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Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑤ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(4)~

 マトワイルで目にした風景の衝撃と、ワゴン車に入り込んだ大量のハエを伴いながら、Crossoverのメンバーは、「ダッカ市廃棄物管理能力強化プロジェクト」のプロジェクト・チーム・メンバーが待つ、ダッカ市役所へと向かった。折からのにわか雨で、凸凹だらけのダッカの路上のあちこちに、巨大な水溜りが出来上がっている。泥しぶきを上げながら緩々と進む車に揺られること1時間少々、一向を乗せたワゴン車は、石造りの立派な市庁舎の前にたどり着いた。
       DCC Waste Management Division
~ ダッカ廃棄物管理局のたて看板。組織改変を経て、今はWaste Manegement Departmentへとアップグレードされている~

 エレベータを使って13階にあるWaste Management Departmentへと上がる。時刻は3時を少し回ったところだ。冷房の効いた立派なミーティングルームへと通してもらうと、そこには、引率してくれている協力隊の仲間が、親切にも用意してくれていたランチ・ボックスが待っていた!

 皆、腹がへっている。早速ふたを開けてみると上手そうなチキン・ビリヤーニ!(チャーハンに似たインド・バングラデシュの定番料理の一つ)。早速頂こうと思うが、スプーンが無い…

 周囲のスタッフに尋ねるが、無いものは無い。という訳で、皆、ベンガル人の食事作法を真似て、左手は膝元に置き、右手だけを使って、ビリヤーニを食べにかかる。しかし、ボロボロと手のひらからこぼれ出て苦戦するメンバー多数。これもスタディの一環だ。


 さて、今回僕らが焦点を当てているプロジェクトは、ダッカ市内で発生する家庭ごみの収集・運搬・廃棄を担当するダッカ市廃棄物管理局のオペレーション能力や組織力、そして“住民巻き込み力”を強化するために、日本が知恵を貸す技術協力プロジェクトであることは既に述べた。その上で強調したいのは、本プロジェクトは、ダッカ市とダッカ市民の手による「クリーン・ダッカ」の持続的実現という大目標に向けた複数のプロジェクトの、主要だが、一つのプロジェクトに過ぎない、ということだ。全体像は、JICAのプロジェクト担当者がまとめた記事にある、下記のフローチャートに上手くまとめられている。
  clean dhaka japan oda
 まず、プロジェクトを実施前の「下調べ」を2000年から実施している。その上で、2003年から2006年までの第一段階の技術協力プロジェクトとして、ダッカ市が担うクリーン・ダッカに向けたマスター・プラン策定を支援しているのだ。今回のトリップで、Crossoverのメンバーが目にし、このブログで紹介してきた幾つかのプロジェクトは、上記マスター・プランをダッカ市が実行に移すための第二段階の支援に当たる訳だ。

 具体的には、ハード(モノやカネ)の提供となる
 ① 新しいゴミ収集車100台の無償提供(約12億円)
 ② マトワイル最終処分場のアップグレード(過去の円借款の棒引き分約1,600億円の一部をダッカ市が活用)
 ③ マトワイル最終処分場で医療廃棄物処理を担うNPO"Prism Bangladesh"への資金提供(草の根無償資金:約1,900万円)
 
そして、提供したハードを上手く使いこなすために必要な、知恵や知識、そして心構えを共有するための、
 ④ 市役所の組織力やオペレーションの強化、及び住民参加の促進に向けた技術協力(期間:2007年~2013年、4.5億円)
 ⑤ 青年海外協力隊の派遣を通じた現場の支援及び環境教育の実施(Priceless!!
といった形で、ゴミ処理行政の改善という多様な側面を持つ課題に対して、ハードとソフトを組み合せ重層的にアプローチしているのだ。また、上記5つのプロジェクトが、ダッカ市が策定したマスター・プランの実施の支援との位置付けられている点にも注目したい。なぜなら、これにより、プロジェクトを通じて提供されるモノ、人、カネの全てが、日本側からの一方的な「プレゼント」ではなく、ベンガル人や市役所が、自らの課題と取り組むために必要となるインプットとして位置付けられていることが内外に示されるからだ。

    DCC Waste Management Division-II
  ~ ダッカ市の地図を示しながら、プロジェクトの全体像を説明してくれる青年海外協力隊員のRyoくん~


 本プロジェクトを市役所の廃棄物処理局でリードするショリフさんのテンポの良いプレゼンテーションで、意見交換が始まった。それにしても、ショリフさんのプレゼンはスゴイ。これまで世銀の仕事やプライベートを通じて、ベンガル人のプレゼンテーションをたびたび聞いてきたが、往々にして、テキストでびっしり埋め尽くされたパワーポイントを使って、「言葉の定義」や「背景」の説明に延々と時間を費やし、メッセージや結論がチットモ伝わらない、というものが多かったところ、彼のプレゼンテーションは、コンパクトでディープ・インパクト。英語の表現や発音も極めて的確。おかげで通訳をするにも苦労が少ない。今日一日目にしてきた様々な現場のシーンが、彼が示す全体のフレームワークの中で、整理されていくのを感じる。

  Dhaka Waste Management Divison III
 ~談笑するプロジェクト・チームとクロスオーバーのメンバー。左から二番目、白のワイシャツにメガネをかけた男性が、リーダーのショリフさんだ。~

 概要説明に続くディスカッションで焦点のひとつとなったのが、プロジェクトの効果の持続可能性だ。技術協力プロジェクトは2013年までとされているところ、日本の専門家や協力隊が去った後、果たして、ベンガル人だけの手で、効率的で環境・安全にも配慮した、家庭ごみの収集・運搬・廃棄が継続的に実現されるのだろうか?10年以上にわたり、決して少なくない血税と人員が投入されてきたことを考えれば、是非ともベンガル人の口から、考えを聞きたいところだ。

 ショリフさんは、一息ついて、クリアに語り始めた。

 「成果の持続は、プロジェクトの成功を評価する上での最重要項目と考えます。この点、現場を担うクリーナーや清掃管理官向けのマニュアル作成やワークショップの継続的な実施などに取り組んでいますが、未だ道半ばにあるというのが、正直なところです。現時点でも、ベンガル人だけの手でやることはやれるのでしょうが、やはり、効率性や質等の面で、改善の余地が大いにある。成功を手にする上で重要な前提条件は3つあると考えます。
 第一に、廃棄物局の全てのポジションに人が配置されること。現在は、職員がついていない空席ポストも多いのです。
 第二に、中央省庁や民間セクター、そしてNGO等との連携を強化すること。
 第三に、配分される予算を、プロジェクトの個別項目間の相乗効果を意識しながら活用することです。幸い、廃棄物局向けの予算自体は伸びていますので。」

 ショリフさんの回答は続く。
 「現時点では、この国で、家庭ゴミの収集・運搬・廃棄のシステムがあるのは、ダッカ市だけなのです。各家庭が庭先などで適当にゴミを処分しているのが地方の現状ですが、人口や所得の増加等を背景に、多くの町で、今後ゴミ処理システムの導入が必要となる、との認識が高まっています。しかし、現状を分析し、解決策を考え、それを市民も巻き込んで実行に移していくための、ノウハウを持っている人がいない。これは、大きな機会です。というのも、日本の支援の下でノウハウを学んだ我々ダッカ市の職員が、作成したマニュアルなどを活用して、全国で指導をしていくことができるのですから。」

 日本の技術協力や協力隊の派遣を通じて、移転された知識・知恵・そして心構えが、ベンガル人自らの手で、国中に広がっていくとすれば、これまでの投資は確かに成功だと、言えるのではないだろうか。自分たちが抱える問題を正面から認め、改善のための方策を明確に説明でき、さらに課題を機会と捉えて野心的なゴールを設定するショリフさんの切れ味鋭い前向きさは、とても心強い。

 ちなみに、JICAが作成・公表している本技術協力の「事業事前評価表」の成果管理フレームワークには、プロジェクトの成功とそれを計るための指標が、以下のように定義されている。


協力終了時の達成目標(プロジェクト目標)と指標・目標値
[目標]ダッカ市の廃棄物管理サービスが向上する。
[指標]1) 廃棄物収集量が1日あたり1400トンからプロジェクト終了時までに2053トンに上がる。
協力終了後に達成が期待される目標(上位目標)と指標・目標値
[目標]ダッカ市の廃棄物管理サービスが持続的に実施され、同市の衛生環境が改善する。
[指標]1) 廃棄物収集量が1日あたり1400トンから2015年以内に3054トンに上がる。

   
 プロジェクトが終了し、日本の支援がなくなった後もなお、継続的に、ゴミの収集量が向上していくことがプロジェクトの成功である旨が、測定可能な定量的指標とともに明記されていることが分かる。
 
 もちろん、2015年の段階で、上記指標が満たされたからといって、スタッフの能力が向上したと捉えるのは早計だ。廃棄される家庭ごみの量自体が増えただけかもしれないし、ゴミ収集車などのハードが充実したからかもしれない。一般に、組織力や人材の強化等、目に見えない価値の実現を目的とする技術協力の成果が、果たして実際に出ているかのかをチェックするための指標設定は、悩ましい課題だ。例えば、上で紹介した「事前評価表」には、「ダッカ市廃棄物管理局のマネジメント能力が強化される」という目標の達成状況を計測するための指標として、
 - 「プロジェクトによって開催された会議、セミナー、ワークショップの回数」、
 - 「プロジェクトによって作成、ウェブサイトに掲示されたニューズレターの本数」
といった、言わばアウトプットの指標が挙げられている。しかし、ワークショップや会議の開催回数は、「参加者の能力の向上」という成果が出ていることを説得力を持って裏付ける指標と言えるだろうか。例えば、参加者の出席率が低ければ、研修を何回開催しても、能力の向上にはつながらないだろう。

 そこで、もう一歩踏み込んで、たとえば、ショリフさんの指摘にあるような、「研修を受けた職員のうち、プロジェクト終了時に、将来の講師役として研修を実施できるようになった職員の数」といったアウトカム指標を盛り込むのも一案かもしれない。

 時間を大幅に延長したディスカッション。その締めとなったのは、今まで寡黙に議論を見守っていたプロジェクト・チームの一人であるパラブさんの印象的なメッセージだった。

 「何故、ベンガル人は家の中は綺麗にするのに、一歩敷居をまたいで外に出ると、平気でゴミを捨てるのか。自分の車の中には決してゴミを捨てることのないベンガル人紳士が、市バスに乗った瞬間に、座席の下にゴミをおいて帰るのは、一体何故なのか?それは、公の空間へのオーナーシップが足りないからです。「ダッカは、自分の街なのだ」、という感覚を一人ひとりが持てば、家の中同様、ゴミを捨てて去ったりはしないはずでしょう。ゴミの問題だけではない。この国は、あるいはこの星が、自分たちのものなのだ、というオーナーシップを持つことで、社会の問題は解決していくはずです。困難だが、希望はある。それは教育です。私が子供のころは、学校でゴミや環境の問題を教わることはまず無かった。しかし、今では、協力隊をはじめとする日本の支援の力もあり、ダッカの多くの学校で環境教育が行われています。子供が変われば、大人の行動が変わり、そして、社会も変わる。そして変化は確実に起こっているのです。


 パラブさんの話を聞きながら思い出した。「共有地の悲劇~Tragedy of Commons~」という有名なフレーズを。共有地とは、皆が使っている、アクセス・フリーの場所。例えば、公園や市街地などがそれに当たるだろう。もともと、共有地である牧草地において、複数の牧畜農家が自分のことだけを考えて、牛の数をドンドンと増やす結果、共有財産である牧草地の草が枯れ果ててしまう、という悲劇が起こることを例に、全ての利用者(潜在的な利用者も含む)が共有地から、持続的に価値を享受できるような、ルールや取り決めを作る事の重要性を説いたものだ。

 「共有地の悲劇」をダッカ市のゴミ問題に当てはめて考えると、どうだろう。誰でもアクセスできる、ダッカという共有地。そこで、増え続ける人。そして「誰もがやっているし」、「自分ひとりなら良いだろう」という発想で、路上に投げ捨てられ、放置されるゴミ。経済活動が活発化する中、こうした発想が齎す悲劇のスケールは大きくなる。そして、共有地から生まれる利益は享受するが、そのコストは負担しないという行動が続く先に待っている、巨大な悲劇の主人公となるのは、ほかならぬダッカ市民だ。

 他方で、慣れ親しんだ日常習慣や価値観の変容は難しい。政府による規制も、根っこの価値観や習慣に変化がなければ、効果は薄い。今回のスタディ・トリップで、Crossoverのメンバーは、その難しさを何度も目にし、耳にした。だからこそ、ステークホルダーを巻き込んだ継続的な対話とルール作りが不可欠なのだろう。

 その際、おそらく効果的なのが、「変化」を見せることではないか。ゴミの問題は、あるとき突然発生する危機というよりも、生活習慣病のように、徐々に人々の生活を蝕むものであるがゆえに、問題の深刻さに人々は気付きにくい。

 例えば、未だ人口が少なく、ゴミ問題が深刻でなかった頃のダッカ市内の写真、日本が支援に乗り出す前、2000年の頃の町や処分場の様子、そして現在の様子を、出来る限り具体的に、ステークホルダーと共有すること、あるいは、それぞれの口から語ってもらうことが、人々の意識を敏感にする上で効果的かもしれない。また、そうした取組みを支援する日本の納税者にその意義や効果を説明する際にも、こうしたPast-Present-Futureの比較を分かりやすく示す写真やエピソードは欠かせないだろう。 
 


 「ゴミ」という身近なテーマを追いかける中で見えてきたバングラデシュ社会の現状や課題、そして可能性、それらと正面から向き合うベンガル人との印象的な出会い、あるいは、日本のODAのあり方への示唆…、僕も含め、Crossover Study Tripのメンバーに多くの気付きと学びを与えてくれた一日だった。「クリーン・ダッカ」に向けてこれからも挑戦を続ける、ショヒブさんやパラブさんをはじめとするプロジェクト・チームのメンバー、そして、現場で汗をかく清掃管理官やクリーナーの皆さんに、心からのエールを送りたい。そして、多忙な中、超濃密な学びの機会を創ってくれた、青年海外協力隊のRyo君、Okuちゃん、Kogaさん、本当にありがとう!!

 それにしても、これ、まだ初日だって、信じられますか?この後、直接ダッカの港に移動して、夜行船に乗っかって村へと向かうって!?信じられます?

 という訳で、まだまだ続くよ、Crossoverのバングラデシュ・スタディ・トリップ。
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/25 10:15

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告④ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(3)~

 我が家を含む、ダッカ市内の各家庭でゴミ箱に捨てられたゴミたちは、旅をする。

 まず、民間事業者であるPrimary Collection Service Providerにより地区ごとにリヤカーのようなもので回収され、ダッカ市役所が市内のあちこちに設置している鉄製のゴミ収集用コンテナに集められる(正確には、コンテナの周囲にぶちまけられる…)。また、路上をはじめとする市内のパブリック・スペースに捨てられたゴミや溝に溜まったヘドロ等については、クリーナーがかき集め、コンテナまで運ぶ手はずとなっているのは、前回までの記事で述べた。そして、市内各所からコンテナに集められたゴミがたどり着く、旅の終着駅が、ダッカ市の南東部にあるマトワイル最終ゴミ処分場だ。

 最終ゴミ処分場といっても、焼却施設等がある訳ではなく、ただただ、そこに積み上げられていく。一言で言えばゴミの山だ。かつては、オープン・スペースにひたすらゴミが積み上げられていくだけであったために、有毒ガスや汚水が周囲に流出し、深刻な環境汚染を引き起こすリスクが極めて高かったところ、現在では、それらを浄化するための煙突や浄水システムが導入され、環境に配慮したオペレーションが実施されている。また、処分場の入り口には、ゴミ収集車が通過する際に自動的に重量を計測し、ゴミ収集・運搬が日々正しく実施されているかを確認するためのシステムも導入された他、一仕事終えたゴミ収集車を洗浄する場も設けられている。このように「ただのゴミ山」を「より良いオペレーションと環境に配慮したゴミ山」へと変革するのに要した経費は、日本のODAから拠出されている。正確には、2005年に日本政府がバングラデシュ政府に対して実施した、過去に貸し付けた円借款の一部(約1,600億円)の棒引き(債務免除)部分から支出されている(つまり、バングラデシュ政府は、本来日本に返済しなければならなかった資金の一部を、マトワイルの最終処分場のアップ・グレードに活用したという訳)。

 さて、マトワイル最終処分場の入り口をくぐったCrossoverのメンバーが、最初に目を留めたのが、エメラルド・グリーンとピンクという可愛らしい色のゴミ収集車だ。車輌の横を良く見ると、日の丸とJICAのロゴが付けられている。従来のゴミ収集車が激しく老朽化し、効率的なごみ収集の妨げとなっていたことから、2009年に日本政府が、約12億円の無償資金協力(グラント)で100台のごみ収集車と、メンテナンスのための修理工場を提供したのだ。

  dhaka waste collection vheicle
 ~日本が無償資金で100台供与したごみ収集車。日々ダッカ市内を駆け回りゴミを集めては最終処分場まで運んでいる~ 

 処分場のアップ・グレードや新しいゴミ収集車の提供といった、目に見える(ハードの)支援が真に活きるには、それを使う人や組織の能力、という目に見えない部分(ソフト)が向上していかなければならない。我々Crossover Study Tripのメンバーが今フォーカスを当てている「ダッカ市廃棄物管理能力強化プロジェクト」は、ソフト面を2007年から2013年までの6年間かけて手当している日本の技術協力支援なのだ。

 具体的には、クリーン・ダッカを実現するための「ゴミの回収・運搬・廃棄」を、住民も巻き込みながら、より確実に、効率的に、そして環境面や安全面での負荷を出来るだけ減らしつつ持続的に実施するために必要な、ベンガル人自身のオペレーション力を高めてもらうべく、日本人専門家(コンサルタント)の派遣や各種セミナー実施などを実施。それらに係る資金として、総額4億5千万円が使われているという訳だ。

 話を、最終処分場に戻す。こちらが、マトワイル最終処分場の全体像を示した模型だ。

   matrile waste reclaiming land-1

 広さは約20ヘクタール(東京ドーム4個分に相当)。ゴミ山は、二つある。一つは写真手前。上の写真で紹介したゴミ収集車の背景にあるのが実際のゴミ山だ。計画的に積み上げられ、また、有毒ガスの浄化システムも設置された効果もあってか、表面は草で覆われており、臭いもしない。手前の山は、既にある程度まで積みあがったため、現在は、写真上方の灰色の部分に、新たなゴミが積み上げられている。

 そして僕らは、その新しいゴミ山と遭遇した。

 matwile waste landfill cite-2

間違ってゴミ収集車の中に入ってしまったら、きっとこんな臭いがするだろう。急いでマスクを取り出す仲間もいる。そんな臭いに惹かれてか、僕らの視界を圧倒的な量のハエが遮り、上空には、大量のカラスが舞う。その下を重機の巨大なアームがせわしなく動き、積み上げられたゴミと格闘している。そしてパワーショベルのすぐ後ろでゴミを拾い集める女性達の姿が目に映る

 女性達は、長旅を終えたゴミたちの中から、未だ使えるかもしれないものをピックアップして集め、市場で売るために、ゴミ山に入り込んでいるのだ。彼女らの頭の中に「危険」の二文字は無いのだろうか。巨大なパワーショベルは、小さな彼女らの存在を一顧だにすることなく、至近距離でその巨大なキャタピラとアームを動かしている。いつ巻き込まれ、押しつぶされてもおかしくない。自分の手が、じっとりとイヤな汗をかいているに気付く。

 突然の雷鳴とともに降り始めた雨と分厚い雲が、目の前の空間を、より一層暗く染めていく。天から降り注ぐ水は、ほどなく豪雨へと変わった。しかし、パワーショベルの腕は動き続け、女性達は、黙々とゴミを拾い続ける。

    matwile waste landfill cite 4

 ダッカ市内の各家庭から、長旅の末にこの場所にまでたどり着いたゴミたちの多くにとって、マトワイル処分場は、旅の終着駅ではなく、リサイクルという名の新しい旅に向けた始発駅でもある。巨大なゴミ山に小さな体をうずめながら働く女性達は、そんな旅のシフトをアレンジする役割を果たしながら、僅かながらの日々の糧を手にしているのだ。

 ダッカ市の担当職員も、彼女達がゴミのリサイクルに果たしている大きな役割と、晒されている危険に対する認識は強く持っている。NGO等と連携をしつつ、彼女らを組織化して、もう少し安全且つ効率的に、リサイクルの役割を担うための、パートナーシップを模索しているという。

 なお、マトワイルで目にしたのは、ウェイスト・ピッカーの女性達やカラスだけではない。ゴミ山から滲み出る危険な汚水を可能な限り浄化した上で、河川へと流していくための施設も、同じくせわしなく動いている。繰り返しになるが、これも、日本国民の血税が元手となって実現したものだ。

    matwile- waste landfill cite -5

 クリーナーによる路上清掃、彼らの居住区(コロニー)、現場の司令塔であるWard清掃事務所、そしてマトワイル最終処分処分所と、家庭ゴミがたどる道を追いかけてきたCrossoverのメンバー。学びの総決算として、ダッカ市の中央に位置する立派な市庁舎の中にある、Dhaka Waste Management Divisionに乗り込み、本プロジェクトの総指揮をするプロジェクト・マネージャーとの意見交換に向うべく、灰色の山を後にしたのだった(続く)。
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/23 11:07

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告③ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(2)~

ダッカ市が展開する家庭ごみ収集の現場レベルの司令塔である「Ward清掃事務所」を後にしたCrossoverの一行が向かった先は、クリーナーの居住区、通称「クリーナー・コロニー」だ。路上などの公共空間のゴミ掃除を担っているクリーナーは、毎月6,000タカ程度の賃金と合わせて、家賃無料の住居をダッカ市から貸与されることは既に述べた。今回のスタディ・トリップでは、クリーン・シティに向けた取組みの前線で活躍するクリーナーたちが、実際にどんな場所で、どのような生活をしているのか、といったところまで踏み込んで理解をしたい、という問題意識で、協力隊の友人の力を借りて、訪問を実現したのだった。

コロニーの入り口で早速衝撃的な光景を目にする。大勢の女性達が、水汲み用の金属釜を手に、ダッカ水道局の給水車の周りに群がっているのだ。中には、瓶に水をためた後、そのまま頭から水をかぶりだす者も居る。何しろ暑い。この際、シャワーも一緒に、ということなのだろうか。

 これから訪問するコロニーには、井戸はある。しかし、そこから得られる水は、飲み水としての安全性を満たすものではない。目の前にある給水車は、酷暑の中で、コロニーやその周辺で暮らす市民の生命線なのだ。 

     cleaner colony

 蛇足だが、給水車のお世話になるのは、低所得者だけではない。今年の4月・5月には、折からの酷暑と電力不足の影響で、地下から高層マンションの各部屋へ水を回すためのポンプに電気が回らなくなり、ダッカ市のあちこちで、給水車の前に行列が出来る騒ぎになった。人と水は有り余るほどある、との印象を与えるバングラデシュだが、人口増加、電力不足、地下水位の低下、そして生活・産業排水による河川の汚染という4つの要素が、ダッカ市の水事情を確実に危機的状況へと近付けていっている

 視点をクリーナー・コロニーに戻そう。
 時刻は午前十一時。カマドの周りで女性達が昼食の支度をし、別の女性達や子供達は、井戸の周りで洗濯物に勤しむ。コロニーの中には学校もあり、子供達のはしゃぎ声が響き渡る。平和な日常風景だ。

    cleaner colony-2
   
    clenar colony-4

 何軒かの家に招き入れてもらう。一部屋6畳程度の広さ、壁には、ヒンドゥーの神々の絵や偶像が飾られている家々多い。バングラデシュの人口の9割近くはムスリムだが、クリーナーの職に就く人々は、ヒンドゥー教徒の割合が高いという。

    cleaner-colony04

 そして、Crossoverのメンバーが総じて目を奪われた事実。それは、どの部屋も、とてもきれい。文字通り、チリ一つ落ちていない。家具類も整然と並べられている。他方、一歩部屋を出て路地を見ると、ゴミがそこら中に落ちている…。公衆便所の不潔さたるや、末期的な状況だ。この余りに明瞭なコントラストは一体なんだろう?

 これは、クリーナー・コロニーに限ったことではない。僕自身、この1年、農家のご自宅から、スラムの掘っ立て小屋、そして大富豪のアパートまで、かれこれ100軒近いベンガル人のご自宅にお邪魔してきたが、この人たちの家の中は、所得水準を問わず、本当に綺麗なのだ。飛び入りであがり込んだお宅も多かったことを考えると、お客を迎えるために、大掃除をしたという訳ではない。日常的に、隅々まで掃除がされ、床はピカピカ。家具は整理整頓が徹底している。他方、家庭内のゴミは、外に向けて綺麗に“掃き出され”、あるいは窓から投げ捨てられるのだ。したがって、家々の間の路地はゴミの山となる。

 理解に苦しむコントラストを前に、Crossoverのメンバーは、同行してくれた協力隊員や清掃管理員に質問をぶつけ続ける。
 「何故、一歩敷居をまたいだ瞬間に、これほど明瞭に、ゴミが増えてしまうのか?」
 「街を綺麗にする仕事をしている清掃員自身が、自らのコロニーの公共空間に、ゴミを投げ捨て、放置してしまうのは何故なのか?」
 「積みあがったごみを放置しておけば、悪臭や感染症の蔓延等にもつながる。公共空間に出るゴミの量を、各家庭ベースで少なくすることで、全体的にかかるコストを下げることが出来るという発想にはならないのか?」

…疑問は尽きない。

   cleaner colony 6
 ~ 同行してくれた清掃管理員に質問攻めを浴びせかけるCrossoverのメンバー。清掃管理員の男性にも確たる答えはない… ~

 「まぁ、そういうものなんだよ…」
 清掃管理員の男性は、苦笑しながら我々の質問に応える。おそらく、そう答えるしかないのだろう。なぜなら、我々が目にした現象は、「何が当たり前か」という感覚や、日々の習慣に根差すものであろうからだ。皆深く考えている訳ではない。

 ちなみに、このブログの読者の皆さんは、ベンガル人から、「何故、日本人は路上にゴミを捨てないのか?」とふと尋ねられたら、何と応えるだろうか?道徳観や公衆衛生等の観点から、色々理屈はこねられるかもしれないが、我々が日常的にそこまで深く考えて、「ゴミを捨てない」という行動を取っているだろうか。結局は、「まぁ、そういうものなんだよ…」ということ、即ち習慣に尽きるのではないだろうか。そして、その背後には幼少時からの親のしつけや教育があるのではないか。

 ここに、JICAが支援する「ダッカ市廃棄物能力強化プロジェクト」における、核心的な困難がある。つまり、このプロジェクトの持続的な成功には、人々の価値観や習慣の変革を促すための仕掛けが必要なのだ。この点、外国人がトヤカクお説教じみたことを言っても、付き合いのいいベンガル人は「それは、あなたのおっしゃる通りですね」と応えてくれるかもしれないが、内心は、「まぁ、そういうものなんだよ…」であり、結局行動変容は促されないであろう。ゴミ箱を街中に設置しても、別な用途に使われるのが落ちだ(実際、そういう事例は、この1年間、多く見てきた)。

 従って、習慣の変革を促す、内部からの仕掛け、新しいインセンティブが必要なのだ。そして、そうした仕組みを生み出すのは、ゴミの問題に関わるステークホルダー、例えばダッカ市役所、住民、クリーナー、そして一次回収業者等、の間の継続的な対話と、対話を通じて生み出された「決め事」や「仕組み」に対する、ステークホルダーのオーナーシップなのだろう。このプロセスでは、時間と忍耐、そして建設的な対話を促すファシリテーションが必要だ。そして、そうしたプロセスに、外部者であるJICAの専門家や協力隊員は、どうしたら、最も有効に介入し得るだろうか?

 様々な疑問が胸中に湧き上がる中、Crossoverのメンバーはクリーナー・コロニーを後にし、ダッカ市内のあらゆる家庭ゴミが最終的に集まる場所、ダッカ市の南東部の端に位置する、マトワイル最終処分場に向かった。(続く) 
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/20 17:11

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告② ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(1)~

 8月26日朝6:30。スタディ・トリップ参加者が宿泊する自宅近くのホテルへと向かう。早朝のダッカは清々しい。道は綺麗に清掃され、未だ交通量の少ない道を、リキシャがベルを心地よく響かせながら、軽快に走っていく。

 いよいよ本格始動するCrossover21・バングラデシュ・スタディ・トリップ。10名の参加者が二台のワゴン車に分乗して向かった先は、日本が技術協力及び青年海外協力隊派遣事業で支援をしているダッカ市の「廃棄物管理能力強化プロジェクト」の現場だ。


 首都ダッカへの一極集中が、経済活動の効率化や雇用の拡大、情報集積等、バングラデシュの経済成長の推進力となってきた一方で、土地価格の急騰、火災や震災への脆弱性の増加、そしてスラム住民の強制退去の頻発などの問題を齎していることは、このブログでもたびたび紹介してきた。今回、Crossover・Study tripの一行が焦点を当てる「ゴミ問題」も多くの国々が高度成長・都市化を経験する中で直面してきた課題であり、バングラデシュもその例外ではない。例外どころか、諸外国の中でも最もその問題が先鋭化している、といっても良いだろう。

 何しろ、ダッカは狭い。東京23区の半分程度の土地(360km2)に、23区の人口(約900万人)の1.5倍を上回る約1,500万人が密集しているのだ。しかも、その数は増え続けている。過去20年で約3倍増という尋常でない速度で。こうした中、ゴミの効率的な収集・運搬と環境面の負荷を可能な限りコントロールした上での最終処分は、既にパンク状態にあるダッカ市の公衆衛生や市民のQuality of Lifeの向上にとって、決定的に重要な意味を持つ。

 JICAがダッカ市の廃棄物収集・処理行政の支援に向けた事前調査に乗り出した2000年には、既に問題は深刻化していた。当時、市内には、収集が一切行われない場所も多く、長年にわたって蓄積した生活ゴミが、湖や河の岸辺に積みあがり、付近一帯が耐え難い異臭に包まれていたと言う。また、収集したゴミを最終処分する埋立地も、単なる「ゴミ山」であり、そこからは、有毒ガスや汚水が発生し、深刻な環境汚染が拡大しつつあったのだ。
 
 ゴミを集め、運び、そしてまとめて処分する。文章にすると実にあっけない話だ。ただ、これを継続的に実施・改善していくのは並大抵のことではないだろう。

 第一に様々なポイントをシステムとしてつなぎ、面的に機能させなければならない。具体的には、定期的なゴミ収集・運搬とそれをチェックする仕組みの構築、それらに従事する作業員のモチベーション管理、安全面・環境面への負荷を抑える機材やシステムの導入、廃棄するゴミの種類や廃棄場所に関する規制の策定とその実施など、全てを一体として機能させなければ成功は見込めない。ゴミ箱を街中に大量に設置し、ごみ収集車を供与すれば済む、という単純な話ではない。

 第二に、ゴミが家庭から最終処分場にたどり着く間には実に多くのステークホルダーが関与することになる。行政以外の主体、例えば民間の一次回収業者や各家庭、NGOや大学等にもアプローチをし、それぞれを上手く巻き込まなければ成らない

 第三に、ゴミ問題は究極的には、「綺麗な状態とは何か?/ポイ捨ては何故良くないか?」という人々の感覚や、「街を綺麗にするのは誰の責任か?」という価値観の部分にまで光を当てていかなければ、継続的な改善は実現されない。何事も、人々が共有する「当たり前」を変えることほど、困難な話は無い。こればかりは、金を幾ら積んでも解決するような事柄ではなく、教育分野にまで踏み込む必要があるかもしれない。

 今回、Crossover・Study Tripのメンバーは、このように困難且つ重要な課題に果敢に取り組んでいるダッカ市役所の担当職員、そして彼らの努力を、ベンガル語を駆使しながら二人三脚で後押しする青年海外協力隊の現役隊員3人と共に、ダッカ市の「廃棄物管理能力強化プロジェクト」の成果と現状、そして課題をつぶさに学ぶ機会を得たのだった。


 朝7時過ぎにホテルを発った二台のマイクロ・バスが最初に向かったのは、カウラン・バザールと呼ばれる市場。ここはダッカ市のほぼ中心に位置する巨大な卸売り市場であり、朝方は魚や野菜、そして鳥の取引で活況を呈する。主要新聞社やテレビ局等が入るモダンなビル群や、日本の支援で建設されたバングラデシュ初の五つ星ホテル「パンパシフィック・ショナルガオン・ホテル」も徒歩圏内にある、東京に喩えれば、いわば築地のような場所だ。

   カウランバザール
 ~ カウラン・バザールにあるバナナの卸売り市場の様子。男達の威勢の良い掛け声が響く ~  

 僕らが到着した時間帯は、丁度朝の取引が終わったばかりの時分。各々の持ち場へと散っていった人々に代わって現れたのは、切り捨てられた農作物の枝葉、そこらで“さばかれた”鳥の羽や足のかけら、その他、訳の分からんモノたちで、本来の足の踏み場が殆ど見えなくなった道路だった。それらを、かき集め、トラックの荷台へと乗せている人々がいる。緑色のジャケットを身にまとい、黙々と作業をする彼らこそ、ダッカのゴミ収集の最前線で働く清掃員、通称“クリーナー”だ。冒頭述べたとおり、ダッカの市街が、少なくとも朝だけは綺麗なのは、明け方から仕事しているクリーナーの貢献によるところが多い。もっとも、日中、人々が無造作にゴミをそこら中にポイ捨てするものだから、町中の道路は、翌朝にはクリーナーにとって、実に“働き甲斐のある”姿に戻ってしまうのだが。

  dhaka waste management workers
 ~ クリーナーの努力の結果、足の踏み場が見えなかったカウラン・バザールの目抜き通りは、この通り、綺麗さっぱりに~

 クリーナーの仕事は、卸売市場の前や道路脇のゴミ清掃だけではない。道路下を流れる溝に詰まったヘドロを掻き出すのも大切な仕事。誰かがこれをやらなければ、ちょっとした雨で、溝から水があふれ出て、道路が冠水してしまうだろう。

   dhaka waste management 2
     
 時には溝の中に入り、ヘドロに両足を浸しての作業となるクリーナーの仕事は危険が伴う。長靴や軍手が支給されなければ、ガラスの破片などで大怪我をするかもしれない。クリーナーが、安全で健康的に、そして誇りを持って作業に従事する体制を確保することは、クリーン・シティを実現する上で欠かせない要素だろう。JICAが支援するダッカ市のプロジェクトでは、クリーナーに安全具を支給。あわせて、安全で衛生的な作業の講習やワーク・ショップを通じて、怪我や事故を未然に防ぐ活動を実施している

 当たり前の話に聞こえるかもしれない。しかし、このブログでも過去紹介した通り、例えば、ダッカの工事現場では、安全靴やヘルメットをかぶっている作業員をお目にかかるのは稀だ。それどころか、サンダル、素手という全くの普段着姿で重い建築資材と格闘している姿が目立つ。当然、事故も多い。しかし、安全具を支給するためのコストを負担するインセンティブは業者側には薄い。また、作業員も、「暑いから」「面倒だから」「皆着けていないし…」という理由で、安全具の支給を声に出して求めたりはしない。安全具を支給するための金があるのなら、給料を増やして欲しい、というのが本音かもしれない。

 クリーナーへの安全具の支給と定着という、当たり前で簡単に見える取組みも、こうしたバングラデシュの現状を踏まえてみると、なかなかハードルが高い事柄であることに気付かされる。ちなみに、クリーナーの一月の給料は約6,000タカ(約6,000円)程度。これは現在のバングラデシュの法定最低賃金(3,000タカ)の2倍にあたる。これに加え、後ほど、トリップの一員が訪問する集合住宅の一部屋が無料で提供される。ダッカの家賃がスラムでも一部屋2,000タカ程度であること、学校の先生の給与が8,000タカ程度であることを考えると、クリーナーの待遇は、悪いとは言えない。


 クリーナーの仕事振りを学んだ次に向かった先は、「Ward清掃事務所(Ward Solid Waste Management Office)」だった。

ward smw office
~ Ward清掃事務所の入り口。JICAのロゴとダッカ市役所の徽章が並ぶ ~

ダッカ市の廃棄物処理は、Ward-Base Approachと呼ばれる方法が採られている。具体的には、ダッカ市役所の廃棄物処理局が一括管理をするのではなく、ダッカ市内をより細かいWard(区)に分けた上で、そのWard域内の廃棄物処理の管理拠点となる「清掃事務所」を建設、そこを統括するConservancy Inspector(CI:清掃管理官)に、クリーナーのマネジメントや地域住民との対話、そして収集したゴミの最終処分場への運搬管理等の責任を委譲する分権型のアプローチだ。

 この方法を採ることで、現場により近いところでのマネジメント・コミュニケーション・意思決定が可能となると共に、Ward毎の競争やベスト・プラクティスの共有を促し、全体の意識やオペレーションのレベルの底上げを図ろうという訳だ。

   dhaka waste management 3
 ~ Crossoverのメンバーに現場での苦労を語るCI(清掃管理官)のショヒドゥルさん ~
 
日本で実施された研修プログラムにも参加した経験のある、この道20年以上の清掃管理官ショヒドゥルさんは、過去と比べて大いに改善したダッカの家庭ごみ収集・処分の現状やクリーナーのスキルやモラルの向上等の成果を語りつつ、最近頭を悩ましている問題についても共有してくれた。

 「街のあちこちに、企業が宣伝のための看板を立てているでしょう。あれは、無許可なものが多い。放置すると無秩序に次々と立てられた挙句、強風で倒れたりして危険なのです。また、最近の建築ラッシュの結果、建築資材や廃材を道に放置する輩が増えている。こうしたモノを整理・撤去するのは本来建設業者の責任なのだが、法令が順守されていない。でも、誰も面倒をみずに路上に放置され続ければ、事故につながるかもしれません。ということで、やむなく我々廃棄物管理局が撤去せざるを得ないケースもある。しかし、大型の物が多いため、クリーナーの怪我や収集車の故障にもつながる。規制は存在するのに守れない。困ったものです…」

 「各家庭やマンションで出たゴミを、道路脇に設置されたごみ収集のコンテナまで運ぶのは、Primary Collection Service Providerと呼ばれる民間業者なのですが、彼らとの連携強化や、ゴミが出される量自体を減らすためのコミュニティへの働きかけも道半ばです。」

 Ward間の切磋琢磨や知識の共有といった、Ward Base Approachの意図を、現場の清掃管理官は、どの程度意識しているのだろうか。

 「私を含め、今、この場に居る3人の清掃管理官はそれぞれのWardのリーダーです。市役所へのボトム・アップの報告だけでなく、同じ立場の者同士が随時顔を合わせ、それぞれが取り組んでいるテーマについて情報を共有するコミュニケーションにも心がけています。ただ、自分の目の前にある課題、例えば、クリーナーのマネジメントや、住民の参画意識を引き出して廃棄物管理問題に向き合ってもらうことは、皆さんが想像している以上に、難しい仕事なのです。」
 
 経済活動が活発化する中でゴミの量は増え、質も多様化する。こうした中、市民や企業のゴミ問題に関する主体的意識が高まらなければ、しわ寄せは、現場のクリーナーや清掃管理官の肩に圧し掛かるばかりだ。そして、彼らのリソースは限られている。また、規制の確実な実施は、Ward Officeの手におえる話ではない。市民、企業、Wardの現場、Dhaka市役所、さらには法律を所管する中央省庁との間での、対話による情報共有の重要性が身に染みる。多様なステークホルダーを巻き込んでのゴミ収集の強化が、クリーン・シティ実現に向けて不可欠な要素である理由は、そこにあるのだろう(続く)。
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/16 11:09

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告① ~旅の全体観~

 「バングラデシュの今を、五感の全てを総動員して感じ、学ぶ旅」

 こんなフレーズの下でプロデュースした8月27日から9月1日までのCrossover21 Bangladesh Study Trip。きっかけは、「貧困削減と持続可能な成長に向けて ~日本と日本人に出来ること~」をテーマに、僕がバングラデシュに渡る直前、昨年の7月11日に開催した異業種ディスカッション大会の懇親会での一言だった。

 「池田さんが居る間に、Crossoverのメンバーでバングラデシュに押しかけよう!」

 声を上げたのは、10年前のCrossover発足時からの常連メンバーで、社会のあり方や自分の生き方等をテーマに、何度も徹夜で議論をしてきたmasatakaさん。いつもパワフルにCrossoverの議論をリードし、場を盛り上げてくれるmasatakaさんだが、何せ多忙の身。果たして本当にバングラデシュまで来てくれるのだろうか…。半信半疑だったが、今年に入ってからも、Crossover会員用メーリングリストに、バングラ・トリップを実現するための告知や宣伝を何度も投下。どうやら本気らしい。
 ということで、この際この1年、バングラデシュで培ってきた日本人、ベンガル人の友人達とのネットワークを活かして超濃密なスタディ・トリップを企画しよう、そして、僕自身も改めてバングラデシュについて新鮮な目で学ぶべくフル・アテンドをしよう、との気持ちを固めたのだった。



 直行便の無い日本とバングラデシュ。限られた夏休み。容赦なく迫る仕事の期限…こんな障害をものともせず、国境の壁をCross-overして、日本からダッカに乗り込んだ仲間は総勢9名。言いだしっぺのMasatakaサンに加え、ともにCrossoverを創ってきたスタッフ、あるいは、そんな仲間に誘われて、今回初めてCrossoverのイベントに参加する新しい友人も居る。職業はITベンチャー経営者、医師、中央省庁職員、セラピスト、金融機関のスタッフ、システム・エンジニアなどなど、Crossoverらしく、多彩。そして、到着する飛行機のスケジュールも、バラバラ。しかし、ありのままのバングラデシュを自分の目で見たい、知りたいと言う好奇心、そして、そこから何かを学び取ろうという向上心は、これから旅を共にする仲間の共通項だ。

 一週間の旅のメニューは、参加する皆の希望を踏まえつつ、バングラデシュの多方面で活躍するベンガル人・日本人の友人達の力を借りてデザインした。

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一日目:ダッカ市の家庭ごみ処理事業見学、市の担当職員との意見交換
 青年海外協力隊の仲間の力を借りて、JICAが長年力を入れて支援をしているダッカ市の家庭ゴミ収集・処理事業について、ゴミの一次収集から最終処分までのサイクルと課題を学ぶ。

   study tour
 ~ 市内のあちこちに設置されたゴミ収集コンテナ。作業員の衛生・安全・そしてモチベーションの管理は、ゴミ処理改善事業の成功のキーポイントだ。~

一日目夜から三日目:ダッカから南へ約100キロ、チャンドプール県、ハムチャ村にホームステイ 
ダッカ大学の学生であり、社会起業家でもある僕の大切な友人、マヒン君の実家でホームステイ。
偶然時間を共にすることになったバックパックの大学生、そして僕の奥さんも合流して、総勢12名でダッカのショトルガット港を夜11:30に出港する夜行船で田舎に向かい、地方の病院や学校への訪問、そして彼が手がけるe-Education Projectの現場を見学する。ダッカに居たのでは決して味わえないバングラデシュの田舎の美しさや人間の温かさをとことん味わう。 

   bangladesh trip 2
  ~ 夜行船での旅の末にたどり着いたチャンドプール港。僕らをまず出迎えてくれたのは、雨上がりの空にかかった美しい虹だった~

  bangla trip 4
  ~ ハムチャー村近くの港の茶屋で、ものすごい数のベンガル人に取り囲まれるトリップ・メンバー。人と人の距離が近い!!~
    
四日目:グラミン銀行訪問、職員・幹部との意見交換
 ソーシャル・イノベーターのメッカとも言える、ノーベル平和賞受賞で知られるマイクロ・クレジット機関、グラミン銀行を訪問。田舎の支店での借り手の女性達やスタッフとの交流、本社での幹部との意見交換等を通じて、そのビジネス・モデルの核心に迫る。Dr.ユヌスとの対面は成るか?

   bangla trip 3
~ グラミン銀行の支店での一幕。グラミンのスタッフは顧客である農村の女性達と、貸付を通じてどのような関係を創っているのだろうか?その背後にはどのような哲学があるのだろうか?~

五日目:ダッカ市内探訪
 このブログでも紹介してきた牛革加工工場が密集するハザリバーグ地区、中古船舶の修復工事現場、線路脇のスラム等を訪問。都市化や経済成長の歪がもたらすチャレンジの最前線で生き、働くダッカの人々と向き合う。

  bangla trip5
  ~ 中古船舶の修復工事現場での一幕。地上から数メートルの高さにある船の甲板まで、細い板をつたってよじ登る。メンバーが最も冷や汗をかいた瞬間!!~

   bangla tour 6
 ~ ハザリバーグの牛革加工工場を奥深くまで入る。マスク無しにはめまいがするような異臭の中、エメラルド・グリーンの工場排水が市内の川へと直接流れ込む様子をダイレクトに目にする。~  

六日目:NGOが経営する小中学校訪問
 この日は乗用車禁止!リキシャ、CNG(天然ガスで動くオート三輪)、ティンプ(軽トラックの荷台を改造した乗り合いバス)、そして小舟などなど、ベンガル人が日常的に使う交通手段で移動。ダッカから北へ約40キロ、ガジプール県ミレルバザール地区で活躍する青年海外協力隊の友人を訪問。彼が関わる学校プロジェクトや地方都市の暮らしを堪能する。

     bangla trip 7
 ~ 美しい緑の中を小舟で川下り。余りの心地よさに一同、眠気に抗う気力なし ~
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 印象的な出会いと学びの機会に満ちた一週間の旅を通じて、僕自身、バングラデシュの魅力と可能性、そして課題を再発見することが出来た。喧騒のダッカから緑いっぱいの農村まで、バングラデシュを彩る様々な現実に飛び込むべく、早朝から深夜までビッチリと詰まったイベントをこなすスケジュール、そしてローカル・レストランやホームステイ先で、ローカル・フードを右手でそのまま頂くベンガル人スタイルを貫いた。そんな荒削り且つ強行軍のスケジュールだったけれど、大きな怪我・病気・事故もなく、皆、日本での生活を再スタートできたようで何より(多少の下痢に悩まされた仲間は居たけれど…)。

 そんな機会を創ってくれたバングラデシュの友人達、そしてトリップに参加してくれた仲間に、心から「ドンノバート(ありがとう)」を伝えたい。その上で、次回以降の記事では、僕らの旅の軌跡をより深く綴っていきたいと思う(続く)。

  bangla trip 8
 ~ お世話になった農村ホームステイ先のマヒン一家との一枚。しい風景と強い家族の絆。どうしても再会したくなるバングラデシュの原風景だ。~
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/12 04:06
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