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バングラデシュの農村に電気は届くのか?(その1)

 途上国は時として、日本をはじめとする先進国が歩んできた長い発展の過程を、一足飛びで進んでいく。後発者の利得とでも言うのだろうか。携帯電話がその好例だ。グラハム・ベルが電話を発明、フィラデルフィアの万国博覧会に出展したのが1876年。日本で始めて固定電話サービスが開始されたのが1890年。重さ3キロもある肩掛けの携帯電話「ショルダー・フォン」が始めて日本に登場したのが1985年。僕が大学に入学した1996年に、携帯電話を持っている学生は極めて稀だった。

 そしてバングラデシュ。政府が始めて携帯電話事業の入札を実施したのが1996年。その15年後の昨年、バングラデシュの携帯電話加入者数は全国で8,500万人を突破した。総人口1億5千万の約6割。年のスラムから辺境の農村まで、子供やお年寄りを除く生産年齢人口のほぼ全員が携帯電話を日々のコミュニケーションに、様々な社会サービスの提供や受け取りに、あるいはビジネスの生産性向上に役立てている。ちなみに、バングラデシュの携帯電話市場には、外資の多数参入している。例えば、業界最大手のGrameenPhoneについては、ノルウェーの通信事業社テレノール、米国著名投資家のジョージ・ソロス、そして日本の商社丸紅が事業立ち上げに当たって主要な出資者となった。そして、業界2位のBanglalinkはエジプト、続くAxiata BangladeshにはNTTドコモが出資、Airtel Bangladeshはアラブ首長国連邦とインドといった具合だ。

     携帯電話加入者数の推移


 一方で、>固定電話は伸び悩んでいる。2010年現在で固定電話加入者数はわずか約90万回線、人口の0.6%程度だ。大河で国土が分断され、雨季には国土の4割近くが水没し、そして人口の8割が農村部に展開しているバングラデシュでは、固定電話回線を農村部まで敷設し、電話代を徴収するといったメカニズムの構築が著しく困難だからだ。

     バングラデシュの固定電話加入者数の推移

 他方で、携帯電話であれば基地局をひとつ立てれば広範囲にわたって電波へのアクセスを提供できる。大河で寸断された海抜5メートル以下の地理的特徴も、携帯電話普及に当たっては強みに変わる。何しろ、電波をさえぎる山や谷が一部東部の丘陵地帯を除けば、皆無なのだから。プリペイド式にすれば料金を徴収して回る必要もない。

 街中の携帯電話店で売られている新品機種は安いものなら1,000タカ(約1,000円)程度で購入可能だ。そして携帯電話の修理店が地方の都市や街も含めて複数存在する。加えて機種には契約者情報が記録されたSIMの制約が無いことから、例えば友人が使わなくなったた古い機種を譲り受けて修理しながらどの携帯電話会社でもSIMカードを入れ替えて利用することができる。そして、SIMカードの価格は200タカ程度。通話料金は国内で一分一タカ以下、東京にかける場合は、一分15タカ(15円程度)と激安で基本料金はない。つまり、誰かから中古の携帯電話機種を譲り受けることができれば、誰でも200タカ程度でグローバル通信網へのアクセスを手にできるのだ。

 先進国が固定電話→PHS→携帯電話という長い変遷のプロセスを経験してきた一方、バングラデシュをはじめとする途上国は、固定電話回線という重厚長大、全国画一式のインフラ敷設を経ることなく、時代を飛び越え、移動可能な手のひらサイズの通信アクセスを全国津々浦々まで提供することに成功した。動力となったのは技術革新、現地の起業家、外国人投資家、そして現地の人々が購買できるプライシングだ。

 そして、同じような変化が電力分野でも広範に発生しつつある。大型発電所で電気を沸かし、送電線網を使って各家庭にまで届けるという従来のインフラ構築が困難な農村部やチョール(中州)の住民に電力アクセスを可能としたもの。それが、小規模太陽光発電だ。


 
 ダッカから300キロ以上南に位置するボルグナ地区のナルトナ・ユニオンにある村、Garjon Bunia Bazar(ガージョン・ブニア・バザール)。ダッカを出発したのが土曜日の朝8:00。大河を二つ渡り、凸凹道に揺られながら、ようやくバングラデシュ南部の主要都市ボリシャルに到着したのが夕方の5:00。夜間の移動は交通事故のリスクを格段に高めるため、ボリシャルのゲスト・ハウスで一泊。翌朝日曜日の早朝5:00にボリシャルを出発し、目的地のボルグナ地区、ガージョン・ブニア・バザールに到着したのは太陽が既に中空に差し掛かった11:00頃だった。
 
 長旅でさび付いた足腰を伸ばしながらジープから降りた僕の目に映ったのは、長距離バスが一台通るのに精一杯程度の幅の道路脇に、トタン屋根と木の枝や葉っぱで作られた茶屋、薬局、雑貨屋、床屋等が家々とともに軒を並べる風景。その質素な道路に、ローカルバスの車体をバンバンと手で叩きながらバスの出発を告げる車掌の威勢の良い大声や、若者が二人乗りでまたがって走り去るホンダのバイクのクラクションの音がこだまする。路上をうろつく犬やヤギたちは、胃袋を満たす何かをせわしなく探し回っている。一見したところ、見慣れたバングラデシュの農村風景だ。ある一点を除いては。
 
   ガージョン・ブニア・バザール

 注意深くトタンの屋根上を見ると、50センチ四方程の小さな太陽光パネルがほぼ全ての家々に据え付けられている。そう、この村は世界銀行がバングラデシュの政府関係機関Bangladesh’s Infrastructure Development Company Limited(IDCOL:バングラデシュインフラ開発公社)および太陽光パネル敷設を手がけるグラミン・グループ傘下のローカルNGO、Grameen Shakti(グラミン・シャクティ(ベンガル語でグラミンは「村の」シャクティは「パワー」の意味)と協働で展開する、 Rural Electrification and Renewable Energy Development Projectの現場なのだ(続く)。
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/06/20 04:47
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