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この国のセーフティ・ネットは誰が担うのか?(その2)

 6月末、携帯電話のスクリーンが、シラージ・バイからの着信を告げた。

 「明日手術なんです。どうか祈っていて…」

 電話口から聞こえたのはルビーナさんの震えるような声だった。

 「大丈夫。手術は必ず成功するから。『終わったらすぐに会いに行く』とシラージ・バイに伝えておいて。手術が終わったら連絡をして!」
 そうルビーナさんに伝える僕のたどたどしいベンガル語も少し震えていたのかもしれない。
 「心配ないですよ、ボス。シラージ・バイの担当ドクターは呼吸器系で有名な名医ですから。」シラージ・バイの代理運転手として僕の面倒を見てくれているオマール・バイが、運転席からいつものハスキーボイスで声をかけてくれた。

 しかし翌日、夜になってもシラージ一家からの連絡は入らなかった。オマール・バイに尋ねるも「私もまだ結果を聞いていないのです」という返事。痺れを切らしてルビーナさんに電話をいれる。時刻は既に夜9:00を回っていた。鳴り続ける呼び出し音に焦りが募る。ふいに電話に出たのは聞きなれない男性の声だった。色々と自己紹介をしてくれているようだが、どうにもベンガル語が上手く聞き取れない。それより、シラージの容態はどうなった?焦って尋ねる僕に返された返答は、ちょっと信じたくないような内容だった。
 
 「残念だけれど、シラージは今日は会うことが出来ません。ICU(集中治療室)に昨日からずっと入っていてしゃべれる状態に無いのです」

 携帯電話を握り締める手に汗がじっとりと滲み出てくる…嗚呼、これはきっと僕の語学力不足で正しく聞き取れていないに違いない!だって、シラージはこの前まであんなに元気だったんだから…

 彼は続けて何かをしゃべっている。その声を一生懸命聞き取った。そしてそれは、一定の希望を僕に与えてくれるに十分な内容だった。

 「ドクターは手術は成功したって言っています。明日にはICUから出てしゃべれるようになるそうです。なので、ボスは明日の夕方以降に、是非来てください。」



 翌日、仕事帰りにモハカリの呼吸器専門病院に向かう。訪問は既に5回目を数えていた。いつも通りソニアとルビーナさんが姉妹のように並んで迎えてくれる。その表情には心なしか安堵の笑みが浮かんでいる様に見える。二人に連れられて通されたのはこれまでとは違う特別病棟だった。病室の入り口で看護婦さんから靴を脱ぐように促された後、ICUと隣接するその部屋に入ると、10床ほど並んだベットの一つに横になっているシラージ・バイの姿が目に飛び込んできた。

 「クー・バロ!アプニ マラ ジャンニ!!(あぁ、よかった。死んでなかったんだね!)」

 殆ど冗談みたいな拙いベンガル語のお見舞いの言葉をかけながら、シラージ・バイの手を握る。いつもの笑顔を振り向けながら手を差し出してくれたシラージ・バイは、実際目に見えて体調が良くなっていった。咳も出なくなり、以前と同じような声で話せるようにもなっていた。しかし、背中からは太いチューブが伸び、痛々しい手術の跡は厚い包帯で覆われている。

  手術後のシラージ・バイ
    ~手術直後のシラージ・バイの様子。背中につながれたチューブが痛々しい~

 病は峠を越えたものの、術後に必要な薬の種類が増えたこと、そして特別病棟に移ったこともあり、入院費用が日々4,000タカに跳ね上がったとのこと。一命を取り留めたのは何よりだったが、術後の痛みとともに、心労は耐えない様子だった。手術成功の喜びをかみ締めつつ、幾ばくかの支援金を彼に手渡し、僕は病院を後にした。


 その1週間後、シラージ・バイは無事退院することが出来た。退院祝いにモハンマドプールの自宅に久しぶりに遊びに行くと、慣れ親しんだルビーナさんとソニアの笑顔だけでなく、ルビーナさんのお母さん(ソニアのおばあさん)、自宅の大家さんの奥さん、ルビーナさんのお兄さん夫妻とその娘と息子、そして同僚であり友人のオマール・バイと奥さんも混じって迎えてくれる大賑わい。皆、長屋のような建物に並ぶ部屋に住んでいるご近所さんなのだ。

 思いがけず綺麗な白い花束で歓迎してくれたソニアに、持ってきたカメラを動画モードにして得意の英語でのスピーチをするようにお願いすると、彼女は家族について、こんな風に語ってくれた。

 「私の父はシラージ。いつも一生懸命私のために働いてくれています。お父さんは何でも良く知っているすごい人なんです!お母さんはルビーナ。お父さんと比べると、うーん、ちょっと大分抜けているんです!(笑)。いつも、おバカな冗談ばかりを言って。でも、私が勉強をサボるとすごく厳しいんです。」

 シラージ・バイの義理のお兄さん(ルビーナさんの兄)のアルマさんが僕の肩に手をかけて語りかけてくれる。

 「何度もお見舞いに来てくれて本当に有り難うございます。手術後に頂いた電話でお話したのは私だったんですよ。今は政府観光局で働いています。直営のホテルがいっぱいあるので、バングラの地方観光の際は是非泊まりに来てください。」

 あの時の自己紹介はちっとも聞き取れなかったな…と思い出しながら、優しい目で話をしてくれるアルマさんと、バングラデシュの農村地帯の美しさについて一頻り盛り上がる。そして、ルビーナさんが作ってくれた特製のチキン&ビーフ・ビリヤーニがお皿に山と盛られて運ばれてきた!これは心もお腹もいっぱいになりそうだ!
 
 ビリヤーニや野菜を盛り付けながら、シラージ・バイがしみじみとした様子で語ってくれた。

 「ボスを含め大勢の友人が助けてくれましてね…10万タカ以上かかった入院費用の大半は大家さんが貸してくれました。もちろん利子無しでね。レンタカー会社の同僚たちもお金を出し合ってくれた。何より私の妻であり親友のルビーナは24時間、付きっ切りで看病をしてくれた。妻と私が不在の家をソニアは良く守ってくれ、親戚の皆がソニアの面倒を見てくれたんだ…インシャ・アラー」

 峠は越えたとはいえ、シラージ・バイは術後の痛みが長引いているようで、今はまだ自宅のベットで養生している。痛み止めを中心に薬代も嵩んでおり、何より今は仕事を休んでいるので月給が入ってこない。そして、月々5,500タカの家賃をはじめ、生活に必要な出費は以前より痩せた彼の肩にのしかかって来る。

しかし、シラージ・バイの声は感謝と愛に満ちていた。同時にそれは、医療保険制度などの公的なセーフティネットが整っていないこの国で確かに存在する、相互扶助という名のセーフティ・ネットをくっきりと映し出しているようでもあった…
  シラージ・バイのご一家と
 ~シラージ・バイの一家、親戚、友人との一枚。手前中央のメガネをかけた女の子がソニア、ソニアが手をかける左横の女性が奥さんのルビーナさんだ。~



 世界一の人口密度を誇るバングラデシュは、物理的にも精神的にも、人と人との距離が近い。近代化を進める過程で日本を始めとする多くの先進国が、「個人の選択肢の拡大」という価値と引き換えに失ってきた大家族や近所同士のコミュニティが創り出す絆も、この国ではまだ力強く息づいている。同時に、昔ながらの人と人とのつながりが作り出す相互扶助という名のセーフティ・ネットが、急速な都市化の進展や市場経済システムが跋扈する領域の拡大とあいまって綻びつつあるのも、また事実だ。

急速な変化を続けるバングラデシュ社会で懸命に、しかし笑顔で日々を生き抜ぬく、シラージ・バイ一家のような普通のベンガル人が、その変化に適応していく上では、相互扶助を成り立たせてきた社会の生態系を維持しつつ、医療や介護保険制度のような公的セーフティー・ネットを構築していくことが急務だ。そして、持続的な公的セーフティ・ネットのデザインに当たっては、現在バングラデシュが経験している「人口ボーナス」や6%の経済成長を前提とするのではなく、バングラデシュも将来いつかは必ず経験する、低成長・高齢化・人口減少社会の到来時にも柔軟に適応可能な制度としていく必要がある。一度制度として定着してしまった既得権を変更するのは、現状の民主主義を前提とすると極めて困難な作業だからだ。

 こうした課題と目下格闘している日本が、これから公的セーフティ・ネット構築していこう、というフェースにあるバングラデシュに対して有意な知的インプットが出来る余地は大きい。同時に、日本人は、バングラデシュの人々が作り出す相互扶助という名の柔軟で力強いセーフティ・ネットの背景にある、身近な誰かを常に気遣い、大切にするという心の姿勢から、大いに学ぶところがあるのではないだろうか。        (本シリーズ 終わり)
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2012/07/10 03:54
コメント:
セーフティネットは本当に難しい問題ですね。私の大家も肝臓移植でほとんどの財産を使い、毎月の収入の大半は薬代になっているそうです。その薬代は月々3万tkを超える額だそうです。職場のドライバーも先月心臓バイパス手術が必要になり同じように20万tk必要になりました。その時は職場の同僚がお金を出し合い援助しました。
識字率の低いバングラデシュで保険などのセーフティネットを国民に普及させるのは本当に難しいことだと思います。
携帯電話の料金制度のように国民誰しもが簡単に親しめる制度作りがこの国では必要なのかもしれないですね。
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