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ダッカの子供たちの未来は明るいのだろうか?

      ダッカに広がるスラム

  先週末、ダッカ市内をあちこち散策する小さな旅にでた。真っ先に向かったのは滞在先のホテルの程近い場所にあるスラムだ。Bonani(ボナニ)という外国人や富裕層の居住区と接した地区にトタンで作った家々がひしめくスラムが広がっている。ダッカの人口約1,400万人のうち約28%、336万人が貧困層であり、その多くが農村から職を求めて、あるいは洪水等で土地を奪われてダッカに移り住んできた人々だと言われる。スラムに住む人々は、リキシャワラ(自転車式の人力車のこぎ手)として、あるいは企業の清掃員や富裕層の家庭のお手伝いとして、あるいはバングラデシュで盛んな縫製工場や皮革工場の働き手として、日々の生計を立てている。

 言うまでもなくスラムの住環境は劣悪だ。まず安全な飲み水がなかなか手に入らない。ダッカの超過密な人口密度と高温多湿な気候は、世界中の細菌学者達を惹きつける病原菌たちの宝庫だ。汚染された水を飲み下痢による脱水症状で多くの5歳以下の子供たちの命が日々奪われている。ポカリスウェットさえあれば救える命だ。

 トタンで作られた長屋の中に入ると、豆電球が天井からつるされ、TVがある家もある。しかし、ダッカの電力供給は実に頼りない。バングラデシュの国全体で電気の供給能力が約4,120メガワットに対し、需要は6,000メガワットを超え、日々増え続ける。当然、停電は日常茶飯事で、スラムは夜間は暗闇に包まれる。夜は、子供たちにとって、本を読んだり勉強をしたりする時間にはなり得ない。また、多くの子供たちが、初等教育、中等教育を終えることなく、親の仕事を手伝いなどに精を出すことになる。これにより子供たちの目の前に広がっていたはずの無限の可能性は、彼らの親たちと同様、閉ざされてしまう。

 このように挙げだせばキリがない位の、先進国で育ったものには想像すら出来ない困難な状況の中でしかし、スラムで出会う子供たちの笑顔の素晴らしいこと!


    スラムでであった子供たち

 覚えたての英語で人懐っこく話しかけてくれた写真中央の男の子はロシュン君。迷路のようなダッカのスラムを案内してくれ、彼の家にも連れて行ってくれた。
 
 「将来の夢は?」とたずねると「検事になりたい!」

 そう僕に答える強い視線は確かな正義感を思わせる。

 はだしで元気に駆け回る子供たち、はじける笑顔、好奇心…東京ではお目にかかれない人間らしい表情、温かさに、思わず「ここには先進国が物質的な豊かさを追求する中で忘れてしまった精神的な豊かさがある」という「気付き」に飛びつきがちだ。確かにスラムはコミュニティのつながりが息衝く人間臭い空間であるともいえる。
 
 しかし、本当にそうした「気付き」の上に自分の気持ちを落ち着かせてしまって良いものだろうか。
 それは確かに一面で正しいかもしれないが、今目の前にいる人々と、日本からやってきた自分との間に存在する圧倒的な物質的豊かさの差を認識した上で、且つ、観察される精神的な豊かさが、物質的欠乏を補いうる程強いものだと言う確信を持った上での気付きなのだろうか?

 目の前の子供は、今は活き活きとした表情をしていても、これから先ずっと、物質的欠乏と不確実性の中で、か細い選択肢を頼りに生き抜かなければならないという現実と直面している。また、彼らに、かつて(ひょっとしたら昨日)、亡くしてしまった弟たちや姉たちがいる、という現実もあろう。昼間は人間臭いコミュニティのぬくもりも、夜には麻薬売買や売春の斡旋の温床と化すという現実もあるかもしれない。

 こう想像した時、仮に日本にはない精神的豊かさが存在するとしても、スラムが子供たちの明るい未来を紡ぐことの出来る場所とは到底言えないのではないか。

 そして、バングラデシュには、こうした厳しいスラムで暮らすことすら、許されない子供たちも大勢いるのだ。底知れぬ貧困の深みは、僕の想像力を超えて、どこまでも続いている…

 

 ダッカの路上で今を生き抜くストリート・チルドレンたちに、少しでも明るい未来を創っていこうと、バングラデシュの若者と共に7年も前から活動を続けている日本人が居る。

 ベンガル語で「一つの絆」を意味する「エクマットラ」というNGOを創り、育ててきた渡辺大樹さんだ。

 大樹さんは大学時代、ヨット部の海外遠征で訪問したタイで偶然バスの車窓から目にしたスラムの前で自分を見上げる少年と目が合った時、雷に打たれたような疑問に心を貫かれたのだと言う。

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 ‘なぜ俺はこんな豪華なバスから彼を見下ろしているのだろう?'
 ‘なんであの子はあんなみすぼらしい格好で俺を見上げているのだろう?'
 ‘俺は人知れぬ努力に努力を重ね、この地位にまで登り詰めたと言うのか?'
 ‘あの子は怠け、人生を放棄してあの状態まで落ちぶれていったとでも言うのか?'

――‘いや違う、俺はたまたま日本で普通の家庭に生まれ、あの子はタイのスラムで貧しい家に生まれた。たったそれだけ。たったそれだけでついてしまうこの差。自分は自分次第でなんにでもなれた。気が遠くなるような選択肢が目の前にあったのだ。'
 ‘でもあの子は・・・。タイのスラムで生まれた瞬間にほとんど選択肢が残されていない。頑張っても、いくら努力しても抜けられない、まるで蟻地獄・・・。

 そしてそれから一年後、一年経ってもあのときの衝撃は消えるどころか日に日に大きくなり私を突き動かしつづけました。そして
「自分という一人の人間が存在したことで一人でも二人でもいい。子供たちが可能性を感じ自由に未来を夢見られることができたら。」
 そういう思いをもってやってきたのがバングラデシュでした。(以上、エクマットラのウェブサイトより引用)
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 バングラデシュに世銀職員として赴任することになった周囲に告げた時、僕が10年前に創り、育ててきた「官民協働ネットワークCrossover21」の仲間から、「バングラデシュに行くなら、渡辺大樹さんという人が頑張っているから、是非会うとよい」と紹介され、バングラ渡航前からメールでつながることが出来た。

 そして、バングラデシュ到着後2週間目の8月12日の夜、大樹さんが運営するエクマットラの子供シェルターを訪問する機会を得た。断食月であるため、ムスリムは皆日の入り時間の18:30過ぎに一斉に「イフタール」と言う夕食を家族や友人と楽しむことは前回の記事で紹介したが、この日は、シェルターの子供とイフタールを共にすることが出来た。

     エクマットラのシェルターでイフタールをご馳走に
 このシェルターは、8歳から14歳の子供たち約20名がスタッフと共に寝食を共にしながら学ぶ家のような場所だと言う。最初は僕もどうやってコミュニケーションをとればよいか分からず、緊張気味だったが、大樹さんに背中を押されながら「腕相撲大会」に参加すると、一気に打ち解け、大勢の子供たちが僕につかまったり、話しかけたり、引っ張ったりで大騒ぎに。寝室に案内してくれてお気に入りのおもちゃを見せてくれたり、デスクトップ・コンピューターのパワーポイントで書いた絵を自慢してくれたりとすっかり打ち解ける。こちらの習い始めのベンガル語と彼らの習い始めの英語での会話を楽しむ。

 ここで暮らす子供たちは経済的に困窮するシングル・マザーの家庭出身であったり、家庭内で暴力を受けたりと言った理由で、スラムに居ることすら出来なくなってしまったのだ。そういう子供たちが、ジャングルのようなダッカの路上で生き残るために、麻薬の販売や売春などに手を染めて落ちていってしまわないように、そして彼らをバングラデシュ社会と一つの絆でつなぐための家を提供しているのが、エクマットラだ。エクマットラは、子供たちへの支援の提供と併せて、バングラデシュそして日本の社会に対し、バングラデシュのストリート・チルドレンの窮状を訴えるための啓蒙活動も展開しており、その一つが、「蟻地獄のような街」という映画だ。

  蟻地獄のような街

 農村の生活を捨て、生き延びるために僅かなお金を握り締め大都会ダッカに足を踏み入れた主人公の少年ラジュが、子供を搾取し、無用になると殺すことさえ厭わない蟻地獄のような街の中で苦闘するという、事実を下に描かれた映画だ。これを見れば「バングラデシュは貧しいが、精神的には豊かだ」などと呑気なことを炯炯と口にするのは憚られるようになるだろう。 

 エクマットラは現在、ダッカから北に170キロほど離れたマイメイシン県ハルアガットに購入した東京ドームのグランド分に相当する土地に、シェルターを卒業した子供たちが、自立のための技術を身につけるための「エクマットラ・アカデミー」を建設中だ。

 思い一つでバングラデシュに乗り込み、語学を勉強するために通ったダッカ大学で出会った同志達と、エクマットラを生み育ててきた大樹さんに、同じ日本人として誇りを覚え、またそのパッションと行動力に感銘を受けた。

 翻って自分は世界銀行の職員という立場で、世界中から集まる人的・金銭的・知的なリソースを活用して面的な変化を齎し得る立場に居る。その立場を、真に効果的に使っていけるのか、今日も冷房も効かないシェルターで子供たち明るい未来のための尽力している大樹さんやその仲間、そして子供たちに恥ずかしくないパッションとアントレプレナーシップ、強さと優しさを持って仕事をしているのか?

 エクマットラとの出会いは、自分のバングラデシュでのこれから仕事をしていく上での北極星のような指針を、自分の胸に刻んでくれた。
    エクマットラの皆さんと
 
 
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2011/08/28 22:46
コメント:
考えさせられました
池田さん

ご無沙汰しております、NR JAPANの石山です。

Crossover21のMLで拝見して、このブログを読ませていただきました。

送別会の日は別の場で講演しており、どうしても参加できなかったのですが、池田さんが何を思って今回の決断をされたのか。それを直に話をして汲み取ることができなかったのが残念でした。

バングラデシュの現実、池田さんがスラムで目にする子どもたちの状態は、きっと我々の想像を絶するものなのでしょう。

綺麗な笑顔をした写真だけを観て、隣の芝生の青さに憧れることはあっても、実際にその立場に身を置いてみるというのがどういうことなのかは、それを実際に体験したことのある人でなければ到底実感できないことだと感じます。

ところで、スラムの子供たちの問題を解決する為の根本的な原因が何なのか?何をどうすれば彼らを救うことができるのか?その答えのひとつが今回の世銀への転身だったのだろうと推測しておりますが、道が多少違えど、私も同じ気持ちで今の仕事に取り組んでいます。

遠回りになれど、根本的な原因から対処していかねば本質的な解決には到らず、人類の病も完治しないと考えて、日々を送っている小生の観点から観ると、池田さんの存在と、今なされているチャレンジには、いつも刺激を受け、大きな勇気を貰っています。

どうかお身体だけには注意されながら、日々の活動を、そしてご自身の人生を楽しんでください。

数年後、それぞれのアプローチの先で再開できるのを楽しみにしております。
No title
石山さん、コメント有り難うございます。お返事1ヶ月以上送れてごめんなさい。こちらに来る際の思いはその後の記事に書いた通りです。自分の目標とするところと現状のギャップに隔靴掻痒たる気持ちになる日々ですが、日本でがんばっている石山さんのような同士の存在を胸に、一歩一歩前進していきます。超多忙な日々が続いていると思いますが、もし機会が会ったら是非ダッカにお越し下さい。一緒にスラムを回りましょう!
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