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バングラデシュのマラソン大会って、どんなものだろう!?(その2)

      ディナジプールマラソン、スタート地点の河

 バングラデシュの冬の朝は美しい。立ち込める濃い霧と薄い朝日が解け合い、遠くに見える木々や川の流れを幻想的に映し出す。そして空気はキリっと引き締まっている。そんな幻想的な空気を、ディナジプール・マラソンに参加したランナーたちが一斉に破っていく。先頭集団はかなりのスピードだ。気がはやるが自分のペースを守らないと後がきつい。ハーフもフルも勝負は後半からだ。一キロ5分弱程度のスピードで淡々と行くことにしよう。

     ディナジプールマラソン

 それにしても、思った以上にちゃんとしたマラソン大会じゃないか。沿道には村の人々が、この奇妙な行事の趣旨は良く分からん、という顔をしながら、次々と走り抜けていくランナーたちを見つめる。子供たちは大喜びで手を振ってくれる。路上で朝の二度寝をむさぼっていた野良犬やヤギたちが、飛び起きて道をあける。

 周りに目をやると、そこには広々とした美しい田園風景が広がっている。濃い朝霧の化粧をした丸い太陽がオレンジ色の優しい光を大地に投げかけながら、少しずつ中空を目指して上っていく姿が見える。なんて素晴らしい風景だろう!僕の体の隅々まで流れる血液や、全身の細胞たちの喜びが聞こえくる。

    ディナジプールマラソンの風景
   
 ときたま、幹線道路を爆走するバスがランナーたちを凄いスピードで追い抜いていく。バスが響き渡らせる盛大なクラクションは、まるでランナーを応援するブラスバンドのトランペットのようだ。これから市内の工事現場に向かうと思しきトラックの荷台に乗り込んだ、大勢の土方の兄さんたちが、大騒ぎで応援しながら、最高の笑顔をくれる。

 乾燥した空気に段々とのどが渇いてくる。すると、併走してくれているバイクにまたがったスタッフが、ペットボトルを手渡してくれる。水を喉から流し込み、頭からかぶる。ペースが戻ってくる。素晴らしい!何だか駅伝の選手になったみたいだ!

 いざという時のためだろうか、救急車も動員されており、ランナーと併走してくれている。沿道の応援といい、風景の美しさといい、併走バイクによる給水といい、ひょっとしたらこれまで参加してきたマラソン大会の中で、最も素晴らしい大会に今僕は参加しているんじゃ、ないだろうか!

 こんな風に本気で思わせてくれるマラソン大会だった。前半までは…

 しかし、10キロを過ぎた辺りから少しずつおかしなことが起こり始めた。

 最初の異変は米の山だ。

   ディナジプールマラソンの風景②

 近くの田んぼで収穫されたお米の取引所のような市場と遭遇。収穫した米を詰め込んだジュートの袋が路上に山積みされ、人と車でごった返している。そして、次第に台数を増していた大型バスがそこにつっかえている。僕もそこで一緒につっかえる。おいおい、こっちはマラソンレース中なんだよ。道を開けてくれないかな、と心で叫んでも、返事として返ってくるのはバスのお尻から吹き出される排気ガスだけ。折角のペースや気分も台無しだ。

 バスとトラックの隙間を潜り抜け、ようやく米市場を脱出。大分先頭集団と差がついてしまったかな…と思っていたところ、次なる異変が発生。

 確かずいぶん前に僕を追い抜き快調なペースで走っていたベンガル人ランナー数人が、爽やかな顔で手を振りながら僕に近付いてきたのだ。バイクに乗って…!?

 どういうことだろう。見間違えかな?でも、ゼッケンをしているのだから間違えない。ふと見ると、別なランナーたちが道端で談笑している。あれれ?もう走り終わったのかしら。まさか!?まだスタートして1時間数分しか経っていない。これでゴールした上で、ここまで戻ってこれているとしたら、オリンピック・クラスだ。しかし、リタイアにしては、彼らの表情、余りにもすがすがしすぎる。うーむ。理解不可能。ひょっとしたら、賞金が取れないことが明らかになった段階で、爽やか、速やかにリタイアしたということだろうか!?

 そして、15キロ地点を越えた当たり、ディナジプールの市街地に入ってくると、先程まではランナーに併走し、ペットボトルの水を渡してくれていたバイク軍団も完全に姿を消した。街の中はマラソン・レースなんて開催されていない様な感じだ。増える交通量。舞い上がる粉塵。とてもマラソン・コースとは思えない。

 乾燥した空気と粉塵で喉がカラカラに渇いてくる。最近長距離を走ってこなかった我が両足はいよいよ熱を帯び、重みを増している。水が欲しい。水!しかし、どこにも給水所がない。このままではますますペースが落ちてしまう。いつかきっと、給水所が来るだろう。ペットボトルを手にしたバイク野郎が登場してくれるだろう…

 願いはむなしく5分、10分と時間が経過していく。フラフラしてきた。これはいけない。最終手段に出ることにしよう。ポケットに手をねじ込み、汗と水でくしゃくしゃになっている10タカ紙幣を取り出し、道端のドカン(小店)に駆け込んで叫ぶ。

パニ・デベン!」(水ください!)

 ドカンの店主が僕を見て、足元のポットを面倒くさそうに取り出しコップに水を注ぐ。水は素晴らしく濁っている・・・マラソン大会に出た挙句、下痢になったのではたまったものではない!

ナー!チョト・パニ・ボトル・キンテチャイ!!タラタリ・デベン!(違う、小さい水のペットボトル買いたいの!早くくれ!!」

 店主は重い腰をあげて店の奥から水のペットボトルを取り出し僕に渡してくれる。ボトルを引っつかみ、10タカ紙幣をおいて、再び喧騒と粉塵にまみれたディナジプールの街に走り出る。もう前にも後ろにもランナーの姿は見られない。皆どこに行ってしまったんだろう。ひょっとしたら道を間違えたのかも…

 前半までの美しい風景と高揚する気持ちはどこへやら、すっかり落ち武者モードだ。あぁ、また交差点だ。どっちに行けばいいのだろう。これはタイムどころではない。

 と、赤旗を持っている男性が見える。マラソン・レースの腕章をしている!迷えるランナーをゴールに向けて誘導してくれているのだあぁ、よかった。ディナジプール・マラソン、未だ続いていたんだ。僕は一人ではなかった。

 その後、もう一度ドカンに駆け込んで水を入手し、また時折現れる赤旗スタッフに導かれながら、ようやくディナジプール駅の線路を越えた。もう少しだ。ラストスパートをかける。赤いゴールテープが僕に近付いてくる。最後の直線では大勢の市民が沿道で手を振ってくれている。

 ゴール。。。

 時計に目をやると、スタートから1時間37分が経過している。自己ベストに近いタイム。でも、きっと21キロよりも短かったのではないか。米市場に道を阻まれ、ドカンで道草を強いられ、何より最近長距離を走って来ていない自分が出せるタイムとは思えない。兎に角ゴールした。僕の前には5人くらいのベンガル人ランナーがゴールしていた。一位はなんと1時間19分!?相当のタイムだ。ベンガル人にも走り屋がいるのだ、ということを知れただけでもよかった。

 続いてポツポツと日本人の仲間がゴールしてくる。みんな、それぞれのペースでの完走。色々あったがゴールまでたどり着けてよかった。今までで最高のマラソン大会であったとは言い難いけれど、一番印象的な大会であったのは間違えない。声を掛けたディナジプールの協力隊の皆さん、一緒に走ってくれたランナーのみんな、大会を作ってくれたスタッフの皆さん、そして沿道で声を掛けてくれたディナジプールの皆さん、本当にありがとう!!

          見事完走した日本人の友人たちと
    ~ 日本人トップ3でゴールした友人たちと、みんな最高の走りでした!~
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2012/01/25 04:50

バングラデシュのマラソン大会って、どんなものだろう!?(その1)

   「ディナジプールでハーフ・マラソン大会が開催されるらしい
 
 こんな刺激的で魅力的、そして耳を疑いたくなるような話が僕の耳に飛び込んできたのは2週間ほど前だった。

 僕は走るのが好きだ。30歳になってから、いつの間にやら始めていた走るという行為は、今や、僕が人生を前向きにマイペースで、そして着実に歩んでいく上で欠かせない欠かせない習慣となっている。日本に居たときは、月平均で150~180キロ程度のジョギングをし、年に4-5回のペースで、様々なフルマラソン、ハーフマラソン大会に出場してきた。バングラデシュに来てからは、我が家のあるバリダラと呼ばれるダッカの外国人居住区内のスペースをグルグルと走り回っている。友人からは、「酷い排気ガスと粉塵の中でよく走れるね」と変人扱いされているが、まぁ走れないよりはましなのだ。でも、東京居たころ、金八先生の主題歌でおなじみの荒川の広々とした河川敷を、週末の度にひたすら走っていた自分にとっては矢張り物足りない。月々の走行距離も大分短くなっていた。

 こんな自分にとって、バングラデシュの、しかもダッカから300キロ以上も離れたインドとの国境にほど近いバングラデシュ北部の小さな町、ディナジプールで開催されるハーフマラソンの知らせは、何とも心を躍らせるものだった。
     
     バングラデシュ地図(ディナジプール)
    ~ディナジプールはダッカから北へ約350キロ、鉄道で11時間半、バスで約8時間の旅の先にある小さな地方都市だ~
 
 同時に、色々疑問が浮かんでくる・・・

 安全な水が飲める給水場はあるのだろうか?どんなコースなのだろう?道はまともなのか?!タイムはどうやって計るんだろう?そもそも主催者は誰で、参加者の顔ぶれはどんなものなのか?そもそもちゃんと開催されるんだろうか!!?

 まぁ、全ては走ってみないと分からない。いろいろ大変なこともあるかもしれないが、とりあえず行ってみよう!ということで、青年海外協力隊として、あるいはベンチャー企業家としてこちらで活躍する愉快な仲間たち約10名と、ダッカのバス・ターミナルを出発したのが1月19日木曜日の夜9:00頃。凸凹道を揺られながら移動すること約8時間、その間睡眠時間約1時間、物好きな一行を連れたバスは明け方のディナジプールの町に到着したのだった。

 時刻は朝6:00。夜明け前。

 バスを降りると吐く息が白くなっているのに気付く。バングラデシュの北端に近いディナジプールは、ダッカよりもより一層冷える。こんな時間から客待ちをしている働き者のリキシャ引きが、マフラーをグルグルに頭を巻いて、厚手のセーターを着込みながら、しかし何故か素足にサンダル姿で、バスからぞろぞろと降りてくる日本人の一団をものめずらしそうに眺めている。

 マラソン大会の会場には朝7:00に集合することになっており、そこから参加者皆でローカルバスに乗って、ディナジプールから約20キロ離れたカントノゴルという場所まで移動。マラソン・コースはそこから幹線道路にそって街まで引き返してくる、というものだ。集合場所となっていたディナジプール鉄道駅近くにある広場のような場所には既に人だかりが出来ている。なにやら、マラソン大会のスタッフの腕章をしているベンガル人も居る。駅伝選手のようなヒラヒラの短パンをはいて準備体操に余念のない若者たちも目に入ってくる。

   マラソンに参加するランナーたち

  会場では黄色いゼッケンが安全ピンとともにも参加者に配られた。何だかマトモなマラソン大会のようだ。そして、会場内のプレハブ小屋に貼り付けられていた、このビラ!ついに、マラソン大会の全容が明らかになった!!

    ディナジプールマラソン・ビラ
      ~“ディナジプール・マラソン2012”の開催を告げるビラ~

 「ディナジプール・マラソン2012」
 参加費用は一人50タカ!(50円)。もちろん僕が今まで出てきたマラソン大会で一番安い。そして、なんと優勝者には賞金1万タカ(1万タカ)とな!!こちらの学校の先生の月給が8000タカ(約8000円)であることを考えると、日本の感覚では、優勝賞金が30万円という感じだろうか。しかも、参加者全員に「ディナジプールマラソン2012」のロゴの入ったTシャツまで配られ始めた。なにやら相当本格的な感じだ

 ちなみに、気になる主催団体だが、Nagorik Uddyag(ベンガル語で「市民・イニシアティブ」の意味)とディナジプール・スポーツ基金というNGOのようだ。一体彼らがどういう目的でマラソン大会を主催しているのかは謎だ。

 時計の針が7時を回り、人だかりも50人くらいまで増えてきた。薄い朝日が朝霧を通して地上に差し込んでくる。キリッとした空気が、寝不足の体を心地よく引き締めてくれる。次第に増えてくるベンガル人ランナー。そして、日本人も僕らダッカからの一団に、ディナジプールをはじめ北部の各都市で活躍してる協力隊の仲間も加わり、総勢20名の大所帯に。殆ど外国人が住んでないバングラデシュの田舎町で開催されるハーフ・マラソン大会。その参加者の3分の1位を占める、どこからか湧いて出てきた日本人集団。なにやら訳の分からない組み合わせだ。そして、僕らはオンボロのローカルバスに詰め込まれ、ディナジールからスタート地点があるカントノゴルへと移動した。

 カントノゴルではさらに地元の高校の陸上部員?と思しき“足に覚えが”ありそうな、若手ランナーが柔軟体操やウォーミングアップに勤しんでいた。かなり本気モードだ。矢張り優勝賞金1万タカが効いているのだろうか。
  
 音割れしたスピーカーがベンガル語で何かをがなりたてている。ついにスタートの時刻になったということか。スタート地点にはランナー・ベンガル人が犇いている。僕もゴーグルを付け帽子を深くかぶり、臨戦態勢だ。マラソン大会のスタートする前のこのドキドキ感がたまらない。ディナジプールで味わうそれは、例えば、荒川マラソンのスタート前に心に満ちてくる感覚と変わらない。応援してくれている友人が向けてくれたカメラに向かって手を振る。すると、突然隣のベンガル人が肩を組んで写真に収まろうとしてくる。まるでもう何年も前から僕のことを知っているみたいな顔をして。
    
    ディナジプールマラソン・スタート地点
   ~優勝賞金1万タカを虎視眈々と狙う若きバングラ・ランナーで犇くディナジプールマラソン・スタート地点~

 まったく、どこに行っても人懐っこいベンガル人め。楽しいレースになりそうじゃないか。なんて考えているうちに、周りが走り出した!え?スタートの合図とか、そういうの無いわけ??ここはバングラデシュだった。ちょっと油断したかな。何はともあれちゃんとマラソンが始まってよかった。何しろ殆ど徹夜してここまでやって来たんだから。

 こんな感じで奇妙な21キロレースの物語はスタートしたのだった。(続く)

    ついにスタート!ディナジプール・マラソン
    ~ ようやく、そして突然スタートしたディナジプール・ハーフマラソン ~
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/01/22 23:13

牛革と引き換えにどれ程を失うのだろうか? ~ハザーリバーグという街の物語~

 「池田さん、ダッカに赴任するならハザリバーグ(Hazaribagh)という場所に是非一度行ってみてください。一度でいいから。まぁ、一度行ったら二度と行きたくないようなところなので、一度しかいけないでしょうけれど…

 バングラデシュの赴任を目前に控えた昨年7月のある日、マザーハウスで活躍する友人にこう言われなければ、きっとその名前すら知ることはなかったであろう街。ハザリバーグ。ダッカの南西部、ブリコンガ河から町の中心にかけて広がるこの地区は、知る人ぞ知る、ダッカの隠れた名所(迷所)だ。気付けば僕は、この5ヶ月で3回もハザリバーグに足を運んでいた。

 マザーハウスは、バングラデシュを初めとする「途上国から世界に通用するブランドをつくる」ことをミッションに、山口絵理子さんという若き女性起業家が単身バングラデシュに飛び込み、苦労の末2006年に立ち上げたアパレル商品の製造・販売企業だ。主力商品であるバックや、財布、小物などには、バングラデシュの主要作物ジュートやレザーがふんだんに使われている。僕もバングラデシュに赴任する直前に入谷の本店にお邪魔してバックを購入。以来そのバックは、僕のフィールド・ビジットの欠かせない相棒になっている。

 ちなみに、牛革加工は縫製業に次いで、多くの雇用と所得を生んでいるバングラデシュの主要産業であり、また主要外貨獲得手段でもある。そして、ハザリバーグは古くバングラデシュ独立前、東パキスタンの時代から牛革加工工場が密集する言わば産業クラスターとして発展してきた地域なのだ。そして冒頭に登場したマザーハウスの友人は、ダッカ勤務時代、マザーハウスの商品に使われる牛革の仕入れ先として、ハザリバーグにしばしば足を運んでいたのだった。

 そのハザリバーグを初めて訪問したのは昨年の8月末。以来11月、そしてつい先週も、日本からゲストが来る度に、自分はこの地区を訪れている。何故なら、ダッカの環境汚染はどこも酷し言えど取り返しのつかないレベルの環境汚染をハザリバーグほど雄弁に語る場所は、他に見つからないからだ。



     ハザリバーグの風景
 
 車を降りると立ち込める、生まれてこの方嗅いだことのない異様な臭い。牛革の生臭さと得体の知れない化学物質が混ざったその異臭に、鼻が突きぬかれ脳をえぐられるような感覚を覚える。よどんだ空気の中を30分も歩くと頭痛とともにめまいがしてくる。ふと目を下にやると、どぶ川を流れる水の色は、鮮やかなエメラルド・グリーンだ。その液体が、ダッカを流れる一大河川、ブリコンガ河に直接流れ込んでいる。

 そんな街のそこかしこに、巨大な工場が所狭しと並んでいる。中を覗くと、入り口付近に今朝バラしたばかりの牛革が積み上がり大量のハエがたかっている。

      ハザリバーグの牛革加工工場の様子①
   ~ハザリバーグの牛革加工工場の入り口に積み上がる“新鮮な”牛革の山 ~

 ハザリバーグの工場では、生の牛革が洗浄され、化学薬品に浸されてなめされた後、乾燥され、塗装され、そしてコーティングをされて最終製品になる一連の工程を、“気軽に”見学することが出来る。異臭に耐えることさえ出来れば、の話だが。
 
     ハザリバーグの牛革加工工場の様子③
  ~牛革の乾燥工程。無数の牛革がカーテンのように天井から吊るされている様子は圧巻だ。~

 一連の工程は巨大な体育館のような工場の中で行われていることもあれば、「青空工場」として、工程一つ一つが屋外でなされている場合もある。一つ一つの設備は巨大且つ高価なため、複数の会社が合同で使用している例が多いようだ。ふと、突然工場が静寂に包まれる。先程までせわしなく回転していた巨大な「牛革洗濯機」もその動きを止めている。休眠状態の機械を前に、工場管理者の男性が肩をすくめる。「電気は全く当てにならない。ジェネレーターが動き出すまで休憩だ…」ここでも、電力不足は生産性に大きな影を落としているようだ。

 しかし、電力や生産性よりも気になるのが、ここで働く人々の健康への影響だ。洗浄した牛革を鮮やかな色の化学薬品に浸してはひっくり返し、次の工程へと手渡しする労働者たち。よく見ると彼らは全くの“丸腰”ではないか!そう、マスクもゴーグルも、そして手袋すらしていない。その柔らかい素手を、毒々しい化学薬品の海に浸しては、牛革をせわしなく取り出している。彼らの手は、目は、そして肺はどうなってしまうのだろう?ここには環境や健康、安全という概念は存在すらしないのだろうか…

    ハザリバーグの牛革加工工場の様子②
 ~ 化学薬品のプールに素手を浸す女性労働者。彼女の体を保護するのは薄いサリーとビニルのエプロンだけだ…~

 現在ハザリバーグでは約20万人が労働者として働いている。多くの労働者はマンガンや硫黄、クロム等の有毒物質に長期間、直接、自らの体を暴露させているため、医者にかかっても手の施しようのない皮膚病やアレルギー、呼吸疾患を患う。劣悪な環境を前に、従業員の健康管理に一義的な責任を負うべき工場主の多くは、必要最低限の時間しか工場によりつかないという。一方で、日々の糧を得る必要に迫られている労働者に、逃げ場はない。

 National Graphicsが主催する2011年のPhoto Contestの人(Pepole)部門の最優秀作品には、ハザリバーグの想像を絶する環境の中で働く一人の男性の姿が衝撃的に映し出されている。写真に付されたキャプションは、ハザリバーグの現状を端的に表している。

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 A leather tanning worker is jumping out from a chemical processing tank after cleaning it at Hazaribagh. Hazaribagh district is a very popular place in Dhaka for its leather processing factories (many of them operating in open air) and it is one of the most polluted areas in the megacity. The sewage and pollutants derived from the process are dumped directly into the river Buriganga.
(ハザリバーグにて、化学加工タンクを洗浄後、別なタンクに飛び移ろうとする一人の牛革加工労働者。
 ハザリバーグは牛革加工工場で良く知られるダッカの一地域。多くの工場は屋外で操業をしている。そこはメガ・シティで最も汚染された地域でもある。牛革加工プロセスで発生する汚水や汚染部室は直接ブリコンガ河へと流れ込む…)
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 ダッカ大学の友人の通訳の下、ハザリバーグで40年近く牛革加工工場を経営している初老の男性に話を伺ったところ、バングラデシュには環境汚染を規制するための法律はあるものの、政府にそれを執行する力が無いというバイヤーからの価格抑制圧力にさらされながら、利益最大化を目指す工場経営者達にとって、実効力を伴わないルールを守るインセンティブはゼロだ。

 バングラデシュ政府は最近「ハザリバーグの環境汚染はダッカ市全体に極めて危険な影響を及ぼすレベルに達している」と結論付け、ハザリバーグの牛革加工工場をダッカ北部の工業地帯サバールへと移転する計画を発表した。強制移転の対象となる工場主には、政府から対象となる土地は払い下げられるものの、設備の移転や工場新設の費用補助は一切でない。「これでは工場を移転したくても移すことは出来ない…」と経営者はつぶやく。

 工場で働く中堅の管理員イブラヒムさんの率直な発言は、ハザリバーグの工場経営者の本音を端的に表していると言えそうだ。
工場移転計画?ハハ、その手の話は、僕がガキの頃から何度も聞かされてきたさ。できっこないじゃないか。僕らはここで生産を続けるよ。
 
 “社会科見学”にやってきた日本人と、陽気な工場主との間の会話が空しく工場の騒音にかき消されていく…
 そんな中、労働者は黙々と化学物質にまみれた手で牛革と格闘している。目の前のどぶ川をユルユルと流れるエメラルド・グリーンの液体は、ブリコンガ河へとつながる、その不吉な流れを止めることは無い。そして河の下流で取れた魚は、僕も含めたダッカ市民の口に今日も運ばれている…

 バングラデシュは牛革と引き換えにどれ程を失うのだろうか?
 水俣病、イタイイタイ病等の公害病を通じて高い代償を払ってきた日本は、あるいは先進国に出来ることは何だろうか。問題は途方も無く複雑で大きく、そして遠いように見える。でも、ひょっとしたら解決の糸口はすぐそこにあるかもしれない。例えば、今自分の目の前にあるモノたちが、一体どこからどのようにやってきたのか、それに思いを馳せることが、ひょっとしたら先進国の消費者として巨大なパワーを持つ僕たちの行動を変え、それが回りまわって、この小さな世界のアチコチにあるハザリバーグを変える一歩になるかもしれない
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/01/16 00:33

バングラデシュは変わりゆく気候に適応できるだろうか?

     ボルグナの風景③

 穏やかに流れる大河。川べりの美しい平原に散らばって黙々と草を食む牛。豊穣な土壌を誇示するかのようにどこまでも広がる青々とした水田。ダッカから一日半かけてやって来た僕らは、ここが気候変動という地球規模課題との戦いの最前線であるという事実を半ば忘れながら、バングラデシュ南端のボルグナ地区にある村、Paschim Napitkhaliの穏やかさな風景と人々の温かさに長旅の疲れを癒されていた。

 死者約3,000人、負傷者約5万5千人、倒壊家屋150万、経済損失17億USD(GDPの10%)をもたらした巨大サイクロン、Sidr(シドール)がこの村と人々を襲ったのは、僕たちが訪れた丁度4年前、2007年11月15日の夜だった。1990年から20年以上、この村で唯一の小学校の校長として子供たちの未来を創ってきたハシナ・ベガムさんは、その晩のことを僕たちに語ってくれた。
 
 「シドールがこの村を襲ったのは11月15日の夜9;00頃でした。信じられないスピードで河の水かさが上がり、たちまち家も人も家畜を飲み込んでいったのです。」

 サイクロンは高熱の強風で木々の葉を枯らし、トタンと木の枝だけで作った人々の家を吹き飛ばす。サイクロンに伴って発生した巨大な高潮の影響により勢いを増しながら逆流する大河は、全てを飲み込んでいく。そして、デルタ地帯のバングラデシュ沿岸部に、避難できるような高台はない。ある一箇所を除いては。

     サイクロン・シェルター

 多目的サイクロン・シェルター
この村で唯一の2階建ての鉄筋コンクリートの建物が、ハシナさんをはじめとする約800名の命を、水と風から守った。このシェルターは元々、村に一つも学校が無い現状を憂いた今は亡きハシナさんのお父様が、私財をなげうって1990年に建てた学校だった。2002年に世銀の支援の下でバングラデシュ政府が鉄筋二階建ての多目的シェルターへとアップグレートしたものだ。普段は約150人の生徒が通う小学校であり、週末は予防接種や健康診断などが実施される病院となり、そしていざサイクロンの時には、人々を守るシェルターとしての役割を果たす。シドールが襲来するとの警報を確認したハシナさんは、村の人々とともにシェルターに身を潜め、恐怖の夜が空けるのを、ただひたすら待ったと言う。

 「サイクロンが去った翌朝、私たちがシェルターから目にしたのは、家々や作物をさらった一面の水と、その上に浮かぶ大勢の人々や家畜の体でした。村に立ち込めた死臭は一ヶ月間消えることはありませんでした。」
      サイクロン・シェルター兼小学校で校長を務めるハシナさん
  ~サイクロン・シドールの被害を語ってくれたPaschim Napitkhali村の小学校校長、ハシナさん~

 ハシナさんの顔を紅潮し、目には涙が浮かんでいる。まるで昨晩のことのように思い出されているのだろう。悲惨な過去をかみ締めつつ、ハシナさんは子供たちにこう伝えているという。

 「警報が鳴ったら、どんなことがあってもシェルターに必ず来ること。もし間に合わなければ、流されにくく水に浮かび易いバナナの木につかまること。自らの命は自分で守らなければならない。」

 サイクロンの被害は水と風だけではなかった。海水を多く含んだ水が河を逆流したことによる農地の塩害は、2年近くに亘り村人の生活の糧を奪ったのだ。世界銀行のプロジェクトでは、約700のシェルターの新設/修復、高潮被害を最小限に食い止めるため480キロの護岸整備に併せて、塩害に強い種子の農家への提供も実施している。世銀プロジェクトの効果を確認するために開催した小規模ミーティングに集まってくれた20名近くの農家の方々からはプロジェクトの確かな効果を示す嬉しい報告とともに、課題も示された。

     シドールの被害について報告してくれたボルグナの農家の皆さん
  ~サイクロン・シドールがもたらした塩害被害について語る農家の皆さん。忙しい農作業を中断して20名近くの方が集まってくれた。~

 「もらった種子のお陰で、稲の収穫がサイクロン前と比較して2倍近くに伸びた。シドール後は種をまいても何も育たなかったが、今ではサイクロンに感謝しているくらいだ。」

 「問題は、頂いた種子で収穫した新しい種子は塩害に対応できていないこと。これでは、サイクロンが来るたびに私たちは外国からの援助が来るのを待たなければならない。自前で塩害に強い種子を栽培できるようになれば、自分たち自身の力でサイクロンの被害から立ち直ることが出来る。」

 「プロジェクトの担当者は、種子を配布するだけでなく、農薬や肥料の使い方もプロジェクトも教えてくれた。今まで、我々は農薬を買っても、どの時期にどれだけ撒けばよいか、よく分からずに使っていた。生産性が伸びたのは、我々がこうした知恵をもらったから。知恵があれば、サイクロンが来ても、生活をもっと楽に立て直すことができるのではないか。」

      ボルグナの風景
   ~ 青々とした水田がどこまでも広がるボルグナの農村の風景。サイクロン・シドール襲来後2年間は一面の荒野だったという。~

 ハシナさんや農家の人々は、「Global Warning(地球温暖化)」という言葉は知らない。しかし、拡大の一途を辿るサイクロンの規模や頻度、そしては気温や降雨量の変化を、日々の仕事や生活を通じて地球上で最も敏感に感じている一人だ

 世界の平均気温が4度上昇すると、バングラデシュの国土は、海面の上昇に加え、大河の上有に位置するヒマラヤの雪解け水により、国土の15%(2,000万人が居住)が水没すると言われている。農村部の多くの人々は農漁業に生活の糧を依存しており、バングラデシュは気候変動の影響に極めて脆弱だ。かつては、環境問題を議論し対策を講じることは、「先進国(金持ち)の贅沢だ」と揶揄する議論もあったが、気候変動の影響を真っ先に、そして直接に受けるのは、途上国の貧困層・脆弱層なのだ

 そんな中、Paschim Napitkhali村の人々は、気候変動の最前線とも言えるこの地で、外国からの援助をてこにして、慣れ親しんだ故郷での生活や大切な誰かを守るために、変わり行く環境に自らを適応させようと懸命に取り組んでいる。そんな人々の姿勢は、昨年5月にボランティアの一人として訪れた岩手県大槌町で出会った人々をはじめ、東日本大震災の被害から懸命に立ち直ろうと努力する東北の人々の姿に重なって見えた。僕を包んでくれた美しい田園風景と人々の温かさもまた、東北のそれと重なる。
バングラデシュで再び訪れたいと思う土地、また会いたいと思う人々がまた一つ増えた旅だった。

      ボルグナの農家やNGOの皆さんと
  ~Paschim Napitkhali村の農家の皆さん、世銀プロジェクトを実施する現地NGOの皆さんと~
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/01/13 00:35

この街はどこに向かって伸びていくのだろうか?~ダッカの不動産業を巡る物語~

 日々変化する街、ダッカ。農村からの人口流入と外国人の増加により、ダッカの人口は1990年の653万人から2010年には1,516万人へと、この20年で約3倍に増加。2020年には2,200万から2,500万人まで膨張し、世界最大の人口を擁する都市となることが見込まれている(出典:World Bank)。
       ダッカの人口の推移

 ダッカは北へ、そして上空へと伸びていく。即ち、街の南はブリコンガ川でふさがれているため、新興住宅地や工業地帯等は北へ北へと伸びる。そして、都心部の利用可能な土地は限られているため、続々と建設される高層ビルが上へ上へと伸びる。

       ダッカに続々と建設される近代的な高層ビル
         ~ ダッカに続々と建設される近代的な高層ビル ~
 
 今日も竹で編んだ不安定な足場の上で、土方の男たちが、サンダルをつっかけながら、ジーンズ・Tシャツというラフな姿で、そして素手で、建築資材と格闘している。建築途上の建物のてっぺんから細長い鉄骨の束が空に向かって背伸びをしているのが見える。そして、上層階が工事中にも関わらず、内装が完了した下の階から、新しいテナントが入居してくる。我が家のすぐ上が工事中でもなんのその。ベンガル人はとても経済合理的なようだ。

       建築途上の高層マンション
   ~世銀オフィスの目の前で建築中の高層マンション。上層階は未だ工事中だが、工事が完了した階のベランダには洗濯物が干されている~

 我がマンションがある外国人居住区バリダラ地区も、つい7-8年前は空き地が多く、一軒家の3階に上れば、はるかダッカ郊外まで見渡せたそうだ。今では、7階建て、8階建ての高級高層アパートが犇いており3階からでは二軒先も見通せない。もちろん不動産や土地の価格も上へ上へと伸びるダッカの成長と併せてうなぎのぼりで、同じく7-8年前は一月せいぜい8万タカ(万円)も出せば十分に借りることの出来たバリダラ地区の家族向けマンションの家賃は、現在は安くても15万タカと、2倍以上に跳ね上がっている。バングラデシュの不動産業は、まさに活況を呈する新興国バングラデシュの今を象徴するかのよう。需要が飽和しきっている日本から見ればうらやましい限りだ・・・

      街のそこかしこで見かける「To-Let」の看板
   ~ 街のそこかしこで見かける「To-Let(賃貸用マンション)」の看板 ~

 しかし、1月2日付けのFinancial Express紙は、「Sluggish Growth in real estate sector(低迷する不動産業界)」という予想に反する見出しで、バングラデシュの不動産業界の不振を紙面の半分以上を割いて伝えている。驚いたことに、2011年のダッカの不動産業の業績は、売り上げベースで対前年3割減、成約件数ベースで半減という惨憺たる状況であり、2012年も同様かそれ以上に厳しい年になると予想されている。昨年末に業界(Real Estate and Housing Association of Bangladesh)が実施した一大マンション・フェアでは、マンション価格の15%ディスカウントに加え、「新規テナントには、冷蔵庫をプレゼント!」「駐車区画は無料で分譲!」といった、出血大サービスで臨んだものの、殆ど売れなかったとのこと。無鉄砲で伸び盛りの思春期真っ盛りといえるダッカで、何故このようなことが起っているのだろうか。

 原因はシンプルに、マンションの価格が高すぎること。最近購買力をつけてきた中産階級はもちろん、富裕層でも二の足を踏むという。価格高騰の背景には、セメントや鉄骨等の資材価格の上昇、タカ安による輸入資材の上昇、高い税金(マンションを購入すると資産税2%、印紙税3%、登録税2.5%、ダッカ市民税2%と合計9.5%の税金が発生)、そして最近、銀行からの借入れ金利が上昇していることなどが挙げられているが、決定的な要因は電力不足だ。

 驚くべきことに、2010年8月から一年半以上に亘り、バングラデシュ政府は新築のマンションや高層ビルへの電気・ガスの供給を禁止するという措置を実施している。当初は「当座の緊急措置」ということで始まったが、延長に延長を重ね、解消のめどは経っていない。如何に外装が立派な高層マンションでも、電気もガスも来なければ、生活することもビジネスの拠点とすることもできない。では、どうするか。ガスについては、テナントが自らガスボンベを購入してキッチン脇に据付け当座をしのぐ。電気については、自家発電設備(ジェネレーター)の設置によって、いわばビル自体を発電所にして凌ぐことが求められる。無論、関連の設備投資や燃料代等のコストは、ビルの所有者とテナントが負担することになる。巨大なコストだ。

 バングラデシュ政府は、新築の高層ビル・マンションの屋上に太陽光パネルの設置を義務付ける法律も併せて実施してる。「持続可能な発展」を旗印にした環境に優しい政策といいたいのだろうが、要は「発電所で沸かせる電気が足りないから民間で何とかせよ」というだけの話。当然、パネル設置を促す補助金などは支給されない。Financial Express紙のコラムも、太陽光パネル設置義務付けの即時撤回の主張を展開していた。

 これでは、バングラデシュの堅調な経済成長の下で購買力をつけ、ニーズを抱える人々が不動産の購入に二の足、三の足を踏むのも全く不思議ではない。不動産業界の売上げが対前年で三割減という、新興国らしからぬ寒々とした業績の裏には、民間部門の旺盛な投資や消費の伸びに基礎インフラの整備が全く追いつかないという、あらゆるセクターに影を落とす問題が横たわっているのだ。

 実際、バングラデシュのピーク時の電力需要が全国で約6,500メガワットに対し、実質の総供給力は約4,000メガワット程度に止まっている。2,000メガワット以上の電力不足を前に、計画停電は日常茶飯事。我が家も夏場は一日に4-5回、それぞれ1時間程度停電している。しかし、ダッカの状況はバングラデシュ全体の水準と比較すれば遥かに恵まれているのだ。というのも、限られた電力はダッカに優先的に配分され、総共有量の約半分がダッカで消費されるからだ。地方の電力不足は遥かに深刻であり、青年海外協力隊員としてバングラデシュの田舎で活躍する友人たちの話では、夏場は一日に6回程度、それぞれ約2時間停電するという。これでは、かろうじて電線につながっていても、電気が来ない時間帯のほうが長いということになる。そして、バングラデシュには、こうした実に頼りない電力供給にすらアクセスできず、電気無しの生活を送っている人々が約8,000万人(全人口の55%)も存在するのだ

 「新築マンションへの電力供給禁止」という正気の沙汰とは思えないバングラデシュ政府のお達しも、この国のっぴきならない電力不足を考えれば、その必要性を認めざるを得ない。政府は世界銀行のローンや円借款を活用して発電所の新規建設や太陽光パネルの普及に取り組んではいるものの、日に日に増大する需要に追いつくのは絶望的だ。発電に必要な天然ガスは今は自前で調達できるものの、枯渇は時間の問題といわれる。そして、化石燃料の輸入はこの国の財政そして国際収支を圧迫する。大規模な風力や太陽光発電も、世界一の人口過密国で、まとまった土地を見つけるのは至極困難だろう。

 八方塞がりに見えるこうした状況の中、2011年2月に発表され、同年11月2日に正式な調印がされたのが、2基の原子力発電所建設計画だ。建築予定地は、僕が昨年訪問したラッシャヒのそば、ガンジス川(ポッタ川)沿いの街、ロップール(Rooppur)。2012年に着工して5年で完成するとされており、その発電能力はそれぞれ約1,000MW。これが完成すればバングラデシュの電力不足は、相当程度改善されるだろう…

 ちなみにこの原発プロジェクト、その計画、建築、運営、維持補修、核燃料廃棄物の処理まで、ロシアの全面的な関与の下で実施される。要は丸投げということですね。バングラデシュは日本の4分の1程度の小さな国。そこに1億5,000万人の人々が暮らしている。重大な事故が起これば、国民や国土が計り知れないダメージを長期に亘って蒙る原発という選択肢だが、そこにバングラデシュ政府や人々のオーナーシップは見られない。しかし、そこまでしなければ(あるいは、そこまでしても)何とかならない、電力不足という現実がある。

 人口と所得の増加を背景に、上へ上へと伸びようとするメガ・シティ、ダッカ。そして、その成長に重くのしかかる電力不足、インフラ未整備という現実。この街はこれからどこに向かって伸びていくのか。答えは未だ見えない。
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2012/01/09 02:35
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