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その女性は如何にして“自己”を見出したのか?(その1)

 10月第二週はヒンドゥーのお祭り「ドゥルガー・プージャ」のために木曜日から週末をあわせて三連休。バングラデシュはイスラム教徒が多数を占めるが宗教の違いには寛容で、ヒンドゥー教徒のお祭りも祝日となるのだ。連休を利用してバングラデシュ北西部、インドとの国境に程近い地方都市、ラッシャヒ(Rajshahi)に、その地で活躍する青年海外協力隊員を訪ねに足を運んだ。

Bangladesh Map
  
 ダッカからラッシャヒへは鉄道かバスでそれぞれ6時間程度。鉄道はお祭りで帰省する人々で早々に切符が売切れてしまったために、残り少なかったAC(クーラー)無しバスの切符を何とか確保した。値段は300タカ(約300円)と格安。従って不安。まさかダッカ市内で見慣れた、産業廃棄物処理場から拾ってきたようなフロントガラスが割れたバスに押し込まれるのだろうか…僕もベンガル人同様、開けっ放しのドアにぶら下がる、あるいは屋根の上に乗って6時間揺られるのだろうか…

     ダッカ市街地を走るバス
   ~ダッカ市内をクラクションを鳴らしながら爆走する産業廃棄物処理場から拾ってきたようなバス~

 長距離バスのターミナルのあるコランプール(Kallyanpur)でそんな不安に悶々としていた僕の前に現れたバスは、案外マトモだった。リクライニングの出来る座席が並び、一つの座席に乗客一人、という極普通の長距離バスだ。冷房はついていないものの、動き出せば窓から風が間断なく入ってきて心地よい。トイレはついていないが、途中サービスエリアのような場所に止まりトイレと軽食の休憩もとってくれた。顔を撫でる爽やかな風、目の前に広がる美しい農村の風景…思いがけず快適なバス旅にいつしか眠りに落ちていた自分に、車掌らしき男性が声をかけた。

   「降りないのか?ラッシャヒについたぞ!!」

    ラッシャヒの鉄道駅
   ~立派なラッシャヒの鉄道駅、しかし切符売り場ではシステム障害で切符が発行されず罵声が飛び交う中で駅員が緩慢な調子で復旧作業に取り組んでいた~

 ラッシャヒはガンジス川沿いに広がるゆったりとした地方都市だ。車の姿もまばらで、ダッカで間断なく響き渡るクラクションもここでは稀だ。古くからシルクの産地として有名で「シルク・シティ」と呼ばれることもあると言う。また、ラッシャヒ大学を始め多くの教育施設が点在し、街は緑が多い。かつて住んだ町、チャールズ川沿いのマサチューセッツ州ケンブリッヂを思い出す。

    ラッシャヒ市街の様子②
    ~ラッシャヒ市街の中心地、ゼロ・ポイント付近。乗用車は余り見かけない~  
 
 ガンジス川の緩やかな流れとともに、岸辺を歩いてみる。この川は人々の生活と共にある。人々はここで汗を流し、また農業に必要な水を得る。しかし、向こう岸をはるか彼方に望む豊かな水は乾季になると姿を消し、大河は湿地帯に姿を変えてしまうというから驚きだ。降水量の減少だけがその理由ではない。上流にあるインド領内のダムの存在が大きい。乾季になると自らの住民向けに水をせき止め、雨季になると一斉に放出するインド側の水利用は、下流に位置するバングラデシュの人々に多大な影響を与える。ガンジス川という国際河川の水の共有問題は、インドとバングラデシュの間に横たわる大きな外交課題の一つなのだ。

   美しいガンジス川の夕暮れ
  ~緩やかに流れるガンジス川。時間帯によって彩を変える実にフォトジェニックな川だ。~

 ラッシャヒでは、青年海外協力隊として当地の職業訓練校で若い女性に対してコンピューター指導をする先生として活躍するH田さん、小学校の先生へのモラル指導に取り組むA田さん、そして10年ほど前に協力隊員としてラッシャヒで同じく若い女性向け職業訓練校で染物技術指導に取り組み、現在は研究者としてラッシャヒ大学に籍を置いて活動されているI坂さんと出会い、ラッシャヒやその周辺を案内して頂いた。そしてこの街で、僕は「女性のEmpowerment」という開発の一大イシューの象徴的なケースとも言えるような、ある女性の印象的な自己変革のプロセスと出会ったのだ。


 その女性の名はナシマ。今年42歳になる彼女は、二人の女の子の母であり、かつて軍人であり今はレンガ工場の工員管理の仕事をする夫の妻であり、そして500人以上の従業員を雇って素敵な布製品を製造・販売する会社の経営者だ。

 彼女の工房にお邪魔した僕らが最初に目にしたのは、腰を据えて黙々と作業をする10代の女の子たち。中学校卒業後に、あるいは中学校に通いながら、ナシマの工房で働く彼女たちにとって、この場は所得だけでなく染色や縫製、装飾の技術を得る場でもある。約500人の従業員の大半は近辺の集落の主婦達であり、それぞれの自宅でナシマから請け負った作業にグループを作って勤しんでいるという。腕の良い女性は「グループ・リーダー」に抜擢され、品質管理や指導など、マネジメントの仕事に就くことになる。給料はそれに応じて上がる。

 子育てや家事に相当程度の時間を割かなければならず、また、女性が毎日のように家の外に出て行くことに対する違和感がまだまだ強いバングラデシュの地方の女性達に、ナシマ工房は継続的に働くことの出来る環境を提供している。

     ナシマさんの工房で働く女の子
  
工房の裏には色鮮やかなサロワール・カミュース(バングラデシュの女性用民族衣装)やテーブルクロスが並ぶ。売上げは順調で従業員への賃金や原材料の調達費用を支払った後の純利益として、毎月3万タカ(約3万円)程度を上げている。引き合いも増えており現在の工房では注文に応じきれないため、現在、工房を拡張する計画を立てている。 
    ナシマ工房が作った色とりどりの着物や布製品

 長女は一昨年医学部に合格し医師を目指して勉強中。高校生の次女もお姉さんに続けとばかり、医学部受験に向けて奮闘中だ。何もかもが順風満帆に見えるナシマ工房と彼女の家族。しかし、この状態に辿りつくまでに彼女と彼女の家族が歩んできた道は苦難の連続であり、また彼女自身の大いなる自己変革の旅でもあったことを、ナシマは僕たちに語ってくれたのだった。(続く)
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2011/10/17 18:11
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