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バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その5)

 これまで4回にわたり今年2月以降激変したバングラデシュ情勢とその背景について、「票」、「正義」そして「アイデンティティ」をめぐる分断に焦点を当て議論をしてきた。では、今後、事態はどのように展開するのだろうか?収束に向けた展望は開けるのだろうか?そして、状況を打開にするには何が必要だろうか?

 最も妥当な答えは、バングラデシュ人お得意の「インシャー・アラー(全てはアッラーの神の思し召しの通り(成るようになる、といったニュアンス)」なのだろう。バングラデシュのような不確実性満載の国において、状況を先読みするのは正に神をも恐れぬ所業だ。そうと知りつつ、以下、当地でのバングラデシュ人との議論、新聞やテレビなどで見聞きする情勢、そして現地で感じる肌感覚でもって、今後の展開について、精一杯の憶測を書いてみたい。

    悪化するバングラデシュの政情・治安の現状と、その背景にある「票」、「正義」、そして「アイデンティティ」を巡る分断については、以下の記事を参照ください。

  まず、本シリーズの冒頭で書いた、結論めいたことを改めて強調したい。バングラデシュは今、独立以来最大の試練に直面しており、事態は年末の選挙、及びそれを超えて、さらに悪化する可能性が高い。しかし、この国がアフリカや中東、そして南アジアの一部の国々のような全面的な内戦やテロリズムの跋扈という事態に陥ることはない

① なぜ、「独立以来最大の試練」なのか?

 これまで繰り返し書いてきたとおり、頻発する暴動と政情不安の背景には、年末に予定されている選挙に向けたアワミ・リーグとBNP(バングラデシュ民族主義者党)という2大政党間の「票」をめぐる争いだけでなく、「戦犯裁判」というパンドラの箱から飛び出した「正義」「アイデンティティ」という、バングラデシュ社会の深部、バングラデシュ人の心の奥深くに走る亀裂がある。

    後者が厄介なのは、冷静な議論を通じた「落とし所」が、その性質上見出せない問題であるからだけでなく、農村部や地方都市における衝突やヒンドゥー教徒などのマイノリティへの一方的な攻撃という形で、これまでバングラデシュが様々な試練を乗り越えるに当たって発揮した耐久力(Resilience)の源泉である、国民としての一体感や、コミュニティに息づく社会資本を傷つけているためだ。 そして、こうした問題が国全体を覆う規模で表面化したのは、42年前の独立戦争以来、今回が初めてのことだからだ。


② なぜ、「今後、年末の選挙、及びそれを超えてさらに悪化する」のか? 

 今後、バングラデシュの情勢は、6月末から7月中旬までの断食月とそれに続くイード休暇、及び10月上旬の犠牲祭といったムスリムの祭事期間中、一時凪ぐことがあっても、基本的なトーンとしては選挙に向けてさらに悪化していくだろう。バングラデシュ社会に暴力という名の嵐をもたらす最大の要因が、「戦犯裁判」であることは既に繰り返し述べたが、問題は、現在「戦犯」として11名の人物が裁かれている(ジャマティ・イスラム党の幹部9名と、BNPの幹部2名)ところ、刑罰が確定しているのは、パキスタンに亡命しているために欠席裁判で死刑判決が確定した1名のみである、ということだ。従って、今後判決が出るたびに、大規模な暴力や長期間のホルタル(暴力的なデモ)が発生する可能性が高い。そして、戦犯裁判を巡る騒動は少なくとも年末の選挙までは続くだろう。幹部が裁かれているジャマティ・イスラム党やBNPの立場からすれば、ホルタルを連発して裁判の実施を遅らせ、選挙で勝利さえすれば、戦犯裁判自体を「不当・不公正」としてご破算にできるのだから。
  
 ここでさらに問題なのは、年末の選挙は実施されないか、されたとしても、無効・再実施となる可能性が極めて高いことだ。

 1991年の民主化以降、民主的手続きに沿って権力を移行する上で重要な役割を果たしてきた「(現政権与党ではなく)中立的な選挙管理内閣の下で選挙を実施する」という憲法の条項を、現政権与党アワミ・リーグが廃止してしまったことは前回までの記事で触れた。こうした状況では、野党側は決して選挙に参加することはなく、悪くすると、力ずくで選挙の実施を妨害するだろう。仮に何とか選挙が実施できたとしても、野党不在の状況で実施された選挙結果をもって、新政権の正統性を根拠付けることは至極困難であり、野党側は選挙の再実施を求めて、あらゆる手段を講じるだろう。たとえば、「中立的な主体による選挙が再実施されるまでの無期限ホルタル実施」や、従来のホルタルでは“聖域”であった「空港や港湾の閉鎖」といった手段をとることも十分に考えられる。  

   Bangladesh Politics 

    この点、前回の選挙の経験は、今後の見通しを考えるうえで、甚だ不吉な材料を与えるものだ。

 というのは、前回の選挙は2006年末に実施される予定だったところ、「選挙は中立的な選挙管理内閣のもとで実施する」との憲法の条項が生きていたにもかかわらず、結成された選挙管理内閣の顔ぶれが「中立的でない」という理由で、当時野党だったアワミ・リーグが選挙をボイコット。その後に続いた政治騒乱を収めるために軍の介入によって戒厳令がしかれ、ようやく選挙が実施できたのは2年後の2008年末だったのだ

 こうした前回選挙の経験を振り返ってみると、「現在のバングラデシュの政情・社会不安は年末の選挙でもって収束する」という見方は、あまりに楽観的なものであるといわざるを得ない。バングラデシュがホルタル等の政情不安を気にすることなくビジネスや開発プロジェクトに専念できる状況を取り戻すには、選挙後少なくとも半年から1年、あるいはそれ以上の時間がかかるかもしれない。


③ なぜ、それでもなお「全面的な内戦や大規模テロの頻発といった事態には陥らない」と言えるのか?
 
 この問いには、 「経済の力」、「軍の力」そして「コトバの力」という三つに着目して議論したい。

☆ 「経済の力」
 バングラデシュは、多くの日本人がもつ「最貧国」というステレオタイプとは裏腹に、強力な国内地場産業を持つことは既にこのブログを通じて幾度も伝えてきた。輸出の8割を占める縫製業を筆頭に、食品加工・製薬・プラスチック製品といった輸出産業、家具、家電、オートバイ、そしてセメント等の建築資材といった国内向け製造業、さらに金融・物流・不動産・各種小売店といった国内サービス業が繁茂している。

 こうしたバングラデシュの地場産業は、巨大財閥が担っているケースが多く、彼らはその資金力を武器に強い政治力を持っている。また一部の財閥は、与野党の要人の家族・親類などがその経営を担っている。こうした政治力を持つ財閥や経済界は、同時に、頻発するホルタルによって最も大きな経済損失を蒙るグループであり、日常的に海外のバイヤーや投資家とも向き合っていることから、国の状況を比較的客観的に見ることができる立場にある。

 
彼らは既にその政治力を梃子にして、現与党のアワミリーグ、野党第一党のBNPとの間の対話を働きかけている。今のところ、こうした努力は実を結んではいないが、財閥や各種経済団体が二大政党に対してかけるプレッシャーは、事態が制御不可能な破滅的状況へと転げ落ちるのを防ぐブレーキとしての役割を、今後も果たしていくだろう。


☆  「軍の力」:
 
今は表に出てきていないが、今後年末にかけて軍幹部の発言、動きや、軍に関する与野党首脳の発言には特段の注意が必要と思われる。  

 バングラデシュの軍はその高い士気と統率力、プロジェクト実施能力で知られる。例えば、ソマリアやスーダンなどの紛争地域で活躍する国連平和維持軍に、男性兵士約1万人、女性兵士約240名を送り込むなど、世界最大の人的貢献をしている(出展:2012 Ranking of Military and Police Contributions to UN Operations)。また、バングラデシュの軍は、サイクロン等の国内激震災害時にも緊急支援や復興に大きな役割を果たしているほか、独自の公共インフラ建設部隊を擁しており、たとえば、現在、ダッカの空港から市内に伸びるフライ・オーバー(高架路)を急ピッチで建設しているのはバングラデシュ軍のチームだ。歴史を振り返ってみても、前回の選挙時を含め、既存の政党が統治能力を低下させた際に、リリーフ投手のように登板して場を収め、その後に続く民主的な政党政治へとバトンタッチをしてきた。来る選挙についても、混乱が長引けば、前回同様、軍の介入によって事態の収束が図られる可能性もあるだろう。 

             bangladsh military

 もちろん、国によっては軍の介入が独裁政治につながるパターンも稀ではない。バングラデシュも1982年から1991年までの9年間、エルシャド将軍が軍の力を背景に独裁をしいていた。しかし、その後バングラデシュは度重なる政治混乱を経ながらも20年以上にわたり民主的な体制を維持、経済・社会の成長と共に相当数の中間層が育ち、新聞・テレビやソーシャル・メディアなどの公的言論の媒体も分厚い。さらに、独裁に移行すれば、現在国の開発予算の半分近くを占める海外からのODAがストップしかねないことも踏まえると、仮に軍の登板があったとしても、それは混乱を収拾し、次なる民主的な体制に移行するまでの一時的な措置にとどまるのではないだろうか


☆ 「コトバの力」:
 結局のところ、
現在バングラデシュが直面している一連の混乱を生み出しているのは、バングラデシュの人々だ。これはつまり、その解決が、バングラデシュ人自身の手に委ねられているということに他ならない。そして、解決のための鍵は、金でも技術力でも外国の介入でもなく、バングラデシュ人同士の継続的な対話以外に無い。この点、バングラデシュ人は、その考え方、宗教観、政治的利害の違いにもかかわらず、ベンガル語という「言葉」を共有している。この事実は、たとえ長期間の混乱を経験したとしても、バングラデシュは内戦やテロリズムの跋扈といった事態には陥らないという予想に、最も大きな根拠を与えるものだと、僕は考えている。

 今のところ、与野党のリーダー同士の対話は実現が実現する兆しはないものの、テレビでは「朝まで生テレビ」のような、政治をテーマとする討論番組が組まれ、ジャーナリストの見事な司会と突っ込みの下で、BNP、アワミ・リーグ、ヒファジャット・イスラム、シャハバグ・ムーブメント、そしてジャマティ・イスラム等、現在の騒乱の当事者の一員や支持者が、口角泡を飛ばしながら激論を交わしている(バングラデシュ人はとにかく議論(おしゃべり)が大好きなのだ)。 さまざまなレベルや機会を捉えたこうした対話の積み重ねが、事態を収束に向かわせる上で、遠回りなようで一番効果的な道であるのは間違えない。

 最後に、日本人ができることについて考えてみたい。

 大前提として、日本は、バングラデシュに対して過去40年、莫大な投資をしている。電力、道路、橋といった基礎インフラをつくってきた円借款(2011年3月時点で累計7,193億円)の原資は日本人の預貯金だし、JICAの技術協力、無償資金協力、そして世銀やアジア開発銀行が実施するプロジェクトの元手の多くは、日本人の税金だ。さらに、青年海外協力隊員として、技術者として、ビジネス・パーソンとして、草の根NGOの職員として、あるいは医師や研究者として、大勢の日本人が、その寿命とパッションをバングラデシュに投じてきた。
 
 つまり、バングラデシュが傾くとは、日本と日本人がこれまで国境を越えて長年にわたって成してきた投資の価値が毀損することを意味し、一方で、バングラデシュが安定的に発展していけば、日本もそれにともない大きな「配当」を期待できるのだ。

 ここで言う「配当」とは、よりいっそう信頼できる能力の高いビジネスのパートナーとして、日本企業のバリュー・チェーンの一翼をバングラデシュの企業やその従業員が担っていくことや、日本人が生み出したモノやサービスを、購買力を増したバングラデシュの人々が各々の生活をより豊かで心地よいものにするために今まで以上に購入するといった経済的な意味だけでなく、気候変動への対応や食料生産性の向上といった21世紀の地球が抱える課題について、共に試行錯誤し解決策を実行していくパートナーシップを結べることかもしれないし、日本が国連や世銀といった多国間交渉の場でよりいっそうの責任を果たしていくうえでの追い風が増えることかもしれない。あるいは、もっと身近に、バングラデシュ人と日本人が、お互い、思い出深い人生を彩り豊かに送っていく上で欠かせない友人として、ともにトルカリを食べながら語りあえたり、歌を歌ったり、スポーツで汗を流せることかもしれない。

 こう考えると、バングラデシュという国、バングラデシュ人に対して、直接の係わり合いを通じて個人的な愛着を感じている日本人にとってはもちろんのこと、バングラデシュと直接の関係が無かった人々にとっても、バングラデシュの失敗は自らの損失だし、バングラデシュの成功は、自分の利益だと言えるのではないだろうか。   
   
 日本とこうした関係にあるバングラデシュが不安定化している局面で大切なことは、「自分は、引き続きバングラデシュと伴にいる」というメッセージを発信し、そして行動で示すことだと思う。

   もちろん、政情不安の局面では大きなイベントの企画や新規投資案件の検討・実施は見合わせざるを得ないかもしれない。自分が手がけてきたイベントや入念に準備してきた出張がホルタルで中止になって、「こんな国で仕事なんかやっていられるか!」と思うこともあるかもしれない(何度もありました・・・)。

 でも、今、目の前で取り組んでいるプロジェクトや仕事を続けるだけでも、例えば現地の雇用維持・創出や問題解決に少なからぬ貢献を出来ているはずだ。あるいは、遠く離れた場所にいても、バングラデシュの状況についてアンテナを張り、思いをめぐらすこと、そしてたとえ小さな機会でも接点があればそれをつかもうという意思持つことで、状況の悪化を食い止める、あるいは状況を改善する力になれることもある。例えば、破壊されたノアカリ県のヒンドゥーのコミュニティや、竜巻の被害を受けたブラモンバリア県の村の生活再建のために、日本の多くの友人たちが僕に預けてくれた志が、現地でもたらしているインパクトは計り知れない。

 人は、自分が困難な状況に陥ったとき、普段「トモダチ」だと称する人たちが、如何なる行動をとるのか、見て、覚えているものだ。物事が順調な時は調子のいいことを言っていて、ちょっと情勢が危うくなったらすぐ引いてしまう人々もいれば、普段は物静かでも、いざという時に、伴にいてくれる人もいる。そのどちらに、どのくらい感謝と信頼の念が沸くか、3.11の巨大津波とその後の原発事故といった危機を経た日本人なら誰でも、自ずと答えは一つであることを知っている。
 
 確かに、現在ベンガルの大地には深い、いくつもの亀裂が走っている。しかし、その断絶にかける橋、つまり「共通の言語」を駆使して、バングラデシュ人はきっと試練を乗り越えるだろう。日本は、日本人は、長年のパートナーとして、そんなバングラデシュの人々と伴にありたい。これから永きに渡り、お互いがより豊かで持続的な「配当」を手にするためにも。(本シリーズ:終わり)

  Eco-Run Bangladesh 3
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2013/04/29 01:20

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その4)

 本年2月以降激変したバングラデシュ情勢。

 今週はバングラ暦のお正月で祝賀モードだったこともあり、全国規模のホルタル(暴動を伴う政治デモ)は実施されなかった。今年1月末以来初めてのことだ。しかし、ラッシャヒ管区など一部の地域ではホルタルが実施されたほか、数百年の歴史を持つヒンドゥー寺院が相次いで焼き討ちにあうなどの事件が続いている。

 こうした政情・社会不安の背景には、本年末に予定されている選挙をめぐる二大政党間の「票」をめぐる分断、そして独立戦争時にぶつかり合った「パキスタンからの独立」と「イスラム共和国としての連帯」という正義をめぐる分断が存在する。そして、票と正義を巡る衝突が複雑に絡み合い激しさを増す中で頭をもたげているのが、「バングラデシュとは何か?/バングラデシュ人とは誰か?」というアイデンティティを巡る亀裂だ。

 悪化するバングラデシュの政情・治安の現状と、その背景にある「票」と「正義」を巡る分断については、以下の記事を参照ください。

3. アイデンティティをめぐる分断


 4月最初の週末を控えた4日4日木曜日、バングラデシュは極度の緊張感に包まれていた。長距離バス、ローカルバス、鉄道、そして船舶など、すべての公共交通機関が運行を取りやめ、 国民は固唾を呑んでメディアの報道を見守っていた。

 その週末、独立戦争時にパキスタン軍による残虐行為に加担したとされる「戦犯」への死刑を求めてダッカのシャハバグ広場を基点に展開するムーブメントの火付け役であるブロガーを、「ムスリムを冒涜する無神論者」として死刑にするよう求める一団が、バングラデシュ第二の港湾都市チッタゴンから首都ダッカまで約250キロの道のりを行進し、ダッカで巨大な集会を実施するというのだ。木曜日のATNニュースは、純白の帽子とパンジャビ(ムスリム男性の衣装)に身を包んだ10万人を軽く超える集団と、一千台以上のバスがチッタゴンに集結している様を映し出していた。
 
 明けた5日金曜日、ジュマの祈り(金曜正午過ぎに行われる一番大切なお祈り)を終えた彼らは、次々とバスに乗り込み首都への進行を開始。フェニ、ノアカリ、クミラなど、チッタゴンからダッカへと向かう途中にある主要都市でも次々と支持者が加わっていく。沿道では、彼らの行進を応援する人々が水や食料を手渡していく風景も映し出された。

  Hifazat-e-Islam
 
  シャハバグ・ムーブメントの仕掛け人への死刑を求めて首都に向けて巨大な行進をする一団の名はHifazat-e-Islam(ヒファジャット・イスラム) 。チッタゴンで200年以上の歴史あるムスリムの名門教育機関(マドラサ)の宗教指導者が率いるこのグループは、政党ではない。イスラムの教えを日々の生活の中で徹底的に実践するとともに、「シャーリアー(イスラム法)」による社会や国家の統治を主張するムスリム系宗教団体だ。そして、現在多くのリーダーが戦犯として裁かれているジャマティ・イスラム党(イスラム教会)とのつながりが指摘されている。

 一方、シャハバグ・ムーブメントを主導する学生や市民は、ヒファジャット・イスラムの首都流入を食い止めるべく、5日金曜日の夕刻から24時間体制で全国規模のホルタル、つまりシャットダウン実施を宣言。チッタゴンからダッカへと入る市南部のバスターミナルのあるサエダバット、ジャトラバリ、グリスタンといった地域にバリゲードを築くとともに、ホルタル期間中の全公共交通機関の運行停止を求めた。

 このままでは、二大勢力が正面衝突し内戦のような悲劇的事態が発生するのではないか・・・そんな悪夢のようなシナリオが渦巻く中、明けた土曜日の朝にメディアが一斉に映し出したのは・・・・ 


   

  Hifazat-e-Islam grand rally

 
  
  純白の帽子とパンジャビで身を包んだ約40万人もの大集団で埋め尽くされた、ダッカ中央駅近くの商業の中心地モティジール(東京でいう丸の内・大手町のような地域)の様子だった(写真出展:Daily Star)。


 メディアやネットを通したものを含めても、これだけの数の人間を一度に見たのは、生まれて初めてだった。シャハバグ広場に1万人を超える市民が集まった時も度肝を抜かれたが、これはその比ではない。正に「人の海」としか形容できない圧倒的な光景。そして、ヒファジャット・イスラムの指導者の声が響き渡った。

 「我々は、ムスリム、そして預言者ムハンマドを冒涜したブロガーを死刑に処す法律制定を含む「13か条の要求」を、政府に提示する。我々は暴力や動乱は好まない。本日の集会も邪魔が入らない限り、平和的に実施しなければならない。しかし、今日ここに集った一人一人、そして全国各地の同胞たちは、ムスリムへの冒涜に対しては、命懸けで戦う覚悟が十分にできている!!


 ブロガーの処刑を求めるヘファジャット・イスラムの大集団が集結したモティジールと、戦犯の処刑を求めるブロガー率いる市民が集うシャハバグ広場とはわずか3キロ程度しか離れていない。いつ何時、計画的、あるいは偶発的な衝突が起こってもおかしくはなかった。しかし、この日の巨大集会、そしてその翌々日にヒファジャット・イスラムが実施したホルタルでは、散発的な衝突があっただけで、大惨事は免れた。胸をなでおろすとともに、数十万人ものデモ参加者が殆ど不規則行動をとらなかったことについて、ヒファジャット・イスラムの圧倒的な組織力と統制力にむしろ脅威を感じた市民も少なくなかっただろう。なぜなら、現在、ヘファジャット・イスラムはバングラデシュの地方主要都市で集会やラリーを繰り返しながら「政府が“13か条の要求”を4月末までに呑まなければ、5月5日にダッカ占拠(seize)を実行すると宣言しているのだから。

 驚異的な動員力と統率力を示した宗教組織、ヒファジャット・イスラムは、一体どのような要求を政府に突きつけたのだろうか?以下、「13か条要求」をすべて列挙してみた。

政府は・・・ 
1.   国家の基本原則として「全能の神アッラーへの信頼と忠誠」を憲法に明記すること、
2.   ムスリムに対する誹謗中傷、アッラーや預言者ムハンマドに対する冒涜をする者を死刑に処す法律を制定すること、
3.   預言者ムスリムを冒涜する無神論者であるシャハバグのリーダー、ブロガー、そして反イスラム主義者を罰すること、
4.   イスラム学者やマドラサの学生に対する殺傷、発砲を停止すること、
5.   逮捕されたイスラム学者やマドラサの学生を解放すること、
6.   モスクへの立入禁止を解除するとともに、宗教行事実施へのあらゆる妨害を取り除くこと、
7.   Qadianis(イスラム修正主義者)はムスリムではないことを宣言し、彼らによる出版行為や陰謀を止めさせること、
8.   公衆の場での自由な男女の混ざり合い等、外国文化を禁止すること、
9.   国中の交差点、高校、大学構内における彫像の設置を停止すること、
10. 女子教育を促進する政策を停止するとともに、小中学校におけるイスラム教育を義務化すること、
11. マドラサの学生・教師・イスラム学者やイマーム等に対する脅迫を停止すること、
12. メディアによるイスラム文化の曲解を通じて若者のムスリムへの憎しみを煽るのを停止すること、
13. NGOによる反イスラム運動や修正イスラム主義者による邪悪な試み、そしてチッタゴン丘陵地帯や全国でのクリスチャンによる改宗活動を停止すること、

 
 これらが、「票」「正義」を巡る議論とどのように絡み合い「バングラデシュとは何か?バングラデシュ人とは誰か?」というアイデンティティを巡る議論にいかなる亀裂を走らせるものかを知るには、前回の記事で紹介したバングラデシュ独立時に制定された憲法が謡う国家の基本精神、すなわち、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)との対比が助けになる。

 一方で、「我々バングラデシュ人とは、“パキスタン・イスラム共和国”から独立を勝ち取った者である」と自らを定義する人々がいる。彼らの中には、現在バングラデシュの人口の9割近くを占めるムスリムも含まれれば、ヒンドゥー教徒やクリスチャン、仏教徒も含まれる。あるいは、欧米に留学をしたエリート層の中には「あんまり宗教には縛られたくない」と考えている人も少なからずいるだろう。こうした宗教観や信仰の違いにもかかわらず、42年前にパキスタンという共通の敵と戦い独立を手にしたという物語を共有しているこうした人々にとって、バングラデシュ人としての一体性(Nationalism)は、宗教の違いを超えた強固なアイデンティティの基盤となる。同時に、「ムスリムの連帯」を掲げるJamati-Islam(イスラム協会)のような政党が、パキスタン軍による蛮行に積極的に加担した史実、言い方を変えれば「宗教の政治利用」がもたらす災禍が脳裏にこびりついている彼らにとって、「政治と宗教の分離」は大切な原則となる。

 他方、「我らバングラデシュ人とは、ムスリムであり、バングラデシュはムスリムの国家である」と自らを定義する人々がいる。 こうした人々は、バングラデシュという同じ空間を共有しているヒンドゥー教徒やクリスチャンよりも、数千キロ離れたパキスタンやサウジアラビアにいるムスリムのほうが「同胞」としての意識を強く感じる。また、街中や全国の学校構内に作られている「フリーダム・ファイターズ」の銅像や、言語運動の犠牲者となった学生を悼む「ショヒド・ミナール」は、ムスリムの教えである偶像崇拝の禁止に触れるものであり、必ずしも心地良く受け入れられるものではない(この点について、上記13か条要求の第9条をご覧頂きたい)。彼らはさらに、「パキスタンから独立を勝ち取った我ら」という自己規定を大切にするムスリムに対しては、同じムスリムであっても「修正主義者」として反感を持つ(上記13か条の第7条・13条のとおり)。

 いうまでもなく、こうしたアイデンティティを巡る亀裂をベンガルの地に走らせたのは独立戦争だ。実際、1971年当時、パキスタン軍に協力したジャマティ・イスラム党をはじめとするイスラム政党は「(ヒンドゥー教徒である)インドにそそのかされて、ムスリム共和国としての一体感を脅かす連中は駆逐すべし」という正義を掲げていた。また、ジャマティ・イスラム党の元党首であり、現在戦犯として逮捕され裁かれているGolam Azam(ゴラム・アザム)氏などは、バングラデシュ独立後にパキスタンに亡命している間、

 「バングラデシュという国は、モスクを破壊し、イスラム教徒を迫害しているほか、“偽のムスリム”がはびこっている、ろくでもない国だ(だから、“真のムスリム”である私は追い出された)」

 というキャンペーンを張って、自らの立場を擁護していた(この点について、上記13か条の5番目が戦犯の釈放を暗示していること、その言い分として、4条、6条、7条、11条、12条でムスリムへの口撃・攻撃を使っていることに留意したい)。
 
  歴史に“IF”はないが、仮に独立直後のバングラデシュが、戦争中にパキスタンに加担した勢力に対して「亡命か死か」の究極の選択を迫り、ベンガルの地から完全に放逐していれば、こうしたアイデンティティを巡る衝突は、その後のバングラデシュには存在しなかったかもしれない。しかしながら、このような難題を完遂する力は、建国間もないバングラデシュにはなかった。巨大サイクロンの被害、旱魃に伴う飢餓、そして汚職とクーデターという苦難のなかで、「戦犯への裁き」という難題はウヤムヤにされていった。また、バングラデシュ独立直後の1970年代前半は第一次オイル・ショックという外憂とも重なっており、燃料確保のために、産油国である中東イスラム諸国との関係改善を図らなければならない国際政治・経済の文脈の中では、「ムスリムとしての連帯」を重視する勢力に、厳罰を下すことは困難だった。

 それから、40年の歳月が流れた。

 バングラデシュは、国としての一体感を保ちながら天災や政治混乱など数々の苦難に対して驚異的な耐久力を見せ、経済・社会を成長軌道に乗せた。ムスリムが多数を占める国家にもかかわらず、例えば、中等教育の就学率は男子よりも女子が上回り、国の経済を牽引する縫製業の担い手の8割は女性であるなど、女性の地位向上という側面でも目覚しい成果を見せた。2005年にはBRICSに続く経済成長が見込まれるNEXT11に名を連ね、今や、2021年までの中所得国入りが射程に入っている。
 
 一方、アイデンティティや正義を巡る議論が風化していくなかで、「戦犯」として裁かれるはずだった勢力は、バングラデシュ農村部の貧しい若者をマドラサ(イスラム宗教学校)での教育を通じて惹きつけ、パキスタンや中東諸国からのふんだんな資金援助を得ながら、着実にその政治力・資金力・そして組織力を蓄えていった。そして今や彼らは、バングラデシュのなかで、決して無視できない政治的・経済的・文化的な影響力を持つ存在なのだ。

 そんな2013年という年に、独立戦争時の亡霊ともいえる、アイデンティティを巡る亀裂があらわになった。そのトリガーが「戦犯裁判という正義を巡る論争」であり、これに油を注ぐのが「年末の選挙を巡る票」なのだ。
 
 ところで、ヒファジャット・イスラムが政府に突きつけた「13か条の要求」について、ハシナ首相は「ムスリムに限らず、あらゆる宗教に対する冒涜を罰する法律は既にこの国にある。ヒファジャット・イスラムの要求は受け入れない」と早々と発表した。つまり、このままでは5月5日に、この巨大且つ、強固な組織力・統率力を持つ集団による「首都占拠」は確実に実施される情勢だ。今までホルタルの際には「聖域」だった空港についても、「占拠」の対象に入るやも知れない。

 2月以降、既に多くの血が流れ途方もない経済損失が発生しているバングラデシュ。しかし、国を引き裂く亀裂はさらにそのスケールを増していく可能性が高い。バングラデシュは、独立以来最大の危機を乗り切れるのだろうか?そのためには何が必要だろうか?(続く)
  
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(8) | トラックバック:(0) | 2013/04/21 02:17

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その3)

 バングラデシュで今年2月以降の激増したホルタル(暴動を伴うデモ)を実施しているのは、年末の選挙で政権与党への返り咲きを狙う野党第一党のBNP(バングラデシュ国民主義党)だけではない。それぞれの正義を掲げる複数のグループが、その生死をかけて展開しているという意味で、「毎度お馴染み」のホルタルとは質的にも量的にも異なる、より深刻な衝突が発生しているのだ。 

2.「正義」をめぐる 分断


 あらゆる戦争の背景には、対峙する双方が掲げる正義がある。

 42年前、バングラデシュはパキスタンからの独立を果たした。9ヶ月にわたる戦闘で約300万人もの同胞を失うという途方もない犠牲を伴いながら手にした独立だった。独立に当たって作られた憲法には、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)といった、独立戦争を戦う上での精神的支柱となった正義が、バングラデシュという国民国家の精神として謡われた。独立戦争を戦い抜いたフリーダム・ファイターは英雄となり、国のあちこちにその像が建てられた。

 一方、独立戦争に際して、ムスリムの連帯重視という別な正義を掲げていたグループが、当時東パキスタンだったバングラデシュの領土内に存在した。「イスラム共和国」としての一体性を重視していた、例えば「ジャマティ・イスラム(Bangladesh Jamaat e Islami:イスラム協会)」といったグループは、バングラデシュのパキスタンからの独立に反対し、「インドの回し者である分離主義者」を駆逐すべくパキスタン軍に加担した。彼らは1971年12月16日までは官軍だったが、パキスタンの敗北により「ラザカー(裏切り者)」の汚名を着る賊軍となった。

 独立戦争から42年を経た今、当時ぶつかり合った二つの正義が再び表面化し、バングラデシュの社会に亀裂を走らせている。「戦犯問題」という名のパンドラの箱が開いたためだ。 
 
若手のブロガー/オンライン・アクティビストの呼びかけに共感した数万人の市民がダッカの目抜き通りであるシャハバグ(Shahbag)広場に集い、「戦犯」への死刑を求めている「シャハバグ・ムーブメント」の経緯と背景、及びシャハバグ・ムーブメントや戦犯裁判に反対するジャマティ・イスラム党やその支持者の実相については、以下の記事を参照下さい。
 
  国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その1)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その2)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その3)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その4)

  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その5)

   
  「戦犯裁判」という名のパンドラの箱を大きく開けたのは、与党アワミリーグが2008年末の前回総選挙の際に掲げた「マニフェスト(政権公約)」であること、その背後に、「正義」の実現とあわせて、長年のライバルBNP(Bangladesh Nationalist Party)の連立政権パートナーだったジャマティ・イスラム党の弱体化を通じた「票」の確保という政治的動機が見え隠れしていることは、以前の記事で触れた。しかし、戦犯への法の裁きを求める勢力は、政権与党アワミ・リーグがこうした政治的動きを採るずっと以前から、バングラデシュの市民社会の間に存在していたのだ。

 ここで、戦犯全員の処刑とジャマティ・イスラム党の解党を求めて2月5日よりシャハバグ広場を基点に全国各地で展開してるGonojagaran Mancha (ゴノ・ジャガラン・マンチャ:“市民覚醒のためのステージ”)」と名付けられたムーブメントが、どのような勢力によって火が付けられ、牽引されているかについて、僕の観察を書きたい。

 Shahbagh10
 ~ 戦犯への死刑判決を求める一般市民や学生たちで埋め尽くされたダッカのシャハバグ・広場 ~

 結論から言うと、バングラデシュの独立以来、最も巨大且つ、非暴力を貫いているという意味でユニークなムーブメントは、個別に活動をしているブロガーや学生らの個人プレーがもたらした自然発生的なものでも、既存の大政党が政治的意図を持って仕掛けたものでもなく、長い歴史を持つ組織化された複数の市民社会のグループが、満を持して仕掛けたものだ。

 たとえば、シャハバグ・ムーブメントで中心的役割を担っている 市民社会のグループの一つに、「Ekattorer Ghatak Dalal Nirmul Committee(エカトレール・ガタック・ダラル・ニルムール委員会)」がある。長々としたカタカナだけでは一体どのような委員会なのか皆目見当がつかないが、日本語に訳すると 、その名前自体が強烈なメッセージであることが明らかになる。

 すなわち、「71年の殺戮協力者を根絶する会」-71年は独立戦争を、殺戮協力者とはパキスタン軍に協力したラザカー(戦犯)を指すことは言うまでもない。

 戦犯の処刑と、ジャマティ・イスラム党の解散を求めるこの団体の設立は1992年1月までさかのぼる。この年、戦犯の象徴的存在であり、戦後しばらくパキスタンに亡命していたGolam Azam(ゴラム・アザム)が、バングラデシュ・ジャマティ・イスラム党の党首に就任したのだ。上記「エカトレール・ガタック・ダラル・ニルムール委員会」は、戦犯として裁かれるべき人物が政党の党首に堂々と就任し、バングラデシュの政治に返り咲いたことに強い反発を覚えた作家、大学教授、芸術家、ジャーナリスト、学生、そしてかつてのフリーダム・ファイターらが立ち上げた市民団体なのだ。以来彼らは、時々の政府・与党に対して、戦犯裁判の開設を要求し、「政府が戦犯を裁かないのであれば私設の市民裁判所を立ち上げて正義を下す」との主張を20年以上続けてきた。

 ちなみに、この委員会のリーダーはJahanara Imam(ジャハナラ・イマム)という女性だ。ジャーナリストであり作家であり、二人の息子の母親でもあったジャハナラは数々の著作を残したが、中でも、その長男Rumiを独立戦争で失った悲しみとバングラデシュ独立への想いを、その卓越した筆致でつづった日記「Ekatturer Dingul (エカトレール・ディングル:“71年の日々”) 」は、“バングラデシュのアンネの日記”と評され、多くのバングラデシュ人の心を強く揺さぶる名作だという。"Shaheed Janani"(ショヒド・ジャナニ:殉教者の母).と呼ばれ国民から慕われてきたジャハナラは1994年に亡くなったが、今でも戦犯処刑とジャマティ・イスラム党の解党を求める市民運動の精神的支柱であり、シャハバグ広場には彼女の巨大な肖像画が掲げられている。

 Jahanara Imam
 ~シャハバグ広場に掲げられた“殉教者の母” Jahanara Imamの巨大な肖像画の前で、独立戦争におけるフリーダム・ファイターズの合言葉「ジョーイ・バングラ!!(バングラデシュに勝利を!!)」を絶叫する若者~

 このように、「エカトレール・ガタック・ダラム・ニルムール」委員会や、フリーダム・ファイターズのOB会組織といった市民社会のグループは、バングラデシュ独立時の憲法に刻まれた精神、即ち、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)を体現するバングラデシュの実現に強い思い入れを持ち、数十年にわたり戦犯の処刑という「正義」を求め続けてきた。2月5日以降に本格化したシャハバグ・ムーブメントを主導しているのは、こうした筋金入りで強固なつながりを持った勢力なのだ。

 2月中旬には火付け役の一人だったブロガーのAhmed Rajib Haidar(アハマド・ラジブ・ハイダー)が、ジャマティ・イスラム党の学生支持母体であるジャマティ・シビールのメンバー数人により惨殺されたことは以前の記事で触れた。この他にも、シャハバグ・ムーブメントのリーダーであるDr. Imran Sarkar(イムラン・ショルカー)に対しては、その命を狙う様々な脅迫が飛び交っている。

 彼らの活動はまさに命懸けなのだ。にもかかわらず、このムーブメントの勢いは衰えない。ダッカのシャハバグ広場だけでなく全国の主要都市を行脚し、「正義」の実現とジャマティ・イスラムによる暴力に屈しないよう、国民に呼びかけ続けている。こうした経緯を見ればシャハバグ・ムーブメントが一過性の底の薄いものではなく、強力な精神的・思想的支柱を持った命懸けのムーブメントであることがわかる。

 一方で、ジャマティ・イスラムとその学生支持団体、ジャマティ・シビール側は、当然のことながら、あらゆる手段を使って、徹底抗戦をすることになる。自分が心酔する宗教指導者の命、そして自分が所属する団体そのものの命運がかかってるのだから、彼らが実施するホルタルは、暇をもてあました若者を日当で動員しているBNP主導のホルタルとは、当然のことながら迫力がちがう。政治的なデモや衝突により一ヶ月で100名を超える死者が出るのは、バングラデシュの歴史で初めてのことだが、これは激しさを増すジャマティ・イスラム党とシビールの攻撃を前に警察側にも死者や重傷者が出ているために、治安維持部隊が実弾を使って応戦していることによる。

  clash
  ~警官隊・機動隊との激しい衝突を繰り返すジャマティ・イスラム党の学生組織ジャマティ・シビールの活動家~

 また、ホルタルの連発は、戦犯裁判を遅らせる意図もある。被告側の弁護団が「治安上の問題があるので、法廷まで出向くことが出来ない」とごねて法廷に姿を現さなければ、裁判を前に進めることが出来ないからだ。彼らにとっては、「ホルタルをやりすぎると国全体に途方もない経済的ロスをもたらす」とか、「有権者を呆れさせて選挙で負けるかもしれない」といった計算は働かない。なぜなら、ホルタルの実施は自らの命を守る合理的で強力な手段であるからだ。 ちなみに、現在裁判にかけられている戦犯は11人名(うち9人がジャマティ・イスラム党の幹部、2人がBNPの幹部)おり、まだ判決は三人しか出ていない(しかも、うち2人は上告している)。こうした背景を知れば、「ホルタル等の騒擾事件が、今後増えることがあっても減る可能性は殆どない」との予測は極めて確度の高いものと言わざるを得ないだろう。

   ghulam azam
 ~戦犯の一人としてダッカの国際犯罪法廷に出廷しているジャマティ・イスラム党の元党首、Ghulam Azam。本日(4月17日)の段階で審理はすべて終了し、あとは判決を待つのみとなっている。戦犯問題の象徴的な存在である一方、ジャマティ・イスラム党にとっては偉大なリーダーであるこの人物に死刑判決が下れば、大規模且つ深刻な暴動が発生するのは避けられない…(写真出展:Daily Star)~

 そして、より根本的な正義に関する問題は、戦犯裁判の正統性をめぐる議論だ。

 そもそもジャマティ・イスラム党は「ムスリムの連帯維持」という正義を掲げて「バングラデシュのパキスタンからの分離独立に反対する」という政治的立場をとり、その当然の帰結として、パキスタン軍に加勢した。パキスタン軍による非人道的蛮行は許されるものではないが、パキスタンを支持したというだけで、野党の指導者のみを「戦犯」のレッテルを貼って次々と捕らえて裁判にかけ、厳罰を求める”世論’に迎合して客観的な証拠や公平で開かれた審議も不十分なまま死刑判決を下すとは、政治的動機に基づいた人権侵害に他ならないのではないか?さらに、リーダーに対する不当な死刑判決の撤回を求めて立ち上がった若者に対して、実弾を浴びせかけて大勢の命を奪うとは、 現政権与党と、それに扇動されたシャハバグ・ムーブメントのほうこそ、非人道的な極悪非道なのではないか?

 ジャマティ・イスラム党とその学生支持団体であるジャマティ・シビールのこんな主張も、頭から否定するのは難しい。

 こうした主義主張と計算の下で暴動を繰り返すジャマティ・イスラム党に対して、野党第一党のBNPは積極的な支持を表明するとともに、シャハバグ・ムーブメントについては、「与党アワミ・リーグが陰で操る政治的な陰謀」として切って捨てている。これはどのような動機によるものだろうか?前回の記事で紹介したとおり、BNPにとって重要なのは年末に予定されている総選挙で「票」を確保するための「中立的な選挙管理内閣」の設置だ。これを、例えば軍の介入によって実現するには、国が出来るだけ荒れ、政権与党の国家統治能力に国内外の人々が疑問符を投げかけるような状態が作り出されることが望ましい。また、もともと都市部の産業界のエリートや軍関係者によって独立戦争後に作られたBNPは、アワミリーグと比べれば地方の組織票が弱い。農村部に張り巡らされたジャマティ・イスラムの強固な組織力と豊かな資金力は、BNPの比較劣位を補う強力な武器となりうる。

 つまり、シャハバグ・ムーブメントとジャマティ・イスラム党との「正義」をめぐる断絶の背後には、既存の二大政党が「票」を得るための政治的な思惑が交錯しているのだ。これが、問題の解決をさらに遠のかせている構造的背景となっている。

 そして、今月に入りジャマティ・イスラムと関係があると見られる、別の巨大な勢力がその存在感を増している。そのグループの名はHifazat-e-Islam(ヒファジャット・イスラム)-バングラデシュ第二の都市チッタゴンに拠点をおき、シャリア(イスラム法)による社会統治を理想とする宗教団体だ。ヒファジャット・イスラムの登場により、バングラデシュの混乱は新たな段階に入ったように見える。それはバングラデシュという国民国家を、「票」、「正義」をめぐる争いよりもさらに深くて厄介な、アイデンティティをめぐる分断へと導いていくのだ。(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/04/17 18:33

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その2)

 政情不安、治安の悪化が続くバングラデシュ。多くのバングラデシュ人から冷静さを失わせ、暴力の連鎖を生み出し、国家を分断させているイシューとはなんだろうか?以下3回の記事に分けて、「票」、「正義」、そして「アイデンティティ」の3点をキーワードに議論していきたいと思う

 バングラデシュの昨今の政情・治安状況については前回の記事をご覧下さい。
  『バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その1)

1.「票」をめぐる 分断
 
 バングラデシュは本年末に総選挙を控えている。

 選挙に向けて、競合する政党が、互いを否定しあう“ネガティブ・キャンペーン”を展開し、選挙妨害、選挙結果の操作、そして暴動といった様々な問題を生み出してしまうのは、多くの途上国に共通する現象だ。特に、主要競合政党が、国を構成する別々の民族をそれぞれの支持母体としている場合、選挙をめぐって大規模な暴力が発生しやすい。2007年末の選挙に端を発するケニアの危機はその好例だろう。

   バングラデシュについては、1991年の民主化以降、アワミ・リーグBNP(Bangladesh Nationalist Party:バングラデシュ人民主義党)という2大政党を中心とする連立政権が各5年の任期を全うしながら、BNP→アワミ→BNP→アワミの順で選挙のたびに政権交代を経つつ、今日に至っている。選挙結果を踏まえて権力者が交代してきたこと、そしてその時々の政権与党が5年間の任期をしっかり全うしてきたという点で、バングラデシュは優等生と言えるだろう。また、人口の99%がベンガル語を話すベンガル人、9割近くがイスラムを信奉しているバングラデシュでは、上記2大政党が異なる民族や宗教を代表している訳ではない。したがって、選挙において民族や宗教の違いが、対立軸として表面化することはない。

 しかし、来る総選挙に関しては一つ厄介な問題が燻っている。それが、選挙を実施する方法、つまり「政権与党ではなく、中立的な選挙管理内閣(Care-taker governent)の下での総選挙実施を求める憲法の規定を復活させるべきか否か」であることは、年末にアップした記事「政情不安はなぜ繰り返されるのか」で詳しく紹介したところだ。また、アワミ・リーグの党首である現首相シェイク・ハシナと、BNPの党首カレダ・ジアという二人の女性は、それぞれ相手のことを「自分の父親と家族を殺した」、あるいは「自分の夫を暗殺した」と思い込んでいる仲であり、こうした個人的憎しみが必要以上に両党間の感情的対立を増幅させ、その結果、多くの不幸を、そして時に喜劇としか言えないような珍事をこの国にもたらしてきたことについては、「8月15日は喪に服すべきか、国民総出でお祝いすべきか?」の記事を参照頂きたい。  
                 Bangladesh Politics           

  ~左側が現政権与党のリーダー。上は建国の父であり初代大統領であるシェイク・ムジブル・ラーマン。現首相のシェイク・ハシナ(左下)はムジブル・ラーマンの娘だ。一方、野党第一党のBNPの党首であり前首相のカレダ・ベグム・ジア(写真右下)は、ムジブル・ラーマンの暗殺後に就任した二代目大統領ジアウル・ラーマン氏(写真右上)の妻だ。~


 最近ほぼ毎日発生しているホルタル(暴力行為を伴うデモ)のうち、野党BNP主導で実施されるものについては、基本的に「選挙管理内閣の復活」「“専制的な政府による弾圧”で逮捕されているBNP幹部の釈放(実際は、ホルタルの際に器物損壊等を主導した罪で逮捕されている)」を名目に実施されているものだ。

 他方、現与党のアワミ・リーグは、その影響下にあるメディアなども活用して、ホルタルを連発する野党BNPを随分と非難しているが、何を隠そう、彼らが野党だった2001年から2006年までの5年間に、アワミ・リーグは計173日もの全国規模のホルタルを実施した堂々たる実績があるのだ。要するに、野党は国会での論戦ではなく、ホルタルという議場外での示威行為でもってその存在感を示し、政府・与党の失策を追及するのがバングラデシュでは常態化していると言える。

 また、ホルタルというと、バスや車に火がつけられたり、大勢の暴徒が警官隊に対してレンガや「カクテル爆弾」と言われる手製爆弾を投げつけている衝撃的なシーンがメディアに映し出されるが、これも少し冷静に見たほうが良い。 と言うのは、ホルタルで暴れている多くの暴徒は、双方の政党が追求するアジェンダに心酔しているハード・コアな支持者という訳では決してなく、「一日ホルタルに参加したら100タカ(約100円)」「カクテル爆弾を見事爆発させたら2,000タカ」という政党からの「求人広告」に応じて動員された、暇をもてあまし不満を抱える若者たちだからだ。彼らの多くは「選挙管理内閣の復活」や「政権交代」に青春をかけている訳では必ずしもなく、単に、バイト感覚で憂さ晴らしが出来る、ということで、ホルタルに参加している訳だ。
 
 この点、ホルタル期間中に、バスや列車が襲われているテレビの中継や新聞報道などを注意深く見ると、石やレンガなどをバスに投げつけ、乗客や運転手が急いで逃げ降りた後に、カクテル爆弾を投げつけて火をつけていること、列車の爆破に関しても、乗客が降りたことを見計らって火を放っているケースが多いことに気付かされる。
   
  hartal
   ~ホルタル時にダッカ市内で火を放たれ炎上するバス(写真出展:Daily Star)~ 

 もちろん、こうした行為は危険極まりないし、暴動を止めに入る治安維持部隊との衝突などにより死者や多くのけが人が実際に出ているので、絶対に興味本位で近づいたりすべきではない。しかし、アフガニスタンやパキスタン、あるいはイラクなどで発生している、「人を殺すことを当然の想定とする自爆テロ」と、バングラデシュのホルタルとは、まったく質が異なるものであることは確かだ。少なくとも、アワミ・リーグやBNPの多くの支持者や、彼らが実施するホルタルに参加している若者は、全身全霊をなげうって政治活動に関わっている訳ではないのだから。

 こうしてみると、二大政党間の「票」をめぐる分断と、その結果として発生するホルタルは、確かに危険で、多大な経済的損失をもたらすものだが、バングラデシュでは「毎度おなじみの」、「選挙が終われば落ち着く」、そして「寄せ集めの若者が暴れている」、打ち上げ花火のようなものと言える。

 ホルタルに慣れていない外国人は街中でバスが炎上しているのを見ればギョッとするかもしれないが、一般のバングラデシュ人は、ホルタルが起こっても、リスクを巧みに避けながら淡々と日々の仕事や生活に勤しんでいる(もちろん、多少の不便は感じているだろうが)。

    こうしたことから、仮に、今年2月以降発生している一連の騒動やホルタルが2大政党間の選挙に向けた権力闘争という、従来と変わらないものであれば、こんなにも連続してホルタルが起こることもなければ、外国人居住区で爆弾が炸裂することもなければ、一ヶ月で100人以上の人が死ぬこともないだろうし、誰も「独立以来最大の試練」なんて、大げさなことは言わないだろう。

 では、何故今回は違うのか。それは、今バングラデシュで表面化しているのが「票をめぐる争い」だけでなく、これを超える、極めて感情的で根深い「正義」「アイデンティティ」というイシューが絡む分断
だからだ。 (続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(6) | トラックバック:(0) | 2013/04/16 12:16

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その1)

 4月8日月曜日、時刻は午後5時半を少し回った頃だった。

 ダッカの繁華街、グルシャン1交差点から南へ5分ほど歩いたところにあるIFC(International Finance Corporation:世銀グループの民間企業向け投融資部門)のオフィスは閑散としており、僕がたたくラップトップのキーボードの音を除けば静寂が支配していた。 ホルタル(暴動を伴う政治デモ)が実施される日は、安全確保のため、世銀や国連職員に対しては、自宅勤務が奨励される。しかし、自宅のネット環境は弱く内部システムにアクセスするのに膨大な時間の浪費を強いられるほか、会議室やビデオ会議システムもないため、あまり仕事にならない。こうした中、セカンド・オフィスとして最近多くの世銀職員が利用しているのが、外国人や富裕層の居住区であり大使館街であるグルシャン地区にあるIFCのオフィスなのだ。階下にはDFID(英国政府の援助機関)のオフィスがあり、JICAのオフィスへも歩いて3分程度。ここならホルタルの日でも、鉄パイプや火炎瓶、手製爆弾で武装したデモ隊と遭遇することなく自宅から通え、集中して仕事が出来る。美味しいエスプレッソやサンドイッチが手に入るお気に入りのカフェもすぐそばだ。僕は最近IFCのオフィスに入り浸っていた。
 
 ふっ、とオフィスの明かりが消えた。「あれ、停電かな?」と思ってスクリーンから顔を上げた瞬間だった。

 ドン!!
 
 腹の底を持ち上げられるような音がしたかと思うと、目の前の窓から黒煙が昇るのが見え、続いて硝煙のにおいがオフィスの中にも立ち込めた。窓の外を見ると、IFCオフィスの数十メートル先、僕がいつもランチをするレストランのすぐ目の前で、一台の車が炎に包まれている。野次馬の叫び声、機動隊の駆け足、そして消防車のサイレンが聞こえる。もしも、ほんの5分前に「ちょっと気晴らしに」と、いつものあのレストランにコーヒーを買いに行っていたら・・・心臓の鼓動が高鳴るのが聞こえる。じっとりと汗をかいた手を握り締めながら、僕は炎上する乗用車を見下ろしていた。

 バングラデシュの政情不安、治安悪化に歯止めがかからない

 膨大なビジネス・チャンスが失われ、一般市民の生活はますます厳しくなり、そして多くの貴重な命が失われている。ダッカ商工会議所の試算によると、一日のホルタルによる経済損失は約160億タカ(約200億円)に上るという。子供たちが必死になって準備してきた中等教育終了試験も度々延期を強いられるなど、政情不安は教育現場にも大きな影響を与えている。ちなみに、ダッカ在住の自分が聞き飽きてしまった「ホルタル(Hartal)」という言葉に馴染みのない人が、ホルタル日にダッカをはじめとする主要都市の市街地で何が起こるのかを理解するには、僕の記述よりも、例えばこちら、4月1日付けのBBCニュースを見てもらったほうが早いだろう。

 ホルタルとは、シャット・ダウンを意味する。 もともと、ヒンドゥー語のHat(市場)とTal(閉鎖)が合わさって出来た言葉であり、市場の商人や店主が市場を閉鎖して客や取引先に抗議をする手法として、イギリスによる植民地支配の前から南アジアでは定着していた。

 しかし、今日のHartalは、「異議申し立て」という目的において数百年前のそれと変わらないものの、その規模と内容において大きく変質している。つまり、政党あるいは宗教団体が大掛かりなデモを実施するために街全体を「シャット・ダウン」するのだ。具体的には上記BBCの映像が映し出すとおり、移動中の車やバス、オートリキシャを見つければレンガや火炎瓶を投げつけて動けなくし、燃やしてしまう。線路の枕木をはずし、列車を脱線させる。停車中の列車を爆破する。幹線道路に丸太を大量に転がして物流網を遮断する。そして、こうした行為を止めに入る警官隊や機動隊等と衝突するなど、手段を選ばない。今年3月以降、ホルタルにより100名を超える死者が出ているが、これにはデモ隊だけでなく、応戦する警察や、巻き添えになった一般市民も含まれる。先日は、国連職員が乗る車がデモ隊と遭遇し石やレンガでの攻撃を受けた。国連職員や外交官の車はいわゆる「イエロー・プレート」がついているが、デモ隊にとって、そんなことはお構いなしだ。

 どうしても実施しなければならない重要なミーティングが不幸にしてホルタルと重なってしまった場合や、ホルタル日に空港から出国しなければならない場合には、救急車を使って移動を試みる人もいる。「急病人が乗っている(はずの)救急車なら、さすがのデモ隊も見逃してくれるだろう」という目論見での「救急車作戦」だが、最近はこれも危うい。3月末、民間銀行のビジネスマンが救急車で市の南部を移動していたところ、遭遇したデモ隊に止められチェックを受けた挙句、路上に引きずり出されて殴る蹴るの暴行を受けるという事件が発生。不幸なビジネスマンは、結局同じ救急車で病院に担ぎ込まれた。 
  
       Hartal pic    
  ~写真左上は、ダッカ中央駅での列車の爆破、右上は警官隊と衝突するデモ隊、右下はコミラ-ダッカ間の線路からの枕木除去により脱線した車両、左下はダッカ市内南部でホルタル参加者により火を放たれた一般車両~

 こういう状況だから、富裕層居住区・大使館街であるグルシャン、ボナニ、バリダラ地区を除けば、ダッカ市内を移動するには相当の覚悟が必要だ。そして、冒頭の出来事が象徴するとおり、最近はついに、この3地域も「聖域」とは呼べない状況となりつつある。
 
 では、ホルタルはどのくらいの頻度で実施されているのだろうか。昨年まではせいぜい月に2回程度だったが、3月に入ってからは激増。下記のカレンダーが示すとおり、3月は19営業日のうち、まともに働けたのは10日だけ。今週にいたっては、ウィークデーのうち4日がホルタルだ。来週(4月14日の週)も野党が既に水曜日と木曜日にホルタルを実施する旨、宣言している。
Bangladesh Calender 
 ちなみに、上記カレンダーの「Hartal」マークは、全国規模のホルタルが実施されている日のみに付されているに過ぎず、これに加え、チッタゴン、シレット、ボグラ、ラッシャヒといった地方の主要都市や管区のみを対象としたホルタルも実施されている(しかも発生する暴力の程度は、地方都市や農村のほうがむしろ高い)。つまり、3月以降、週末を除けば、バングラデシュでは落ち着いて仕事や生活をし、あるいは観光を楽しめる日は殆どないという事態に陥っている

 電力不足や渋滞は酷いけれど、人々の一体感が強く、安全・平和が売りだったバングラデシュが、どうして、このような事態に陥ってしまったのだろうか?バングラデシュに関わる人が皆揃って損をするように見えるホルタルは、なぜ繰り返し実施されるのか?今後展望は開けるのか?状況を打開にするには何が必要か?本シリーズでは、こうした疑問と出来る限り深く、多面的に向き合ってみたいと思う。

 細かい話に入る前に、まず強調したいことが三つ。

 第一に、バングラデシュの現在の混乱は、本年末に予定されている選挙に向けた既存2大政党間の権力闘争を超えた、複雑なテーマが多分に入り込んでいる、ということだ。従って、「今回の騒動は、5年に一度の選挙を前にした毎度お馴染みの騒ぎ」という見方は事の性質を十分に捉え切れていないと思う。 このことは、一連の騒動に現与党アワミ・リーグ、そして野党第一党のバングラデシュ民族主義党(Bangladesh Nationalist Party)という二大政党が率いる政治政党以外の、宗教界、及び市民社会それぞれに根を張っている複数の勢力が深く関わっていることからも明らかだ。

 また、「イスラム原理主義者による大規模デモ・暴動」というヘッドラインで報じる外国メディアを見かけるが、これも事態を正確に捉えていないだけでなく、「イスラム原理主義」という定義不明瞭な欧米の造語でムスリムを表現し、ムスリムに対するネガティブなステレオ・タイプを助長するという意味で、鵜呑みは厳に避けたい。例えば、暴動で衝突している 双方のグループに、イスラム教の教えを大切にしている人々は存在する。また、本ブログでは暴徒の攻撃を受けたヒンドゥー・コミュニティにスポット・ライトを当てているが、別なシーンで一方的な暴力を受けている人の中にはムスリムの人々も含まれるし、被害を受けた宗教的・民族的マイノリティを献身的に助けているムスリムも大勢いるのを僕は数限りなく耳で聞き、目で見ている。

 そして最後に、バングラデシュは今、独立以来最大の試練に直面しており、事態はさらに悪化する可能性が高い。しかし、この国がアフリカや中東、そして南アジアの一部の国々のような全面的な内戦やテロリズムの跋扈という事態に陥ることはないと思う

 何故最大の試練か--それは、現在起こっている暴動と背景にあるテーマが、過去バングラデシュが様々な試練を乗り越えるに当たって発揮した耐久力(Resilience)の源泉である、国民としての一体感や、コミュニティに息づく社会資本を傷つけるものであるからだ。

 では、なぜ国の崩壊につながるような事態は避けられると言えるのか---それは一連問題作り出し、またそれを解決しうるのは、他ならぬバングラデシュ人一人ひとりであり、その解決の方法は金でも軍事力でも外国の介入でもなく、彼ら同士の継続的な対話であるところ、バングラデシュ人が、その考え方、価値観、政治的利害の違いにもかかわらず、「言葉」を共有しているからだ。

 以上を3点を強調した上で、次回の記事では、多くのバングラデシュ人を暴力に走らせ、国家を分断させているイシューについて、「票」、「正義」、そして「アイデンティティ」の3点を軸に議論していきたいと思う。(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(5) | トラックバック:(0) | 2013/04/09 18:57
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