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スラムの生活に光を当てることは出来るだろうか?(その1)

 日々変化を続けるメガ・シティ、ダッカ。
 縫製業をけん引役に、産業・経済活動が活発化する首都は、河川の侵食等により土地を失った農家、より良い就業機会を夢見る田舎の若者達などを中心に、毎年30万人~40万人もの人々を引き寄せる。農村からの人口流入等により、ダッカの人口が、1990年の653万人から2010年には1,516万人へと、この20年で約3倍に増加したことは、このブログでも既に何度か紹介した。経済活動が熱を帯び、雇用機会が拡大し、都市のサイズが拡大していく一方で、市民のクオリティ・オブ・ライフは悪化を続けている。都市を支配する末期的な渋滞危機的な電力不足から始まり、牛革加工工場集積地帯であるダッカのハジャリバーグ地区の目を覆いたくなるような環境汚染船舶修復・解体の工事現場で働く人々の厳しい労働環境、ブリコンガ川の水質汚濁と地下水位の低下による水不足、激震災害発生時の脆弱性増大等、急速な都市化がダッカ市民や企業に与える負荷は決して小さくない。そして、都市化が齎す様々な問題の吹き溜まりのような場所が、ダッカ市内のそこかしこに存在するスラムなのだ。

    dhaka slum 1
 ~ダッカのハジャリバーグ地区にあるスラム。すぐ後ろは有毒な排水を垂れ流す牛革加工工場の集積地帯だ~


僕が世銀で担当しているプロジェクトの一つである、世銀資金を活用した政府プロジェクトのThird Party Monitoring(第三者評価)の実施機関であるNGOの一つに、ダッカのダンモンディ地区に拠点を置くResource Integration Center(RIC)がある。RICは、1981年に設立され、総スタッフ数約2,300 名、年間予算5億8,000万タカ(約5億8,000万円)とバングラデシュでは比較的規模の大きなローカルNGOであり、マイクロ・ファイナンスや災害予防、高齢者支援等と併せ、ダッカのスラムの人々の生活実態を中央政府や自治体の政策決定過程にインプットする活動も展開している。具体的には、スラムの住民を組織化して、彼らが抱える問題を認知し、それらをダッカ市や水道局、保健省等の政策担当者に対して直接インプットする、あるいは必要に応じてデモや署名集めをする、といった活動を通じて、放っておけば無視されがちなスラムに対して、水や保健・医療分野でより多くの公的リソースが配分される手助けをする役割を果たしているのだ。

  dhaka slum-2
 ~スラムの脇にある池は人々の洗濯・お風呂場だ。池の前の小屋はトイレ。汚物処理のシステムは無く、直接地面に落ち、積み上がり、そして雨によって流される~

 僕自身、これまで、週末に時間を見つけては、ダッカのスラムを10回以上訪問し、住民の皆さんのお宅にあがり込んで、お茶をご馳走になりながら、彼らから色々と話を伺ってきた。しかし、日常会話程度のベンガル語では、彼らの生活実態を知るにも限界がある。また、地区によって様相が異なるダッカのスラムの現状を、体系だって理解したい、という希望もあった。そこで、RICのプロジェクト・コーディネーターであるムイードさんにお願いしたところ、土曜日にもかかわらず本部に招いてくれ、ダッカスラムの概況やRICのプロジェクトの特徴について説明してくれた後、市内のスラム4箇所に同行の上、現地で展開するField Officerの同僚と共に、スラムで暮らす人々の現状と課題について、より深く理解する機会を設けてくれた。

 ちなみに、僕にとってムイードさんは、これまで、第三者評価実施に当たっての世銀内でのミーティングや地方都市への出張、さらには、Third Party Monitoringに関する南アジア地域のBest Practiceを共有するためにネパールで開催されたセミナー等もご一緒してきたパートナーであり、バングラデシュにおける市民社会の位置付け、市民参加型の開発プロジェクトを実施する際の留意点、そして、お役立ちベンガル語表現、などなど、彼の経験に基づく様々な知識を共有してくれた先生のような存在でもある。


 ところで、スラムとは何だろうか?定義は時代や国によって変わり得るが、RICは「1日1.5ドル以下(つまり、一ヶ月45ドル≒4,000タカ)」の所得階層にあり、基礎的な公衆衛生や医療・教育にアクセスが困難な層が居住している地区」と定義しており、現在スラムの居住者数は、ダッカの人口の約3割に当たる約440万人に上るという。

 スラムに関してよく知られるもう一つの特徴は、その殆どが私有地ないし官有地の不法占拠であり、であるがゆえに、常にInvoluntary Eviction(強制退去)のリスクと背中合わせで生活しなければならない、という点だ。例えば、我が家から10分程度の距離にある「ボナニ湖」の周辺にも、かつて大規模なスラムが展開していたが、年明けに、ブルドーザー等の重機が動員され、跡形も無く撤去させられてしまったのだ。何度もお邪魔したスラムの人々が、わずかな家財道具と併せて、屋根・壁に使っていたトタンや柱に使っていた木の幹をバン・リキシャに乗せてどこかに移動していく様子を見ながら、何ともやりきれない思いにさせられた。もちろん、住民に強制移転に伴う保障金等は支払われない

 しかし、ここに余り知られていない、厳しい現実がもう一つある。それは、ダッカ市内のスラムの住民は、劣悪な公衆衛生環境下にある畳3-4畳分程度の部屋に、いつ強制退去の憂き目に遭うか分からないまま、事実上の占拠をしているだけであるにもかかわらず、その居住者の多くが、毎月の家賃支払を求められるという点だ。しかも、その額は、僕がこれまで数十人のスラム住民の皆さんから聞いてきた結果だと毎月2,500タカから3,000タカ程度(3,000円程度)!!。RICの担当者からも同じ事実を聞かされた。

   dhaka slum-4
 ~スラムの家々は概ねトタンと竹、木の葉、ビニルで作られている。こうした家を造るのには平均5日程度、約1万タカから1万5,000タカ程度かかり、耐用年数は2年程度とのこと。~

 スラムの居住者の多くは、男性はリキシャ引き、工事現場の日雇い土方、ビルの清掃員等、熟練を要しない肉体労働や、市場での魚や野菜の販売に従事し、女性は街中の縫製工場やお金持ちの家庭のお手伝いとして働いているケースが多い。リキシャ引きの一日の稼ぎは、200タカ程度(ダッカの街を行くリキシャの多くはレンタルであり、リキシャ引きは、リキシャの借り賃として、一日80タカ程度、所有者に支払わなければならない)、縫製工場で働く多くの女性の月給は法定最低賃金である3,000タカ程度。こう考えると、上記の金額がスラム住民にとって巨大な負担であることが分かる。当然、一人で負担したのでは、食費も残らないケース多いため、数人・数家族で負担するケースも多いと聞く。

   dhaka slum-3
 ~ハジャリバーグ地区のスラムの中にあるリキシャの車庫。ここのリキシャは、週7日レンタルで、一日50タカのレンタル料で使うことが出来る~

 では、スラム住民から家賃を徴収しているのは、いったいどのような人々なのだろうか。スラムに住む人々が「マリク(ベンガル語で管理人・大家の意味)」と呼ぶ家賃徴収人は、その土地が民有地である場合には、土地の権利を持つオーナー(その多くは、成功した実業家や、古くからの土地持ち)となるが、官有地の場合には、実態が不明だ。RICの職員は、そうした人々のことを、「musclemen」と呼ぶ。どうも、それぞれの地域に有力者(多くの場合はやくざ)がおり、彼らが官有地の上に作られたスラムに住む人々から、「みかじめ料」のような形で、家賃を徴収しているという言うのだ。ちなみに、「musclemen」とは日本語で用心棒の意味。確かに、このヤクザまがいの家賃徴収人は、スラムの人々にとって用心棒のような役割を果たすこともあるという。それは、役人や警官による立ち退き要請や摘発から、スラムの人々を守るという機能だ。「musclemen」は通常、力のある政治家や不法ビジネス集団とつながりを持っており、その影響力を行使して行政の執行権を抑制し、そしてスラムの居住者からRentをSeekしている。

 このように、スラムの生態系は外部からはなかなか把握できない複雑な様相を呈しており、そして、その生態系の最下層に位置する人々は、そのわずかな生活の糧をRent Seekingにより搾取されているのだ。(続く)
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/07/30 04:04

バングラデシュに対する更新された好奇心を掻き立てることができるだろうか?

 来る8月23日(木)の夜19:00より、夏季休暇を利用して日本に一時帰国する折に、世界銀行東京事務所において講演をする機会を頂いた。

 昨年末に帰国した際にも、同様の機会を頂き、「バングラデシュの開発課題と世銀の取組みについて」とのテーマの下、普段途上国開発と言うテーマに馴染みの無い分野で学び、あるいはお仕事をされている方々も含む、職業・年齢共に非常に多様な約100名の参加者の方々と、バングラデシュの今について、共有し、議論をすることが出来た。

 今回は、「バングラデシュの持続的な成長に向けて ~マルチ・ステークホルダーと連携した世界銀行の取組み~」とのタイトルで、「Sustainability」を一つのキーワードとして、より踏み込んで、バングラデシュが今正に手にしている機会と直面している課題、そして世界銀行の取組みについて、プレゼンテーションに加え、僕が作成に関わったドキュメンタリー映像も合わせて、前回以上にビビットに参加される皆さんと共有したいと考えている。

 様々なテーマを通じてこのブログでお伝えしている通り、「新・新興国」バングラデシュは近年極めてダイナミックな変化を遂げている。産業・経済活動の活発化や様々な社会指標の改善と相まって、様々な新しい機会が芽生え、同時に新しい問題が噴出している。
  濛々と煙を上げるレンガ工場の煙突
   ~国中で操業するレンガ工場の無数の煙突からは今日も濛々と煙があがっている~

他方、日本においてバングラデシュと言えば、「貧困」「洪水」「グラミン銀行」(最近はマザーハウス)の三拍子でしか語られず、「貧しくて大変そうな国だから援助で(最近は“ソーシャル・ビジネス”で)、助けてあげなくてはいけない国」という認識でしか捉えられていない。今回の機会を通じて、バングラデシュの今をお伝えすることで、日本の皆さんのバングラデシュに対する「更新された好奇心」を掻き立てることが出来ればと思っている
ダッカ近郊の輸出加工特区の縫製工場で働く女性たち
~ダッカ近郊のガジプールに設けられた輸出加工特区(Export Processing Zone)の縫製工場で働く女性たち~

  また、2012年は日本が世銀に加盟して60周年の節目の年であると共に、10月に「IMF・世銀年次総会」が東京で開催される歴史的な年でもある。IMF・世銀に加盟する189カ国の財務大臣・中央銀行総裁・開発担当大臣等の政府高官や、市民社会のリーダー、著名な研究者が一同に会し、大小約200の会議・イベントが開催されるIMF・世銀総会は、公式参加者で1万人、非公式の参加者を含めれば2万人とも言われる、世界最大規模の国際会議だ。それが秋の東京で開催される。 

   IMF-世銀総会2012@東京

 バングラデシュ同様、世銀も変化を続ける組織だ。それは極めて巨大で複雑な、そしてグローバルに展開する有機体であり、バングラデシュの一事務所から見える風景や到達できる理解は当然限られたものとなる。それでも、現地事務所で現地の空気を吸いながら勤務する職員の一人として、変化を続けるクライアントに対して、世銀が資金面・知識面でどのようなバックアップをしているのか、新米ならではの、フレッシュな視点で共有をし、東京総会に向け、日本の皆さんと世銀との距離を縮める一助になれればと思っている。

 申し込みは、世銀東京事務所のウェブサイトに設けられた専用申し込みフォームから。一人でも多くの皆さんとバングラデシュの今を共有できるのを楽しみにしております。 

  夕日に染まるメグナ川に網を投げる漁師
    ~ 夕日に染まるメグナ川に網を投げる漁師 ~
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/07/28 03:38

バングラデシュが教えてくれた大切なコト⑤

ハウルで水浴び

      実際に飛び込んでみないと分からないことって、あるよね! 
                  ~キショルゴンジ県、ハウル地区を覆う増水した河川にて~


 思い切って飛び込んだその先は、思いがけず心地の良い流れに満ちていて、

    元居た場所からは想像も出来ないくらいの、深みと温かみのある空間で、

      そして何より、行動を思いとどまらせ、思考を狭めていたその壁が、実はそんなに高いものではなかったんだ、と言う気付きを自分に与えてくれたんだ。



 組織の壁、業界の壁、官民の壁、国境の壁、年齢の壁…僕らは見えないけれど、高い壁に囲まれている。それらは殆ど所与のようだ。
 
 でも、実は、自分自身が身に付けてきた思考や行動様式が、煙幕のように視界を取り囲んでいるだけではないだろうか?

 本物の壁か? それともバーチャルなのか?

 確かめる術は自分の元にある。そう、ちょっとした勇気と好奇心をもって、壁の向こう側に飛び込んでみればいい。答えは自ずから見える。
            
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/07/17 03:19

バングラデシュが教えてくれた大切なコト④

泥濘に足を踏みしめろ


 足が重くとも、目的地が霞んでいても、とにかく前へ進め。自分が選んだその道を。
  
    スピードや華やかさに囚われるな。
    
     「俺の歩みはこんなもんじゃない」なんて、過去の自分に酔っている暇は無い。

         まして、他人の歩みなど気にしている場合ではない。

   ただ重心を落とし、己の10本の指が、ぬかるみをシッカリ踏みしめているかに意識を集中させよ。
    
      きっと君は、そこに確かな足跡が深く刻まれていることに気が付くはずだ
 
               


 ダッカの北部約200キロ地点にあるキショルゴンジ県の複数のウポジラ(郡)は、一年のうち約5ヶ月間、増水した河川の水のために大半の地区が水没する。雨季の間、人々は、農作業も出来ず学校にも通いづらい状況の下、僅かな高台に作られた小さな集落で暮らすことになる。

 雨季が到来する直前の5月上旬、現地で活躍する青年海外協力隊の友人と共に、この地を訪れた。そこで目にしたのは、豊かな稲穂が彩る黄金色の大地と、熱い太陽の下、男も女も、子供も老人も総出で、眩しい笑顔を交わしながら収穫作業に取り組む農家の姿だった。

黄金色の田園風景


牧歌的な風景ではあるが、生活は厳しい。収穫した作物を運ぶその“メイン・ロード”は、まったく舗装されておらず、雨季に入る前からあちこちが沼地のような様相を呈している。そんな道なき道を、人々は、掛け声を上げ、足を踏みしめながら、着実に前に進んでいく。そして、彼らが活き活きと今を生き抜くその姿勢が、くっきりとした足跡となって、台地に刻まれている様を、僕は確かに目にした。



 バングラデシュの赴任後、一年が経とうとしている。焦燥、葛藤、不安、猜疑、羨望、孤独といった負の感情に押しつぶされそうになった時もあった。遥か遠くの目的地の確認や過去の自分の取組みの振り返りばかりに気を取られ、足元が覚束なくなった時もあった。

 人生、何を選ぶかということ以上に、選んだ道をどう歩むかが、決定的に重要だ。折り返し地点に差し掛かった今、自分がこの一年付けて来た足跡を見つめなおし、そして、もう一度、バングラデシュと世界銀行というフィールドの感触を、シッカリその足で確かめながら前に進もうという想いを新たにする。

 そして、バングラデシュに雨の季節がやってきた。
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/07/13 03:10

この国のセーフティ・ネットは誰が担うのか?(その2)

 6月末、携帯電話のスクリーンが、シラージ・バイからの着信を告げた。

 「明日手術なんです。どうか祈っていて…」

 電話口から聞こえたのはルビーナさんの震えるような声だった。

 「大丈夫。手術は必ず成功するから。『終わったらすぐに会いに行く』とシラージ・バイに伝えておいて。手術が終わったら連絡をして!」
 そうルビーナさんに伝える僕のたどたどしいベンガル語も少し震えていたのかもしれない。
 「心配ないですよ、ボス。シラージ・バイの担当ドクターは呼吸器系で有名な名医ですから。」シラージ・バイの代理運転手として僕の面倒を見てくれているオマール・バイが、運転席からいつものハスキーボイスで声をかけてくれた。

 しかし翌日、夜になってもシラージ一家からの連絡は入らなかった。オマール・バイに尋ねるも「私もまだ結果を聞いていないのです」という返事。痺れを切らしてルビーナさんに電話をいれる。時刻は既に夜9:00を回っていた。鳴り続ける呼び出し音に焦りが募る。ふいに電話に出たのは聞きなれない男性の声だった。色々と自己紹介をしてくれているようだが、どうにもベンガル語が上手く聞き取れない。それより、シラージの容態はどうなった?焦って尋ねる僕に返された返答は、ちょっと信じたくないような内容だった。
 
 「残念だけれど、シラージは今日は会うことが出来ません。ICU(集中治療室)に昨日からずっと入っていてしゃべれる状態に無いのです」

 携帯電話を握り締める手に汗がじっとりと滲み出てくる…嗚呼、これはきっと僕の語学力不足で正しく聞き取れていないに違いない!だって、シラージはこの前まであんなに元気だったんだから…

 彼は続けて何かをしゃべっている。その声を一生懸命聞き取った。そしてそれは、一定の希望を僕に与えてくれるに十分な内容だった。

 「ドクターは手術は成功したって言っています。明日にはICUから出てしゃべれるようになるそうです。なので、ボスは明日の夕方以降に、是非来てください。」



 翌日、仕事帰りにモハカリの呼吸器専門病院に向かう。訪問は既に5回目を数えていた。いつも通りソニアとルビーナさんが姉妹のように並んで迎えてくれる。その表情には心なしか安堵の笑みが浮かんでいる様に見える。二人に連れられて通されたのはこれまでとは違う特別病棟だった。病室の入り口で看護婦さんから靴を脱ぐように促された後、ICUと隣接するその部屋に入ると、10床ほど並んだベットの一つに横になっているシラージ・バイの姿が目に飛び込んできた。

 「クー・バロ!アプニ マラ ジャンニ!!(あぁ、よかった。死んでなかったんだね!)」

 殆ど冗談みたいな拙いベンガル語のお見舞いの言葉をかけながら、シラージ・バイの手を握る。いつもの笑顔を振り向けながら手を差し出してくれたシラージ・バイは、実際目に見えて体調が良くなっていった。咳も出なくなり、以前と同じような声で話せるようにもなっていた。しかし、背中からは太いチューブが伸び、痛々しい手術の跡は厚い包帯で覆われている。

  手術後のシラージ・バイ
    ~手術直後のシラージ・バイの様子。背中につながれたチューブが痛々しい~

 病は峠を越えたものの、術後に必要な薬の種類が増えたこと、そして特別病棟に移ったこともあり、入院費用が日々4,000タカに跳ね上がったとのこと。一命を取り留めたのは何よりだったが、術後の痛みとともに、心労は耐えない様子だった。手術成功の喜びをかみ締めつつ、幾ばくかの支援金を彼に手渡し、僕は病院を後にした。


 その1週間後、シラージ・バイは無事退院することが出来た。退院祝いにモハンマドプールの自宅に久しぶりに遊びに行くと、慣れ親しんだルビーナさんとソニアの笑顔だけでなく、ルビーナさんのお母さん(ソニアのおばあさん)、自宅の大家さんの奥さん、ルビーナさんのお兄さん夫妻とその娘と息子、そして同僚であり友人のオマール・バイと奥さんも混じって迎えてくれる大賑わい。皆、長屋のような建物に並ぶ部屋に住んでいるご近所さんなのだ。

 思いがけず綺麗な白い花束で歓迎してくれたソニアに、持ってきたカメラを動画モードにして得意の英語でのスピーチをするようにお願いすると、彼女は家族について、こんな風に語ってくれた。

 「私の父はシラージ。いつも一生懸命私のために働いてくれています。お父さんは何でも良く知っているすごい人なんです!お母さんはルビーナ。お父さんと比べると、うーん、ちょっと大分抜けているんです!(笑)。いつも、おバカな冗談ばかりを言って。でも、私が勉強をサボるとすごく厳しいんです。」

 シラージ・バイの義理のお兄さん(ルビーナさんの兄)のアルマさんが僕の肩に手をかけて語りかけてくれる。

 「何度もお見舞いに来てくれて本当に有り難うございます。手術後に頂いた電話でお話したのは私だったんですよ。今は政府観光局で働いています。直営のホテルがいっぱいあるので、バングラの地方観光の際は是非泊まりに来てください。」

 あの時の自己紹介はちっとも聞き取れなかったな…と思い出しながら、優しい目で話をしてくれるアルマさんと、バングラデシュの農村地帯の美しさについて一頻り盛り上がる。そして、ルビーナさんが作ってくれた特製のチキン&ビーフ・ビリヤーニがお皿に山と盛られて運ばれてきた!これは心もお腹もいっぱいになりそうだ!
 
 ビリヤーニや野菜を盛り付けながら、シラージ・バイがしみじみとした様子で語ってくれた。

 「ボスを含め大勢の友人が助けてくれましてね…10万タカ以上かかった入院費用の大半は大家さんが貸してくれました。もちろん利子無しでね。レンタカー会社の同僚たちもお金を出し合ってくれた。何より私の妻であり親友のルビーナは24時間、付きっ切りで看病をしてくれた。妻と私が不在の家をソニアは良く守ってくれ、親戚の皆がソニアの面倒を見てくれたんだ…インシャ・アラー」

 峠は越えたとはいえ、シラージ・バイは術後の痛みが長引いているようで、今はまだ自宅のベットで養生している。痛み止めを中心に薬代も嵩んでおり、何より今は仕事を休んでいるので月給が入ってこない。そして、月々5,500タカの家賃をはじめ、生活に必要な出費は以前より痩せた彼の肩にのしかかって来る。

しかし、シラージ・バイの声は感謝と愛に満ちていた。同時にそれは、医療保険制度などの公的なセーフティネットが整っていないこの国で確かに存在する、相互扶助という名のセーフティ・ネットをくっきりと映し出しているようでもあった…
  シラージ・バイのご一家と
 ~シラージ・バイの一家、親戚、友人との一枚。手前中央のメガネをかけた女の子がソニア、ソニアが手をかける左横の女性が奥さんのルビーナさんだ。~



 世界一の人口密度を誇るバングラデシュは、物理的にも精神的にも、人と人との距離が近い。近代化を進める過程で日本を始めとする多くの先進国が、「個人の選択肢の拡大」という価値と引き換えに失ってきた大家族や近所同士のコミュニティが創り出す絆も、この国ではまだ力強く息づいている。同時に、昔ながらの人と人とのつながりが作り出す相互扶助という名のセーフティ・ネットが、急速な都市化の進展や市場経済システムが跋扈する領域の拡大とあいまって綻びつつあるのも、また事実だ。

急速な変化を続けるバングラデシュ社会で懸命に、しかし笑顔で日々を生き抜ぬく、シラージ・バイ一家のような普通のベンガル人が、その変化に適応していく上では、相互扶助を成り立たせてきた社会の生態系を維持しつつ、医療や介護保険制度のような公的セーフティー・ネットを構築していくことが急務だ。そして、持続的な公的セーフティ・ネットのデザインに当たっては、現在バングラデシュが経験している「人口ボーナス」や6%の経済成長を前提とするのではなく、バングラデシュも将来いつかは必ず経験する、低成長・高齢化・人口減少社会の到来時にも柔軟に適応可能な制度としていく必要がある。一度制度として定着してしまった既得権を変更するのは、現状の民主主義を前提とすると極めて困難な作業だからだ。

 こうした課題と目下格闘している日本が、これから公的セーフティ・ネット構築していこう、というフェースにあるバングラデシュに対して有意な知的インプットが出来る余地は大きい。同時に、日本人は、バングラデシュの人々が作り出す相互扶助という名の柔軟で力強いセーフティ・ネットの背景にある、身近な誰かを常に気遣い、大切にするという心の姿勢から、大いに学ぶところがあるのではないだろうか。        (本シリーズ 終わり)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2012/07/10 03:54
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