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この国のセーフティ・ネットは誰が担うのか?(その5)

 草の根の人々の創意工夫と相互扶助が織り成すセーフティ・ネットは、バングラデシュの津々浦々に数多く存在する。同時に、こうしたセーフティ・ネットではカバーしきれないリスクも大きい。そしてリスクを回避する、あるいはリスクを乗り越えるのに十分な資産をもたない人々の数も多い。

 社会の有り様も変わる。前回までの記事で紹介してきた物語が「古きよき時代の美談」として人々の記憶の片隅に追いやられてしまう時代は、既に目前にまで来ているかもしれない。農村からダッカをはじめとする大都市への人口流入、伝統的な拡大家族の減少は、相互扶助のセーフティ・ネットを提供しあう基盤となってきた社会資本をすり減らす。一方、都市化の進展を食い止めるのは重力に逆らう所業に等しい。何といっても、より良い教育・雇用の機会は都市にある。家族と離れ離れになっても、お隣さんが知らない者同士になっても、人々は都市に吸い寄せられていく。

   Dhaka City
 ~ダッカ市の南部を流れるブリコンガ川に展開するダッカの玄関口ショドルガット港を臨む。農村部から都市部への人口流入は毎年30万~40万人と言われている~

 気候変動も暗い影を落とす。サイクロン、洪水、旱魃、寒波などにより、コミュニティ全体が一度に危機に陥るリスクはかつて無く高まっている。溶け出したヒマラヤの氷土によって水嵩を増した河川は、岸辺を削り取り、農地を飲み込んでいく。

  Chor Secenary
 ~雨季は漁で、乾季は田畑で日々の生活の糧を得るチョール(中洲)で暮らす人々。彼らは気候変動の影響を最も敏感に肌身で感じている~

 人々を取り巻くリスクが変質・拡大し、相互扶助を生み出す社会資本が減少していく中、政府職員が起業家精神を発揮して柔軟で強固な網を創り上げ、面的に提供する責任と機会は大きい。そして豊富な資金と知恵により途上国政府のパートナーとなる世界銀行をはじめとする国際機関の責任と機会も、また大きい。草の根の相互扶助と創意工夫が生み出す私的セーフティ・ネットの存在は、政府による公的セーフティ・ネット整備の不作為を正当化するものでは決して無いのだ


 現時点でも、バングラデシュには政府が提供する年金や障がい者手当て、失業給付などのセーフティ・ネット・プログラムがない訳ではない。2011年度政府予算を見ると、対GDP比で1.6%にあたる年間約1,150億タカ(一タカ=一円)にのぼる金額が公的ソーシャル・セーフティネットに関する政策に使われている(出展:PPRC-UNDP Research“Sociala Safety Nets in Bangladesh - Ground Realities and Policy Challenges”)。
 
 例えば、独立直後から国際社会の支援も得ながら実施している「サイクロン・洪水被災者向け食料給付プログラム」、貧困率の高い地域の女性への雇用提供と小規模インフラ整備の両立を図る「Food for Workプログラム」、低所得家庭の女子の中学校就学率向上を目指す「条件付現金給付プログラム(女子生徒の出席率に合わせて現金が各家庭に付与される)」等、全国規模で実施されているセーフティ・ネット・プロジェクトの数は多い。また、国家公務員には年金が支給されるほか、一般向けの老齢手当制度もある。月々の支給額は300タカ、給付者数も225万人と心もとないが、総額ベースで見ると給付分だけで年間81億タカに上る

 こうしたプログラムがリスクに直面した人々の生活再建の助けとなってきたのは事実だろうし、世銀も支援をした女子の中学校就学率向上プログラムについては、イスラム教徒が人口の殆どを占めるバングラデシュにおいて、女子の中学校就学率が男子を上回るなどの成果も出ている

 もちろん、課題も多い。対象とすべき貧困層や寡婦、高齢者、障がい者などに食料や資金が届かない。そもそも、ターゲットをうまく絞り込めず“バラマキ”プログラムとなってしまう。農道を整備する仕事への従事と引き換えに米と麦が支給される「Food for Workプログラム」では、対象となる貧困女性の手に渡るべき米が市場で売られて、麦も貧弱な保存状況のために質の劣化が著しいといった問題が発生。こうした問題発生を随時把握するためのモニタリング・メカニズムも効果的に機能してるとは言い難い。

 真に助けを必要としている人に照準を合わせ、そうした人々の手に必要なリソースを確実・効率的に届け(あるいは、そうでない人の手に誤って渡らないようにし)、そして彼らが自らリスクをコントロールし生活水準を高めていく力を持続的に高めていけるような制度の構築・実施は実に難しい。日本でも、例えば生活保護制度については、モラル・ハザードや不正受給が問題視される一方で、本来なら受給資格がある多くの人々がセーフティ・ネットの外に置かれている、あるいは受給の手続きが煩雑すぎる、などの欠陥が指摘されている。

 バングラデシュでは、例えば生年月日を知らない人が大勢居る(この物語に登場したドライバーのシラージさんもその一人だ)。また日本の市町村にあたる基礎自治体であるユニオンには、議会は存在するが、議会が決めたことを実行に移すための職員は、議長のSecretary(書記官)たった一人。ユニオンの平均人口は3万人の上るにもかかわらずだ。そして、地方自治体の体制や政府機関における情報システムの未整備である一方で、殆どあらゆる事柄が中央の縦割り官庁で決められる。こうしたコンテキストで、効果的、効率的、持続的でターゲットが絞られたセーフティ・ネット・プログラムのデザインと実施は途轍もなく困難だ。

  Union Parishad
~ 全国に4,504あるユニオン(基礎自治体)の庁舎。ユニオン・パリシャド(ユニオン評議会)の議場、ユニオン・チェアマン(議長)とセクレタリー(書記官)の部屋、そして一部中央省庁の出張所が合わさった合同庁舎だ。独自財源は殆ど無く、住民のニーズに沿った政策を実施できる体制からは程遠いのが現状だ ~

 しかし、途方もない困難は大きなイノベーションの源にもなる。政府や国際機関が試行錯誤を続ける中で見出した解決の糸口は、草の根のNGOと連携し、セーフティ・ネットの対象となる人々やコミュニティにプロジェクトのデザイン、実施、そしてモニタリングの権限を移すCommunity Driven Development(CDD)というアプローチだ。既に世界各国の様々なセクターで採用されているCDDだが、現在世界銀行がバングラデシュで実施しているSocial Investment Program Projectはその典型だ。

 2003年6月から2011年末まで8年間にわたって実施され、通称ニュトン・ジボン(ベンガル語で「新しい生活」の意味)と呼ばれるこのプロジェクトは、バングラデシュ政府が初めて本格的に実施したCommmunity Driven Developmentとして知られる。

 プロジェクト開始当時、特に貧困が厳しかったバングラデシュ北部のジャマルプール県とガイバンダ県において、様々なセーフティネットや公共サービスから疎外され、家族が一日三食食べることすら困難をきたしていた極貧層の女性にターゲットを絞り、彼女たち自身が、村に必要な小規模インフラの選定や、マイクロ・ファイナンス事業の担い手となることを通じて自らの生活水準を改善していく動力を与えてきたニュトン・ジボン。次回は、ニュトン・ジボンの担い手であり、また受益者でもある村の一人の女性にスポット・ライトを当てつつ、このプロジェクトが残した教訓と成果を紹介していきたい。
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/01/30 02:20

この国のセーフティ・ネットは誰が担うのか?(その4)

 朝霧に包まれたラッシャヒ県カリコルム村で僕らが訪れたのは、村の一角に居を構える図書館だった。動植物や地理についてまとめた色刷りのポスターが張り巡らされた壁に囲まれた教室のような空間に、朝早くから20名ほどの子供たちが集まって、読書をしている。大型のプロジェクターとデスク・トップ・パソコンも備え付けられており、子供たちは、生物や歴史を映像で楽しみながら学ぶことできる。教室の隣には図書館があり、様々なテーマに関する英語やベンガル語の本でいっぱいになった本棚がいくつも並んでいる。その数は約5,000冊。バングラデシュにやってきてから早1年半、数多くの村々で教育施設を目にしてきたが、これ程立派な施設は見たことが無い。

     Village Library

この図書館は、村の地主であるジャハンギール・アラム・シャーさんが私財をなげうってつくり、管理しているものだ。利用者は子供だけではない。子供の栄養に関する知識を深めたい村の母親、農作業の生産性を向上させるためのヒントを得たい農家、そして読み書きの力を身に付けたい大人たちなど、村の老若男女が日々活用している。ジャハンギールさんの本職はラッシャヒ大学の助教授。農業経済学を学生に教えつつ、授業の合間を縫って医学部付属病院の透析病棟での当直をボランティアとして引き受けている。ジャハンギールさんの好意に対して、医学部生や医師は、「カリコルム村で無料出張診療」を提供することで、“借り”を返している。図書館は、出張診療のサービスが提供される場にもなる。全て、村の人々の生活水準の向上を願うジャハンギールさんの無私の貢献によって実現しているものだ。

    village library 2

 図書館の維持管理は、そんなジャハンギールさんの熱意に打たれた村の人々のボランティアによって成り立っている。早朝あるいは午後、公立学校の授業の前後に、子供たちに英語や算数を教えている先生もボランティアだ。献身的な努力の継続で、人々に次々と伝染するボランティア精神の源となっているジャハンギール先生は、その同期について実に淡々と語ってくれた。

 「農業普及員も学校も医療も、政府の制度はあるけれど十分ではない。そして私の村にはニーズとポテンシャルがある。そして私には、そのニーズとポテンシャルと不十分な制度のギャップを埋めるリソースがある。だからやっているだけです。」

 「それに私一人でやっているんじゃない。皆が、それぞれ出来る範囲で、出来ることを一緒にやっているんです。

 そう語ってくれたところで、急にジャハンギール先生の表情がぱっと明るくなる。
 
 「そうそう、子供たちが学校での試験が上出来だったので、今日はペンをプレゼントすることになっているんです。是非、激励のメッセージとともに、子供たちにペンを渡してあげて下さい!」

 先生の掛け声で一列に整列する子供たち。「これからも一生懸命勉強頑張れ!」と声をかけながら一人ひとりにペンを渡していく。大人も子供も皆とてもいい笑顔だ。
  Village Library 3
  ~今年2年生になるタニアちゃん。後ろに立っているスーツ姿の男性がジャハンギール先生だ~


 ジャハンギール先生の図書館を後にした僕らが次に出会ったのは、「困ったときはお互い様」を持続的に成り立たせるセーフティ・ネットを自らの手で作り上げている女性たちだった。リーダーのジョシナさんはバングラデシュ最大のNGO、BRACでスタッフとして働きながら、マイクロ・ファイナンスのオペレーションについて学んだ。同時に、結構な金額がBRACの運営経費に費やされている事実にも気付く。

 「村の女性たちと一緒に、自分たちで、自分たちだけのマイクロ・クレジットの仕組みをつくることができたら、大きなNGOであれば運営経費に使われる資金も含めて、全て自分たちに還元できるのではないだろうか?」
  Village Microfinance
 ~仲間とともに自ら立ち上げたマイクロ・ファイナンス機関の帳簿を繰るジョシナさん~  
 
 2007年にスタートし、現在150人の女性たちがメンバーとなっているこの取組みは、毎月一人50タカの貯蓄を出し合ってつくった貯蓄のプールから、月利5%で資金を必要とするメンバーにお金を貸し出していく仕組みだ。2-3年に一度、会計を一旦全て締めて会員の女性たちに預金とあわせて、回収した金利分を配当してメンバーに全て還元する。会の運営は全て女性たちのボランティアで成り立っているため、運営費はかからない。運営方針や貸付の是非、解散の時期なども、全て会員の女性たちが議論を通じて決めていく。

 また、隣の村では、少数民族の女性たちが、各々定期的に家のお米を持ち寄り、家族の病気や怪我で、食費にも困る事態に陥った際に会員に融通する仕組みをつくっていた。

 両者とも仕組みはとてもシンプルだが、正に「村の女性たちの、女性たちによる、女性たちのための」手作りセーフティ・ネットの仕組みだ。



 ジャハンギールさん、ジョシマさん、そして村の人々は、こうした仕組みを創り上げ、そして持続していく上での課題や困難についても語ってくれたが、政府による公的なセーフティネットや公共サービスの不備に関する不満は、ただの一度も、誰の口からも発せられなかった。

 そんな村の人々の姿勢からは、「何かが足りないと不満を言っていても仕方が無い。自分たちが一人ひとり持っているリソースで、自分たちが出来ることをやっていこうじゃないか。インシャアラー」というメッセージが伝わってくるようだ。こうした人々の主体的な姿勢が、この国の社会資本を豊かにし、確かなセーフティ・ネットを創り上げているのだ。バングラデシュの村で出会ったこんな物語は、格差が拡大する中、既存の雇用・公的なセーフティネットの修復、再構築が急務となっている日本社会や、日本人一人ひとりのマインド・セットにも大きな示唆を与えるのではないだろうか。
    Village Scenary
 ~菜の花畑と緑の大地のコントラストが美しいバングラデシュの冬の農村風景。バングラデシュの農村は色々な意味で“豊か”だ~
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/01/28 02:26

この国のセーフティ・ネットは誰が担うのか?(その3)

 正月休みを使ってわざわざ東京からバングラデシュまで来てくれた友人とともに、北西部の地方都市、ラッシャヒを再訪した。明け方の濃霧で包まれたダッカを汽車で後にしたのが6時。6時間ほど汽車にゆられた末にたどり着いたガンジス川沿いに広がるラッシャヒは、僕がバングラデシュに来て3ヶ月程しか経っていなかった2011年の初秋に、その町で活躍する女性起業家ナシマの物語と出会った場所だ。

Bangladesh Map

 そんなラッシャヒで、僕は再び、人々が紡ぐ物語に印象付けられることになる。それは、この国の、あるいは日本のセーフティネットのあり方に示唆を与えてくれる村人たちの協働の物語だ。



 公的な医療保険や生活保護等、公的な社会保障制度が未だ整っていないこの国で、「セーフティネットは誰が担うのだろうか?」という問いに、僕を強く向き合わせたのは、運転手のシラージ・バイが病に倒れた一件だった。職場の同僚やご近所さん、そして家族の精神的・経済的支えの下で、彼が昨年7月上旬に無事大手術を終えて退院したことは、以前の記事で触れた。術後の痛みがしばらく続いたものの、昨年の11月頃より、シラージ・バイは無事仕事の復帰し、今日もダッカのジャングル・ロードの間を縫って、僕をオフィスまで送り届けてくれている。

 体の痛みが癒えた後も、引き続きシラージ・バイの一家に重くのしかかっているのが、手術と入院に伴い大家から借りた10万タカ(約10万円)の借金だ。良心的な大家さんの配慮で、無利子で借りることができているものの、月1万2,000程度の収入の殆どが一月6,000タカの家賃、一人娘のソニアの教育費、そして食費に消えてしまっており、また貯蓄もゼロの状況では、返済資金を捻出するのは難しい。

 そして、シラージ・バイの苦難は、1億5千万人のバングラデシュ国民のうち、ごく少数の超富裕層を除く殆どの人々が直面している、あるいはいつ直面してもおかしくない問題だ。日々の小さな幸せは、自らコントロールできない突然の病や事故、そして失業など(あるいはそれらが合わさって)、家計を破綻に追い込み、家族を貧困の連鎖へと巻き込んでいく。

 ラッシャヒの街で、僕をナシマの店へと誘ってくれた元青年海外協力隊員で現在ラッシャヒ大学でセーフティ・ネットの研究をしているIさんは、ご自身を今の研究テーマと向き合わせることになった悲しい事件についてこう語ってくれた。

 「私が協力隊時代に指導員として働いていたラッシャヒの女性向け職業訓練校では、ナシマのほかに、もう一人とても優秀な女性がいたのです。彼女は服飾の技術をすばやく習得していっただけでなく、豊かな経営感覚も備えており、学校から表彰をされたりしていました。そんな彼女の元に、評判を聞きつけたマイクロ・ファイナンス機関から融資の申し出が殺到したのも不思議ではありませんでした。彼女はお金を借りて初期投資をし、ビジネスに乗り出したのですが、事業が軌道に乗る前に起こったのが、夫の失業でした。理由は、旦那さんの仕事のパフォーマンスとは無関係で、勤め先のマイクロ・ファイナンス機関が、幹部による資金持ち逃げで倒産してしまった、という不運としか言い様が無い事情によります。」

 「彼女の仕事もまとまったキャッシュを生み出せるほど軌道に乗っていない。そして大黒柱であるご主人の収入は途切れてしまった。生活費を捻出するだけでも困難な状況に陥ったその家族に、マイクロ・ファイナンス機関からの返済の督促が容赦なくやってくる。返済に応じるために別なところから借金をする。その返済のために資産を手放し、土地を手放し…最後には、彼女の一家は夜逃げをしてしまったのです。今はどこでどうしているかも分からない…」

 そういえば、今は成功しているナシマの一家も、旦那さんの退職金が株価の大暴落で失われてしまったり、三女が大きな手術を要する病に倒れたりと、厳しい出来事が続いた。しかし、ナシマ一家がそうした困難を乗り切ることができたのは、事件が“たまたま”ナシマのビジネスが軌道に乗り、まとまったキャッシュが日々入るようになっていたからだったからだ。今回のラッシャヒへの旅でI坂さんと再会し、再びナシマのお店にお邪魔をした僕は、彼女が語ってくれたストーリーを思い出していた。かつて同じ学校で学んでいた二人の女性起業家の人生に待ち受けていた危機と、その不条理なまでに異なる顛末は、僕の心を強く波立たせた。


 
 危機は誰の身にも起こり得る。困ったときに頼ることのできるセーフティ・ネットさえあれば、困難を乗り切り、再び家庭を守り、子供を育て、そして社会に貢献していける可能性は格段に高まる。現在のバングラデシュが、人々の密なコミュニケーションと強い家族の絆がつくりだす豊かな社会資本に恵まれており、それがセーフティ・ネットの役割を果たしているとは言っても、その網が制度化されていない以上、人々の人生は運に大きく左右される。

 政府は世界銀行などのパートナーの力も借りながら、寡婦手当て、失業手当、老人への生活保護等の公的社会保障制度を整備・実施しつつあるが、全国津々浦々にまで公的セーフティネットの網が行き渡るには、なお時間を要する。それを待っている間にも、病や事故はわが身に降りかかるかもしれない。

 「それなら、自分たちで網を創ってしまおうではないか!」

 ラッシャヒから40キロほど離れたカリコルムという村で僕が出会ったのは、そんな思いをもって自らアクションを起こしている一人の教師、そして数十人の女性たちが、ともに汗をかき、知恵と小額の資金を出し合いながら自らセーフティ・ネットを紡いでいく物語だった。(続く)

  Rajshahi Village
   ~ ラッシャヒ県カリコルム村ののんびりとした風景。家の土壁に張り付いているこげ茶色の丸々は、牛の糞。乾かして燃料に使用するのだ ~
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/01/14 20:28

バングラデシュの冬景色

 年が明けた。しかし、ダッカに居るとその実感は湧き辛い。大晦日には一応花火が上がり、繁華街の一部ではカウント・ダウンを祝う若者たちが集うものの、明けた元旦は祝日ではない。政府も銀行も通常営業で、いまいましい交通渋滞もいつも通り。年明け早々にホッタール(暴力行為を伴う政治デモ)も実施され、早速自宅待機令が出される。東京からわざわざ訪ねて来てくれていた友人も、短い滞在期間の貴重な一日を棒に振ることになった。Facebookにアップされる興味深い動画も、「ムハンマド冒涜映画事件」以来、この国ではYoutubeにアクセスできなくなっているため、休暇中の楽しみとして活用不能。

 相変わらず何もかもが遅々として進まないバングラデシュという国、モチベーションを保つのが困難なバングラデシュという国で迎える2013年。しかし、焦燥感と不安感がない交ぜになっていた去年の年明けと比べて、僕の心は幾分スッキリとしている。ひょっとしたらこの国で過ごした時間が、僕の内面に何らかの変化をもたらしたのではないだろうか。例えば、今まで幾分足りていなかった「待つ力」、「受け入れる力」をバングラデシュが育ててくれたのかもしれない。あるいは、単に、以前よりも大分怠け者になっただけなのかもしれない。真相は時間が明らかにしてくれるだろう。今確かなのは、バングラデシュの美しい冬の風景が、僕の心をポジティブに保つ力を与えてくれているということだ。

 そう、バングラデシュにも冬がある。11月の中旬を過ぎると、それまで生暖かく湿気を含んでいた空気がパリッと引き締まってきて、雑貨屋の軒先には冬物の衣類や厚手の毛布が積まれるようになる。早朝に濃い霧が立ち込める12月上旬から、気温はぐんぐんと下がっていく。本格的な冬の到来だ。

   Winter Scenary7
 ~思わず息を呑む、バングラデシュの美しい冬の朝。これだからこの国ではカメラが手放せない~

 時には気温が10度を下回り、朝夕は吐息が白くなる。濃霧で化粧をした淡いオレンジ色の朝日の下で行き交う人々はモコモコのセーターを身にまとい、耳バンドを装着し、マフラーで首をグルグルに覆い、そして毛糸の帽子を耳の下まで深くかぶって首から上の暖を保つ。まるでスキー場に居るような格好だ。ベンガル人は寒さに弱いのだ。でも、何故か足元は裸足にサンダル履き。この人たち、本当に可笑し可愛らしい。
 
   Winter Scenary3
 ~村の学校に向かう小学生。マフラーでグルグルに包まれた子供の姿から、両親の愛情が感じられる~

 寒いのは人々だけではない。きっと牛やヤギだって震えているんだ。そんな気遣いからだろうか、村々の家畜小屋では、ぼろ布をかけてもらっている牛たちを目にする。何だか微笑ましい。

 Winter Scenary2

 ところで、バングラデシュでは冬の間まったく雨が降らない。正確に言うと、雨季が終わる9月末頃から春の嵐がやって来る4月上旬までの長い期間、ベンガル人は雨とご無沙汰することになる。大河は小川に変わり、中州と川岸がつながって陸地になり、池は干上がって茶褐色のくぼ地が姿を現す。そして例えば、こんな絵のような風景と出会うことができるのだ。
  
  Winter Scenary 1
  
 そして、バングラデシュの農村地帯の冬の風物詩といえば、何と言っても地面を覆いつくす一面の黄色い絨毯だろう。菜の花畑を子ヤギや子供達がかけていく様子は、まるで童話のワンシーンのようだ。菜種油やマスタードの原料を生み出す菜の花の香りは、バングラデシュの冬の短さを思わせる。寒い冬は僅か2ヶ月少々。そろそろ辛抱たまらないからストーブでも買おうかな、と思う頃には、冬はもうバングラデシュから去って行ってしまう。

  Winter Scenary4

 美しいバングラデシュの冬景色と出会いを楽しみながら、この1年6ヶ月を振り返ってみる。世界銀行、バングラデシュという「ダブル他流試合」を通じて自分を高め、世銀職員としてこの国に有意な貢献をし、その学びと成果を日本に持ち帰ろうと、理想を胸に気張って乗り込んだのが2011年の夏。以来、お約束の理想と現実の巨大なギャップを前に、暗中模索、五里夢中が続いた。組織としての世銀も、この国で発生した巨大な問題事案を前に立ち位置に悩む状況にあった。担当として気合を入れて計画してきた幾つものビック・イベントやプログラムが、不安定化する政情を前に、あっけなく無期延期の憂き目にあった。日本で活躍している同年代の友人達の姿に焦りを覚え、正直「もう日本に帰りたいな…」と思うことすらあった。

 こんな感じで、当初の期待とは裏腹に、胸を張って成果といえることは残念だけど今のところ何一つ無い。けれど、きっと全ては意味を持つんだろうと思う。まぁ明日もきっと渋滞が酷いだろう。今計画しているイベントも、またホッタールで無期延期になってしまうかもしれない。当面は毎日我が家で50匹ぐらいの蚊と蚊取りラケットで格闘しなきゃならんだろう(冬は蚊どもの天下なのだ)。

 思い通りにならない事ばかりが続いても、焦らず腐らず、毎日の出来事や出会いを楽しんでいこうと思う。好奇心を更新し続け、学びのアンテナをしっかり張っていこうと思う。困難な環境だからこそ、失敗を恐れず挑戦を続けていこうと思う。たとえ理想のペースでなかったとしても、前を向いて歩み続けてさえいれば、きっと全ては意味を持つのだから。そして、何といっても、これは、自分が選んだ道なのだから。

 という訳で、2013年も「バングラデシュ物語」を宜しくお願い致します。
  
   Winter Scenary6
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/01/06 18:35
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