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その女性は如何にして“自己”を見出したのか?(その2)

近所の主婦や女子学生を中心に500人以上を従業員として雇い、バングラデシュ女性にお馴染みの衣装、サロワール・カミュースやテーブルクロス、そして洒落た小物など布製品を製造・販売する工房を経営するナシマさん。

  ナシマさんが受賞した数々のトロフィー
    ~ナシマさんの工房に並ぶ、女性起業家として受賞したトロフィーの数々~

 自ら定めたゴールに向かって試行錯誤を繰り返しながら、前進し続ける彼女だが、10年前は、自らの思いを表現することを恐れ、伝統的な村や家族の慣習の中に自らを閉じ込めながら、妻そして母としての役割を淡々とこなす、典型的なバングラデシュの農村の女性の一人だったのだ。

 しかし、彼女はそんな自分の現状を打開しようと、夫には話さずに、バングラデシュ政府の青年開発局が提供する職業訓練校で6ヶ月間、染色技術を身に着けるコースを受ける決意を固めた。そして、その学校でナシマさんを講師として迎えたのが、今回僕がラッシャヒでお世話になった、元青年海外協力隊員のI坂さんと言う訳だ。

 I坂さんの話では、ナシマさんは当初、「いつもブルカ(イスラムの女性が外出するときにまとう黒い衣服)を身にまとったおとなしい生徒」だったそうだ。そしてある日、講師のI坂さんは、ナシマさんから、「職業訓練校に通っていることが夫に知れてしまった。夫は反対している。もう、私は、ここにこれ以上通うことは出来ない」と言う相談を受けた。

 涙を流しながら自分の窮状を訴える彼女に対して、講師のI坂さんはこんなメッセージを伝えたという。「そもそも、あなたはどうして、ここに通おうと心に決めたの?その思いを旦那さんにしっかり伝ええようとしたことはある?自分の思いを伝えることもしないで、夫の反対を前に泣いているだけなら、もう来なくても良いのです。この学校に通いたいと思っている女性は他に大勢いるのだから。それに、夫に反対されたくらいで泣いていたのでは、これから先、自分の店を持って経営をしていくことなど到底出来ませんよ。」

 厳しいメッセージだ。しかし、ナシマさんは講師であるI坂さんからのメッセージを正面から受け止め、自分が何故、夫に内緒で職業訓練校に通い始めたのか、その想いをポツポツと語り始めたと言う。当時、ナシマさんの家計は、軍の仕事を退職した夫の退職金だけで賄われていた。退職金はある程度まとまった額であるものの、夫が次の職に就く目処はついていない。これから先、自分は受けることが出来なかった高等教育を娘2人に是非とも受けさせたいとの願いは、このままでは実現が覚束ない。娘の教育のためにも、家計収入を夫に頼りきるのではなく、自分もできるだけのことはしたい

 I坂さんに語ったこんな思いを、ナシマは夫に勇気を出して打ち明け、夫からの理解を勝ち取ったのだ。その後も、夫の母親(姑)や、夫の兄の妻など、家族や親戚からの白い目は続いたが、ナシマは6ヶ月の染色コースを無事修了し、学んだスキルを実践に移すべく染物や刺繍の事業を立ち上げたのだ。



 お茶とお菓子を運んでく来てくれた旦那さんに、当時を振り返っての思いを尋ねてみたところ、バングラデシュの田舎で、女性が勉強や仕事のために外出することについて、男性としての思いを率直に語ってくれた。 

  ともに昔を振り返るナシマさんと旦那さん
      ~ともに歩んできた10年を振り返るナシマさんと旦那さん~

 「自分に黙って職業訓練校に通っていると知った時には正直良い気分はしませんでした。妻が毎日外出するのを親戚や近所の人々に知られれば、夫である自分の稼ぎが十分でないから、妻がどこかで仕事をしているのだろう、と思われるに違いないと感じたからです。また、家事や育児に加えて学校にも通い仕事もすれば妻の体に過度な負担がかかる。女性一人でリキシャに乗って出かければ、危ない目にあうかもしれない。色々心配でした。」

 「でも、当時自分には職が無かったし、自分の退職金だけでは、娘2人にしっかり教育を受けさせるためのお金の確保は覚束ないだろう、という妻の指摘は確かにその通りだと思ったのです。」

 「その後、彼女の仕事は徐々に起動に乗り、定期的に収入が家に入るようになった。私の母や親戚が妻を見る目もそれをきっかけに大きく変わりましたね。何より、妻が仕事を始めてから2年程たった時でしょうか、退職金を元手に投資していた株の相場が大きく崩れて、私は殆どの資産を失ってしまったのです。彼女が仕事をしていなければ、私たち一家は、今頃線路脇に住んでいたでしょう。」

 家計の唯一の収入源である退職金を株式投資に充ててしまっていたとは、何ともハイ・リスクな話だが、たとえ夫が働いていたとしても、突然の失業、病気、あるいは事故など、彼らのような中間層が貧困層に転落する落とし穴はそこら中にある。何しろ、失業手当や社会保障などのSocial Protection(Safety Net)は殆ど整備されていないのがバングラデシュの現状なのだから。

 そして、株式投資の失敗からさらに3年後、ナシマ一家は、より一層深刻な問題に直面する。なんと次女が脳腫瘍を患い入院してしまったのだ。しかも、ラッシャヒの病院の技術レベルでは手術は不可能で、インドの大病院にまで手術を受けにいかなければ命に関わる、と言う状況。当然ながら入院や手術には高額の費用がかかる。幸い、当時、ナシマさんの仕事が起動に乗りつつあり、また夫も再就職をしたため、手術を次女に受けさせることが出来、彼女は全快した。ナシマが働いていなければ、一家は線路沿い生活を強いられたばかりか、次女は将来の可能性を開花させる前に10代前半で亡くなっていたかもしれない


 このように、ナシマの事業は、自分の家族に、様々なリスクを乗り越えていけるだけの安定した経済基盤と、娘2人に高等教育を受けさせるだけの所得の増加をもたらした。それだけではない。彼女の10年間の挑戦と試行錯誤は、経済的な意義を超えた、彼女の内面に大いなる変化をもたらしたのだ。それは、一言で言えば、彼女の「プライド」と「アイデンティティ」を発見と確立していく物語である

 事業が起動に乗って暫くしてから、ナシマさんはI坂さんに次のように打ち明けたそうだ。

 「娘2人に高等教育を受けさせるために自分も家計を支えたい、というのは、実は夫を説得するために考えた理由であり、私が職業訓練校で通う決心をした本当の理由ではなかったのです。私は見ての通り色黒。夫は「気にするな」と言ってくれていたけれど、多くの人は、「ヤッパリ女性の肌は白いほうが素敵だ」って思うもの。しかも、私の子供は2人とも女の子。男の子を生めない嫁は誰からも評価されない。色も黒くて、男の子を生むことが出来なかった私は、女性としていつも肩身が狭い思いをしてきた。私は、物作りの技術を身につけて、自分の中にあるコンプレックスを解消し、他人から認められたかったのです。」

 夫に叱られるのを覚悟で職業訓練校に通う、と言う彼女の決断は、彼女が自己を見出し、その拠り所となる自信を確立するための大いなる大一歩だったのだ。これがどれだけ大きなブレーク・スルーなのかを理解するは、バングラデシュの農村部における女性を取り巻く様々な頚木の存在を認識しなければならない。

 職業訓練校で講師を務めていたI坂さんの話では、生徒である女性たちは、しばしば、「あなたは何がしたいの?」「あたなは、どう考えるの?」との質問を前に、答えに窮してしまうという。何故なら、結婚する前は、両親の意思が自分の意思、結婚してからは夫の意思が自分の意思、ということで、生まれてこのかた、「あなたの考えは?」と問われたことが無いばかりか、それを考えることすら、抑制される環境に生きてきた女性が殆どだからだ。こうした状況が端的に現れるのが結婚だろう。バングラデシュの農村部の女性は、若い人では14歳から、概ね16~18歳程度で結婚をし家庭に入るが、その際、彼女らの意思が確認されることは殆ど無いと言う。ある時父親から、「おい、来週は結婚式だぞ」と告げられる。誰の結婚式かと思えば、自分の結婚式!ということでびっくり。では、「相手は誰?」と言う当然の疑問の答えは、結婚式当日になって初めて明らかになるのだ。ちなみに、男性側は一般的なお見合い同様、候補となる女性の写真や家柄について事前に親から情報をもらい、気に入った人をお嫁さんにする(女性本人の同意はなし)という。

 ちなみに、青年海外協力隊の機関紙にバングラデシュ人へのインタビューを元に「バングラデシュ人の恋愛観・結婚観」をまとめた興味深い特集が掲載されていたが、その中の「結婚相手に求めるものは?」とのアンケート結果は、上記結婚を巡る現実を端的に示している。
 
 男性陣の回答は、一位「性格」、二位「容姿」、三位「宗教」とまぁ頷ける結果が並んでいるが、女性側の回答を見ると「なし(両親に従う)」が一位となっている!!結婚と言う人生の一大事においてすらこの調子なのだから、他の事柄について、女性の意思が尊重されるどころか、意思を確認されることすら皆無である、という説明は決して誇張ではないだろう。ナシマが職業訓練校に通う、と自ら決断し、その意思を夫に伝え、姑や小姑の白い目にもめげずに半年間のコースを修了した、という事が、どれだけ大きな意味を持つかは、こうしたバングラデシュの農村部の社会状況を踏まえなければ、決して理解は出来ないのだ。(続く)
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2011/10/22 02:30

その女性は如何にして“自己”を見出したのか?(その1)

 10月第二週はヒンドゥーのお祭り「ドゥルガー・プージャ」のために木曜日から週末をあわせて三連休。バングラデシュはイスラム教徒が多数を占めるが宗教の違いには寛容で、ヒンドゥー教徒のお祭りも祝日となるのだ。連休を利用してバングラデシュ北西部、インドとの国境に程近い地方都市、ラッシャヒ(Rajshahi)に、その地で活躍する青年海外協力隊員を訪ねに足を運んだ。

Bangladesh Map
  
 ダッカからラッシャヒへは鉄道かバスでそれぞれ6時間程度。鉄道はお祭りで帰省する人々で早々に切符が売切れてしまったために、残り少なかったAC(クーラー)無しバスの切符を何とか確保した。値段は300タカ(約300円)と格安。従って不安。まさかダッカ市内で見慣れた、産業廃棄物処理場から拾ってきたようなフロントガラスが割れたバスに押し込まれるのだろうか…僕もベンガル人同様、開けっ放しのドアにぶら下がる、あるいは屋根の上に乗って6時間揺られるのだろうか…

     ダッカ市街地を走るバス
   ~ダッカ市内をクラクションを鳴らしながら爆走する産業廃棄物処理場から拾ってきたようなバス~

 長距離バスのターミナルのあるコランプール(Kallyanpur)でそんな不安に悶々としていた僕の前に現れたバスは、案外マトモだった。リクライニングの出来る座席が並び、一つの座席に乗客一人、という極普通の長距離バスだ。冷房はついていないものの、動き出せば窓から風が間断なく入ってきて心地よい。トイレはついていないが、途中サービスエリアのような場所に止まりトイレと軽食の休憩もとってくれた。顔を撫でる爽やかな風、目の前に広がる美しい農村の風景…思いがけず快適なバス旅にいつしか眠りに落ちていた自分に、車掌らしき男性が声をかけた。

   「降りないのか?ラッシャヒについたぞ!!」

    ラッシャヒの鉄道駅
   ~立派なラッシャヒの鉄道駅、しかし切符売り場ではシステム障害で切符が発行されず罵声が飛び交う中で駅員が緩慢な調子で復旧作業に取り組んでいた~

 ラッシャヒはガンジス川沿いに広がるゆったりとした地方都市だ。車の姿もまばらで、ダッカで間断なく響き渡るクラクションもここでは稀だ。古くからシルクの産地として有名で「シルク・シティ」と呼ばれることもあると言う。また、ラッシャヒ大学を始め多くの教育施設が点在し、街は緑が多い。かつて住んだ町、チャールズ川沿いのマサチューセッツ州ケンブリッヂを思い出す。

    ラッシャヒ市街の様子②
    ~ラッシャヒ市街の中心地、ゼロ・ポイント付近。乗用車は余り見かけない~  
 
 ガンジス川の緩やかな流れとともに、岸辺を歩いてみる。この川は人々の生活と共にある。人々はここで汗を流し、また農業に必要な水を得る。しかし、向こう岸をはるか彼方に望む豊かな水は乾季になると姿を消し、大河は湿地帯に姿を変えてしまうというから驚きだ。降水量の減少だけがその理由ではない。上流にあるインド領内のダムの存在が大きい。乾季になると自らの住民向けに水をせき止め、雨季になると一斉に放出するインド側の水利用は、下流に位置するバングラデシュの人々に多大な影響を与える。ガンジス川という国際河川の水の共有問題は、インドとバングラデシュの間に横たわる大きな外交課題の一つなのだ。

   美しいガンジス川の夕暮れ
  ~緩やかに流れるガンジス川。時間帯によって彩を変える実にフォトジェニックな川だ。~

 ラッシャヒでは、青年海外協力隊として当地の職業訓練校で若い女性に対してコンピューター指導をする先生として活躍するH田さん、小学校の先生へのモラル指導に取り組むA田さん、そして10年ほど前に協力隊員としてラッシャヒで同じく若い女性向け職業訓練校で染物技術指導に取り組み、現在は研究者としてラッシャヒ大学に籍を置いて活動されているI坂さんと出会い、ラッシャヒやその周辺を案内して頂いた。そしてこの街で、僕は「女性のEmpowerment」という開発の一大イシューの象徴的なケースとも言えるような、ある女性の印象的な自己変革のプロセスと出会ったのだ。


 その女性の名はナシマ。今年42歳になる彼女は、二人の女の子の母であり、かつて軍人であり今はレンガ工場の工員管理の仕事をする夫の妻であり、そして500人以上の従業員を雇って素敵な布製品を製造・販売する会社の経営者だ。

 彼女の工房にお邪魔した僕らが最初に目にしたのは、腰を据えて黙々と作業をする10代の女の子たち。中学校卒業後に、あるいは中学校に通いながら、ナシマの工房で働く彼女たちにとって、この場は所得だけでなく染色や縫製、装飾の技術を得る場でもある。約500人の従業員の大半は近辺の集落の主婦達であり、それぞれの自宅でナシマから請け負った作業にグループを作って勤しんでいるという。腕の良い女性は「グループ・リーダー」に抜擢され、品質管理や指導など、マネジメントの仕事に就くことになる。給料はそれに応じて上がる。

 子育てや家事に相当程度の時間を割かなければならず、また、女性が毎日のように家の外に出て行くことに対する違和感がまだまだ強いバングラデシュの地方の女性達に、ナシマ工房は継続的に働くことの出来る環境を提供している。

     ナシマさんの工房で働く女の子
  
工房の裏には色鮮やかなサロワール・カミュース(バングラデシュの女性用民族衣装)やテーブルクロスが並ぶ。売上げは順調で従業員への賃金や原材料の調達費用を支払った後の純利益として、毎月3万タカ(約3万円)程度を上げている。引き合いも増えており現在の工房では注文に応じきれないため、現在、工房を拡張する計画を立てている。 
    ナシマ工房が作った色とりどりの着物や布製品

 長女は一昨年医学部に合格し医師を目指して勉強中。高校生の次女もお姉さんに続けとばかり、医学部受験に向けて奮闘中だ。何もかもが順風満帆に見えるナシマ工房と彼女の家族。しかし、この状態に辿りつくまでに彼女と彼女の家族が歩んできた道は苦難の連続であり、また彼女自身の大いなる自己変革の旅でもあったことを、ナシマは僕たちに語ってくれたのだった。(続く)
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2011/10/17 18:11

子供たちが戻ってきた小さな教室は、どのように創られたのだろうか?(その3)

 バングラデシュ政府(初等大衆教育省)、教育サービスを長年手がけてきた多数の草の根NGO、母親をはじめとするコミュニティのメンバーの三者が、世界銀行の資金と知恵を背景に連携し、貧しさ故に初等教育からドロップ・アウトせざるを得なかった子供たちにAnanda SchoolというSecond Chanceを提供するROSC(Reaching Out-of-School)プロジェクト(Anandaはベンガル語で喜びの意味)。

ダッカの北100キロのMymensingh県Trishal郡のAnanda Schoolを訪れるに当たり、僕の頭には、「どうしてAnanda Schoolの運営主体であるCMC(Center Management Committee)に、母親たちを巻き込むことができたのか」、という疑問が強く頭にこびりついていた。なぜなら、「教育は子供の将来にとって決定的に重要であり、我が子を思う母であれば、学校の運営に携わるのは当たり前」、という発想が通用するならば、そもそも、その子供は小学校からdrop-outしていないはずだからだ。子供たちは、他ならぬ親の判断で、学校に通うよりも、仕事の手伝いや幼い弟妹の子守をし家計を助けている。ROSC-Projectが、75%以上の出席率を保つ子供を対象に、一定の教育手当てを提供しているのも、子供たちをAnanda Schoolに通わせる上で発生する機会費用を抑えるためであることは既に触れたが、同じ機会費用は、本来であれば家事・育児にあてる時間を、Ananda Schoolの運営に充てなければならない母親たちにも当然発生する。しかし、CMCのメンバーとなる母親には、お金は支給されない。これではCMCのなり手はいないのではないか?いても、すぐ止めてしまうのではないか?

 フィールド・ビジットの一週間前に、プロジェクトのブリーフィングをしてくれた、初等大衆教育省のAtaulプロジェクト・マネージャーにこの疑問をぶつけてみたが、返ってきた答えは「いや、それは母親たちには社会的な責任感があるから大丈夫なのです」というもの。

 しかし、極貧状態にある農村の家庭に、社会的責任を期待するのは酷なのではないか、実態としては、母親たちはあまり、CNCの運営に関わることが出来ていないのではないか…僕の邪推が晴れることはなかった。



 そんな疑問を胸に、僕は、Trishal郡のAnanda School横で、一人の母親と向き合っていた。彼女の名前はロシュンアラ。今年5年生になる息子が5年前にAnanda Schoolに通いだした頃からCMCのメンバーとしてAnanda Schoolの運営に積極的に関わっているという。彼女に、何故CMCのメンバーとなったのか単刀直入に尋ねてみた。

     Anada Schoolの運営に携わる母親との対話
 (Ananda Schoolの運営に携わる母親、ロシュンアラさん(写真左、オレンジ色のサリーのを着た女性))

 「CMCのメンバーはAnanda Schoolで学ぶ子供の母親(25人~35人)のうち5人が、投票で選ばれるのですが、私は他の母親たちから推薦をされました。私はもともとBRAC(マイクロファイナンスや各種社会サービスを農村で展開するバングラデシュ最大のNGO)」の健康管理員の仕事をしており、この村の家々を訪問して回っていましたので、多くの人に知られていたからでしょう。正直、上手く出来るかはわかりませんでしたが、大勢の子供たちが通う学校の運営に携わるのは、一つの社会的な責任だと思いました。」

 なんと、母親本人の口から、社会的責任、という言葉が語られた!思わず僕はさらにこう問いかけた。

 「仕事や家事、幼い子供の世話もあって、大変でしょう。学校の運営に時間を割くのは負担ではありませんか?お金ももらえないのでしょう?旦那さんは、あなたがCMCの仕事をしていることについて、どのように考えているのですか?」

 不躾な質問に、ロシュンアラさんは笑顔で答えてくれた。
 「名誉なことですから、夫も誇りに思ってくれています。それに、私の家は、すぐそこなのです。なので、時間のある時に、他の母親や先生と集まって話をしたりするのに、それ程の負担は感じません。」

 バングラデシュのCommunityの力を見た気がした。手の届かない政府のサービス、気まぐれな気候、そして貧困、厳しい現状にあってなお、母たちは、自分よりも大きなもののために、時間を投じている。同行してくれていた世銀の現地コンサルタント、ムシャラフさんが、帰り際にこんな事をつぶやいた。

 「恐らく、このプロジェクトの最大の成果の一つは、コミュニティの人々がCMCの運営に関わることで、教育サービスの「Receipient」から、「buyer」へと自己変革を遂げたことなのだろう。」

 確かに、Ananda Schoolが出来る以前、子供たちや親たちにとって、学校の先生、教科書、施設といった教育サービスは、既にそこにあるものであり、彼らは与えられたサービスを選択の余地無く受け取るRecipientであったと言える。そうしたサービスに不満や不備があれば、彼らが取る選択肢は、改善のために主体的に動くのではなく、単にサービスをReceiveするのを止める、つまり、学校に行かない(行かせない)という事だったのだろう。
 
 しかし今は違う。彼ら自身が、政府を経由して支給される補助金を使って、子供たちのために教科書や制服を買い揃え、先生を選ぶ。不満や問題点があれば、自ら考え、対話を通じて解決策を探っていく。それに必要なリソースは自らの手元にある。今や母親たちはAnanda Schoolの所有者として、厳しい目で教育リソースを吟味して購入していくbuyerであり、Ownershipを持って学校を運営していく主人公なのだ。そう、Ananda Schoolは彼らのものだ

 Ananda Schoolの建物は、トタンと板だけの実に質素な「掘っ立て小屋」だが、中には、色々な絵や飾りが飾られ、子供たちがAnanda(喜び)とともに、学ぶ空間が出来ているが、これらの多くは、母親や子供たちが作ったものだと言う。二ヵ月後に小学校修了試験を控える子供たちは、先生の後を追って、真剣なまなざしでベンガル語の朗読をしている。

 授業終了後、折角だから、と教室にお邪魔した僕を好奇心に満ちた大きな瞳が見つめる。「将来の夢は?」と尋ねると、女の子は口々に「先生になりたい!」。若い女性の先生は女の子たちにとって憧れの的なのだろうか。では男子はどうだろう?「お医者になりたい。」「僕はUnion Parishadのメンバー!(政治家)」。皆、夢はでっかい。Ananda Schoolは、でっかい彼らの夢を、手が届くかもしれない具体的な目標へと変えていくのだ。小学校からdrop-outしたままでは蕾のまま開くことの無かった、彼らの夢や可能性を育てていくのだ。

    Ananda Schoolの生徒たちと
 (Ananda Schoolの25人の生徒たちと。皆小学5年生。11月末に小学校修了試験に挑戦する)



 ROSC Projectは、現在世銀と政府との間で、規模を拡大したセカンド・フェーズに入るべく、検討が進められている。美談は多いが難題も多い。草の根NGOと微妙な距離感を保つ必要性は既に触れたが、教員の研修をより充実したものにするにはどうすればよいか、教育手当ての不正受給を根絶するために昨年から導入した、生徒一人ひとりに名前と顔写真入りのIDを発行する措置を、より広い範囲で導入するために必要なcapacityをどうするのか、試行錯誤は続く。

 しかし、このプロジェクトの運営主体が、地域のこと、子供たちのことを一番良く知っている、コミュニティの構成員で成り立つCMCであるという、ROSCプロジェクトのコアはこれからも変わらないだろう。世界銀行やバングラデシュ政府には、コミュニティに根付く社会的責任意識を、形あるものに変え、持続させていくための効果的な制度作りが求められる。何がworkし、何がworkしないのか、これまでの経験を虚心坦懐に振り返り明日へと活かす改革マインドが、プロジェクトに関わるあらゆるステークホルダーに求められる。

 日も暮れかけたダッカへの岐路、幹線道路の凸凹道を揺られながら、プロジェクト・マネージャーのAtaul Haque氏が静かに、しかし強い目線で語ってくれたことを僕は思い出していた。

 「何のために働いているのか。それが重要だ。それを忘れなければ、困難は乗り越えていける。私はこのプロジェクトにマネージャーとして関わっていることを誇りに思う。」

 「プロジェクトに関わることへの誇り」…そういえば、粗末なサリーに身を包んだ母親もそんなことを言っていたな。とても強くて、素敵な目をしながら。 (ROSC-シリーズ;終わり)


      Ananda Schoolの先生たちと
     (Mymensingh県Trishal郡のAnanda Schoolの教壇に立つ女性教員たちと) 
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/10/13 17:21

子供たちが戻ってきた小さな教室は、どのように創られたのだろうか?(その2)

 貧困ゆえに初等教育からDrop-outせざるを得なかった子供たちにターゲットを絞り、
① 年間800タカ~970タカ(一タカ=1円)の「教育手当て」を出席率などを条件に支給することで、子供を学校に通わせる上での、親にとっての機会費用を引き下げ、
② 母親やコミュニティの代表者等で構成されるCenter for Management Committee(CMC)が地域の実情に合わせた柔軟な学校運営の主体となる、
といった革新的な手法を組み合わせた、バングラデシュ政府-草の根NGO-コミュニティ-世界銀行の協働によるReaching out of School Children(ROSC)プロジェクト。

   Ananda Schoolの生徒たちと先生
     (Mymensingh県Trishal郡のAnanda Schoolに通う25人の生徒と先生)


 ROSCプロジェクトの仕込みの段階からプロジェクト開始後6年を経た現在まで、Project Managerとして一貫して関わってきたバングラデシュ初等大衆教育省(Ministry of Primary and Mass Education)のAtaul Haque氏は、ROSCプロジェクトは「Learning by Doing」の連続であり、確かな成果を収めてきた一方で、多くの失敗があり、そして未だ発展途上であることを率直に認めつつ、熱のこもった口調で困難な課題について以下のように説明してくれた。

 「このプロジェクトの成功のために、草の根のNGOとの連携は不可欠であったが、同時に、最も困難なハードルの一つだった。なぜ、NGOとの連携が不可欠か?理由は簡単だ。政府に必要な情報が無いからだ。例えば、「初等教育からドロップ・アウトした子供をターゲットに学校を作ろう」と思いついても、実際そうした子供たちがどこにいるのか、政府には知る術が無い。どこにAnanda Schoolを作れば、最も効率よく、ドロップ・アウトした子供たちにアクセスできるのかが、政府には判断できない。従って、これまで、極貧層や障碍児など、正規の教育制度にアクセスできていなかった層に教育を提供してきたローカルのNGOをパートナーとするのは本プロジェクトが成功する上での必須条件だった。」

 「しかし、政府-NPOの協働事例はこれまでバングラデシュにおいて存在しなかったことから、当初、NGO側の警戒感は無視できない程高かった。これまで自分たちが取り組んできた領域に、政府が世銀の資金をもって“荒らしに”やってくるんじゃないかって、そんな雰囲気だった。また、Upazila(郡)で働く現場の政府職員にとっても、「何故政府のリソースをNGOに与えて彼らのCapacity強化を我々がやらなければならないんだ」という反発が強かった。その両者が、このプロジェクトの主役は、政府でも、NGOでもなく、CMCを構成するコミュニティであるという理解を共有するには、多くの対話が必要だった

 「Education Service Provider(ESP)と呼ばれる我々のパートナーNGOを選ぶに当たり、「当該コミュニティで5年以上の活動歴があり、教育サービスの提供分野で3年以上の実績がある」との基準を設定したこともあり、プロジェクトが回り始めると、草の根のNGOは確かにパワフルだった。彼らは、drop-outした子供たちがある程度の人数固まっている村のコミュニティをしっかり見極めた。そして、ROSCプロジェクトの目的や内容について、コミュニティのメンバーと共有するための集会を開き、巧みに村の人々を巻き込んでいく。さらに、読み書きも出来ず、まして学校運営のノウハウなど持たない、しかし、子供の将来に強い関心を持つ母親たちが、学校運営の主体であるCMCのメンバーとしての役割を果たせるよう、しっかりガイドしていっていった。」

 「しかし、次第にこうした草の根NGO自体が問題の発生源となっていったのだ。一般に、バングラデシュで長年草の根で活動してきたNGOはコミュニティの政治家や地域の有力者とのつながりが強い。ROSCプロジェクトに関わる草の根NGOが、その政治的な影響力を次第に悪用するようになったのだ。例えば、本来母親たちが主体となるべきCMCの運営を、草の根NGOが牛耳る(dominate)ようになってきたのだ「ガイドする」ことと「牛耳る」ことを隔てる壁はとても薄いが、例えば、母親たちが疑問に思ったことを口に出せなくなる雰囲気がCMCで発生しているとすれば、それはそのCMCが薄い壁の悪しき側の方に行ってしまった一つの証拠だ。これにより、Ananda Schoolの先生が実力ベースではなく、NGOの背後にいる有力政治家の知り合いや親戚が選ばれるようになる。あるいは、「Ananada School向けの補助金が子供の数に応じて支払われる」、とのルールを悪用して、実際は公立学校に通っている子供を、Ananda Schoolに通っていると見せかけて虚偽申請をし、余分にとった補助金の一部を、NGOがAnanda Schoolの運営以外の、自らの活動資金に充当している、という事態も発生した。

 「近隣の公立小学校の先生や、郡議会の女性議員、あるいは我々の地域事務所であるUpazila(郡)事務所の教育担当官をCMCのメンバーにしたのは、こうした不透明な政治力を排除するためでもあったのだが、いかんせん、彼らは本業が忙しく、月1回のCMCの出席率も低調だった。残るは文字も読めない5人の母親と若い女性の先生、そして、経験・実績・政治力を持った草の根NGOの職員。振り返ってみれば、パワーバランスが不健全な方向に崩れてしまい易い仕組みだったといえるかも知れない。」

 プロジェクト・マネージャーが語るこの困難は、「地域の声の反映」や「貧困層のEmpowrement」といったお決まりのフレーズで美化され易いcommunity-Based Developmentが陥り易い罠を如実に語っている。つまり、どこの世界でも政府は汚職や非効率の温床として批判の的となっているが、このことが直ちに、草の根NGOが政府よりもクリーンで、賢く、そして受益者のために行動しているということを意味するものではないということだ。永田町やワシントンD.C、あるいはダッカの議会が権謀術数や利権と無縁でないのと同じように、草の根にも矢張り政治や利権はある。「草の根のプロジェクトだからコミュニティの監視の目が行き届く」という公式は、そこに、ResourceやAuthorityが平衡する複数の主体のcheck & BalanceとAccountabilityのメカニズムが組み込まれて初めて成り立つものであることを、ROSCプロジェクトの初期の困難は教えてくれている。

 こうした問題を解決するために、ROSCプロジェクトは開始5年を経た2009年より二つの改革を実施した。第一は、Ananda Schoolの教員選抜に、草の根NGOの政治的影響が及ばないよう、郡の教育委員会の管理の下、より透明性の高い試験と面接を導入したこと。第二は、既存のCMCのメンバーから草の根NGOを外すとともに、今後新設するAnanda SchoolのCMCについては、立上げ当初は草の根NGOをメンバーとして迎え、その力を借りるが、その任期を2年と設定したことだ。

 これにより、草の根NGOが持つ政治力やノウハウが悪い形でAnanda Schoolの運営に影響を及ぼし始める前に、その関与を断ち切ると同時に、CNCのメンバーとなった母親や先生に対して、2年以内にNGOの職員の手ほどきなしでしっかりと学校を運営できるように、そのノウハウを学んでいくインセンティブが盛り込まれることとなった。

 この改革の意義を、訪問したAnanda Schoolで2007年から子供たちを教えている20代前半の女性教師は、自らの経験から次のように語ってくれた。

 「以前は、何でもNGOの職員がやってくれました。彼らはやりすぎていた、とも言えるし、私が彼らに頼りすぎていた、とも言えるかもしれない。今では、CNCの事務局的な機能は私が殆ど担っています。生徒の出席管理、ミーティングの議題設定、議事録作成、生徒たちの学力や学校の状況についての、私の先生(教員のトレーナー)への報告・連絡等、やることは沢山あります。でも、自分が教えている学校と子供たちのために必要なことを、自分で考えて実行できる範囲がすごく広がりました。」
 
    Ananda Schoolの先生たちとの対話
  (Mymensingh県、Trishal郡のAnanda Schoolで教壇に立つ教員たちからのヒアリング。全員が若い女性だ)
 
 現在、バングラデシュの60の郡(Upazila)で計2万2千のAnanda Schoolが設置されていることは前回の記事で紹介したが、教壇に立つ教員の殆どは子供たちと同じように貧しい村出身の20代の女性達だ。25人から35人の子供たちの授業を受け持つとともに、学校運営の意思決定主体であるCNCの事務局機能も果たすことで、こうした女性たちはAnanda Schoolで受け持っている子供たちの卒業を見届けた後も、新しいAnanda Schoolや草の根NGOでの職に、少なくとも以前よりは就きやすくなるだろう。ROSCプロジェクトが持つ、女性の雇用創出とEmpowermentの側面も見逃せない。

 そうは言っても、彼女らの待遇改善は切実な課題のひとつ。「今、一番気にしていることは?」との僕の質問に対して、集まった20人近い女性教員たちからは、「給料が一月1,200タカから1,500タカにあがると聞いたが(一タカ=1円)、いつから実施されるのか」、「今の子供たちが卒業した後、私たちの仕事はどうなるのか?((Anahda Schoolは一学年しかないので、子供たちの卒業とともに基本的には閉鎖となる)」という疑問が口をそろえて飛び出した。
 


 このように、必要な支援を最貧層に直接届けるには、様々な主体を、その比較優位を考えながら巻き込んでいくとともに、プロジェクトを実施していく過程で実情に合わせたFine Tuningが欠かせない。世界銀行で本プロジェクトを担当しているTask Teamはバングラデシュ政府側のカウンターパートである初等大衆教育省の担当官とともに、4半期に一度、現場に足を運んで現状を確認し、問題点と解決策、そして解決策実施のスケジュールを政府やNGO等のステークホルダーと検討・協議したうえでaide memoire(覚書)という形でまとめ、政府側と共有した上で、その後に続くモニタリング実施の基礎としている。問題解決の手法を考える上で大きな武器となるのが、世銀のスタッフが、世界中で実施している、類似のプロジェクトの成功例・失敗例の集積だ。もちろん、ROSCプロジェクトにおける様々な試行錯誤も、この後に続く開発プロジェクトをより効果的なものとしていくための、コヤシとなるのだ(続く)
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/10/10 03:36

子供たちが戻ってきた小さな教室は、どのように創られたのだろうか?(その1)

            美しい田園風景

 バングラデシュの農村は美しい。突き抜けるような青空に太陽がくっきりと見える。明るい陽光の下には、青々とした水田が広がる。ダッカを支配するクラクションの代わりに耳に届くのは、のんびりとした牛の鳴き声や裸で走り回る子供たちの歓声。そして池で魚を獲る男たちの威勢のいい掛け声。ダッカでは泥まみれのヤギや、棒でぶたれてばかりの犬たちもここでは幸せそうだ。

          魚を採る男たち

 そんな穏やかな田園風景に不釣合いな巨大な四輪駆動が左右にその巨体を揺らしながら現れる。車体の横にプリントされた地球儀のロゴとWorld Bankの文字には水溜りの泥が容赦なく降りかかる。昼寝をしていた牛たちや裸で跳ね回っていた子供たちもビックリして突然現れた見慣れない文明の利器を見つめる。

          村の子供たち

 ここは、ダッカから北へ約100キロ、Mymenshingh(マイメイシン)という地区(District)の南に位置するTrishalという郡(Upazila)にある村だ。維持補修がまともにされていないことで有名な、ダッカ-マイメイシン間の幹線道路を3時間程突き進み、さらに全く舗装されていないぬかるんだ道を揺られること約1時間でようやくたどり着いたこの村には、貧困を理由に、小学校からドロップ・アウトしてしまった子供たちが再び教育機会を享受できる場所、Ananda School(Anandaはベンガル語で「喜び」の意味)がある。Ananda Schoolはバングラデシュの初等大衆教育省(Ministry of Primary and Mass Education)と教育関連のNGO、そして子供に再び教育の機会を与えたい、と願う村の親たちとの協働、そして世銀のノウハウと資金が創り上げた場所だ。この日、僕は、現在自分が担当しているプロジェクトの一環として、そんな場所を訪問し、人々と対話する機会に恵まれたのだった。



 バングラデシュ政府と人々の努力、そしてDevelopment Partners(各国の援助機関や世銀・国連のような国際機関)からの支援により、バングラデシュにおける初等教育(1年生~5年生)の就学率は1991年の64%から2010年現在90%を超えるまでに向上した。しかし、うち約半分の子供たちが小学校を卒業することなく学校をdrop-outしてしまっているという受け入れ難い現実もそこにある。学業よりも農漁業や村の小さな小売商等で生計を立てる両親の仕事の手伝いを優先せざるを得ないこと、即ち貧困がその主な理由だ。確かに、一クラス平均66人もの子供たちがひしめく教室、しばしば姿を現さない先生、そして、教科書や電気、図書館など必要な設備もまともに整っていないような公立小学校は、家族が生き抜くために額に汗して働いている親の目には、「家で仕事を手伝えばそれなりの戦力になる子供を敢えて送り出す意義が見出せない場所」と映るのも、無理無からぬことかもしれない。幼い弟妹の面倒を見る、家事を手伝う、薪を広い、水を汲みに行く、田んぼや畑をともに耕す、収穫物を市場まで運ぶ…10歳前後の子供たちが出来る仕事は確かに幅広い。そして、実際、この国に来てから僅か2ヶ月の僕ですら、農村でもダッカでも、途方も無い数の「働く子供たち」を日々目にしてきた。

 しかし、子供たちが教育の機会から遠ざかれば遠ざかるほど、貧困の連鎖は続く。基礎教育から疎外された子供の、人生において享受できる選択肢の数は限られ、大きく花開いたかもしれない可能性は蕾のまま終わる。自らの生業の生産性を上げる術を会得することも覚束ず、人生を歩む上で直面する様々なリスクを、自分の力でコントロールできる範囲を広げることもできない。こうした人々の数が減らなければ、その国は様々な外的・内的なリスクに脆弱であり、そして経済や社会の力強い発展も期待できないだろう。

 バングラデシュ政府も、2015年までに初等教育からのdrop-out rateをゼロにするという目標を掲げてはいる。しかし、たとえ、初等教育にかかるあらゆる費用を可能な限り低め、教員の数と質を高め、学校の設備を充実させたとしても、厳しい貧困にあえぐ農村の人々にとって、子供たちを学校に送る上で発生する「機会費用」の問題は、容易には解決できない

 どうしたら、貧困ゆえに初等教育からドロップ・アウトをしてしまった子供たちを再び学びの場に呼び戻すことが出来るだろうか?そんな場所はどうやったら創ることが出来るだろうか、そして、子供たちを自らの人生をリードし、国創りの主体となる人財へと育てるには、どうしたらよいだろうか、こんな疑問と、試行錯誤を繰り返しながら向き合い、確かな成果と大いなる教訓を残してきたのが、バングラデシュ政府-草の根のNPO-コミュニティの人々-世界銀行という4者が協働する「Reaching out-of-school Chirdren Project(通称ROSC Project)だ」。

 2005年にスタートしたROSC Projectは、極度の貧困ゆえに小学校をドロップ・アウトしてしまった、あるいはそもそも小学校に通うことすら出来なかった子供たちが再び教育の機会を手に出来る場所、つまりAnanda Schoolを村々に創り、そこに通う子供たちが、初等教育修了試験をパスし、Formal Secondary Education(公式な中等教育)へと歩みを進める力を身つけていくことを目的としている。2005年のプロジェクト開始から6年を経た今、特にDrop-out Rateが高い60の郡(Upazila)に2万2千のAnanda Schoolが創られ、約74万1千人の子供たちが初等教育のSecond Chanceを得ている。その内約90%の子供が初等教育修了試験をパスし、約50%の子供が、晴れて公立の中学校へと進学している。さらにAnanda Schoolの生徒のうち121人が、修了試験の成績が極めて優秀であったことから、国からの奨学金を得て中学に進学しているのだ

         Ananda Schoolの入り口
    (Trishal郡の村にあるAnanda Schoolの入り口。トタンと木だけで作られた言わば“掘っ立て小屋”だ)

  こうした数字の持つ意味は、その子供たちが置かれている境遇に想いを馳せなければ、正しく理解することは出来ない。子供たちの家庭があえぐ貧困については既に触れたが、自宅から学校に向かうために彼らが日々歩まなければならない道なき道(実際、雨季には多くの道が水没し危険を冒して小さな木船で通学することになる)や「女子に教育は必要ない」という文化的・宗教的な既成概念等、特に農村において、子供たちを教育機会から遠ざけている壁は、想像以上に高いからだ。そして、彼らの受ける初等教育修了試験は、例えば、ダッカの大金持ちの子供たちが冷房の完備された立派な小学校で受けるものと、変わらないのだから。

 こんな成果をもたらしているROSC Projectが創るAnanda Schoolは例えば以下の点で、公式な小学校とは異なる。
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 ○ 一クラスは最低25人から最大で35人。一つのAnanda Schoolでは一学年だけで構成される(教室は一つ、先生も一人)
 ○ 学校の運営(例えば学校の場所、授業時間帯、必要な設備の購入、カリキュラムの決定や子供たちの成績の評価等)は、Ananda Schoolに通う子供の母親(5人)、Ananda Schoolの先生(1人)、Upazila(郡)の教育担当官(初等大衆教育省のお役人;1人)、郡議会の女性議員(1人)、近隣の公立学校の先生(1人)、Ananda Schoolの先生への研修を実施する大手NGOの職員(1人)、Ananda Schoolに必要な教育設備を届ける草の根NGOの職員(1人)の計11人で構成されるCenter Management Committee(CMC)において決定される。なお、CMCの議長は5人の母親のうち一人から選ばれる。
 ○ Ananda Schoolに通う子供たちには、1年生~3年生までは毎年800タカ、4年生~5年生までは毎年970タカ(一タカ=約1円)の教育手当て(Education Allowance)が支給される。教育手当ては半年に一回支給されるが、支給には、少なくとも75%以上の出席率と、担当の先生による学力評価でSatisfactory(十分)を得ることが条件とされる。
 ○ Ananda Schoolには子供の数に応じて年間約2万5千~3万タカの補助金が支払われる。補助金は先生の給料(月給1,200タカ)、学校の設備や教科書等の購入に充てられる。補助金の使い道はCMCによって決定される。
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 注目すべきは教育手当てにより貧困層の子供が学校に通うための機会費用を減らしていること(親が子供を学校に通わせるインセンティブを与えていること)、そして、学校の運営の決定主体として、母親やコミュニティの代表(郡議会の議員)等が関わることにより、学校が通う者のニーズに即して運営されるように仕込まれている点だろう。これにより、例えばその村が農作物の収穫で特に忙しい時期のみ、学校開始時刻を遅らせる等、家庭のニーズに合わせたフレキシブルな運営が可能になる他、学校がまともに運営されているか(例えば先生がしっかり来ているか、支給された補助金が誰かのポケットに入っていないか)について、日常的にコミュニティの目が行き届く仕組みとなっている。

 このように紹介していくと、ROSC Projectが順風満帆の成功事例のように見えるが、その実態は、正にLearnig by Doing、試行錯誤の連続であった。次回は、実際にこのプロジェクトの仕込みと運営に当たっているあらゆるステーク・ホルダー…Ministry of Primary and Mass Educationのプロジェクト担当課長から、Ananda Schoolの先生、CMCのメンバーとなっている母親、現場でプロジェクトに関わっているUpozila Education Officer、そしてAnanda Schoolで学ぶ子供たちまで…との対話を通じて見えてきた、このプロジェクトの真の意義と乗り越えてきた様々な課題、そして将来に向けた展望について、紹介していきたい(続く)。
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/10/07 20:51
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