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Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告③ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(2)~

ダッカ市が展開する家庭ごみ収集の現場レベルの司令塔である「Ward清掃事務所」を後にしたCrossoverの一行が向かった先は、クリーナーの居住区、通称「クリーナー・コロニー」だ。路上などの公共空間のゴミ掃除を担っているクリーナーは、毎月6,000タカ程度の賃金と合わせて、家賃無料の住居をダッカ市から貸与されることは既に述べた。今回のスタディ・トリップでは、クリーン・シティに向けた取組みの前線で活躍するクリーナーたちが、実際にどんな場所で、どのような生活をしているのか、といったところまで踏み込んで理解をしたい、という問題意識で、協力隊の友人の力を借りて、訪問を実現したのだった。

コロニーの入り口で早速衝撃的な光景を目にする。大勢の女性達が、水汲み用の金属釜を手に、ダッカ水道局の給水車の周りに群がっているのだ。中には、瓶に水をためた後、そのまま頭から水をかぶりだす者も居る。何しろ暑い。この際、シャワーも一緒に、ということなのだろうか。

 これから訪問するコロニーには、井戸はある。しかし、そこから得られる水は、飲み水としての安全性を満たすものではない。目の前にある給水車は、酷暑の中で、コロニーやその周辺で暮らす市民の生命線なのだ。 

     cleaner colony

 蛇足だが、給水車のお世話になるのは、低所得者だけではない。今年の4月・5月には、折からの酷暑と電力不足の影響で、地下から高層マンションの各部屋へ水を回すためのポンプに電気が回らなくなり、ダッカ市のあちこちで、給水車の前に行列が出来る騒ぎになった。人と水は有り余るほどある、との印象を与えるバングラデシュだが、人口増加、電力不足、地下水位の低下、そして生活・産業排水による河川の汚染という4つの要素が、ダッカ市の水事情を確実に危機的状況へと近付けていっている

 視点をクリーナー・コロニーに戻そう。
 時刻は午前十一時。カマドの周りで女性達が昼食の支度をし、別の女性達や子供達は、井戸の周りで洗濯物に勤しむ。コロニーの中には学校もあり、子供達のはしゃぎ声が響き渡る。平和な日常風景だ。

    cleaner colony-2
   
    clenar colony-4

 何軒かの家に招き入れてもらう。一部屋6畳程度の広さ、壁には、ヒンドゥーの神々の絵や偶像が飾られている家々多い。バングラデシュの人口の9割近くはムスリムだが、クリーナーの職に就く人々は、ヒンドゥー教徒の割合が高いという。

    cleaner-colony04

 そして、Crossoverのメンバーが総じて目を奪われた事実。それは、どの部屋も、とてもきれい。文字通り、チリ一つ落ちていない。家具類も整然と並べられている。他方、一歩部屋を出て路地を見ると、ゴミがそこら中に落ちている…。公衆便所の不潔さたるや、末期的な状況だ。この余りに明瞭なコントラストは一体なんだろう?

 これは、クリーナー・コロニーに限ったことではない。僕自身、この1年、農家のご自宅から、スラムの掘っ立て小屋、そして大富豪のアパートまで、かれこれ100軒近いベンガル人のご自宅にお邪魔してきたが、この人たちの家の中は、所得水準を問わず、本当に綺麗なのだ。飛び入りであがり込んだお宅も多かったことを考えると、お客を迎えるために、大掃除をしたという訳ではない。日常的に、隅々まで掃除がされ、床はピカピカ。家具は整理整頓が徹底している。他方、家庭内のゴミは、外に向けて綺麗に“掃き出され”、あるいは窓から投げ捨てられるのだ。したがって、家々の間の路地はゴミの山となる。

 理解に苦しむコントラストを前に、Crossoverのメンバーは、同行してくれた協力隊員や清掃管理員に質問をぶつけ続ける。
 「何故、一歩敷居をまたいだ瞬間に、これほど明瞭に、ゴミが増えてしまうのか?」
 「街を綺麗にする仕事をしている清掃員自身が、自らのコロニーの公共空間に、ゴミを投げ捨て、放置してしまうのは何故なのか?」
 「積みあがったごみを放置しておけば、悪臭や感染症の蔓延等にもつながる。公共空間に出るゴミの量を、各家庭ベースで少なくすることで、全体的にかかるコストを下げることが出来るという発想にはならないのか?」

…疑問は尽きない。

   cleaner colony 6
 ~ 同行してくれた清掃管理員に質問攻めを浴びせかけるCrossoverのメンバー。清掃管理員の男性にも確たる答えはない… ~

 「まぁ、そういうものなんだよ…」
 清掃管理員の男性は、苦笑しながら我々の質問に応える。おそらく、そう答えるしかないのだろう。なぜなら、我々が目にした現象は、「何が当たり前か」という感覚や、日々の習慣に根差すものであろうからだ。皆深く考えている訳ではない。

 ちなみに、このブログの読者の皆さんは、ベンガル人から、「何故、日本人は路上にゴミを捨てないのか?」とふと尋ねられたら、何と応えるだろうか?道徳観や公衆衛生等の観点から、色々理屈はこねられるかもしれないが、我々が日常的にそこまで深く考えて、「ゴミを捨てない」という行動を取っているだろうか。結局は、「まぁ、そういうものなんだよ…」ということ、即ち習慣に尽きるのではないだろうか。そして、その背後には幼少時からの親のしつけや教育があるのではないか。

 ここに、JICAが支援する「ダッカ市廃棄物能力強化プロジェクト」における、核心的な困難がある。つまり、このプロジェクトの持続的な成功には、人々の価値観や習慣の変革を促すための仕掛けが必要なのだ。この点、外国人がトヤカクお説教じみたことを言っても、付き合いのいいベンガル人は「それは、あなたのおっしゃる通りですね」と応えてくれるかもしれないが、内心は、「まぁ、そういうものなんだよ…」であり、結局行動変容は促されないであろう。ゴミ箱を街中に設置しても、別な用途に使われるのが落ちだ(実際、そういう事例は、この1年間、多く見てきた)。

 従って、習慣の変革を促す、内部からの仕掛け、新しいインセンティブが必要なのだ。そして、そうした仕組みを生み出すのは、ゴミの問題に関わるステークホルダー、例えばダッカ市役所、住民、クリーナー、そして一次回収業者等、の間の継続的な対話と、対話を通じて生み出された「決め事」や「仕組み」に対する、ステークホルダーのオーナーシップなのだろう。このプロセスでは、時間と忍耐、そして建設的な対話を促すファシリテーションが必要だ。そして、そうしたプロセスに、外部者であるJICAの専門家や協力隊員は、どうしたら、最も有効に介入し得るだろうか?

 様々な疑問が胸中に湧き上がる中、Crossoverのメンバーはクリーナー・コロニーを後にし、ダッカ市内のあらゆる家庭ゴミが最終的に集まる場所、ダッカ市の南東部の端に位置する、マトワイル最終処分場に向かった。(続く) 
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/20 17:11
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