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自分は何故バングラデシュにいるのだろうか ②

        線路脇のスラム

 Kamalapur駅(コムラプール駅;ダッカ中央駅)からTejgaon(テジガオン)駅まで約4キロの道のりを線路の上を辿って歩いてみる。時折汽笛と共にゆるゆると走ってくる列車と遭遇しなければ、自分が歩むその道が、線路の上であることは容易に忘れてしまう。そこは線路というより街であり、市場であり、工場であり、また、台所であり、風呂場だからだ。

 気温は30℃を下回るが体全体にまとわり付く湿気のために、汗のしずくが額から間断なく落ちる。いつの間にか近づいてきた列車を見上げると、上半身裸の子供たちが走ってくる列車の屋根で飛んだり跳ねたりしながらはしゃいでいる。そんな命知らずの子供たちを、泥まみれのヤギが平和な顔つきで見守っている。首周りだけ灰色のカラスどもが、お昼寝中のウシの背中に群がって嫌がらせをしている。人生の労苦を深い皺に刻んだ老婆が、無心にハンマーをふるってレンガを砕いている。巨大な荷物を頭に載せ、両手にも包みを抱えた男性が、涼しい顔をして通り過ぎていく。

 そんな線路上を、東洋人の男性が、一人歩いていく。自分は何故ダッカにいるのかを自問自答しながら。

        線路上を歩きながら・・・



 「なぜ、世銀の本部のあるワシントンではなく、現地事務所での勤務を選択したのか?」

 毎年、財務省、外務省やJICA等、日本の政府機関から何名かの職員が世界銀行に出向している。しかし、勤務先は、ほぼ例外なくワシントンにある本部となっている。世銀全体の意思決定がなされ、IMF・世銀総会を初めとする様々な国際会議が頻繁に開催され、人も情報も集まってくる本部での勤務はもちろん重要だ。一方で、世銀はここ数年、過去の失敗の反省に立ち、スタッフと権限を各国に配置しているCountry Officeに徐々に委譲する「現地化(Decentralization)」を推進している。過去の失敗とは、「ワシントン・コンセンサス」の一言で語られることが多い。途上国の経済的・社会的・文化的バックグラウンドを無視して、ワシントンの机上で考えた、特に規制緩和や民営化を中心とする解決策を処方箋として途上国に押し付けた結果、所期の開発効果を得ることが出来なかった、という見方だ。

 こうした見方には様々な議論があり、また、規制緩和や民営化を一律で悪しき処方箋とする考え方も、同様の問題を生み出し得るが、いずれにしても、世銀はクライアントたる途上国の政府や人々から遠く離れた存在だった(今でも遠い、との批判はよく耳にする)。プロジェクト視察のミッションも、クライアント(相手国政府)との政策対話も、ワシントンからの出張ベース、何らかの問題が発生して上司(Sector DirectorやCountry Director)の指示を仰ごうにも時差の関係で迅速なコミュニケーションが図りにくい。例えばバングラデシュでは金・土が祝日であるため、10時間の時差も合わせると、ワシントンの本部と何らか電話で相談したい、と木曜日の午後に思い立つと、(お互い週末は働かない、と言う前提に立てば)、その電話会議が成立するのは、最速でダッカ時間で4日後の月曜日の夜(ワシントンの月曜日の朝)となってしまうのだ。また、大型連休のカレンダーも各国により異なる。例えば、バングラデシュでは8月の末から9月の第一週が断食明けを祝うEID(イード)という大型連休で政府機関と併せて現地オフィスも休みに入るが、ワシントンの本部は当たり前のように稼働している。他方で、ワシントンの本部から人がいなくなる12月後半のクリスマスは、バングラデシュにとっては何の休日でもない。週末や休日のタイミング一つ取ってもこれだけの差がある中で、ワシントン中心主義で、クライアントのニーズにタイムリー且つきめ細かに対応できるはずがない

 こうした問題意識にたって徐々に現地化が推進されていった結果、2010年度末には約1万人の職員のうちおよそ6割が現地のCountry Officeに展開し、その責任者であるCountry Directorは、ほぼ全員現地駐在となった。特にバングラデシュが所属する南アジア局は現地化が最も進んだ局の一つであり、7割の職員がインド、アフガニスタン、パキスタン、スリランカ、ブータン、ネパール、そしてバングラデシュのいずれかのCountry Officeで勤務している。多くのSector Managerもチェンナイやバンコク等時差の少ない地域局で勤務し、ダッカのCountry Officeとの往復を繰り返している。

        線路上での生活
  (線路脇で堂々と果物や野菜を並べる人々。電車は彼らの50センチほど前を通り過ぎる)

 こうした世銀の動きに対して、日本は株主として追いついていないのではないか、これが僕の基本的な問題意識であった。そもそも、国創り(開発)は、理論ありきではなく、まず先に課題ありきで、その課題に対して、現地のコンテキストに応じた解決策を、グローバルな知見も活用しつつ用意するのが有効ではないか。また世銀自体も過去の経緯も踏まえて現地化を推進している。にもかかわらず、日本政府から送られる職員の大半がワシントン勤務では、世銀のことも途上国のことも、あまり良く分からないまま、その任期を終えることになってしまい、日本政府内において、世銀のオペレーションや組織文化についてのInstitutional Memory(組織としての記憶)が構築されないままになってしまうのではないか。その結果、第二の株主としての発言力を持ちながらも、世銀の運営方針等について有効なInterventionを続けていくことや、現場レベルでの世銀と日本(例えばJICA)との協働のデザインが困難になってしまうのではないか。

 という訳で、小回りの利く30代前半の若い衆を、一人くらいは現地に送り込んでもよいのではないか(というか、自分が行きたい)という、主張だか妄言だか分からない言説をことあるごとに垂れ流していたところ、「では、お前が実験台で行って来い」、ということで、もう「若気の至り」とは言っていらない年齢でありながらも、希望をかなえて頂いた。

 もちろん、受け入れる側も送り込む側もコストがかかる。コストを上回る便益を、自分が示していかなければ、後は続かないだろう。また、パイオニアとして直面する様々な苦労も、自分で巻いた種なのだから楽しく、また感謝しつつ刈り取らなければならない。
 
        何気なくすれ違う人と列車

 そんなことを縷々考えている内に、隣駅のTejgaon(テジガオン)に着いた。約1時間歩くなかで、何人かの人懐っこいバングラデシュ人に声をかけられ、片言のベンガル語で返すと大喜びの笑顔をもらったが、物乞いや押し売りにあうことは一度も無かった。線路沿いで暮らす多くの人々は、一人内省にふける東洋人のことは気にもかけず、それぞれの午後を、それぞれのペースで過ごしていた。
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バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/17 22:43
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