデシュに初めて来ていた、その週末に震災が起こったのだ。

 電気もガスも無く、シャワーは井戸水という農村の家にホーム・ステイをしていた僕の耳に、震災・津波のニュースを届けたのはインターネットだった。バングラデシュでは国中殆どどこでも携帯電話がつながるが、携帯の電波が届くところでは、インターネットもキャッチできるのだ。「グラミン・フォン」の端末をつけた友人のラップトップに映し出された信じ難い映像に釘付けになったこと、翌朝村の港に行くと、地元紙の一面が津波に襲われる東北の写真だったこと、そしてダッカのホテルに戻ってCNNをつけると福島第一原発の深刻な状況が映し出されていたこと・・・今でも昨日のことのように思い出される。

  3.11 news paper
 ~2011年3月12日のバングラデシュ地元紙の一面。大勢のバングラデシュ人が日本の状況を案じ声をかけてくれた。日本国内のバングラデシュ人、あるいはバングラデシュからも、多くの支援が寄せられたことは記憶に新しい~

 そして、あれから丁度2年が過ぎようとした先週週末も、僕はバングラデシュの農村に向かっていた。でも、とても残念なことに、今回僕が友人と向かっていたその村は、美しい田園風景と人々の屈託のない笑顔に満ちた、いつものバングラデシュの村ではない。その慎ましい生活の基盤を徹底的に破壊され、信仰の拠り所である寺院までも失った人々が悲しみの中で途方にくれている、そんなコミュニティなのだ。人々の生活と心を破壊し、絶望をもたらしたのはしかし、天災ではない。宗教の名を借りた狂信的な権力闘争に心を奪われた過激派の一団によるマイノリティへの攻撃という、受け入れ難い人災なのだ。
 ダッカから南へ約150キロにあるNoakhali(ノアカリ)県のBegumganj Upozila(郡)のRajganj Union(村)

 この村の名を僕の心に刻みこんだのは、独立戦争時にパキスタン軍による蛮行に加担した戦犯の一人として法廷に立たされていたジャマティ・イスラム党の副党首でありイスラム聖職者でもあるDelwar Hossain Sayeedi(デワル・ホサイン・サイーディ )に死刑の判決が下った翌々日の新聞記事だった。それは、リーダーに対する死刑判決に怒りを爆発させたジャマティ・イスラム党とその学生団体であるジャマティ・シビールと見られる一団数百人が、何の関係もないこの村のヒンドゥー・コミュニティに襲いかかり、鉄パイプで家々や寺院を破壊した挙句火を放った、という信じがたい内容だった。

 記事を読み終えた僕は、「あぁ、この国はついにここまで来てしまったか…」と暗澹とした気持ちに浸りながら、次の記事に目を通し、そして新聞を脇に置いた。

 最近毎日のように繰り広げられるホルタル(暴力行為を伴うデモ)…銃弾や手投げ弾が飛び交うデモ隊と治安維持部隊との衝突の様子、炎に包まれるバス、そして多数の死者・重軽傷者の数字が踊る新聞やニュース。そしてただひたすら「早く落ち着かないだろうか…」と祈り、「これはバングラデシュ人同士の問題。外国人の自分が出来ること、すべきことは何もない」と傍観者を決め込む自分。

 なにより、日々様々な情報収集に努め、それを解釈しながらも、そうした情報やニュースに「反応する力」を失いつつある自分の右脳と心。

 今の僕は、罪のないマイノリティへの攻撃という、途方もなくショッキングな記事ですら、二次元に刻まれた活字の一群として左脳によりプロセスしてしまうのか!!

 なんだか落ち着かない気持ちになってきた。

 もう一度新聞を開いてみる。

 そこには、焼け落ちた家の前に並ぶ子供たちの写真がある。彼らの表情を見ている自分。そして、ベンガル人特有の、大きく澄んだ目で、彼らも、僕を見ていた

 Hindu Community 
 ~暴徒により破壊された家の前に並ぶヒンドゥー・コミュニティの子供たち(写真出展:Daily Star)~

 その瞬間、僕の心と右脳が何かを主張していることに気付いた。

 「この人たちの声に耳を傾けたい。一言だけでも、声をかけたい。」

 「外国人だから何も出来ないだって?何のために仕事で使いもしないベンガル語を勉強し続けてきたんだ?」

 「3.11の津波の後だって、そうだったじゃないか。あの時だって自分は、何か特別なことが出来る訳ではないけど、いてもたってもいられなくなって、東北まで行ったじゃないか。」

 「とにかく、行こう。あの人たちに会いに行こう。彼らの声に耳を傾け、破壊された生活を直接自分の目で目撃し心に刻もう。そしてあの人たちの痛みを共有し、出来ることなら和らげるために、自分が何が出来るか、彼らの目の前で考えよう。」


 それから4日後、3月8日金曜日の午後、僕は友人とともに、その村を訪れていた。村に入って最初に目にしたのは、トタン板の壁と屋根、そして竹の柱で作られた掘っ立て小屋の数々だった。村の人の話では、撃があった2-3日後に、政府が被害者に対して小屋を作る材料を支給をしたという。竹の柱を地中に埋め込むためにスコップを振るっていた土方のお兄さんに尋ねると、政府に雇われて仕事をしているとの答えが返ってくる。バングラデシュ政府の思いがけないすばやい対応にほっとするも、被害者の一人であるカルティック・デシュさんの案内で、彼の家-かつて家だったトタン板で仕切られた空間-に入ると、言葉を失ってしまった。

 そこで目にしたのは、焼け焦げた僅かな食器と政府から配給されたというお米、そして真ん中に敷かれたゴザの上でお昼寝をしている3ヶ月の赤ちゃんだった。

  Noakali2
 
  郡病院で医療事務に従事しているというカルティックさんは、攻撃があった時も仕事に出ていたという。そして、噂を聞きつけて駈け戻ったカルティックさんを待っていたのは、焼け落ちた我が家だった。

 一方、暴徒がコミュニティに乱入してきたのを見て、留守番をしていた今年75歳のおばあちゃんと奥さんは、赤ちゃんを抱えてとにかく必死に逃げたという。 

 「結婚してこの村に住んでから、かれこれ50年になるけれど、こんな目にあったのは初めてだよ・・・」  

 「赤ちゃんも生まれたばかりなのに、こんな目にあって。怖かったでしょうね・・・」と声をかけるとおばあちゃんは「まぁ、この子はまだこんなだから。何だかよく分からなかったんだと思うよ。泣いたりもしなかったしね。」と淡々と応える
 
 次に会ったのはルンパさん。一人娘のコタモニちゃんと二人で暮らす母子家庭だ。 

   「この子は今年5歳になったばかりなんです。今回のことで、服も、食器も、ベットも何もかもなくなりました。政府からは一家庭1万タカ(約1万円)程度のお金が支給されたようなんですが、私たちはそれももらいそびれてしまった。政府の方が村に来たときに、たまたま別の場所にいたので、被害者リストに載せてもらい損ねたんです。政府の人はまた来るかもしれないし、こないかもしれない。何も分かりません。この子をこれからどうやって育てていったら良いのかも、分かりません。」
 
 Noakali3
 ~ その時起こった恐ろしい出来事とこれからの生活の不安について話すルンパさんと一人娘コタモニーちゃん ~

 高齢のおばあちゃんと女性、そして生まれたばかりの赤ちゃんが留守番をしている家や母子家庭の家を攻撃して火を放つって、まったく理解不可能だ。政治は人をここまで狂わせてしまうのか。あるいはもっと別な何か大きな力が働いているのか。 ここでは全部で18の家が焼かれ約100人の人々が、こうした状況の下にあるという。

  村の人々が放火された寺院にも案内してくれた。

 Noakali4
 
  破壊された神々を前に、ただただ、胸が痛む。このコミュニティの近辺にある6つの寺院すべてが破壊され焼かれたそうだ。そして、自らの力ではまったくコントロールできない突然の暴力にさらされ、筆舌し難い苦しみのふちにある人々は、バングラデシュの中で、ノアカリ県ラジゴンジ村だけではない。報道によれば、シレット県、ガイバンダ県、チッタゴン県、コックスバザール県、そしてニルファマリ県など、バングラデシュのあちこちの地方都市農村で、ヒンドゥー教徒のコミュニティが「戦犯」への死刑判決を期に激昂した暴徒によって破壊され、焼かれているのだ。

 正直、どう声をかけていいかもよく分からなかった。何かの役に立ててもらおうとある程度まとまったお金をポケットから引っ張り出すも、それをどうやって配分したらよいかすら分からず、混乱状態だった。でも、そのコミュニティの人々は、僕の気持ちを受け取ってくれた。

 「お昼ご飯まだなら、食べていきなさい。え、要らないって?それなら、せめてお茶でも飲んでいってくださいな」

 政府から配給された僅かな食べ物で日々を乗り切っているそんな人々からかけられる信じられないような言葉に、胸を熱くしながら、僕らはラジゴンジ村をあとにした。そして、車に揺られながら感じ、考えた。

 バングラデシュはしばしば「穏健なムスリム」と称される。この国の9割以上を占めるイスラム教の教えを大切にする殆どの人々は、自制心と寛容さ、そして優しさに満ちている。また、バングラデシュの最大の資産が、宗教の違いを超えた一体感とそれが生み出す豊かな社会資本であること、その一例として、たとえばマイノリティのヒンドゥー教徒の最大の祭典である「ドゥルガ・プジャ」が国民の祝日であり、多くのイスラム教徒もその祭りを楽しむこと、同じくマイノリティのクリスチャンが大切にするクリスマスも祝日であることは、このブログでもたびたび紹介してきた。また、バングラデシュの小中学校の必修科目である「宗教」の授業は、多数派のイスラム教だけが教えられるだけでなく、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒、あるいは仏教徒の生徒がいれば、別なクラスを設けた上で、別な先生がしっかり受け持つことも、バングラデシュという国民国家が、国民それぞれが大切にする信仰心を尊重している証拠と解釈できるだろう。中東等の多くのムスリム国家を苛むテロや暴力と、この国が無縁であり、どこへでも安心して出かけられる体感治安の良さを誇っていたのも、こうした寛容さがあってこそだ。

 しかし、戦犯問題に端を発する暴力と怒りの連鎖と拡大は、そんなバングラデシュの美徳と強みをも破壊してしまったのだろうか・・・

 いや、そんなことは決してないはずだ。

 この国には、多様性と寛容さと、宗教や文化の違いを乗り越えて連帯することを大切にする大勢の人々がいるはずだ。そして、もちろん、この国の国境を越えたその先にも。
 
 そうだ!そんな人々の気持ちを集めて、今日出会った人々のもとへもう一度戻ってこよう。あるいは同じような苦しみの元にある人のところに、みんなの気持ちを届けに行こう!

 「大丈夫です。大勢の人が、皆さんのことを案じています。バングラデシュの多くの人々が、あるいは国境を越えたその先でバングラデシュの未来を案じる多くの人々が、皆さんが元の生活と社会との絆を取り戻してほしいと願っているんです。皆さん、一人じゃないんですよ」って伝えに行こう。

 ちょっと色々不便で腹の立つことも多いけれど、人懐っこくて陽気なベンガル人、途方もなく大きなビジネス・ポテンシャル、あるいは創意工夫に満ちたソーシャル・ベンチャーといった魅力に満ちたバングラデシュが、 一日も早く本来の輝きを取り戻すことに、少しでも貢献できるかもしれない。もうこの際、外人とかベンガル人とか日本人とか、関係ないじゃないか!バングラデシュが好きなら、それで十分だ!
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2013/03/12 03:27
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