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何故、チュニジアの野菜売りが抗議の焼身自殺をすると、バングラデシュの子供たちが学校に通えなくなるのか?①

 今年に入ってチュニジアのベンアリ政権、エジプトのムバラク政権、そしてリビアのカダフィ政権など、中東で数十年にわたり続いてきた独裁体制がドミノ倒しのように崩壊した。ウィーン体制の崩壊の始まりとなった1848年の「諸国民の春(2月革命)」、「人間の顔をした社会主義」のスローガンの下で旧ソ連の圧制に抗した1968年のチェコスロバキアの変革運動「プラハの春」に準えて、「アラブの春」と呼ばれる一連の革命は中東・北アフリカ全域に広まり、イエメンやシリア等、動乱は今なお続いている。そして革命を成功させた国々が、これから先、機会の平等や開かれた政府、若者への十分な雇用といった「春」を謳歌できるかは分からない。

 「アラブの春」の歴史的な帰結が明らかになるには未だ時間がかかるだろうが、中東・北アフリカにおける一連の出来事は、昨年末の、たった一人の名も知れない若者の文字通り命を賭した抗議が、TwitterやFacebookという、個人をメディアに変える現代のコミュニケーション・ツールの力を借りて燎原の火のごとく広がったという意味で、その歴史的意味合いは大きい。今年4月、「開発のための新たな社会契約」とのタイトルでワシントンのピーターソン国際経済研究所で行われた世界銀行ぜーリック総裁の講演の冒頭は、その意義をクリアに語っている。



 ある出来事が、時として、大きな事件に発展するだけでなく歴史的意味を持つことがあります。

 昨年12月、路上で野菜や果物を売っていたムハンマド・ブアジジという青年が果物の秤を屋台ごと押収された上、野次馬の見ている前で警官にビンタをあびせられ、彼が抗議しようとしても全く相手にされないという出来事がありました。青年は誇りを傷つけられ、抗議の焼身自殺を遂げました。この事件の火の手は瞬く間にチュニジアをはじめとする中東地域全域を飲み込みました。

       世界銀行ぜーリック総裁
   (世界銀行ロバート・ぜーリック総裁(写真出典:World Bank))    

 ブアジジの死はチュジニアの公的メディアでは、何日間も「その件」としか言及されませんでしたが、その詳細はフェースブックやツイッターなどのソーシャルメディアを通じて広まり、政権を崩壊させるに至りました。チュニジアには何万人ものブアジジがいたのです。それどころか、彼と同じような苦しみを味わっている人々は世界中にいます。貧困、社会からの疎外、公民権剥奪、法的救済の欠如などによって、機会や希望が奪われているのです。しかし、チュニジアや中東での教訓は、地域や国、市場の枠を超えるものです。果物売りの青年の死は、この地域を揺るがす政治的動乱以上の意味をもっています。世界全体、各国政府、開発機関、そして経済学にとって新たな教訓をもたらしたのです。



 正に、「私たちは皆、一生顔を見ることも無く、その言語も解さず、その名を聞いても分からないような人々の判断や行動に大きく影響を受けており、そうした人々もまた、私たちの影響を大きく受けている」との時代認識の通り、ブアジジの死は中東全体を大きな変革の渦に巻き込んだだけではなく、原油や食料価格というチャネルを通じて、世界中のマーケット、そして人々の食卓にも影響を与えている。

 そして、バングラデシュもその例外ではない。というのも、バングラデシュは一大「人材輸出大国」であり、出稼ぎ先の約6割がサウジアラビアやエジプト、リビアをはじめとする中東諸国だからだ。例えば2010年6月時点で、約650万人もの人々が、故郷から遠く離れた海外で出稼ぎ労働をし、農村に残してきた家族に送金をしていた。建設ラッシュに沸く中東の工事現場の土方として、運転手として、あるいは事務作業員として働く彼らの大半は、バングラデシュの農村から、家族を支えるために出てきた父親たちであり、兄たちだ。彼らが送金するお金は、農村で暮らす家族が日々の糧を得るための生活資金になり、子供たちが学校に通うための費用になり、また病を患う両親が病院に通うために欠かすことができない。

 こうした出稼ぎ労働者の送金がバングラデシュのマクロ経済や対外ポジションに与える影響は極めて大きい。まず、2009年の海外労働者送金額は、GDPの約15%に相当する約97億ドルにもなる

 バングラデシュは安価で豊富な労働力を活かした縫製品や皮革製品などを輸出しているが、輸出で稼ぐことのできる外貨は、自動車や電気製品、工場機械といった高付加価値製品や、石油・石炭・小麦といった一次産品等の輸入品目の支払いをできる程十分な額ではない。つまり、バングラデシュの貿易収支はずっと赤字続き(2009年は47億ドルの貿易赤字)だ。しかし、出稼ぎ労働者からの送金が、慢性的な貿易赤字を補って余りある程であることから、バングラデシュは、グローバル金融危機の最中にあってもなお、堅調な経常収支の黒字を維持できていた。つまり、外国からの資金の一斉引き上げにより、輸入品の支払いが出来なくなったり、銀行が倒産に追い込まれたりした多くの途上国とは一線を画すことが出来ていたのだ。

 こうしたコンテキストを見ると、何故「アラブの春」がバングラデシュのマクロ経済や人々の暮らしに大きな影響を及ぼすのかがみえてくる。海外送金が長期にわたり滞れば、経常収支が赤字に陥り、企業や政府が外国から借りた借金を返せなくなるかもしれないし、輸入決済を出来なくなるかもしれない。こうした支払いにあてる外貨を賄うために、中央銀行が自国通貨(タカ)を売って外貨(ドルやユーロ)を購入するオペレーションを大規模に繰り返さざるを得なくなれば、自国通貨安になり、それはそのまま輸入品(その殆んどが石油や小麦等の生活や事業の基盤)の価格高騰(いわゆる輸入インフレ)という形でバングラデシュの人々の暮らしに襲い掛かるかもしれない。
 
 「アラブの春」がバングラデシュに及ぼすマクロ経済への影響は、現時点では不吉な「見通し」の段階だが、北アフリカ・中東地域で家族のために働く多くのバングラデシュの父や兄たちの艱難辛苦は、既に現実に発生している問題だ。例えば、カダフィ政権と反政府勢力との抗争に欧米が軍事介入することで全面戦争に発展したリビアでは、今年初めの段階で7万人から8万人ものバングラデシュ人が出稼ぎ労働者として働いていた。彼らはミサイルや銃弾が飛び交うリビアの主要都市を命からがら逃げだしたものの、帰国するための手段や資金も確保できないまま、砂漠の真ん中にある国境付近の難民キャンプのような場所に釘付けになってしまったのだ。

          リビア国境沿いで助けを求めるバングラデシュ出稼ぎ労働者
    (リビア国境周辺で助けを求めるバングラデシュ出稼ぎ労働者(写真出典:World Bank))
       
 そもそも、彼らはどうやってバングラデシュの農村から遠くリビアにまでやって来たのだろうか。さすがに手漕ぎボートで繰り出した訳ではなく、多くは飛行機だ。しかしそのお金はどこから?それに、出稼ぎ先での住居はどのようにして確保したのだろう?VISAを手に入れるための資金はどうしたのだろう?

 農村で家族を養っていくのに十分な給料を得ることが出来る仕事がなかったからこそ、様々な危険や不安の中で敢えて中東・北アフリカまで出稼ぎに来ている彼らに、まとまったお金があるはずはない。当然のことながら彼らは借金をして出国や出稼ぎ先の生活の立ち上げに必要な資金を賄い、その借金を少しずつ返済しつつ家族に毎月送金をしているのだ。

 つまり、特に最近になって出稼ぎを始めた多くのバングラデシュの父親や兄たちは、文無しどころか多額の借金を抱えたまま、また、自らの身の安全もままならないまま、遠く離れた家族のことを想いながら国境付近のキャンプで身を寄せていたことになる。また、辛くも母国に帰ることが出来たとして、その後の生活はどうなる?田舎に仕事がないので中東まで来たのだから、戻ってもまともな仕事がある訳はない。子供を中学校に通わせ続けることは出来るだろうか?病気の母親の治療費はどうなる?

 そんな辛く不安な心中は想像することすらできない…

 こうして、チュニジアの野菜売りの抗議の焼身自殺が、バングラデシュの子供たちが学校に通えなくなることにつながるという、誰にとっても想像が出来なかったシナリオが現実のものとなるのだ。

 仮に日本でこうした問題が発生すれば、つまり、大勢の海外駐在員がどこかの国の政情不安によって出国できないという事態が発生すれば、現地の大使館、東京の外務省、そして送出し元の企業が一丸となって身の安全と帰国の途を確保するのだろうが、残念ながら、バングラデシュ政府にはそれを実施できるだけの財政的な余裕や人員はない。またバングラデシュの出稼ぎ労働者の身の安全に責任を持ってくれる企業もいない。

 そこで登場するのが、世銀をはじめとする国際的な支援なのだ(次回に続く)。
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/24 19:26
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