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その女性は如何にして“自己”を見出したのか?(その3)

バングラデシュの農村部に根強く残る、女性を取り巻く様々な経済的・社会的・制度的な頚木を乗り越え、自分自身を夫や家庭に依存する存在から、家庭や地域の問題を解決する存在へと変革していったナシマさん。これまでの業績をたたえる数々のトロフィーを前に、彼女は尚、自分の向上心に灯をともし続ける。
 「どうしたら商品の品質がもっと上がるか、日々考えています。ここで働く女性達が各自の家で仕事をし半製品を工房に持ち込む形式だと、矢張り品質管理に限界がある。より多くの従業員が工房の中で働けるよう、工房を拡張する必要があり、今、その計画を立てているところです。」

    ナシマさんの工房
 ~ 鍋掴みやテーブルクロス、ティッシュ・ボックスカバーなど、ファンシーな小物が並ぶナシマさんの工房。友人のバースデー・プレゼントにニワトリの形をしたカバーを購入した~


 10年前、染物教室の講師であったI坂さんに、夫の反対を前に、ただべそばかりをかいていた、というストーリーは、今のナシマさんを前に想像が出来ない。そんな彼女に尋ねてみた。

「もし10年前にタイムスリップすることが出来て、かつての自分にアドバイスが出来るとしたら、何を伝えますか?」

 ナシマさんの真っ直ぐな答えはこうだった。
「人生で苦労した人は、きっと将来、前に進めるはず。今は耐えて。そして時間を大切に。泣くよりも先に、やるべきことは幾らでもある。」 

 そんなナシマさんの生き方は、村の若い女性に大きな勇気を与えているのだろう。工房で胡坐をかきながら黙々と作業を続けていた16歳の女の子は将来の夢をこう語ってくれた。

「ここで腕を磨いて、将来、ナシマさんのようになるの。結婚?両親には私の承諾なしに、私の結婚相手を勝手に決めさせるようなこと、させないから!それにうちの両親は私の夢をきっと理解してくれるはず。」

     ナシマさんの工房で働く若い女性たち


 
毎年秋、その時々の重要な開発課題に焦点を当てて出版される世界銀行の最大の知的プロダクツ「World Development Report」。2012年のテーマは「Gender Equality and Development」だ。
 
 レポートは「ジェンダーの平等を目指すことは正しいだけでなく経済合理的である(Gender Equality: the Right and Smart Thing to Do )」とのメッセージを世界に発信した。このメッセージは例えば以下のような統計により裏付けられている(世界銀行東京事務所ウェブサイトより)。

・女性の農民が男性と同等の扱いを受けることにより、メイズ(トウモロコシ)の収量が、マラウイで11~16%、ガーナで17%増大する。
・ブルキナファソでは、肥料や労働などの農業インプットへの女性のアクセス向上、つまりこうした資源の配分を男性から女性に移すだけで、追加的な資源を投入することなく世帯当たりの農業生産高を全体でおよそ6%向上できる。
・食糧農業機関(FAO)の推定によると、女性の農民が男性と同等に資源へアクセスできれば、途上国における農業生産高は実に2.5~4%も増大する。
・特定の職種やセクターから女性を締め出してきた障壁を撤廃すれば、多くの国々で男女の労働生産性の差が3分の1から2分の1ほど縮小し、労働者1人当たりの生産量が3~25%改善される。

 この他にも、例えば女性の識字率や就学率の向上は、HIV/AIDSの罹患率低下や乳幼児の死亡率改善、さらには女性一人あたりの出生率低下を通じた人口増の抑制を齎している。そして、バングラデシュは女性の地位向上による社会指標の改善のフロント・ランナーだ。例えば、女性にターゲットを絞った条件付給付金支給策(Conditional Cash Transfer:CCT)や職業訓練等の対策により、女子の中学校就学率が1991年の30%から2005年には56%に向上、女性の労働市場参加率は倍増、そして、出生率は1971年の約7人から2008人には約2人にまで低下する等の成果がWorld Development Reportでも紹介されている。
 
 今回の物語で紹介したナシマさんは、自らの人生を変え、家計を助け、そして社会を変えている多くのバングラデシュ女性の一人なのだ。

      ナシマさんご一家と
     ~ラッシャヒの街でコンピューター教員として活躍する協力隊の浜田さん、そしてナシマさん御一家と~
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/01/04 04:22

新年に当たって

 元旦にダッカに帰った。ダッカに「行く」という表現よりも「帰る」という表現がシックリくる自分がいる。戻った街はまるでいつもと変わらぬ喧騒と混沌。マーケットは人々の生命力と会話に満ちてる。往来は無秩序なクラクションが支配する。そう、ここでは元旦は祝日ではないのだ。それがたとえ日曜日であっても。むしろ日曜日は忙しい仕事初めの日。政府機関や企業も当たり前のように朝から営業し、人々は込み合うバスに飛び乗って、それぞれの持ち場へと向かい、勤めを終えて家路を急ぐ。

    元旦のダッカ


 何もかもが秩序だった、静かで小奇麗な日本から、バングラデシュに戻って来たのだ。

 振り返れば、2011年8月1日から始まったダッカでのこれまでの日々は「微温湯に独り浸かりながら、徐々にメガネが曇っていくような」状態だった。
  
 バングラデシュという国、世銀という組織、その両方が自分にとってはアウエイであるからだろうか、与えられた仕事が思うように進まない。少なくとも自分が東京で取り組んでいた仕事と比べれば、とても小さい仕事に見えるのに。一方で、ありとあらゆる困難に満ちたダッカで、恐ろしく恵まれた微温湯の生活環境でヌクヌクとしている自分が居る。自分が取り組むべき日々の小さな仕事と、それすら上手く回すことが出来ない自分。そして豪奢な家とオフィス、心に掲げる大きな目標。これらの間のギャップに苦しんだ。そして、募る孤独感。自分が追求したい長期のビジョンはなんだったのか、以前は見えていたと思っていた事柄すら曇って見えなくなる。従い、ブログの筆も進まなくなる。

 日本で過ごした時間と出会いは、そして買い込んだ書籍は、そんな冴えない内面に、すっと気持ちの良い筋道を通してくれ、自分を原点へと戻してくれた。「自分が人生と言う物語の主人公となる主体的な生き方を追求しよう」という思いを新たにすることができた。

 今年一年、そんな生き方を実践するために、

・目前の課題や人と真摯に向き合おう。やると決まったこと、やると公言したことを確実に真摯に実現しよう。小さな成功体験の積み重ねは心の霧を少しずつ晴らしてくれ、自分が取り組みたい大きな課題に自分を近づけてくれるだろう。
・如何なる課題でも、自分が、その責任者として、成果物を自分の名前で他者に示すとの気概を持って事に当たろう。成功の喜びをより深く享受し、失敗の教訓をしっかりと糧と出来るように。
・壁に直面した際、不出来の際に、他者や環境のせいにするのは止めよう。これで、自分自身を問題解決の主体と位置付けられる。環境や他者に感謝できる。

 こんな姿勢を貫けば、自分は、世界銀行、バングラデシュに自分が存在した証を残すことができるだろう。それがたとえ小さなものだったとしても、確かな証を。その証を日々、少しずつ形に残していこう。出会う人々や風景が紡ぐ物語とともに。

 そんなこんなで、2012年の始まりとともに、「バングラデシュ物語」という新たなタイトルの下で、ブログを再開する。

   朝霧のブリコンガ河
      ~ 朝霧に包まれながら、緩やかに流れるブリコンガ川 ~
はじめに | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/01/02 23:27
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