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Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑥ ~農村の若者たちが教育機会を手にするには何が必要か?~

ダッカの河の玄関口ショドル・ガット港を出てから約7時間、メグナ川を下る夜行船のキャビンで過ごした一夜が明けた。時計の針は朝7:00過ぎを指している。既に他の乗客はずいぶん前に船を降り、それぞれ、自分を待つ人の元へと散っていったようだ。
 朝の静けさが支配する船の甲板に出た僕らを迎えてくれたのは、雨上がりの空にかかる虹と、川面に浮かぶ水草の群れだった。

    bangladesh trip 2
       ~ 静かに流れる早朝のメグナ川にかかる虹 ~

 ダッカの喧騒を抜けてCrossover Bangladesh Study Tripのメンバーがやってきたのは、チャンドプールという地方都市の港だ。夜行船で僕らをここまで導いたのはマヒンという名のベンガル人の若者彼は、「教育機会に乏しい農村部で暮らす若者のポテンシャルと自信に火を灯したい」、こんな思いで「バングラデシュにおける都市と田舎の教育格差の解消」という課題に挑戦を続ける、若き起業家だ。そして、虹のかかるチャンドプール港は、マヒンの人生の軌跡を辿りながら、彼のビジョンと挑戦に心を揺さぶられる旅の玄関口なのだ。



 ここで少し、僕の友であり、弟であり、また多くを教えてくれる師とも言える、マヒンと、彼が手がけるE-education プロジェクトについて簡単に紹介したい。

 今年23歳になるマヒンは、ダッカから約150キロ程南に位置するチャンドプール県のハムチャという村で生まれ育った。ハムチャ村に電気が通ったのはつい数年前。その供給は心もとなく、夏場は停電している時間のほうが長い。ガスや水道は今も無く、ライフ・ラインはかまどの火と井戸水。その井戸水が天然の砒素に汚染されていることが最近分かった。

父は、一家を養うために中東へと出稼ぎに出ている。母は、父が長期間不在となる家を守り、4人の子供たちを懸命に育ててきた。「姉は僕よりもよっぽど優秀で勉強熱心だった」とマヒンが言う長女は、生活に困窮する家族を前に、高校進学をあきらめ、嫁いでいった。「姉の分まで自分が努力をしなければ。」当時中学生だったマヒンはそう心に誓い、凄まじい執念と努力で、バングラデシュの最高学府であるダッカ大学の開発経済学部に、約7万3000人の受験生中11位という成績で合格する。村で初めての快挙だった。

 ちなみに、バングラデシュの東大に当たるダッカ大学の学費は、国立ということもあり、最も高価な学部でも月々200-300タカ(一タカ=一円)と、極めて安価だ。しかし、ダッカ大学をはじめとする有名大学に入学するには、苛烈な受験戦争を勝ち抜かねばならず、試験突破に必要なテクニックを授けてくれる予備校に通うには相当の資金が必要となる。そして名門予備校はダッカに集中している。地元の高校に通うだけで精一杯という農村部の高校生は、冷房の効いた大手予備校の教室で特訓を受けているダッカの裕福な学生と競争しなければならない。これでは、国立大学の学費が安いとはいっても、実態として、田舎の高校生にとっては、閉ざされた門に等しい。マヒンは、その壁を途方も無い努力と根性で突破したのだ。

 Mahin High School
~マヒンがかつて学んだGandamara 中学(High School)の校門。数学と科学を教えているShetol Khanthisen 先生の話では、同校では生徒数約1,000 人に対して教員数は校長も含めて僅か17 名という状況だ~

 マヒン一家の喜びもつかの間、遠く中東で家族に仕送りを続けていた父が不慮の事故で背骨を傷める重症を負ってしまう。大黒柱を失った家計を助けるべく、マヒンは勉学の傍ら塾講師のアルバイトに精を出し、稼いだお金を田舎の母や妹の元に送った。当時16歳だった弟のトゥヒンは高校を中退して、父の代わりにバーレーンに赴き、出稼ぎ労働に勤しんだ。

 マヒンは類まれな努力家だが、育った家庭を取り巻く物理的な環境は、農村に暮らす他の多くのベンガル人同様、とてもつつましく、時に厳しいものだった。そんな中、「たとえ環境は厳しくとも、大学受験に挑戦し、人生の可能性を広げて欲しい。同じような環境で育った僕が出来たのだから、君たちも、きっと出来るはずだ!」マヒンは、弟・妹、そして後輩たちへ檄を飛ばしていた。そして、彼の切実な想いが、大きく展開するきっかけとなったのが、当時グラミン銀行でインターンをするべく、ダッカに乗り込んできていた東京の大学生、アツとの出会いだったのだ。

 マイクロクレジットという革新的なビジネス・モデルで多くの貧困層の人生を変えたユヌス博士に憧れてダッカに飛び込んだアツも、バングラデシュの農村に足しげく通う中で、都市部との圧倒的な教育格差に気付いていた一人だった。「何とかしたい、でもどうやって??」渦巻く想いのヒントとなったのが、「偏差値40台の落ちこぼれ」だった自分を、早稲田大学現役合格へと導いてくれた、大手予備校のビデオ講座プログラムの記憶だった。

 「あの方法は、ひょっとしてバングラデシュでも活かせるのではないか?」

 具体的にはダッカの大手予備校で活躍するカリスマ講師の授業をビデオに収録してDVDに録画、それをラップトップとともに農村に持っていけば、田舎の高校生も、都会の裕福な高校生と同じく、一流予備校の講座を受けることが出来る。都市と田舎の競争条件が平らになり、より多くの田舎の若者が、挑戦をし、そして成功を勝ち取ることが出来るかもしれない。

 アツのこんな思い付きを実行に移すには、ベンガル人の同年代のパートナーが必要だった。共通の想いと、固い意志、そして抜群の行動力を持つ同年代のアツとマヒンが出会ったのは、必然だったのかもしれない。

 そんな二人が“バングラデシュでドラゴン桜”をキーワードにE-Education Projectを立ち上げたのが2010年。カリスマ予備校教師の協力も得て創り上げたE-Learningプログラムをチャンドプール県の貧しい村に持ち込み、30名の高校生を集めてプロジェクトを展開した。結果はどうだったか。

なんと、これまで一度も大学合格者を出したことが無い貧しい村から、ダッカ大学への合格者1名、その他18名が大学進学という奇跡のような現実がもたらされた。これにより地元の有力者、メディアから日本の企業・新聞社まで大きな注目を集めたE-Educationは、現在、立ち上げから3年目を向かえ、マヒンはバングラデシュの事業を本格起動に乗せる責任者としてコア・メンバーを統括し、アツは、E-Educationのモデルを五大陸で展開するというでっかい夢を実現するために、中東そしてアフリカへと飛んだ。そんな彼らの等身大の挑戦については、E-Educationのウェブサイト、そして、僕が敬愛して止まないアツこと、税所篤快君が痛快・爽やなタッチで綴る著作「前へ!前へ!前へ!~足立区の落ちこぼれが、バングラデシュで起こした奇跡~」をご一読あれ。
     Do it! Do it! Go ahead

 そんな若き起業家の軌跡と想い、そして将来の展望や課題を共有するべく、CrossoverのBangladesh Study Tripのメンバーは、夜行船に揺られて、チャンドプールへと向かったのだ(続く)。
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バングラデシュのソーシャル・ビジネスが織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/10/03 19:09
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