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自分は何故バングラデシュにいるのか③

 ダッカにも、日本人や日本から戻ったバングラデシュ人が経営する日本料理屋や居酒屋が何軒かある。肉じゃがやシシャモもの塩焼き、お新香といった品々は、ダッカではめったに拝むことの出来ない贅沢品。カレーで疲れた舌を懐かしい味で癒しながら、こちらで親しくなった日本企業や政府機関の駐在員の方々に「バングラデシュを希望してきたのです」と話すと、たいていの場合、「へぇ、何でまた?ずいぶんと変わってますね」と返事が返ってくる。確かに自分でも変わっていると思う。なぜなら僕は辛いものが大の苦手だからだ…



 「なぜ、バングラデシュなのか?」

 「世界の銀行」と銘打っているだけあり、世銀は世界150箇所以上に現地事務所(Country Office)を展開している。数ある現地事務所の中で敢えてバングラデシュを希望したのは、仕事で使う主たる言語がフランス語やスペイン語ではなく、英語であること、現地オフィスがそれなりに大きな規模とPresenceを持っていること、といった実務的な理由からだけでなく、バングラデシュが今世界が直面しているグローバル課題の縮図のような国だと捉えたからだ。


 
 小学校のころ50億と習った世界人口は、今年中に70億人に達する。1900年に20億人だった人口が30億人になったのが1960年。つまり、20世紀の前半と比較して1990年から2010年までの間に、人口増加のスピードは6倍になっている。世界の人口は2050年には90億人に突破するだろうと予測されている。

 人の数が増えること自体は悪いことではないはずだ。お目出度いことと言えるかもしれない。より多くの人が戦争や疫病に怯えることなく長く生きられるようになり、より少ない赤ちゃんが生まれてすぐに死ななくてすんでいる証拠だからだ(実際、世界の平均寿命は1960年の48歳から、2009年には68歳にまで伸びている)。

 ただし、「人の数が増えるのはお目出度いこと」と言えるのは、人々皆に、「健康で文化的に」生きることの出来る基盤(衣食住、電力やガス水道)があり、それらを、他人からの施しではなく、自らの労働で得ていけるような仕事があり、そしてそういう機会を見つけ、続けていけるだけの力を身につける教育の機会があり、さらに、いざ病気や怪我や災害などで生活の基盤を失ってしまった時に恩恵を受けられるセーフティーネットなどがあっての話、という条件がつくのだが。

 そして、こうした条件は、今の時点で、残念ながら相当程度満たされていない。今後、現在の中国とインドを丸々合わせたような人口が追加されていく世界で、こうした条件は、どうやったら満たしていけるだろうか?皆、一心不乱に「高度経済成長」を目指せばいいのだろうか?

 ここで、さらに厄介な問題がある。生活の基盤や労働機会、教育機会、セーフティネットといった様々な生きる糧は、水や土地、天然資源、生態系、ある程度で穏やかで規則正しい天候といった「たまたま、既にそこにあったモノ」を、人々が技術によって転換した結果得られた糧であり、そうした生活の糧の創出に不可欠な、“たまたま”存在したモノたちは「既にそこにはなくなりつつある」ということだ。

 つまり、今世界は、「資源制約と人口増大のプレッシャーが高まる中で、如何にして持続的に経済成長を実現していくか」という課題に直面している。この課題を上手に解いていかなければ、戦争やテロといった究極の手段を用いた資源の争奪の結果、人口が、利用可能な資源に見合うレベルにまで、否応なく「減少」するという、余り想像したくない未来が待ってるような気がする。しかも、そう遠くない未来に。



 バングラデシュはそんな地球の課題がギュっと凝縮されたような国だ。北海道と四国をあわせた程度の、殆んどが海抜10メートル以下に位置する中州のような土地に、1億5千万人もの人々が住んでいる。人口増加は、そのペースは緩やかになったものの、なお続いており、2030年には2億人を突破すると見込まれている。一方、土地は、静かに、着実に、物理的に、失われている。例えば溶け出したヒマラヤの氷河によって水かさを増した大河による川岸の侵食によって。あるいは、海面の上昇や高潮による耕地への塩害によって。今後、世界の気温が4度上昇すると、バングラデシュの国土の15%、2000万人分の土地が失われるという。

 つまり、20世紀後半に、世界の多くの人々の寿命を延ばし、赤ちゃんを生き延びさせ、人々が手に出来る機会を増やしてくれた「高度経済成長」や「大量生産大量消費」がもたらした、気候変動や生態系の喪失といった負の置き土産の影響を真っ先に受けている国がバングラデシュなのだ。そして、バングラデシュの中でも、そうした事柄の影響をより直接受けるのは、漁業や農業で生計を立てている農村の貧困層であり、ダッカのスモッグの中で汗まみれになっているリキシャ引きであり、毒性の強い化学染料を手袋もつけずに扱っている牛革加工工場で働いている農村からの出稼ぎ労働者であり、また濛々と煙を上げるレンガ工場の煙突の下で、マスクもつけずに黙々と資材を運ぶ女性たちなのだ。

 しかし、困ったことに(あるいは当然のことに)、こうした人々の暮らしを良くするためにも、バングラデシュはこれからも経済成長をしなければならない。なぜなら、バングラデシュには、「健康で文化的な生活」を営むために必要な様々なモノが圧倒的に足りないからだ。今よりもっと、質のよいモノを大量に作らなければならない。あるいは外国からそういうモノを買うために、自らそれに見合う何かを作り出し、輸出していかなければならない。質の良いモノを大量に作れるように、電力やガス、道路網を整備しなければならない。

 さもなければ、過去10年毎年6%近い経済成長の結果減少してきたとはいえ、なお、人口の3割以上を占める最貧層が「健康で文化的な暮らし」を享受できる日はやってこない。貧困のために中学校に通うのをあきらめなければならない子供たちの数は減らない。交通渋滞も交通事故も停電も減らないし、安心して飲める水も手に入らない。建設ラッシュに沸くダッカの工事現場で働く作業員に作業着、ヘルメット、軍手、安全靴を支給する余裕も生まれない(ダッカの土方作業員の殆んどは、Tシャツとジーンズに、サンダル!というビーチを歩くような格好で、且つ素手で、竹で組んだ足場の上で、重い資材を持ち上げているのだ!)。

 なんというジレンマだろう。経済成長を追求しなければ貧困削減ができないが、大量生産・消費に代表される既存の経済成長のモデルを追求すると、その負の影響をまともに受け、結局経済や社会の発展は期待できない。

 でも、考えてみるとバングラデシュが直面するこうしたジレンマは、日本を含め、あらゆる国とそこで暮らす人々が直面する課題ではないだろうか。バングラデシュは低所得の後進国でありながら、地球の課題を先取りしていると言えないだろうか。こうした途方もない課題を前に、世銀や国連といった国際機関、バングラデシュ政府、そして豊かに根を張るNGOのネットワークに代表される市民社会が連携して、試行錯誤を続けている。ひょっとしたら日本がこれから世界に貢献し、あるいは自らの進む道を模索する上でのヒントが、バングラデシュにはあるのではないか?



 渋滞が酷い、お酒が簡単には手に入らない、街中をジョギングできない、生野菜を食べられない、どこに行ってもカレーばかりなどなど、困ることを挙げればキリがないが、仕事を通じて日本、バングラデシュを含む世界が共通して直面する課題解決に関わることが出来る、という意味では、これほど恵まれた国はないといったら言い過ぎろうか?

 もちろん、ここに書いたような思いは、仕事の後で居酒屋で話す話題としては全く場違い、というか、せっかくのシシャモの塩焼きの味を台無しにしかねないので、「まぁ…色々、修行が必要かと思いまして…例えば辛いものをちゃんと食べられるようになるとか…」などと答えると、「なるほど~、修行ですか!それならバングラデシュは丁度良いですねぇ」と軽く笑って流してもらえる。

 おそらく、共にグラスを傾けあうその人たちも、きっとそれぞれ、居酒屋で語るには不釣合いな、でもぎゅっと詰まった思いを胸に、ダッカで頑張っているのだろう。
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バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/20 00:35
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