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バングラデシュは変わりゆく気候に適応できるだろうか?

     ボルグナの風景③

 穏やかに流れる大河。川べりの美しい平原に散らばって黙々と草を食む牛。豊穣な土壌を誇示するかのようにどこまでも広がる青々とした水田。ダッカから一日半かけてやって来た僕らは、ここが気候変動という地球規模課題との戦いの最前線であるという事実を半ば忘れながら、バングラデシュ南端のボルグナ地区にある村、Paschim Napitkhaliの穏やかさな風景と人々の温かさに長旅の疲れを癒されていた。

 死者約3,000人、負傷者約5万5千人、倒壊家屋150万、経済損失17億USD(GDPの10%)をもたらした巨大サイクロン、Sidr(シドール)がこの村と人々を襲ったのは、僕たちが訪れた丁度4年前、2007年11月15日の夜だった。1990年から20年以上、この村で唯一の小学校の校長として子供たちの未来を創ってきたハシナ・ベガムさんは、その晩のことを僕たちに語ってくれた。
 
 「シドールがこの村を襲ったのは11月15日の夜9;00頃でした。信じられないスピードで河の水かさが上がり、たちまち家も人も家畜を飲み込んでいったのです。」

 サイクロンは高熱の強風で木々の葉を枯らし、トタンと木の枝だけで作った人々の家を吹き飛ばす。サイクロンに伴って発生した巨大な高潮の影響により勢いを増しながら逆流する大河は、全てを飲み込んでいく。そして、デルタ地帯のバングラデシュ沿岸部に、避難できるような高台はない。ある一箇所を除いては。

     サイクロン・シェルター

 多目的サイクロン・シェルター
この村で唯一の2階建ての鉄筋コンクリートの建物が、ハシナさんをはじめとする約800名の命を、水と風から守った。このシェルターは元々、村に一つも学校が無い現状を憂いた今は亡きハシナさんのお父様が、私財をなげうって1990年に建てた学校だった。2002年に世銀の支援の下でバングラデシュ政府が鉄筋二階建ての多目的シェルターへとアップグレートしたものだ。普段は約150人の生徒が通う小学校であり、週末は予防接種や健康診断などが実施される病院となり、そしていざサイクロンの時には、人々を守るシェルターとしての役割を果たす。シドールが襲来するとの警報を確認したハシナさんは、村の人々とともにシェルターに身を潜め、恐怖の夜が空けるのを、ただひたすら待ったと言う。

 「サイクロンが去った翌朝、私たちがシェルターから目にしたのは、家々や作物をさらった一面の水と、その上に浮かぶ大勢の人々や家畜の体でした。村に立ち込めた死臭は一ヶ月間消えることはありませんでした。」
      サイクロン・シェルター兼小学校で校長を務めるハシナさん
  ~サイクロン・シドールの被害を語ってくれたPaschim Napitkhali村の小学校校長、ハシナさん~

 ハシナさんの顔を紅潮し、目には涙が浮かんでいる。まるで昨晩のことのように思い出されているのだろう。悲惨な過去をかみ締めつつ、ハシナさんは子供たちにこう伝えているという。

 「警報が鳴ったら、どんなことがあってもシェルターに必ず来ること。もし間に合わなければ、流されにくく水に浮かび易いバナナの木につかまること。自らの命は自分で守らなければならない。」

 サイクロンの被害は水と風だけではなかった。海水を多く含んだ水が河を逆流したことによる農地の塩害は、2年近くに亘り村人の生活の糧を奪ったのだ。世界銀行のプロジェクトでは、約700のシェルターの新設/修復、高潮被害を最小限に食い止めるため480キロの護岸整備に併せて、塩害に強い種子の農家への提供も実施している。世銀プロジェクトの効果を確認するために開催した小規模ミーティングに集まってくれた20名近くの農家の方々からはプロジェクトの確かな効果を示す嬉しい報告とともに、課題も示された。

     シドールの被害について報告してくれたボルグナの農家の皆さん
  ~サイクロン・シドールがもたらした塩害被害について語る農家の皆さん。忙しい農作業を中断して20名近くの方が集まってくれた。~

 「もらった種子のお陰で、稲の収穫がサイクロン前と比較して2倍近くに伸びた。シドール後は種をまいても何も育たなかったが、今ではサイクロンに感謝しているくらいだ。」

 「問題は、頂いた種子で収穫した新しい種子は塩害に対応できていないこと。これでは、サイクロンが来るたびに私たちは外国からの援助が来るのを待たなければならない。自前で塩害に強い種子を栽培できるようになれば、自分たち自身の力でサイクロンの被害から立ち直ることが出来る。」

 「プロジェクトの担当者は、種子を配布するだけでなく、農薬や肥料の使い方もプロジェクトも教えてくれた。今まで、我々は農薬を買っても、どの時期にどれだけ撒けばよいか、よく分からずに使っていた。生産性が伸びたのは、我々がこうした知恵をもらったから。知恵があれば、サイクロンが来ても、生活をもっと楽に立て直すことができるのではないか。」

      ボルグナの風景
   ~ 青々とした水田がどこまでも広がるボルグナの農村の風景。サイクロン・シドール襲来後2年間は一面の荒野だったという。~

 ハシナさんや農家の人々は、「Global Warning(地球温暖化)」という言葉は知らない。しかし、拡大の一途を辿るサイクロンの規模や頻度、そしては気温や降雨量の変化を、日々の仕事や生活を通じて地球上で最も敏感に感じている一人だ

 世界の平均気温が4度上昇すると、バングラデシュの国土は、海面の上昇に加え、大河の上有に位置するヒマラヤの雪解け水により、国土の15%(2,000万人が居住)が水没すると言われている。農村部の多くの人々は農漁業に生活の糧を依存しており、バングラデシュは気候変動の影響に極めて脆弱だ。かつては、環境問題を議論し対策を講じることは、「先進国(金持ち)の贅沢だ」と揶揄する議論もあったが、気候変動の影響を真っ先に、そして直接に受けるのは、途上国の貧困層・脆弱層なのだ

 そんな中、Paschim Napitkhali村の人々は、気候変動の最前線とも言えるこの地で、外国からの援助をてこにして、慣れ親しんだ故郷での生活や大切な誰かを守るために、変わり行く環境に自らを適応させようと懸命に取り組んでいる。そんな人々の姿勢は、昨年5月にボランティアの一人として訪れた岩手県大槌町で出会った人々をはじめ、東日本大震災の被害から懸命に立ち直ろうと努力する東北の人々の姿に重なって見えた。僕を包んでくれた美しい田園風景と人々の温かさもまた、東北のそれと重なる。
バングラデシュで再び訪れたいと思う土地、また会いたいと思う人々がまた一つ増えた旅だった。

      ボルグナの農家やNGOの皆さんと
  ~Paschim Napitkhali村の農家の皆さん、世銀プロジェクトを実施する現地NGOの皆さんと~
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/01/13 00:35
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