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何故、バングラデシュで強い製薬業が育ったのだろうか?(その2)

 本来的に先進国が持つ比較優位、そして、これまで幾度となく紹介してきたバングラデシュの厳しいインフラ事情や不安定な政情にもかかわらず、何故、バングラデシュでは国内需要の約97%を満たすことのできる強い地場製薬産業が育ったのだろうか。それだけではない。バングラデシュの製薬業は先進国を含む世界約80カ国に輸出すらしているのだ。下記グラフが示すとおり輸出額は右肩上がりで2012年には約5,000万ドルに達している。洪水・貧困・汚職など負のイメージがつきまとい、“最貧国"の枕詞とともに語られがちなバングラデシュからはおよそ想像できない、こうした力強い産業力の背景には何があるのだろうか。  
Bangladesh Pharmaceutical Export Trend

  
 答えの一つはバングラデシュが薬を製造・販売する上で国際的に与えられている優遇措置だ。通常新薬の開発には膨大な研究開発コストと長い時間がかかる。従って、そうしたコストを回収できるよう、開発された新薬には特許権が付され、その有効期間中は新薬を開発した製薬会社に独占的な販売権が与えられる。そして、このルールは国内だけでなく、WTOに加盟した国同士の貿易にも適用されることになっている。(「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS: Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)。

 膨大なコストのかかる新薬開発を奨励するための特許権だが、人道的な問題もはらんでいる。例えば、新たな抗HIV薬が開発されても、適用された特許権のために価格が高止まりし、それを最も必要としている低所得国の貧困層の下には届かない。特許の有効期間が切れれば、ジェネリック薬(後発医薬品)が出回り価格は大幅に低下するものの、それを待っていれば、その間助かるかもしれなかった多くの命が、治癒の術があるにもかかわらず、失われていくことになる。また、特許の有効期間中にその新薬への耐久力を持つ新種が発生してしまうかもしれない。

 特許権の適用除外があれば、低所得国でも、開発された新薬のノウハウと自国の安価な労働力を使って、より安い価格でスピーディーに貧困層に新薬を届けることができる。

 こうした問題意識から、2001年のWTOドーハ閣僚宣言(TRIPS協定と公衆衛生に関する宣言および、その後に続く事務レベルの集中討議で、経済的動機付けと人道的な配慮のバランスを取るべく、
低所得国に限って、2006年までの間、(特許期間中に)特許料を支払うことなく、新薬を製造・販売することができる(この特例はその後2016年まで延長)
医薬品の生産能力が不十分または無い(主として低所得)国に対しては、特許料を支払うことなく新薬を輸出できる、
との合意
が得られたのだ。そして、バングラデシュは上記①の例外規定の対象である低所得国として、未だ特許の効いている新薬を、特許料を支払うことなく国内で製造・販売し、さらに、②の規定により、国外(医薬品の生産能力が不十分/無い国)に輸出できている
のだ。

 一方、1995年のWTO-TRIPS協定発行前には、開発されたばかりの新薬を特許料を支払うことなくコピーして大量製造・輸出してきたブラジル、タイ、インド等の新興国・途上国は割を食うことになる。というのは、②の規定により、特許料を支払うことなく医療品を生産できない国に対して新薬を輸出をすることはできるものの、上記①の特例を受けられないことから、製造の段階で、その薬を開発した先進国の製薬会社に対して特許料を支払わなければならないためだ。

 本来、低所得国の新薬へのアクセス改善のために合意されたWTOの特例規定が、新興国・途上国間の競争条件の差別化をもたらした訳だが、バングラデシュは低所得国でありながら、2001年の段階で既に、十分な医薬品生産能力を国内で有していた、という稀有な立場を利用して、製薬業を輸出産業へと変革することに成功したのだ。   

        Bangladesh Drug Industry 
   ~バングラデシュの製薬会社工場内の様子。Square Pharmaceuticals、Beximico各社のウェブサイトより筆者作成~

 しかし、実際、こんなことができているのは、上記WTOの特例を受けているWTO加盟の低所得国31カ国のうち、バングラデシュだけ。残りの30カ国は、国外への輸出はもちろん、国内向けの製造・販売すらおぼつかない状況だ。何故バングラデシュだけが、こんな芸当をできるのだろうか? 実際、 1971年の独立当時、バングラデシュには有力な製薬会社は皆無だった。他の低所得国同様、欧米の多国籍製薬企業が、貧困層には届かない価格で薬を販売している状況が続いていたのだ。

 転機は1982年に訪れる。その年に制定された「Drugs Control Ordinance(薬剤規正法)」は、バングラデシュ国内での薬の製造、販売、輸入、薬価の制定、薬剤師の登録等に関するルールを定めた法律であるが、その中に以下のような厳しい外資規制が盛り込まれたのだ

「バングラデシュ国内に自社の製造施設を持たない外資製薬会社は、たとえバングラデシュ企業と委託製造・販売契約を結んでいるとしても、バングラデシュ国内で販売・営業をしてはならない」
「既にバングラデシュにおいて同様の薬品が製造されている場合には、バングラデシュ国内で外国ブランドを製造してはならない」

 これにより、1970年には国内市場シェアの70%を握っていた欧米の製薬会社は次々と撤退を強いられることになる。さらにバングラデシュ政府は国内の製薬会社向けに手厚い補助金を支給。製薬会社はそうした補助金を使って最新設備の外国からの輸入や外国の技術者の受け入れ等で成長基盤を整えていったのだ。当時幼稚産業だった国内製薬業界を保護するためにとられたこうした外資規制や補助金政策により、Square Pharma等の地場製薬会社が、グローバルな競争にさらされることなく徐々に力をつけていくことができたのだ。
 
 バングラデシュ製薬業の成功の背景を考えるとき、こうした貿易・産業政策が果たした競争環境の整備の影響は無視できない。しかし、実際に産業を興し、成長させていくのはグランドでプレーをするプレーヤー、すなわち個別の企業だ。その意味で、業界をリードしてきたバングラデシュ製薬業界の経営者の鋭敏な経営判断、それを実行に移す組織力、精緻で複雑なラインに従事する作業員の力などの総合力があってこその成功と言えるだろう。

 今後も予想される、富裕層の増大、人々の所得水準の向上・・・平均寿命が68歳にまで伸び、従来の感染症から糖尿病に端を発する心疾患などの生活習慣病への対応が重視されていく中で、バングラデシュの医薬品の需要は量・種類ともに拡大していくだろう。そもそも、バングラデシュの人口が現在の約1億5千万人から2020年には2億人を突破することは国連の推計で確実視されている。 こう見ると、バングラデシュの医薬品市場は引き続き着実に拡大していように思われる。

    もちろん課題も多い。

 上記紹介した特許期間中の新薬製造・販売権を低所得国のみに付与する特例は2016年で失効する予定であり、その後も輸出競争力を維持するには、各社が今から研究開発のためのラボラトリー等の設備投資に取り組まなければならない。バングラデシュの製薬業が強いと言っても、製薬業の付加価値の要であり、従って最大のコストを要するAPI(Active Pharmaceutical Ingredients:医薬品有効成分)やその原料については、国内で7%程度しか供給できておらず、大半は輸入で賄っているのだ(出展:FInancial Express: Bangladesh Pharmaceutical Industry won't be ready to implement TRIPS by 2016)。これは、バングラデシュのリーディング・インダストリーである縫製業が、その原料である綿花や工程で不可欠のミシンの殆どを輸入に頼っている構図と似ている。縫製業であれ、製薬業であれ、バングラデシュの製造業が真に国内で付加価値を生み出していける産業となるには、富の源泉を国内で製造していく力を身につけなければならない。

 こうした課題と対処するため、現在、バングラデシュ政府はダッカ南西部37キロにあるMunshiganj県Gazaria郡に製薬業の研究開発拠点を集積するための特別工業地区、API- Industrial Parkを建設しており、今年中に完成する予定だ。また、昨年11月に二プロがバングラデシュのJMI Pharma Ltd.(現 ニプロ JMI ファーマ Ltd.)を子会社とし、バングラデシュにおける医薬品事業に進出したように、外資との提携による技術基盤の向上も、バングラデシュ製薬業の競争力強化に資するだろう。

 また、安全な医薬品へのアクセスを今後さらに高めていくためには、政府の関連規制の改革や執行力強化も喫緊の課題だ。どんなに辺鄙な村でも医薬品が手に入ると入っても、それが安全なものかは分からない。前回の記事で紹介したとおり、日本であれば医師の処方箋がなければ販売できない強い医薬品や副作用のあるものについても、「何ちゃって薬剤師」の手によって、躊躇いなく販売されてしまう。また、この記事で紹介してきた大手の製薬会社以外にも、地方の名の知れない製薬会社が地方で粗悪品を製造・販売しているという指摘もある。国内の消費者の安全確保はもちろん、先進国も含めた輸出をさらに増やしていくためにも、各国の厳しい安全規制を満たすだけの品質確保は欠かせない。

 さらに、ここ数ヶ月、薬の値段の高騰が問題になっている。バングラデシュでは政府が指定した117のEssential Drugs以外は、製薬会社が自由に薬の年段を設定できることになっているところ、過去数ヶ月で1,200種類の市販薬の価格が1.2倍から2倍に上昇した。こうした薬には、糖尿病や呼吸器疾患、潰瘍、そして高血圧などの慢性疾患への常備薬も多く含まれているため、消費者の負担は馬鹿にならない(出展:Financial Express: Scaling dow cost of pharmaceutical products)。  医薬品規制監督当局による法改正や執行力強化が急務である所以だ。


 以前2回にわたり「バングラデシュは本当に最貧国なのだろうか?」と題する記事で、バングラデシュはその人口の多さゆえに一人頭に引きなおすと年間平気所得700ドルと低所得国(最貧国)に分類されてしまうが、その実態は明らかに最貧国との枕詞とともに語るにはあまりにも不似合であること、「新・新興国」と呼ぶにふさわしい動力で過去10年、そしてこれからも発展していく可能性に満ちていることを紹介した。今回特集した製薬業の事例は、正にこうしたバングラデシュの力、レベルの高さを如実に物語るものといえるだろう。

 今後、政府、製薬会社それぞれが、上記で挙げたような課題をクリアし、製薬業が今後も持続的に成長していくことができれば、労働集約的な縫製業一辺倒から多様化・高度化の必要性が叫ばれて久しいバングラデシュの産業にとっての大きな力となる。そんなバングラデシュの製薬業界にとって、 日本医薬品・医療機器関連企業は有効なパートナー足りうるのではないだろうか。そして、日本企業にとっても、バングラデシュは大きな可能性を持つ国といえるだろう。(終わり)
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バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/17 02:50

何故、バングラデシュで強い製薬産業が育ったのだろうか?(その1)

 今年もバングラデシュに霧の季節がやってきた。濃霧に包まれる朝の空気を、軽快なベルを響かせて破っていくリキシャ引きは、厚い毛糸の帽子とセーターで身を包み(しかし足元はサンダルのままだ)、底冷えのする夜に備えるために、雑貨屋の軒先には暖かい毛布が積まれるようになる。そして、霧が晴れる頃には本格的な冬がやってくる。ダッカでも朝夕は気温が10度前後まで下がる。

 季節の変わり目は風邪を引きやすい。しかし大きな心配は要らない。バングラデシュでは殆どどんな場所でも薬が手に入る。しかもその多くは低所得層にも手が届く価格で。例えば、風邪を引いたら飲めといわれる「ナパ」という錠剤がある。ナパは熱、咳、鼻水、頭痛等、風邪の諸症状向けのいわゆる総合感冒薬で、一粒5タカ(5円)。ひどい咳が止まらなければ喉の炎症を抑えるシロップが20タカ。不幸にして酷い下痢に悩まさせた場合には、脱水症状を抑えるための“ポカリスェット”が即席で作れる粉末「テイスティ・サライン」が一袋10タカ。その他にも各種のビタミン剤、痛み止め、抗生物質までが薬局で処方箋なしで手に入る。 
  
    
   Napa & Saline
 ~バングラデシュで超定番の風邪薬「ナパ」と、下痢の時には欠かせない「テイスティ・サライン」。僕も何度もお世話になっている~

 これは首都ダッカや地方の都市部に限った話では決してない。バングラデシュにやってきて早1年5ヶ月、仕事で、あるいは個人的に訪れた村(union)の数は100を超えた。どんな村でも市場には、茶屋、散髪屋、雑貨屋、八百屋などと並んで必ずといって良いほど薬局がある。薬局の店主は薬のことを良く知っている(ように振舞う)。薬を求めると、日に何回、食後に何粒、といった投薬量とともに、副作用等についても教えてくれる(真偽の程は分からない)。また、薬を売る前に、おもむろに(得意そうに)棚のから取り出してきた聴診器や血圧測定器で“患者”の様態をチェックしてくれる店主もいる。
   
 彼らは「薬剤師」を名乗っている。Certificateを見せてくれ、と頼むと「大学で薬学を勉強した」とか「3年前、どこそこの町で開かれたワーク・ショップに参加して終了証をもらった」とか、色々な答えが返ってくる。あんまり突っ込んでも得るものもないので、自称薬剤師に頂いた薬を素直に飲んで優れない体調を整えたことが、バングラデシュにやってきてから何度かあった。これがなかなか良く効くのだ。ちなみに、薬局で手に入る薬の箱に記されている様々な注意書きは殆ど全てベンガル語。そう、辺境の村でも安価な値段で手に入る様々な薬の殆どがMade in Bangladeshなのだ。

     local drug store 1
 ~ダッカから南へ300キロの地点にあるボルグナ地区、ガージョン・ブニア・バザールの薬局にて、顧客の体調をチェックする「薬剤師」のおじさん~

 発展途上国、特に低所得国では、国内で流通する薬はもっぱら輸入品となるため価格は高く、偏狭の村では殆ど手に入らない、というのが一般的なイメージだろう。何しろ薬の開発・量産は簡単ではない。新薬開発に必要な巨額の研究開発投資、高度で緻密なラインを持つ工場、それらを使いこなせる技術を持つ人材など、高付加価値の知識集約産業である製薬業を成り立たせるのは、一朝一夕では育たない要素が多い。縫製業のように廉価な賃金で一生懸命働いてくれる労働者が居ればそれが直ちに比較優位になるという分野ではないのだ。したがって、低所得国で地場製薬業を起こすのは至極困難であり、仮にスタートをしても、幼稚産業の段階で、既にグローバル市場を席巻しているノバルティス、ファイザー、ロシュ、グラクソスミス&クライン等、巨大な欧米企業に飲み込まれてしまう可能性は極めて高い。   

 しかし、この一般常識は一人当たりの国民所得が700ドルの低所得国であるバングラデシュには当てはまらない。現在バングラデシュ国内では240の製薬会社があり、それらの売上高は2007年の400億タカから2011年には900億タカと4年間でほぼ倍増している。その背景には過去3年で少なくとも約200億タカに上る設備投資がある。強力な地場製薬産業による旺盛な薬剤供給は、1億5千万人のバングラデシュ消費者が作り出す約11億ドルの市場の97%を満たしている(以上出展:Financial Express 10月25日付記事 「Pharma Industry: The Journey Ahead」)。 

 下記の円グラフはバングラデシュの製薬会社の国内市場シェアを示したものだ。1958年の創業以来製薬に特化して業界をリードしてきたSquare Pharmaを筆頭に、製薬以外にもメディア、縫製業、IT、不動産を広く手がけるコングロマリットBeximco(冒頭紹介したNAPAの製造会社でもある)、そして1999年に創業したばかりで首都近郊のサバール地区に最新の設備を擁する工場を構えるInceptaなど大手6社でシェアの半分を占めているものの、どの製薬会社も市場を支配する力を手にするには遠い。国内市場をめぐって数多くの地場製薬会社が激しい競争を展開していることが分かる。
 Pharmaceutical industry share

 こうした国内製薬会社が、約5,600のブランドを生産し、約1,500の卸売業者と約4万の小売業者(ライセンスを取得している社に限る)の販売網を使って、大河で分断され雨季には国土の3分の1が水没するバングラデシュの全国津々浦々にまで、医薬品を届けているのだ(数字出展:『Business Analysis of Pharmaceutical Firms in Bangladesh』MD. ANAMUL HABIB, MD. ZAHEDUL ALAM)

 それだけではない。Made in Bangladeshの薬はアフリカ、中東、そしてヨーロッパまでをも含む約80カ国に対して輸出されているのだ。輸出額は右肩上がりで、2012年度には5,000万ドル近くの外貨を稼いでいる。バングラデシュの製薬産業は国内の隅々にまで自ら作り出した製品を浸透させているだけでなく、ジュート、皮革、そしてニット・ウェア等の縫製業に続く一大輸出産業でもあるのだ(続く)。
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/16 15:38

政情不安は何故繰り返されるのだろうか?

日本は目前に迫る衆議院総選挙で盛り上がっているが、ここバングラデシュも政治がアツく燃え盛っている。単にアツく舌戦が交わされているのではない。物理的に、燃え上がっているのだ。

 先週来、野党によるホルタル(Hartal)が続いている。12月4日の火曜日を皮切りに、今週に入り日曜日には道路封鎖、本日火曜日に再びホルタル、明日は大規模デモ、明後日もホルタル、そして来週火曜日もホルタルが予定されている。
 
 このブログの読者で、これまでバングラデシュで暮らしたり、訪問した事のない皆さんにとっては聞き慣れないであろうホルタルという言葉。南アジアの共通用語で、政治的な抗議行動を意味する。要はデモやストライキだ。デモなら日本でも、脱原発等、多くの市民の参加を得ながら様々なテーマで実施されているが、バングラデシュのデモは一味もふた味も違う。以下のような光景がダッカ市内はもちろん、国中のあちこちで展開するのだ。

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   ~ ホルタルで焼き討ちにあったバスの車体(写真出展:banglanew24.com)~

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  ~武装警官隊と衝突する野党支持者(およびその様子を必死で撮影するジャーナリスト魂逞しいカメラマン)(写真出展:Priyo News))~

 野党がホルタル実施を宣告すると、世銀をはじめ多くの国際機関や企業で、従業員の外出自粛令が出される。何しろ、ホルタルに参加する活動家たち(その多くは野党各党が各大学に置くチャットロ・リーグと呼ばれる学生団体に加盟する学生たち)が、機動隊や警官隊と衝突するだけでなく、道行くバスや乗用車を鉄パイプで破壊し、火炎瓶や手作り爆弾で火を放つ等、危険極まりない暴力行為が市内あちこちで発生するためだ。例えば、ホルタルの“前哨戦”として実施された12月9日の「道路封鎖」では、警官隊とデモ隊との衝突等により死者4名、重軽傷者約600名を出し、そして約250名が逮捕された。

 もちろん、ダッカ市全体でこうした暴力行為が発生している訳ではない。我が家のある大使館街のバリダラ地区や外国人や富裕層が多く住むグルシャン地区、ボナニ地区は、こうした騒動とは無縁の様相だ。ただ、クラクションが鳴り響き、車やバス、リキシャがひしめき合っている普段の道路とは打って変わって閑散としているけれど。

 しかし以上の三地区を除けば、ホルタル実施中のダッカは緊張感に満ちている。大量の機動隊と警察が動員されており、いつどこで、どのような衝突が発生するか予測できない。デモは外国人をターゲットにしたものでは決してないが、対象が無差別なので、騒動に巻き込まれる可能性は否定できない。事実、9日には、ダッカ市西部のバス・ターミナルのあるガプトリ地区で乗用車で移動中だったドイツ人女性がデモ隊と遭遇、彼女はほうほうの体で逃げ延びたものの、運転手は頭に血の上った活動家に暴行を加えられ、車は破壊されて火が放たれた

 ホルタルが長引けば物流が滞りダッカ市内に野菜や果物が入ってこなくなる。作り上げた商品の出荷が出来ず納期に間に合わなくなる。シャッターを下ろさざるを得ない工場、企業、商店で働く従業員の日当は直接打撃を受ける。うっかり運転をしようものなら格好の標的になりかねないため、バスやCNG(天然ガスで走る自動三輪)の運転手らも日銭をあきらめざるを得ない。外国からの出張者の予定は全てキャンセルとなり、コストと時間をかけてやってきたその人は、残念ながらホテルで一日を過ごすことになる。

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  ~ ホルタル参加者が投げ付け、路上で燃えあがる火炎瓶(写真出展:Daily Star)~

 バスが燃え上がり、野党支持者と機動隊が激しく衝突する場面がBBCで報道されれば、ただでさえ良いとはいえないバングラデシュの外からのイメージはますます悪化し、国外からの投資意欲にも水を差すだろう。とにかく、断続的に発生するホルタルは、バングラデシュの経済や日常生活に甚大な悪影響を及ぼす。ちなみに、僕がここ2ヶ月、力を入れて準備に取り組んできたバングラデシュ政府と世銀共催のイベントもあっけなく無期延期になった…力が抜ける事この上ない。

 ベンガル人・外国人問わず皆を不幸にするホルタル。では、これを先導しているBNP(Bangladesh Nationalist Party)主導の野党連合はいったい何を求めているのだろうか。名目は多々あるが、過去2年近く主張されているテーマが、総選挙における中立的な選挙管理内閣(Care Taker Government)設置を求める憲法条項の復活だ。

 バングラデシュの憲法には、現与党・政府が職権を乱用して公正な選挙活動を妨害したり、結果を操作したりしないよう、前最高裁判所の長官をトップとする、選挙実施のみを目的とした暫定内閣を、議会解散後に任命することを定める条項が、1996年の改正により盛り込まれていた。中立・公正な選挙の実施と、勝者・敗者双方が投票結果を受け入れることは、多くの途上国にとって難しい課題だ。国際社会の介入が必要となる場合も多く、最悪の場合、内戦に発展するケースも少なくない。この点、バングラデシュ憲法に盛り込まれた「選挙管理内閣設置条項」は、民主主義を機能させるための賢い仕組みだと言えるだろう。

  bangladesh parliament
 ~1964年に建てられたバングラデシュの国会議事堂。米国の著名建築家ルイス・カーンが手がけた幾何学的なデザインと湖に映るシルエットが美しい。しかし、美しい建物の中で展開される政治の実情は、如何なものだろうか…~ 

 ところが、2009年の前回選挙で地滑り的な圧勝を収め、憲法改正に必要な三分の二議席を大幅に上回る300議席中262議席を勝ち取ったアワミ・リーグ率いる大連合が、その条項を2010年6月に廃止してしまったのだ。惨敗し少数派に転落したBNPを中心とする野党各党は、「このままでは公正な選挙は決して期待できない」として、条項の復活を強く主張、国会の論戦へのボイコットを続けるとともに、断続的なホルタルにおける一大テーマと位置づけ、現政権に揺さぶりをかけているのだ。その他にも政府による燃料補助金引き下げ反対や、食料価格の高騰への政府の無策等、その時々の人々の不満の種をテーマにホルタルは実施されるが、殆どのダッカ市民はホルタルを中心とする非生産的な動員政治に辟易としているのが実態だ。

 ちなみに、バングラデシュはアワミ・リーグとBNPの二大政党が争う政治状況にある。一院制の国民議会の任期は5年であり、民主化が実現した1991年から1996 年がBNP、その後2000年までがアワミ・リーグ、そして再びBNP(2001年~2006年)、そして直近2009年の選挙ではアワミ・リーグが勝利、というふうに、選挙のたびに政権交代が繰り返されている。両政党が(と言うよりも両政党の女性党首同士が)喜劇ともいえる情緒的且つ非生産的な衝突、確執を繰り返している様は、バングラデシュ赴任直後にアップした記事「8月15日は喪に服すべきか、国民総出でお祝いをすべきか?」を参照されたい。そして、お互い与党時代は、野党によるホルタル実施を強く批判し取り締まる一方で、下野すれば馬鹿の一つ覚えのようにホルタルを展開しているのだ。

 こうした状況が続く中、心あるバングラデシュの有権者の多くから、「第三極」の到来を待ち望む声は大きい。そして、実際そうした声に行動で応えようとしたのが、グラミン銀行のユヌス博士だった。しかし、結果は既に周知のとおり。政党発足の目論見は実現せず、政権から警戒されたユヌス博士は、「法定年退職年齢を超えて務めているから」という事務的な理由で、グラミン銀行総裁の座を追われることになった。

 そして次の選挙は約1年後、2014年の1月とされている。選挙が近づくにつれ「選挙管理暫定内閣条項の復活」をめぐる与野党のつばぜり合いは、バングラデシュの経済や人々の生活に大きな犠牲を強いながら、拡大、頻発していくだろう。こうした状況では、現在のバングラデシュの喫緊の課題である発電所や港湾整備等の大型インフラ整備に必要な外国資本も入りづらくなる。バングラデシュが目指す「2021年までの中所得国入り」の目標実現は遠のくばかりだ。

 二大政党間の不毛なネガティブ・キャンペーン、多数派の専横、暴力的な示威行動…こうした未熟で不安定な政治の変革については、世銀等の援助機関や日本などのパートナー国の手に有効な梃子はない。部外者は静かに見守り、状況に適応するしかない。変革は、その国の内側に望むしかないのだ。そして無論、それは日本も同じだ。(終わり)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/11 03:47
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