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バングラデシュが教えてくれた大切なこと⑦

 2月21日は国際母語デー(International Mother Language Day)だ。1999年11月17日にユネスコ(国連教育科学文化機関)が制定した国際母語デーは、言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてそれぞれの母語(母国語ではない)を尊重する精神を世界が共有するための日だ。

 母国語と母語とは違う。母国語とは、自らが国籍を有する国で使用される言葉。母語とは文字通り母親から赤ちゃんへの語りかけを通じて受け継がれていく言葉だ。この違いは「母国語=母語=日本語」との公式が無意識に成り立つ多くの日本人にとっては分かりづらい。しかし、世界にはこんなストーリーがある。


 今から61年前、1952年2月21日、ダッカで5人の大学生が亡くなった。パキスタン政府が、西パキスタンの「母語」であったウルドゥ語を、東パキスタン(現在のバングラデシュ)も含む東西パキスタンにおける唯一の公用語、つまり母国語にするとの方針に抗議してデモ行進をしている最中に、警官隊の銃撃によって斃れたのだ。学生達の命懸けのアクションは、「母語ベンガル語」を守るための巨大なムーブメントとなって東パキスタン全土に燎原の火のごとく広がり、パキスタン政府にベンガル語も公用語として認めさせる原動力となるとともに、その約20年後に起こるバングラデシュ独立戦争における精神的な布石ともなる。

 「Amar Ekushey(アマール・エクシェイ:私の2月21日)」と呼ばれるこの日は、バングラデシュの国民の祝日だ。人々は5人の学生の魂を悼み、母語の大切さを心に刻むためにShaheed Minar(ショヒド・ミナール)と呼ばれる碑に花を手向ける。現在、ベンガル語を母語として日常生活で使用しているのは、バングラデシュの国土で暮らすベンガル人に加え、インドのコルカタを州都とする西ベンガル州の人々、そして世界中で生活しているベンガル人移民労働者などなど、その数約1億8千万人。ベンガル語は、世界で6番目の使用人口を擁するのだ。

   ショヒド・ミナール
 ~ダッカ大学のキャンパスに程近い場所、そしてバングラデシュの国中の学校に建てられているショヒド・ミナール。亡くなった5人の学生を表す4つの柱、その死を悲しんで頭を垂れる母親を表す中央の柱、そして流された彼らの血を表す背景の赤いサークルで構成されている。~

 日本ではしばしば、バングラデシュが「イスラム国家」と表現される。でも、ここで生活をしていれば、それに違和感を感じる人は多いだろう。確かに街のあちこちにモスクがあり、断食や犠牲祭などイスラムの行事も多い。しかし、ヒンドゥーや仏教の寺院、キリスト教の教会も、モスクと比べれば数は少ないものの、街や村で、大切な施設になっている。また、「ドゥルガ・プジャ」と呼ばれるヒンドゥー教徒最大の祭が、バングラデシュでは国民の祝日になっており、ダッカを含め国中のあちこちがヒンドゥーの神様と踊りで熱気に満ちることは、既にこのブログでも何度か紹介した。さらに、公立学校の科目の一つである「宗教」の授業では、多数派のイスラム教だけが教えられる訳ではない。子供達の宗教に応じてクラスがグループ分けされ、それぞれの宗教について教えられるのだ。

 こう見ると、バングラデシュはイスラム教国というよりも、その名、つまり「バングラ(ベンガル人の)デシュ(国)」が表す通り、ベンガル語を話すベンガル人の国としての側面が強いように感じる。そして、2月21日は、ベンガル人が宗教の違いを超えて、一つの国民国家としての絆と基盤を、その歴史の重みを持って再認識するための大切な日なのだ。


 ところで、旧約聖書に登場する「バベルの塔」の物語がある。そのとき、人間は、一つの共通言語を話していた。共通言語を持って人々はシンアルの野に集まり、天まで届くような巨大なバベルの塔を作るための共同作業を始める。これを見た神は、人々に違う言葉を話させるようにした結果、人々は混乱に陥り、世界の各地に散っていった…そんな神話だ。

       バベルの塔
   ~フランスの画家ギュスターヴ・ドレ (1832–1883)が描いた『言語の混乱』(出展:Wikipedia)~

 今、世界にはいくつの母語があるのだろう。想像もつかない。専門家の間でも4,000から8,000の間で見解が分かれるようだ。例えば、この記事の最初に「多くの日本人にとって母国語=母語=日本語」と書いたが、例えば琉球の人々やアイヌの人々にとっては、日本語は標準語ではあっても、母親から子供に、代々語り継がれてきた母語ではないだろう。バングラデシュでも、ガロ、ロヒンギャ、チャクマと呼ばれる少数民族が、ベンガル語とは異なるそれぞれの母語を大切にしている。

 もしも、神が、共通の言語で共同作業に勤しむ人類を、もう少し寛大な心で見守っていてくれたら、世界はどうなっていただろうか?実際、世界は今、少しずつ神が恐れた方向に向かっているようだ。少数民族の間で、母語を学び続ける人々が減少し、世界の言語の半数近くが21世紀中に消失すると予想する専門家もいる。こうした傾向をどう考えればよいだろうか。

 バラバラだった様々な母語が、多数が使う共通言語に収斂し、世界がフラット化していけば、混乱が少なくなり、共同作業がしやすくなるかもしれない。とても効率的な社会だ。でも、そんな効率的な社会は、ひょっとしたら、今よりも深みや面白みに欠ける社会なのかもしれない。なぜなら、言葉は他者との意思疎通のための単なる手段以上のものだからだ。それは、言葉とは人が五感で感じる何かを表現する道具でもあり、ある言葉が失われるということは、それが表現していた何かも同時に失われてしまうことを意味するからだ。例えば、ある山間にしか咲かない花、それが醸し出す香り、その花を使った行事、そして、それを嗅覚や視覚で味わったときに沸き立つ感情など。あるいは、人々が語り継いできた物語に基づく諺や故事成語など。 言葉が失われれば、その言葉が表現していた文化、歴史、感覚も希薄化せざるを得ない。

 あるいは、国際公用語の一つである英語で「cherry blossom」と米国人に言えば、植物としての桜について話をしていることは伝わるだろう。しかし、日本人の多くが「さくら」の言葉を聴いたときに沸き立つ感情、例えば新しい旅立ちや別れに伴う想いは伝わりにくい。それは、「さくら」が咲き乱れ、そして散り行く3月・4月に卒業式、入学式、そして入社式といった人生の節目が重なっているという、アメリカとは異なる人生や文化のカレンダーがあるからに他ならない。

 効率性は大切だが、人々が、自分とは異なる他者への好奇心、数字では計り知れないものに対する畏れ、そして差異の背景にある未知の価値や物語への敬意を持ち続けることが出来れば、言語の不一致は、混乱ではなく、新しい解決策、新鮮な喜び、そしてより強固な連帯の源になるかもしれない。 


 ふと玄関のベルが鳴った。あぁ、スーザン先生がやって来る時間だ。

 クリスチャンのベンガル人である彼女とのベンガル語レッスンも、かれこれ1年と半年を越えた。話すほうは大分上達したので、今年に入ってから、ベンガル語の読み書きも始めている。アルファベットや日本語と全く異なる「記号」を言語として脳や舌、そしてペンを握る指先に刻んでいくと、自分がまるで小学生に戻ったような、新鮮な気持ちになる。自分が普段あまり使わない部分が刺激されているような、何とも「イタ気持ちいい」感覚だ。そして、ベンガル語は、バングラデシュという国、ベンガル人という人をより深く理解し、そして彼らと信頼関係を持って協働するための力を、僕に与えてくれているんだ。
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バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/22 03:06

国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その4)

 40年前の独立戦争時にパキスタン軍による拷問・強姦・虐殺等の戦争犯罪に加担したとされる野党ジャマティ・イスラム党のリーダー達への死刑判決を求める数万人の市民・学生が、ダッカの中心地、シャハバグ(Shahbagh)広場に集まり24時間体制で抗議行動を始めてから今日で14日目を迎えた。抗議行動の火付け役だった35歳のブロガー・ラジブの暗殺によりますますヒート・アップするシャハバグ広場。一方で、裁判自体を不当として、リーダー達の即時釈放を求めるジャマティ・イスラム党及びその学生団体のジャマティ・シビルは、警官隊・機動隊による弾圧でデモに参加していた同志3人が殺害されたことに対する報復として、本日、全国規模のホルタル(暴力行為を伴う政治デモ)を実施した。

 鉄パイプや手製の爆弾、火炎瓶で武装したジャマティ・イスラムのデモ隊が、シャハバグ広場になだれ込んで市民側と激突し、大規模な流血の惨事が発生するかもしれない、それが報復の連鎖を招き、バングラデシュでテロが頻発するような事態に陥るかもしれない・・・そんな緊張感に包まれた一日が、終わった。 
 
   世銀のオフィスは閉鎖され、もう何十回経験したか分からない「自宅勤務」で悶々としながら、外の様子が気になる長い一日が、終わったのだ。

 夕方5時ごろ、ニュースやインターネットで国内各所の様子が報じられた。「ジャマティによるホルタル、失敗に終わる」「散発的な衝突が発生したが、大惨事には至らず」とのヘッドラインに胸をなでおろす。心配されたホルタルの延長もなさそうだ。どうも、昨日夜にシャハバグ・ムーブメントの呼びかけ人たちが、市民に対して「ジャマティ・イスラムによる不当なホルタルを恐れてはならない。明日はいつもどおり、仕事や勉強に精を出そうじゃないか!」とのメッセージを発出したらしく、これに呼応した多くの市民が普段通り出勤。通常ホルタル時には「放火・打ちこわし」を恐れて出動しない通勤バスも、通常運行を決行。子供達の安全確保のために閉鎖される学校も、通常通り授業を実施したそうだ。「戦犯への死刑判決」を実現するために、市民や学生達の結束はますます高まっているように見える。

      Shahbagh Movement 2
 ~ジャマティ・イスラムによるホルタルをものともせずシャハバグ広場に集結し、暗殺されたブロガー・ラジブを弔う黒色旗を掲げる市民や学生(写真出展:Financial Express)~

 一方で、ホルタルに伴い、3名の尊い命がまた失われ、約40名が重軽傷を負った。東部の地方都市クミラでは、ジャマティ・イスラムのデモに参加していた学生が警官隊からの銃撃を受けて死亡、ダッカでは一名のジャマティ・サポーターが警官隊との衝突で死亡。さらに、うっかり遭遇したデモ隊による放火・打ち壊しを恐れて急発進した市バスに巻き込まれて、一人の市民が命を落とした

 また、コックス・バザール県では、心筋梗塞で倒れた60歳の男性を乗せた救急車が、バリゲードを張っていたジャマティ・イスラムのデモ隊と遭遇。救急車はデモ隊に囲まれて30分間動けなくなり、男性は救急車の中で亡くなった・・・ バングラデシュではあまりにも簡単に人が死にすぎる。こんなニュースですら、冷静に眺めてしまえる自分が、いやになる。

      Hartal_Gazipur
 ~ ダッカ近郊の町ガジプールにて、デモ隊の襲撃を受けて炎上するバス(写真出展:Daily Star)~

   Prajanma Chattar(新世代の広場) 

   バングラデシュに正義をもたらすために、何万人もの「普通の人々」が集結するシャハバグ広場に、人々はそんな新しい名前をつけた。2011年1月25日から2月11日までの間、数百万人もの市民を引き寄せ、30年にもわたったムバラク体制に終止符を打ち、そして国に民主化をもたらしたエジプトのTahrir(タハリール)スクエアと、ダッカのシャハバグ広場とをなぞらえる人も多い。

 独立戦争から42年後、2013年2月という時代にダッカで起こった今回の巨大なムーブメントは、どこに向かって歴史の扉を開くのだろうか。

 バングラデシュに吹き荒れる「戦犯に死刑を!」「ジャマティ・イスラムをつぶせ!」との“市民と若者の声”を追い風に、アワミ・リーグ率いる政権与党は、戦争犯罪を裁く国際法廷に関する法律を今日改正した。 これまで無罪判決にのみ政府が異議申立てを出来る内容であったところ、「判決が不十分である(あるいは過剰である)とみなされる場合にも政府が上告を出来る」との形で法律を改正したのだ。そして、法律改正に要した時間は何とわずか1週間程度。一院制の議会300議席のうち与党アワミ・リーグが230議席を確保し、また野党第一党BNPが審議をボイコットをしている現状のバングラデシュの議会では、政府がその気になれば、どのような法案もスピーディに可決することが出来る。

 これで現政権が「市民や若者の声に応えて」、ジャマティ・イスラムの指導者の一人Abdul Kader Mollah(アブドゥル・カデール・モラ)に対して2月5日に下った「終身刑」の判決を不服として、「死刑判決」を求めて上告する手はずが整った訳だ。判事の人事にも政府の影響力が及んでいることを考えれば、このまま行くと、ジャマティの指導者達は、「市民の声によって」めでたく全員つるし首になるだろう。

 Shahbagh6
 ~シャハバグ広場に掲げられた“吊るしクビの刑”に処せられたジャマティ・イスラム党のリーダーの人形~

 さらにハシナ首相は「ジャマティ・イスラムは民主主義を信じておらず、テロリズムを信奉している。そのような集団はバングラデシュで政治活動をする資格はありません」と名言。法務大臣も「選挙管理委員会は、現在の憲法の規定にのっとって、今すぐにでもジャマティ・イスラムの政党届出を取り消しに出来るはずだ」と総理の発言に呼応した。

 しかし、本当に、本当にこのまま突っ走って大丈夫なのだろうか?
 
 40年前の独立戦争における筆舌し難い戦争犯罪に加担したベンガル人を、ベンガル人が、「国際犯罪法廷(International Criminal Tribunal」 の正当な手続き則して裁くことは、正しいことだと思う。また、これまでアワミ・リーグとBNPという二大政党間の非生産的な政争に飽き飽きとしながらも、第三の局を作り出そうという、例えばユヌス博士のムーブメントには冷ややかだった大勢の「普通のベンガル人」たち、特に若者達が、正義の実現のために、リスクをとって自ら立ち上がる姿には胸打たれるものがある。シャハバグ広場にこだまする地鳴りのような「ジョーイ・バングラ!(バングラデシュに勝利を!)」の声と人々の熱気には、言葉も不自由な外国人である僕ですら、鳥肌が立つような高揚感を覚えた。  

  Shahbagh2
 ~ シャハバグ広場の地面に並べたキャンドルで描いたバングラデシュの国旗を囲み「ジョーイ・バングラ!!」を連呼する市民~

 しかし、市民や若者達の純粋な思いが、政治的に利用されている可能性は無いだろうか?

 現与党にしてみれば、今は、市民や若者達の声を追い風に、政敵であるジャマティ・イスラム党を徹底的につぶすことの出来る好機なのかもしれない。何しろ、バングラデシュは来年の年明けに選挙を予定しているのだから。インフラ整備の遅れや物価の上昇等、失点が続いている現与党・政府にとっては、「戦犯への死刑判決」は世論の支持を回復する絶好の機会だ。しかし、前回の記事で詳述したとおり、ジャマティ・イスラムは弱小・少数派政党では決して無い。バングラデシュの経済界から農村までしっかりと根を張り、豊富な資金力、政治力、組織力、そして海外のイスラム系ネットワークとの濃密なつながりをもつ大きな政治集団なのだ

 こうした政治集団を、「戦犯問題」をもって追い詰めてその指導者を処刑し、政党の活動さえも禁止するようなことをすれば、彼らを、少なくとも彼らの一部を、本当のテロリスト集団に変えてしまうかもしれない。一般的に多数派による糾弾によって、社会から疎外された人々は自暴自棄になり、またその結束力は極めて強いものとなる。そうすれば、バングラデシュの最大の強みであり、魅力であったベンガル人としての一体感は損なわれ、社会に亀裂が走ってしまう。バングラデシュの豊かな社会資本も傷つくだろう。
 
 Shahbagh5
 ~シャハバグ広場に設けられた公衆便所。それぞれの個室の前には、ジャマティ・イスラム党のリーダーの名前が書かれている。文字通り“クソ食らえ!”ということなのだろうか…~

 ここで不穏なのは、ジャマティ・イスラムが中東のイスラム勢力との強固なネットワークを持っていることだ。追い詰められた彼らを支援する名目で、より過激なイスラム勢力がバングラデシュの国土に直接あるいは間接的に介入を始めるかもしれない。こうした動きは、ジャマティ・イスラムを追い詰めれば追い詰めるほど、盛んになるだろう。そうなると、モスクや市場など、人が集まりやすい場所でのテロの脅威に日々怯えなければならないという、多くのイスラム国家で見られる日常とは無縁だったバングラデシュが、そうした脅威と背中合わせとなる悪夢のような日が来てしまうかもしれない。  

 
 バングラデシュには、汚職やインフラ整備の遅れ等、様々な問題がある。でも、そんな問題を跳ね除けて前進していけるくらいの強靭さがこの国にはある。僕はこの1年半、100箇所以上の村々を現地の人々と同じ交通手段を使って回り、政府やビジネス界の人々と密な会話をし、そして街や市場を自分の足で歩きながら、そう確信してきた。そして、その確信の根っこは、ベンガル人のベンガル人としての、一体感と、それが作り出す豊かな社会資本、つまり、国民国家としての強い基盤がある。
 
 そんな確信が、今、揺らぎつつある。「戦犯問題」というパンドラの箱は、ベンガル人の高揚感を間違えなく高めるが、扱いを間違えれば、ベンガル人を「我々」と「やつら」に引き裂いてしまいかねない危険なテーマなのだ

 今、大好きなバングラデシュの将来が、本当に、本当に、心配だ。

 そして、こんなとき、外国人である自分には何が出来るか、何をすべきか、何をすべきで無いか・・・思案に暮れているだけの自分に隔靴掻痒たる思いを持たずにはいられない。

(本シリーズ、取り敢えず終わります。また状況が変わり次第、随時アップデートをします)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/18 23:20

国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その3)

 バングラデシュでは今、独立戦争の間、パキスタン軍による虐殺や強姦に手を貸したとする「戦犯」への死刑判決を求める一体感と高揚感が市民や学生たちを支配する一方で、「戦犯」問題をめぐる不当な裁判を即刻停止し、拘束された指導者を即時解放するよう求めるジャマティ・イスラム党及びその学生団体が暴力的な示威行動を繰り返し、緊張感が高まっている。

 Shahbagh4
~ジャマティ・イスラムの指導者を「ラザカー(裏切り者)」として死刑を求めるポスター。ダッカ市内のいたるところに張り出されている~
 
 昨日(2月16日土曜日)朝、ダッカ市の中心Shahbagh(シャハバグ)交差点で座り込みを続けていた市民や学生の間に衝撃が走った。今回の大規模抗議プログラムの呼びかけ人の一人であるブロガー、Ahmed Rajib Haidar(アハマド・ラジブ・ハイダー)がダッカ市ミルプール地区の自宅近くで、何者かにナイフでめった刺しにされて殺害されたのだ!ラジブは、現与党アワミリーグや野党BNP等、いずれの政党にも属しておらず、ただ純粋に、この国に正義がもたらされることを願って、この巨大なムーブメントを引っ張ってきた人物だったという。35歳。僕と同じ年齢だ。

 土曜日午後には、怒りと悲しみに満ちた市民と学生が、大挙してシャハバグ交差点に殺到。独立戦争で緑の大地に流されたベンガル人の赤い血潮を表したバングラデシュの国旗に包まれたラジブの棺が夕方にシャハバグに持ち込まれ、集まった数千人の市民や学生が、同志の遺体を囲んで、ともに国家を歌い、そして涙を流しながら、叫んだ。

 「ラジブの死を無駄にするな!ジョーイ・バングラ!!(バングラデシュに勝利を!!)」
 「無法者に報いを!ラザカー(裏切り者)に死を!!
 「我々の要求が実現するまで、正義がもたらされるまで、徹底抗議を続けよう!誰も我々の声を止めることは出来ない!」
 「無法者のジャマティ・イスラム党とジャマティ・シビルをつぶせ!

     Shahbagh Movement 
    ~シャハバグ・ムーブメントの火付け役だったブロガー、アハマド・ラジブ・ハイダーの死を悼み、両手を挙げて追悼するシャハバグ広場の市民と学生(写真出展:Financial Express)。~

 一方で、指導者の多くが逮捕・拘束され、いまやその政治活動自体が禁止されつつある野党ジャマティ・イスラム党の支持者、そして主要大学に拠点をおく学生団体、“ジャマティ・シビル”も、その抗議行動を過激化させている。世界最長のビーチで知られるバングラデシュ有数の観光地、コックス・バザールでは、金曜日(2月15日)デモ行進を展開していたジャマティ側と警官隊・機動隊が衝突。レンガ、火炎瓶、銃弾が飛び交い、デモに参加していた3人の学生、そして巻き添えになった1人の通行人が死亡した。ダッカ市内でも衝突が発生、二人が死亡

 そして、警官隊・機動隊により仲間の命を奪われたジャマティ・イスラム党と学生団体は、明日2月18日月曜日に、全国規模のホルタル(暴力行為を伴う大規模政治デモ)の実施を宣告した。戦犯への死刑宣告を求めるシャハバグのムーブメント開始以来初めての野党によるホルタルが、一体如何なる事態をもたらすのか、予測はまったく不可能だ。ブロガー・ラジブの暗殺により頭に血が上っているシャハバグ広場に集う市民・学生と、行き場を失い自暴自棄になりかかっているジャマティ・イスラムの支持者が衝突したら何が起こるだろうか。バングラデシュの緊張感は、今、臨界点に達しようとしている。


 ここで、少しステップ・バックして、一連の騒動の背景にある、複雑なバングラデシュの政治力学に光を当ててみたい。

 そもそも、40年前の独立戦争時における「人道に対する罪」を問う裁判が、何故このタイミングで行われているのだろうか?過去40年間、ラザカー(裏切り者)の汚名を着せられたジャマティ・イスラムの指導者たちは、ナチスの幹部のように海外に亡命でもしていたのだろうか?それとも、国内で息を潜めていたのだろうか?

 まったく違う。

 それどころかジャマティ・イスラム党は過去長い間、政権与党だったのだ!2001年から2006年の間、BNP(Bangladesh Nationalist Party)の連立相手として政権与党の一翼を担い、2名の閣僚まで出していた。2009年にアワミ・リーグが政権を奪還し、BNPが野に下った後も、BNPとジャマティ・イスラム党とは野党連合を形成し、声をひとつにして、選挙時に中立的な暫定内閣設置を義務付ける憲法の条項復活などを求めてきたのだ。

 さらに奇妙なことに、今回、「戦犯問題」のパンドラの箱を開け、ジャマティ・イスラムの指導者逮捕に踏み切った現在の政権与党アワミ・リーグ自身が、なんと1996年から2000年までの間、連立のパートナーとしてジャマティ・イスラム党を政権に迎え入れている

 前回の記事で触れたとおり、ジャマティ・イスラムは1971年の独立戦争以前から当時の東パキスタン(現在のバングラデシュ)で政治活動を展開していた。その指導者の多くはイスラムの宗教指導者でもあり、パキスタン側、さらにはトルコや中東のムスリム・ネットワークと強いつながりを持っている。例えば今回、ジャマティ・イスラムのリーダーが「戦犯」として逮捕された際、なぜかトルコの大統領からバングラデシュのハシナ首相向けに「寛大な処置をお願いしたい」と依頼する書簡が届けられている。これはジャマティが中東各国と強い結びつきをもっていることを示唆する出来事だ。

 加えて、ジャマティ・イスラム党には強固な経済基盤がある。例えばバングラデシュの主要金融機関のひとつ、イスラミック・バンク、主要医療機関のイスラミック・メディカル、その他数多くの縫製工場主やジュート工場主は古くからのジャマティ・イスラム党の指導者や支持者が経営している。

 そしてジャマティ・イスラム党の最大の武器は、その強固な組織力、特に学生の動員力だ。ダッカ大学政治学部の学生達が独自に実施したアンケート調査の結果によると、ダッカ大学の学生の約15%、バングラデシュ工科大学(BUET) の学生の約20%、チッタゴン大学の学生の約半数、シレット大学の学生の約30%、そしてラッシャヒ大学にいたっては学生の約85%が、ジャマティ・イスラム党の学生組織であるジャマティ・シビルのメンバーだという。これは実に不思議な現象だ。何故、商店の打ち壊し、バスや自動車の破壊・放火といった暴力行為を繰り返すジャマティ・イスラム党がこれ程の数の大学生達を惹きつけるのだろうか?

 Jammati Shibir
 ~ダッカ市内のカウラン・バザール付近で、警官隊・機動隊に向けて投石をするジャマティ・シビールの若者たち~


 ひとつのヒントは、上記大学は全て主要な国立大学ということだ。

 つまり学費が安く、農村出身の貧しい学生が入学しやすい。
 そして、ジャマティ・イスラム党はその豊富な資金力を動員して、田舎から都会の大学に出てきたばかりの貧乏学生に、寄宿舎や食事をほぼ無償で提供したり、様々なカウンセリングを実施したり、とにかく面倒見が良い。さらに、ジャマティ・シビルのメンバーで特に大学で優秀な成績を収めた学生は、海外留学の資金まで出してもらえるという(無論、留学先はマレーシアあるいは中東のイスラム国家だが)。また、バングラデシュには、通常の小中高と平行して、「マドラサ」と呼ばれるイスラム系宗教学校があり、正規のカリキュラムとして認められている。そしてイスラム宗教指導者がリーダーであるジャマティ・イスラムは、「マドラサ」にも強い影響力を持っている。

 こうした背景は、ニュースや報道など、表に出てくる情報だけでは決してキャッチできない。当地の大学生や若手教授陣、ビジネスマン等とのネットワークを保ち、彼らと密に話をすることを通じて見えてくるものだ。そして、バングラデシュの政治・経済・社会に織り込まれた目に見えない“生態系”がある程度つかめてくると、なぜ、少なからぬ大学生が、ジャマティ・イスラム党の学生団体であるジャマティ・シビルに積極的に参加するのかが見えてくる。そして、こうした学生たちは、いざ政党側から動員がかかると、携帯電話やショート・メッセージで連絡を取り合って瞬く間に大人数となり、結束して「行動」するのだ。 

 要するに、今回、シャハバグに集結した市民や学生から非難の集中砲火を浴び、「つぶせ!」とまで言われているジャマティ・イスラム党は、決して小さく弱いマイノリティではなく、むしろ強固な政治力、経済力、そして組織力を持つ、政治集団なのだ。

 そして、ここで前述のクエスチョンを再度考えてみる。何故40年前の戦犯問題が、ここにきて、やおら脚光を浴びているのだろうか?何故、彼らは「今」逮捕され、裁判にかけられているのだろうか。

 答えは一見シンプルだ。

 すなわち、現与党アワミ・リーグが2009年の総選挙の際、そのマニフェストに「我々が政権を取った暁には、独立戦争時のパキスタン軍による蛮行に加担した戦犯に、法の下でしっかり裁きを受けさせます」と書き込み、選挙公約としたからだ。

 では、何故、そんなことをマニフェストに書いたのだろうか?

 無論、「正義のため」との答えが返ってくるだろう。でも、思い出してほしい。アワミ・リーグは人道に対する罪を犯した「戦犯」達が率いるジャマティ・イスラム党と1996年から2000年までの間、連立政権を組んでいたことを。そしてその後、ジャマティ・イスラム党は、アワミ・リーグの宿敵、BNPと連立を組んで、アワミを政権から追い落としたことを。

 建国以来の高揚感と一体感、そして緊張感に満ちているバングラデシュ。しかし、ヒートアップするソーシャル・ムーブメントや世論の背後に、国民を結束させる正義に名を借りた政治的扇動の臭いが漂っていると感じるのは、僕だけだろうか?(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/17 23:43

国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その2)

 独立以来最高潮に達しているバングラデシュの高揚感、一体感、そして緊張感の背景には、「戦犯問題」という名のパンドラの箱がある。そして、この問題を理解するには、今から40年前、1971年のパキスタンとの独立戦争時にまで時計の針を戻さなければならない。
   Shahbagh10
 ~ダッカ市の中心部、シャハバグ広場を埋め尽くし、座り込みの抗議行動を続ける人々。2月6日に始まった抗議プログラムは今日で10日目を迎えたが、収まるどころか、勢いを増しているように見える~

 当時、東パキスタンとして、遠くインドを隔てた西パキスタンの管轄下にあり、母国ベンガル語すら奪われようとしていたベンガル人は、言語の自由、そして独立を勝ち取るべく蜂起した。戦闘は1971年3月26日、初代大統領となるボンゴ・ボンドゥ(ベンガルの友の意味)ムジウル・ラーマン(現ハシナ首相の父)によるバングラデシュ建国を宣言する演説で火蓋が切られ、12月16日にインドの支援も受けたバングラデシュ側の勝利に終わった。なお、バングラデシュでは2月21日は、ベンガル語を守るためにパキスタン軍に立ち向かい銃殺された学生たちを悼む「International Mother Language Day」として、3月26日は「Independent Day」として、そして12月16日は「Victory Day」として、それぞれ国民の祝日とされている。

   Shahbagh13
 ~人々が抗議プログラムを続けるShabagh交差点に掲げられたボンゴ・ボンドゥの演説と、パキスタン軍の蛮行を描いたパネル~

 民族の命運をかけた9ヶ月にわたる凄惨な戦闘を勝利に導いたのは「ムクティ・バヒニ(ベンガル語で“フリーダム・ファイター”の意味)」と呼ばれる義勇軍だった。今でも、有力な政治家や外交官、そして実業家には「ムクティ・バヒニ」が多い(事実はよく分からないが、そう名乗る人が多い)。
 
 一方、独立戦争を通じて「ラザカー」の汚名を着ることになった者もいた。ラザカーとは、もともと「志願兵」を意味するウルドゥ語(パキスタンの公用語)であり、独立戦争後にベンガル語で「裏切り者」を意味する言葉となった

 「ラザカー」は独立戦争中、バングラデシュにおいて「志願兵」としてパキスタン側に加担し、様々な情報をパキスタン軍に与えたほか、独立戦争末期には、敗戦の色を濃くしたパキスタン軍が独立後のバングラデシュの再建を遅らせるためになした蛮行の数々、即ち、知識人を捕らえ次々と虐殺した事件、あるいは村々の無辜の民を殺し、多くの女性たちを陵辱した事件、これらに加担していたとされる。
    
   知識人の慰霊碑
 ~ダッカ市の南部、ブリコンガ川のほとりにたたずむ虐殺された知識人の慰霊碑。独立戦争末期、パキスタン軍によってこの場所に連行されたベンガルの知識人は一斉に射殺され、その遺体は無造作に川に投げ込まれた。~

 そして、「ラザカー」を指揮していたのが、イスラム教色の濃い政治グループ「バングラデシュ・ジャマティ・イスラム党(Bangladesh Jamaat-e-Islami)」だった。バングラデシュの中では比較的厳格にイスラムの教えを実践し、政治とイスラム教の融合を思想信条とするジャマティ・イスラム党は、独立戦争前から、ベンガル人のパキスタンからの独立に懐疑的で、「統合されたイスラム国家としての東西一つのパキスタンの維持」を支持する立場をとっていた。歴史に「If」はないが、もし、「ラザカー(志願兵)」の支援を受けたパキスタン軍が、ベンガル人フリーダム・ファイターズを駆逐して勝利し、「統合されたイスラム国家としての東西一つのパキスタン」が維持されていたら、彼らはその後、東パキスタン(現在のバングラデシュ)における支配階級になったかもしれない。しかし、歴史は彼らに「ラザカー(裏切り者)」という生涯拭い去れることの無い十字架を背負わせたのだった。

  Shahbagh8
  ~シャハバグの目抜き通りに掲げられた「ラザカーを吊るし首に!」と訴えるポスター~

 多くの同胞の血が流れ、途方も無い苦しみを乗り越えた末に、ベンガル人は「バングラデシュ(ベンガル人の国の意味)」という名の国民国家を立ち上げた。ちなみに、バングラデシュの国旗は日の丸に似ているが、そのデザインは、緑豊かなベンガルの大地が、独立戦争で流された赤い血で染まっている様子を表している。
  Shahbagh11
 ~Shabaghの目抜き通りで国旗を売り歩く人。緑と赤はベンガルの色であり、その国旗は独立戦争勝利、ベンガル民族統合の象徴だ~
 
 こうした独立戦争をめぐる物語の主人公だった当時二十代の若者たちは、今日、60歳前後となってバングラデシュの社会・経済・政治で中心的な役割を担っている。つまり、独立戦争をめぐる様々な逸話やストーリーは、バングラデシュの現役世代の多くが、直接目にした出来事、聞いた音や声、感じた匂い、そして感情の動き等をはっきりと思い出せる時代の話なのだ。


 時計の針を2012年1月11日まで戻す。 

    この日、ダッカで90歳の老人が逮捕された。老人の名はGhulam Azam(グラム・アザム)。独立戦争勃発直前から2000年まで40年間、上記ジャマティ・イスラム党をリーダーとして率いてきた政治家であり、イスラム聖職者だ。長老のグラム・アザムの他、現役のリーダーであるAbdul Kader Mollah(アブドゥル・カデール・モラ)他、約10名のジャマティ・イスラム党の指導者層も次々と逮捕された。彼らは、40年前の独立戦争における人道に対する罪-殺人・強盗・強姦・集団虐殺-により、法の裁きを受けることとなったのだ。

   そして2013年2月5日、バングラデシュの全国民が注目する中、ジャマティ・イスラム党の現在の指導者、アブドゥル・カデール・モラに下った判決は、有罪、そして「無期懲役」の刑罰だった。

 「死刑じゃないのか!?」
 「納得がいかない!」
 「死刑判決が下るまで、皆でともに徹底抗議をしよう!」
 「バングラデシュに正義を!ラザカーに死を!!」 

 最初に声を上げたのは、Blogger & Online Activiest Networkに参加する若者達だった。ダッカのシャハバグ広場に陣取った彼らの様子や声は、ブログ、フェイスブック、各種のインターネット掲示板、携帯電話のショート・メッセージ等を通じて瞬く間に国民、特に大学生の間に浸透。以後、日を追うごとに、シャハバグ広場に集う人の数は激増を続け、数万人の規模に達したことは前回の記事で述べた。10日間連続で抗議プログラムが続くシャハバグ広場には、ステージが幾つも立てられ、人々がそれぞれの思いを歌や劇、演説で発信している。大量の国旗がはためく人の海の中で、ここぞとばかり儲けてやろうという商魂逞しい人々が道脇に様々な出店を出し、会場はさながら、お祭りのような様相を呈している。

Shahbagh12
~シャハバグ広場のあちこちの地面に花で描かれたバングラデシュの国土。こうした模様をつくるための花を売る出店も道脇には多く見られる。~

 一方、多くのリーダーを失ったジャマティ・イスラム党の党員達、そしてダッカ大学、チッタゴン大学、ラッシャヒ大学等、主要大学に拠点を持つジャマティ・イスラム学生連合は、一連の逮捕・拘留、そして裁判は不当として、指導者全員の即刻無罪放免を求めてホルタルや抗議デモを断続的に実施。その激しさがエスカレートしていることは、前回の記事で紹介したとおりだ。

 これがバングラデシュで現在進行中の騒動の大まかな背景だ。しかし、数々の疑問が浮かんでくる。そもそも、なぜ「今」このような騒動が発生しているのだろうか?「戦犯問題」は過去40年、棚晒しにされてきたのだろうか?何故、現与党は突然ジャマティ・イスラム党のリーダー達の逮捕に踏み切ったのか?

 こうした疑問に光を当てることで、この問題が持つ複雑さと、バングラデシュが抱える政治の問題、そしてバングラデシュが今後国を前に進めていく上で抱え得る大きなリスクが浮かび上がってくる(続く)。
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/15 16:15

国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その1)

 バングラデシュは今、独立以来、最高の高揚感と一体感、そして緊張感に包まれている。 

 シャハバグ(Shahbagh)

 そこは東京渋谷のハチ公前交差点、あるいは新宿駅前の靖国通りのような、ダッカ市中心部の目抜き通りだ。高級ホテル、様々な企業の本社、そしてメディアのビルが立ち並びダッカ大学まで程近いシャハバグの目抜き通りと交差点が、人の海に姿を変えた。2月5日(火曜日)に当初数十人の規模で始まった座り込みによる抗議行動は、日を追うごとにその人数を爆発的に増し続け、バングラデシュの春節にあたる2月13日の段階で数万人の規模に達した。10日目を迎えた今日もその勢いはとどまるところを知らない。

   Shahbagh3
 ~シャハバグの交差点に掲げられた巨大な国旗の下に集い、ともに声を上げる人々。現場は異様な高揚感と一体感が支配している~

 巨大なバングラデシュ国旗が掲げれたシャハバグの交差点に集まった老若男女は、手に手にバングラデシュの国旗を持ち、肩を組んでともに国歌を歌い、日が暮れると数え切れない蝋燭に火を灯し、路面に花びらでつくったバングラデシュの国土のモチーフを囲み、そしてシュプレッヒ・コールをあげる。

 「バングラデシュに勝利を!ラザカーに死を!」

    Shahbagh1
 ~バングラデシュの国土を象ったキャンドル・ライト。中央には緑と赤のバングラデシュの国旗が立てられている~

 そんなシャハバグを包み込んだ巨大な人の海を掻き分けて歩いていく僕の目には、父母に胸に抱かれた、あるいは手を引かれた可愛らしい子供たちの姿も多く飛び込んでくる。そして、拡声器から幼い声が広場に響き渡った。

 「ラザカーに死を!バングラデシュに正義を!」

 見上げると、5歳ぐらいの女の子がステージに立って物々しいスローガンを唱えている。それに続いて数千の拳が一度に空に掲げられる。町全体にこだまする人々の叫びは雷鳴のようだ。

   Shahbagh2
 ~ 老人から幼い子供まで、男も女も、鉢巻をし、国旗をかざしてシュプレッヒ・コールをあげる ~

 そんな巨大な抗議行動を新聞・テレビは連日のようにトップ・ニュースで繰り返し伝えている。「これほどの数の市民がともに声を上げるのは、バングラデシュ独立以来初めてのことです!」とのコメントとともに。


 一方で、2月に入ってからホルタルが頻発している。ホルタルは英語で「シャット・ダウン」と訳される。つまり野党系の政治グループが、凶器を手にしたデモ行進を展開し、町をシャット・ダウンするのだ。うっかりデモ隊と遭遇したバスや乗用車は火炎瓶と投石の格好の餌食となる。そんなデモ隊が警官隊・機動隊と衝突すれば、催涙弾や小型爆弾の投げ合いの結果、しばしば双方に死傷者が出る。もっとも、ホルタルは実施数日前に野党から宣告が出されるために、一般の市民や外国人は、こうした危険を多くの場合避けることが出来る。世銀や国連等、国際機関の事務所や多くの企業、学校は閉鎖され、職員には自宅待機例が出されるのだから。

 Hartal Photos
~ホルタル実施中のダッカ市内の様子(写真出展:Independent, Financial Express, New Age)。毎回暴徒と警官隊・機動隊との衝突が起こる危険な地域は、ダッカ市北部ではMirpur、南部ではJatra Bari, Mobh bazar, そして野党BNPの本部があるNaya Paltan, Motijheel,Kamalpurlといった地域だ。ホルタル実施日、及びその前日夜にはこうした地域には絶対に近寄らないほうがよい~

 しかし、ここに来て発生している異常事態は、ホルタル実施の号令がかかっていないにもかかわらず、武装したグループが暴力的な示威行動を展開、ダッカ、ラッシャヒ、チッタゴン、クミラ等、バングラデシュの主要都市のあちこちで火の手が上がっていることだ。ダッカ大学では学生グループ同士の衝突が手作り手投げ弾の投げあいに発展、一昨日(2月12日)にはダッカ市の中心部、カウラン・バザールで通行中のバスや自動車が、武装したデモ隊に突然の襲撃を受けた。
 
 武装したデモ隊は野党ジャワティー・イスラムを支援するグループとその学生組織だ。彼らは「ラザカー」として拘束され裁判にかけられているリーダーの無罪放免を求めて政府への徹底抗戦を呼びかけている。

 そして、昨日はついに、世銀ダッカ・オフィスのメイン・ゲートのすぐ傍で、デモ隊による警官隊への発砲が発生。僕も含め職員は全員最上階に避難を命じられ階段の安全扉が閉められるなど、オフィスは一時騒然とした雰囲気になった。

 「ホルタルでもないのに、こんな物々しい雰囲気が町全体が包まれるなんて、独立戦争以来、初めてのことだ…一体どうなっているんだ…」

 世銀ダッカ事務所勤続30年の大ベテランの同僚がつぶやいた。日本や海外のメディアはこうした事態を全くと言っていいほど殆ど伝えていない。何しろ、背景があまりに込み入っている。一体、今、バングラデシュで、何が起こっているのか?

 そう、今月に入って、バングラデシュで「戦犯問題」という名のパンドラの箱が空いたのだ。

 そしてこの問題は、国民国家という名の人間集団が、何によって結びつき、何によって引き裂かれるのかを極めて鮮烈な形で示す、生々しくて強烈で、そして悲しい物語なのだ(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/14 23:03
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