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スラムの生活に光を当てることは出来るだろうか?(その2)

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ダッカのスラムは人々の共同生活の息遣いが聞こえるコミュニティだ。所狭しと並ぶトタンと木の枝・葉等で作られた長屋のような掘っ立て小屋には、複数の家族が身を寄せ合い、彼らのつつましい収入を考えると余りに法外な、一月2,500~3,000タカという家賃を共同で支払っている。見知らぬ外国人の僕でも、ベンガル語で一声挨拶をすればすぐに温かい笑顔で応じて家に招きいれてもらえ、会話とお菓子とアツアツのお茶で大いにもてなされる。子供達の笑顔はキラキラと眩しく、人懐っこい大きな瞳は溢れんばかりの好奇心で満ちてる。カマドが幾つも並べられた共同のキッチンでは女性達が井戸端会議に花を咲かせながら、夕飯の支度に汗をかく。

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   ~ダッカのボウ・バザール・スラムの共同キッチンで夕食の支度をする女性達~

 加工の無い、生の人間同士の密な結びつきが醸し出す、生活感と一体感に満ちた空間にも見えるスラム。しかし、そんなコミュニティの基盤は脆弱だ。前回の記事で記した政府による突然のInvoluntary Eviction(強制退去)により、コミュニティは突然跡形も無く消されるリスクに常に晒されている。

 イギリスのODA実施機関DFID(Department for International Development)が昨年公表した調査によると、2006年から2008年の2年間で、少なくとも6万人の人々がダッカ市内の27のスラムから強制退去を強いられている。ダッカで最も裕福な地区であるグルシャン、ボナニ地区のすぐ傍に広がっていたコライルと言う名の広大なスラムが今年に入って撤去された件については、前回の記事でも触れたが、イギリスGuardian誌はKorailスラムから追い立てられた人々の痛ましい声を伝えている

 コライル・スラムで商店を営むMofizul Islamさんは、ある日「道路拡張工事をするため、道路脇から10フィート(約3メートル)までにある物は全て移動させるように」と告げられた一人だった。彼らは念のため道路から50フィート(約15メートル)地点までにある家や小店を移動させたが、彼らを襲った恐怖は予想を遥かに上回るものだった。道路からスラムに入ったブルドーザーは50フィートを楽々と超え、スラムの奥深くまで進入し、次々と商店や家々をなぎ倒していったのだ。売り物や家具、食べ物など、スラムの人々のわずかな所有物も、NGOが人々のためにつくった井戸や排水路、トイレも容赦なく飲み込まれ、人々は文字通り命からがら逃げ延びた。残されたのは、荒野に積みあがった瓦礫の山、女性や子供たちの泣き声や悲鳴、そして呆然と立ち尽くす男たちの姿だった。

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(写真出所:Syed Zain Al-Mahmood for the Guardian)

Guardian誌の取材に対してダッカ市(Dhaka City Corporation)の担当者は、本件は今年1月に裁判所から発行された立ち退き要請に基づくものであり、当該要請に対する異議申し立てが出されない限り、有効なものである、と説明している。しかし、上記の通り、住民に対して事前に十分な説明があったようにはみえない。また、仮にあったとして、読み書きをすることが出来ない人々が、どうやって裁判所に異議申し立てをできると言うのだろうか。経済活動の活発化に伴い、利用可能な土地が少なくなっていく中、こうした強制退去の発生は今後も続く増くことが懸念される。

 コミュニティの基盤を脅かすのは突然の強制退去だけではない。牛革加工工場の集積地帯のあるハジャリバーク地区に広がるボウ・バザール・スラムで出会った女性は、やり場の無い怒りと悲しみに満ちた声で、僕に訴えた。
 
 「先月、このスラムで火事があったんだ。幸い死者は出なかったけれどこの辺り一帯の家、私のお店や家も全部焼けてしまった。ダッカに来て10年以上、ためてきた財産が一度に全部無くなった…」

 狭い空間に大勢の人々が密集するスラムは火災が起こりやすく広がりやすい。飲み水や生活廃棄物の処理など基本的なインフラ整備もままならないスラムにおいて、火災への備えをする余裕は住民やNGOに乏しく、行政の手も届かない。


 今回、ハジャリバーグ近辺のスラムに同行してくれたResource Integration Centerのムイードさんは、スラムが抱える問題に光が当たりにくい背景の一つとして、多すぎる所管官庁の権限の錯綜を挙げている。つまり、ダッカの都市計画やインフラ整備を担当する行政主体は、南北に分かれたダッカ市、ダッカ市の中に存在するUnionという自治体からはじまり、多くの中央関係省庁、そしてダッカ水道局等の特殊法人も含まれ、お互いの所管が錯綜しているなかで、調整のメカニズムに欠いているために、スラム住民の生活改善というテーマへの取組みが進みにくいということだ。立ち退きのリスクがある中では、NGOもまとまった規模のインフラ整備等は展開しにくいだろう。また、スラムの問題の根っこには、経済活動のダッカへの一極集中とそれに伴う人口流入、そして、その裏側にある地方への電気・ガス・道路といったインフラ整備の遅れがある

強制退去により住処を失ったコライル・スラムの数百人の人々は、抗議のためにダッカのエアポート・ロードで座り込みの抗議を行った。僕が毎日通勤で使っている道だ。ダッカの交通をマヒ状態に陥らせる抗議行動に苛立つ人々は少なくなかったであろうが、彼らには自分達の状況に光を当てる方法が他になかったのかもしれない。


 週末にスラムを巡り、そこで暮らす人々と膝を突き合わせながら話す時間は、学びに満ちた楽しい時間だ。僕が出会ったきた多くのスラムの人々は、生活上の困難は口にするが、何が欲しいとか、何かを作ってくれ、と言う要望をして来る訳ではない。実に自然に、「お客さんが来たから」といって、僕を受け入れ、そして話に付き合ってくれ、「アバール・アシベン(また来てね)」といって送り出してくれる人たちだ。

 笑顔で別れの挨拶を交わした後、僕はいつも色々考える。すると、様々な声が聞こえてくる。

 「いい歳して、小学生の社会科見学かい、これは?」と意地悪く僕に問いかけるヤツがいる。「話を聞いて回っているだけで、何にもやっていないじゃないか。この国に何をしに来たんだい?」と厳しい視線を向けるヤツがいる。「キミ、もう冷房の効いた我が家やオフィスが恋しくなっているんじゃないの?」冷笑を浴びせかけてくるヤツもいる。

 それでも、また来ようと思う。

 人々の居る所に足を運び、話に耳を傾け、課題を共有し、それを他者に伝えるべく発信すること、これを自らの習慣として継続していくことが、きっと将来、自分にとっても、自分が関わったその人たちにとっても、意味を持つに違いないという楽観主義を持って、また、帰ってこようと思う。

 人々と交わす会話や共有する時間が、自分の狭い思考や視野に、新しい地平線を齎してくれることへの感謝の気持ちを持って、オフィスと現場の往復を続けようと思う。

 そして、自分の仕事をデザインし、そして結果について説明責任を果たす際、真に意識しなければならない相手を、自分の中でリアルに思い浮かべることが出来るように、一つ一つの現場での固有名詞との出会いを大切にしていきたいと思う。(本シリーズ終わり)

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   ~眩しい笑顔をカメラに向けてくれるスラムの子供達~
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/08/07 02:56
コメント:
No title
いつも楽しみに読ませて頂いています。
一つ一つの現場での固有名詞、真正面から人・事象と対峙される池田さんならでの素敵な表現に胸を衝かれました。
私も機会を見つけて近いうちにスラムへ足を運ぼうと思います。池田さんの楽観主義は、確かに周りに大きく響いています。私も頑張らねば。

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