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開発プロジェクトの成果向上のためには何が必要だろうか?(その1)

      Social Mapping の様子①

 ダッカから約40キロ程東に位置する地方都市ノルシンディ(Narshindhi)。市街地に入った後、よく整備された幹線道路Dhaka-Shylet Highwayに別れを告げて小道に入り、青々と広がる田園を横目で見ながら進むこと約45分。相変わらずの渋滞のお陰で3時間超のドライブの末たどり着いた目的地、ジャイナガール・バザール(Jaynagar Bazar)では、村人たちが集まって、大議論をしながら何かを地面に描いている。青や赤色のパウダーで地面に引かれた長い線。その脇に様々な形や色の紙片が並べられる。
 「学校はここだな。」
 「違うわ。学校は河を越えたここの辺りよ。」

 「ここがアムラボの市場。」
 「大きなバナナの木があるところだな。では、この枝を目印に指しておこう。」
     Social Mapping の様子③

 オレンジ色の紙片は小店、ブルーはモスク、緑は学校、と区別されているようだ。そして中心に引かれた青色の線は、村の人々が日常生活や仕事で活用している地方道。人々は、描いた道に沿って、モスクや診療所、学校、河などを並べ、地図のようなものを作っているようだ。しかし、一体何のために?
 その答えは、その後に続く村人たちの議論で明らかになる。

 「このバザールとモスクの間は道幅がやけに狭いから、交通事故がしょっちゅう起こっている。この前も俺の弟が大怪我をした。」
 「ここに橋が架かっているって言うけど、この前の雨季で壊れたまま修理が出来ていないわ。このまま放っておくと、2ヵ月後に雨季が始まったら子供たちが学校に通えなくなってしまう。」

 そう、人々は地面に描いた地図を元に、道路とその周辺について、どこをどのように整備すればよいのかを議論しているのだ。議論に必要な色の付いた粉、ポストイットのような紙片等は、地元のNGO、Population Services and Training Center(PSTC)の担当者が持ち込んだものだ。村人同士の議論をファシリテートするのも、PSTCの担当者。彼らは、議論が男性中心になりかかると、遠慮がちな女性たちを輪の中に引き入れて、議論に女性や子供の意見が反映されるように工夫していく。村人たちの議論をメモにとり、地面に描かれた地図を持ち込んだ模造紙に綺麗に書き直すのも彼らの仕事だ。

 そして、今回の議論の対象となっている村の道は、世界銀行のプロジェクト、Rural Transportation Improvement Projectで整備されたものなのだ。PSTCの担当者がまとめる村人たちの声と情報はレポートとしてまとめられ、バングラデシュ政府のプロジェクト担当ユニット、及び世界銀行のタスク・チームに届けられる。エンドユーザーから直接届けられた情報は、プロジェクトの軌道修正や新たなプランニングに役立てられる
     Social Mapping の様子④   


 この一連の作業は、世銀バングラデシュ事務所にとって初めての試みであるThrid Party Monitoringの一環として行われているSocial Mappingと呼ばれるものだ。世銀のプロジェクトの効果を高め、初期の成果(Results)に結びつくようにするべく、エンド・ユーザーの視点と情報を、現地のNGOと協働しながら把握していくこの作業。ポイントは、得られる情報が第三者且つ草の根の視点であること、現在進行中のプロジェクトに対して実施されること、何より、サービスの受け手である住民、実施主体である政府と世銀、そしてその間をつなぐNGOにとって、プロジェクトの効果を向上させていくための学びの機会(Learning Oppotunity)であるという点だ

 世界銀行は、実施中の全プロジェクトに対して基本的に四半期に一回ベースで政府の担当者とともにプロジェクトの現場を確認し、その結果等を元に政府側と議論をして改善すべき点を覚書(aide memoire)として政府と共有するとともに、内部報告用にはImplementation Status Report(ISR)としてまとめる。プロジェクト終了後は、担当チームがImplementation Completion Report(ICR)を内部報告用にまとめるとともに、世銀の評価専門部隊であるIEG(Independent Evaluation Group)が独自の視点で事後評価を実施し公表する。このように、プロジェクトが予定通り進捗しているか、初期の成果は上がっているかどうかを確認し議論する体制はできてはいるものの、これだけでは把握しきれない情報は数多くある。

 最大の問題は、世銀のタスク・チームが政府の担当者とプロジェクトの現場を見て回る際には、往々にしてその現場は、“いつもと違う”状況にしつらえられている、ということだ。何週間も前から訪問が現地に伝えられ、政府の現地オフィスも、プロジェクトの受益者も、「よそ行き」の装いで「ご一行様」を迎えることになる。また、滞在時間も限られているため、広いプロジェクトの現場を全て回ることは難しい。さらに、自分が担当しているプロジェクトであるがゆえに、「このプロジェクトは上手くいっています!」という良い報告をしたいというバイアスが政府側にも、世銀側にもある程度生じてしまうことも否めない。

 こうした問題点をカバーし、世銀のResults重視の姿勢を、Civil Society(NGOやNPO等)と連携しながら強化するのがThrid Parity Monitoringだ。次回以降、僕が担当しているこのイニシアティブについて、Social Mapping以外のツールも紹介しつつ、試行錯誤の様子を共有していきたい。(続く)
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/02/29 20:10

何故世界中の船がバングラデシュに流れ着くのだろうか・・・(その2)

      ダッカ~Ship dock yardの風景①~

 小型商船からタンカーまで、世界の海を航海した船がバングラデシュにたどり着く背景は、供給サイド、つまり船舶解体・修復サービスを提供するバングラデシュ側と、需要サイド、つまり使い古した船舶の処理を求める、主として先進国の船会社や船主側の二つの側面から説明出来る。

需要サイドの背景については、バングラデシュで進展する都市化に伴う旺盛な建築需要が挙げられる。先月の記事「この街はどこに向かって伸びていくのだろうか~ダッカの不動産業を巡る物語」でまとめたとおり、急増する都市人口を背景に、ダッカの街は北と上空に向かって伸びている。旺盛な建築需要に応えるためには年間500万トン(2008年現在)と推定される鉄筋や鋼板が必要となるが、この約半分が、廃船をばらした結果手に入る部材やくず鉄から賄われていることは前回の記事でも述べた。船舶解体・修復を引き受けることで雇用と外貨が手に入るばかりか、喉から手が出るほど欲しい鉄材が“無料で”手に入るわけであるから、バングラデシュにとっては一石三鳥という訳だ。

    ダッカ~Ship dock yardの風景⑥~
  ~Ship dock yardの近隣に並ぶ町工場。廃材を再利用するべく旋盤工がせわしなく働いている~
 
    ダッカ~Ship dock yardの風景⑦~
  ~廃船となった船から調達したと思われる日本製のコンパス~
    
 一方で需要サイドの事情はどうだろうか。まず頭に浮かぶのは、縫製業同様、中国の3分の1程度と言われる人件費の安さだろう。ダッカのShip Dock Yardで働く人々に月の稼ぎを尋ねたところ、作業の内容や仕事の多さにもよるが、概ね1万5千タカから2万タカ(1万5千円から2万円程度)という回答が多かった。船舶解体・修復業といえば、いわゆる3K(クサイ・キタナイ・キケン)職種と言われ、例えば船底への落下事故や船舶解体に伴い発生するPCBやアスベストよる健康被害にも直接晒される。

    ダッカ~Ship dock yardの風景⑤~
      ~中古船の中にもぐりこんで修復作業に従事する労働者たち~

 このような職業に一月2万円弱でコツコツと取り組んでくれるバングラデシュの人々に、世界の船会社、ひいては、その物流サービスを活用している各国の消費者は依存していることになる。「世界の船の墓場」が終戦直後の日本から、韓国、中国、トルコ、インド、そしてバングラデシュへと変遷してきているのも、「3K作業」を安い人件費で引き受けてくれる場所を求める需要サイドのニーズと合致していると言えるかもしれない。

     ダッカ~Ship dock yardの風景②~
     ~頭に鉄くずをつけながら中古船から錆を取り除く作業に淡々と取り組む若いバングラデシュ労働者。彼の先月の賃金は1万2千タカだった~

中古船が犇く現場と隣り合わせの町工場でふと、粉塵まみれになりながら船のプロペラ工場で作業をする男の子と出会った。今年9歳というこの男の子は「1週間この工場で作業をすると100タカもらえる」とつぶやいていた。両親はどこに?と尋ねると、船の修復現場のほうを指差す。「学校には行かないの?」との質問が口から出掛ったが、僕の心がストップをかけた…
  
    ダッカ~Ship dock yardの風景⑧~

 また、船舶解体・修復業といえば、それに従事する労働者への健康被害だけでなく、作業に伴い不可避的に発生するカドミウムや亜鉛、水銀等による水質汚濁や土壌汚染等の環境への悪影響と隣り合わせだが、これらに対する規制が世界各国と比較して相対的に弱いのがバングラデシュなのだ。正確に言えば、それらを規制する法制度はあるものの、規制を実施する体制が弱いため、実効力を伴っていないのが現状だ。規制が実効力を伴わないために、船舶解体・修復を請け負う業者も周囲の環境や労働者の健康・安全を守るために必要な投資をするインセンティブを持たない。結果、バングラデシュの船舶解体・修復業は安い人件費と相俟って、環境面での規制の弱さによって、顧客を惹きつける「価格競争力」を持つことになるのだ。「牛革と引き換えにどれ程を失うのだろうか? ~ハザリバーグという街の物語~」で指摘したダッカの牛革加工クラスターで見られるのと同様の問題がここでも発生している。
   
 こうした問題の脅威をさらに高めているのが気候変動の影響だ。即ちチッタゴンの船舶解体現場では、気候変動の影響によって、その頻度や規模が大きくなっている高潮やサイクロンの襲来、及び海岸線の浸食により、長い海岸線に大量に積み上げられた有害廃棄物が周囲の海に流れ出る危険が高まっている。山積みされた水銀やカドミウムがサイクロン等の襲来によってベンガル湾に大量に流出するようなことがあれば、その被害はバングラデシュに留まらない。

 世界最大の船舶修復・解体業の担い手となるのと引き換えに、バングラデシュがその国土と人々に掛けている負荷は途方もない。この国は、Animal Spiritに満ちた実業家と勤勉な人々の努力により過去10年、堅調な経済成長を遂げてきている。しかし、電力や道路といったハード・インフラの未整備に加え、環境や人々の安全といった目に見えない公共財を創り・維持する政府の規制の枠組みが機能しないままでは、人々の勤労はQuality of Lifeの低下、という形で報われることになってしまう。一部の超裕福層と公金で私服を肥やす輩を除いては…
 
 青空の下で間断なく響き渡る金属がぶつかり合う音を聞きながら、この国が今後持続的に発展していくには、ハード・ソフトのインフラを実施するための政府の能力強化と、規制の実効力向上のための官民協働の枠組みが必要だ、こんな認識を改めて深めた穏やかな土曜日の昼だった。

   ダッカ~Ship dock yardの風景③~
      ~船舶の枠組みに切り取られたダッカの冬の青空~
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/02/22 03:30

何故世界中の船がバングラデシュに流れ着くのだろうか・・・(その1)

 ダッカの南を流れるブリコンガ川。そのどろりとした流れは、ダッカ市民の生活排水や牛革加工工場などからの汚染水で黒々と濁っている。折からの乾季で流れが淀んでいるせいだろうか、川面から漂う卵の腐ったような臭気はダッカの水の玄関口であるショドルガット港の構内にも立ち込めている。そんなブリコンガの川面は今日も、間断なく行き来するノウカ(小船)で埋め尽くされている。

    ブリコンガ河を行き来するノウカ


 よく晴れた週末の午前中、僕は友人とともに、そんなノウカに揺られながら、“さわやかなブリコンガ・クルーズ”を楽しんでいた。向かう先は川向こうにあるShipdock Yard、つまり船舶修復、製造の現場だ。
    ダッカ船舶解体現場② 
          ~ダッカのShipdock Yardに並ぶ中古船の数々~

 バングラデシュの産業といえば、世界第二の輸出量を誇る縫製業を筆頭に皮革工業、そして製薬業が有名だが、実は、船舶解体・修復業でも世界に大きく貢献している。例えば、2008年に世界で解体された8,280隻の船舶のうち、実に半分以上、4,176隻がバングラデシュで解体されている。続くインドの2,458隻を倍近く引き離して堂々の一位(下記表参照)。つまり、7つの海を航海した世界の多くの船たちが最後に流れ着く先がバングラデシュなのだ。

 船舶解体・修復業のバングラデシュにおける拠点は、第二の都市であり、ベンガル湾に面した一大港湾都市チッタゴンだ。現在、バングラデシュで船舶解体・修復業に従事する人々は時期により変動するが、概ね8,000から2万2千と推計されており、その大半が、バングラデシュの農村部からの出稼ぎ労働者だという。チッタゴンの港に流れ着いた船たちは、修復すれば中古船として使いようがある船と、もはや務めを終えたと判断される廃船とに仕分けされた上、後者は徹底的に“ばらされる”。ばらされた様々な船の部品や鋼板は、その殆どがリサイクルされ、新たな船や産業機械としてバングラデシュ国内で活用される。バングラデシュ国内で活用される鉄鋼の半分以上が、解体された船舶から供給されているというから驚きだ。(以上出典:世界銀行レポート「Ship Breaking and Recycling Industry in Bangladesh and Pakistan」)

 そして、一件使いようのない屑鉄のように見える様々な部品たちや、中古船として再デビューを図る船たちが、チッタゴンからベンガル湾を北上し、ブリコンガ川をさかのぼり、やってくる先が、今回僕が訪問している、ダッカのDock Yardという訳だ。

   ダッカ船舶解体現場①
   ~ 世界の海の航海を追え、チッタゴンからダッカのShipdock Yardにたどり着いた巨大な中古船。修復され再デビューを果たすには約2ヶ月を要するという ~

 なお、船舶解体・修復業はかつて日本や台湾が主要な担い手国だった。例えば太平洋戦争直後は、世界中の軍艦が日本に集められ、特に瀬戸内海沿岸のドックで盛んに船舶解体業が行われていたという。その後、20世紀後半に入り、世界の船の墓場は、韓国、中国、インドと徐々に変遷をしていく。バングラデシュが世界最大の「船の墓場」となったのは、2000年代に入ってからだ。
   船舶解体・修復業担い手国の変遷
 何故、世界中の多くの船はバングラデシュに流れ着くのだろうか?。次回は、ダッカのShipdock Yardで船舶修復業に従事する労働者一人ひとりの状況とその暮らしに焦点を充てつつ、この問と向き合い、現代のバングラデシュが抱える様々な課題と可能性とを浮き彫りにしていきたいく(続く)。 
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バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/02/03 00:04
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