スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

グラミン銀行 ~信頼を基盤とする金融は如何にして創られるのか?(その6)~


◇グラミン銀行は如何に失敗し、どう自己変革を遂げたのか??


 様々な学びや気付きを頂いた今回のグラミン銀行訪問だったが、もっとも印象付けられたのが、グラミン銀行創業以来最大の経営危機をもたらした1998年の大洪水と、その危機を機会と捉えて、グラミン銀行のビジネスモデルを職員全員の学びをもって革新していった物語だった。そう、グラミン銀行は1983年の相業以来約30年の歴史を持つが、2000年4月を持って「グラミンII」として生まれ変わっていたのだった。
________________________________________

 毎年雨季は洪水に見舞われるバングラデシュ。しかし、1998年の洪水はその規模において例外的だった。国土の約半分が屋根上まで10週間にわたり水没し、国全体に甚大な経済的・社会的な被害を与えたのだ。そして、当時既に200万人に上っていたグラミン銀行の借り手の女性たちと家族、その資産の多くも、大洪水の被害から逃れることは出来なかった。借りたお金で購入し自営業の元手としていた牛が洪水で流され、旦那が耕す農地も水没、さらに住処も洪水で失う・・・こんな状況にある家庭が国中に溢れる事態に陥ったのだ。

 危機を前に、グラミン銀行は、借り手の生活基盤立直しに必要な資金の追加融資や、既存ローンの返済スケジュールの緩和、あるいは一時停止などの救済措置を取った。しかし、事態は改善するどころか悪化の一途を辿る。ローンの回収率が落ち込む支店が続出、借り手同士の学びと規律を高めあうための「センター」に足を運ぶ女性達の人数も、少しずつ減っていった。

 「洪水がもたらした被害は凄まじかった。しかし、当時グラミン銀行が直面していた真の問題は、洪水による借り手の債務危機では実はなかったのです。借り手同士の間、及び借り手とグラミン銀行との間で少しずつ蓄積してきていた矛盾や不満が問題の根っこにあり、洪水はそれを表面化させるきっかけであったのです。」

 僕らを案内してくれたグラミン銀行勤務暦20年のベテラン、International Program Departmentでマネージャーを務めるモーシェッドさんは、こう当時を振り返る。 

        Grameen Bank Branch 
 ~グラミン銀行が経験してきた危機と変革について語るマネージャーのモーシェッドさん~

 グラミン銀行発足から2000年までの第一フェーズ、即ち「グラミンI」の期間、そのサービスは、モーシェッドさんの言葉を借りれば、「less flexible, more tension, much severer」(融通に欠け、緊張感が高く、よっぽど厳しい)ものだった。以下「5人組の機能」、「返済方法・返済困難時の対応」を例に、「グラミン1」と「グラミン2」の間に見られる違いに光を当ててみたい。

◎「5人組」が担う機能の変化
 グラミン銀行のビジネス・モデルの基本単位である「借り手女性の5人組」が果たす機能は、グラミン 1と2とで大きな違いが有る。現在、「5人組」は連帯保証のメカニズムではなく、相互の学びと緩やかな規律付けのためのツールであることは既に本連載の中で強調してきたが、グラミン Iのフェーズでは、借り手は「5人組」参加に当たり、他のメンバーの貸し倒れに備えて一定額を「Group Fund」に積み立てる必要があったのだ。

 この積立金は預金と違って個々人の都合に応じて引き出すことができなかったため、「Grameen Group “Tax”」と揶揄されて顧客の不満の種になっていたという。

 グラミン銀行をはじめとするマイクロ・ファイナンスの特徴である「5人組」については、「農村部に暮らす女性達の間に存在する目に見えないが強固なネットワークを担保として上手く機能させた」と評価する声をよく耳にするが、グラミン Iのフェーズのように、女性達のネットワークの間(より平たい言葉を使えば、ご近所さん同士の付き合い)に、相互保証のためのお金を具体的に介在させることで、それまでは存在していた大切な何かが失われる危険性は高い。それは、気兼ねないコミュニケーションを前提とした近所付き合いや、自立を前提とした上での相互扶助の精神だ。1990年後半のグラミン銀行には、「5人組」制度が持つ負の側面から生じていた暗い影がさしていたのだ。

◎ 返済方法・返済困難時の対応に関する変化

 現在、グラミン銀行の借り手は、職員と協議のうえ、返済期間や毎週の返済額について自由に決められること、そして借り手死亡時に家族に借金が残されないよう全額“チャラ”に出来る死亡保険制度があること、などを紹介してきたが、こうしたアレンジは、洪水発生以前のグラミン1のフェーズには存在しなかった。毎週のローン返済額は返済期間に応じて一律であったのだ。

 顧客が返済に窮した際の対応も大分違う。現在は、何らかの事情で当初合意した毎週の返済が困難になった顧客が発生した場合、グラミンの職員は彼女と個別に面談をし、返済可能な新しい返済スケジュールを決めていく。例えば毎週300タカで1年で返済するとしていた当初の返済スケジュールを、毎週100タカで3年で返済、といった具合に変更するのだ(変更後のローンはflexible loanと呼ばれる)。これにより、その顧客は返済期間の延長に伴うローン金利負担の増、そして、ローン借入上限引上げの当面の凍結、という二点の不利益をうけることになるが、引き続きグラミン・ファミリーの一員としてサービスを受け続けることが出来る。他方、グラミン1のフェーズでは、こうしたローンのリスケの仕組みは無く、返済が滞った顧客に対してグラミンの職員がやることといえば、「5人組」のメンバーのプレッシャーも利用して、ただただ返済を迫るのみ。そして一定期間を過ぎると「貸し倒れ」として処理し、事前徴収していた「Group Fund」の資金で損失を補填、そして顧客は、グラミン・ファミリーから除籍をされてしまっていたのだ。

 ここまで読んで頂ければ、何故モーシェドさんが大洪水以前のグラミン銀行のモデルを「less flexible, more tension, and much severer」と表現したかがお分かり頂けるだろう。こうした事情により、1990年代を通じて、「グラミンは便利だけれど冷たい、厳しい」というイメージが顧客やバングラデシュの農村社会に少しずつ染み込んでいた。モーシェッドさんはこうした事情を端的に説明してくれた。

「顧客とグラミン銀行との緊張感や不満の高まり、そして返済率の低下は、実は洪水以前からその兆候が見られていたのです。でも、当時は仕方の無いことだと思っていた。マイクロ・ファイナンスの概念自体が新しいものだったし、全職員が理解し、顧客に理解してもらい、そしてそれをスケール・アップしていくためには、モデルは出来るだけ単純、つまりone-size fits all(画一的)であったほうがよかった。大洪水が我々に与えてくれた最大の学びは、グラミンの融資モデルに顧客を当てはめるone-size fits allは機能しない。顧客の状況に我々の融資モデルを出来る限り併せていくtailor-madeが必要であるということだったのです。」

 こうした経緯を経て実現したグラミン1から2への変遷は、どんな効果をもたらしたのだろうか。この点を明らかにするために、本連載で既に取り上げた二つのグラフを改めてみてみよう。一つはグラミン銀行の顧客数、もう一つは資金調達に関するグラフだ。   Grameen bank members

  Grameen Bank Funding

 鋭い読者の皆さんは既にお気づきだったかもしれない。1990代は横ばいが続きだった顧客数や預金額が、ともに大きく上昇トレンドに転じるのは2002-3年ごろ、つまりグラミンIIのモデルが開発され、各支店で実行に移されて1-2年が経過してからなのだ。大洪水をきっかけとしたフェーズの転換が無ければ、グラミン銀行やユヌス博士のノーベル平和賞授与賞も無かったかもしれない。大洪水という外部からの危機発生を前に、ただ嘆くのではなく、むしろ、それを自己に内在する問題と向き合い変革を遂げる機会と捉えて集団の学びを促し、そして持続的成長を遂げるための新しい仕組みを作り上げていく…その一連のプロセスの指揮を執ってきたユヌス博士、そしてグラミン銀行の真価は、こうしたカルチャーを創り上げていったことにあるのではないだろうか。(続く)

 photo with Dr. Yunus
 ~グラミン銀行本店で、創業者のユヌス博士を囲むCrossover21のメンバー~
スポンサーサイト
バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(2) | 2012/10/28 04:56
コメント:
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

管理者のみに表示
トラックバック:
◇グラミン銀行は如何に失敗し、どう自己変革を遂げたのか??  様々な学びや気付きを頂いた今回のグラミ
◇グラミン銀行は如何に失敗し、どう自己変革を遂げたのか??  様々な学びや気付きを頂いた今回のグラミ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。