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何故、チュニジアの野菜売りが抗議の焼身自殺をすると、バングラデシュの子供たちが学校に通えなくなるのか?②

 故郷から遠く離れた中東での出稼ぎ労働により、農村に残してきた家族の生活を支えるとともに、母国の健全な対外マクロ経済ポジションの基盤を創ってきたバングラデシュの父や兄たち。「アラブの春」の騒乱の中で行き場を失い明日をも知れぬ身となった彼らに故郷に戻る術を与え当座の困難を乗り切るための、バングラデシュ政府-国際移民機関(IOM:International Organization of Migration)、そして世界銀行の協働プロジェクトが始動したのは、リビアでの内戦開始後約4ヶ月後の今年6月だ。

 リビアの国境付近のキャンプで釘付けとなってしまっていた約3万7,000人バングラデシュの出稼ぎ労働者を対象に、バングラデシュに帰国するための旅費と帰国後の当座の生活資金(一人5万タカ(約5万円))を支給するために合計で4,000万ドル(約32億円)が用意され、ラジオや新聞、そして出稼ぎ労働者の携帯電話にテキスト・メッセージ形式で支援策がアナウンスされた。

 旅費や生活資金の受け渡し、及びそれに必要な各種証明手続きのための施設がダッカ市内に開設されたのが今年の6月。不正受給を防ぐために、申請者はリビアで出稼ぎ労働をしていたことを示す何らかの証明書の持参が求められる。手続きが終われば3日後には対象者の銀行講座に約5万円が振り込まれる。5万タカという金額は、5人家族が少なくとも半年間はバングラデシュの基準で見れば不自由なく暮らしていくことの出来る金額だろう。

              申請所の様子
 (ダッカ市内のミルプール地区に開設された申請所。開設以来毎日500人近い人々が訪れている(写真出典:World Bank)
 


 当地の新聞Financial Expressは、9月15日時点で、このプログラムの対象となる約37,000人の出稼ぎ労働者のうち約20,000人が旅費と生活資金の受け取りを終え、10月までにはほぼ全ての対象者が受け取りを終える見込みであると報じている。「危機」が発生するとそれに名を借りたバラマキ的な政策が実施されるのは先進国・途上国を問わず世の常だが、今回のケースでは、世銀が提供した資金が、確実に、危機の影響を受けた特定の層に、ある程度迅速に届いている格好だ。

 もちろん、利用者からの改善や制度拡大を求める声もメディアに掲載されている。例えば、政府はダッカにしか申請手続き施設を設けなかったが、ダッカに友人や親類がいない出稼ぎ労働者にとっては、これは当然不満の種だ。より一層重要な問題は、この支援策が当座の困難を乗り切ることを目的としたものであるため、対象者のその後の職探しにまでは手が回らない点だ。

 繰り返しになるが、国内に家族を養っていけるだけの仕事があるのならば、彼らは敢えてリスクをとって遠く中東・北アフリカにまで出稼ぎに行きはしない。現地の作業現場で怪我をする、犯罪に巻き込まれる、といったリスクだけではない。例えば、VISAの発行や現地の住居探し、送金手段の確立等をサポートする国内NGOや企業の中には悪徳業者も見られ、資金を払った挙句まともなサポートが得られない(例えば発給されたVISAが就労VISAではなく観光VISAであり、現地に行って暫くしてから窮地に陥る例など)といった事例など、トラブルを挙げればキリがない。

 国内でまともな職が見つからないからこそ出稼ぎと言う道を選んだ彼らが当座の生活資金として5万タカを得たところで、その資金が尽きた後はどうなるのだろうか?例えば、IOMが支援対象者に対して実施した事後アンケートによる約8割が海外での出稼ぎ機会を探している、との回答が得られている。

 そう言えば、多くの出稼ぎ労働者は出国に当たり多額の借金をしているのだ。当座の資金を使い果たす前に、借金を返しながら家族を養っていけるだけの職を早急に見つけなければならない。こうした状況を政策的に支援するには、危機対応とは別な、例えば職業斡旋や借金の低利融資への借り換え支援等のより腰をすえた策が求められる。 

 こうしたニーズに対して世銀は、BRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee)というNGOと連携して支援を開始している。ちなみにBRACはNGOといってもバングラデシュ国内や他の南アジア諸国、さらにはアフリカでマイクロファイナンス、銀行、大学、情報通信業、縫製業、小売業等を展開する一大コングロマリットであり、最大の法人税の納税主体であり、そして職員数10万人以上を擁する世界最大の規模を誇る巨大な組織だ。

 なお、危機の先にある生活が安定したものとなるよう、帰国した出稼ぎ労働者に職業訓練や就職斡旋を提供し、さらに起業を目指す者には小規模のローンを提供する世銀-BRACの連携プロジェクトを資金面で支えるのが、日本が世界銀行に設置している日本社会開発基金(JSDF:Japan Social Development Fund)だ。 
 
 JSDFは単に金を出すだけ器ではない。世銀職員が、世銀の組織としての弱点を補強しつつ効果的な支援を考えるための、インセンティブを与えるのものだ。世銀の支援はたいてい相手国政府を通じて実施されるため、面的で大規模な変化を齎しうるものの、フレキシブルできめ細かい支援には向かず、また真に支援を必要としている貧困層やマイノリティには届きにくい、という難点もある。こうした弱点を補うために、世銀が、①政府のシステムを通さずに困っている層に直接支援の手が届くようなプロジェクトを、②NGO等と連携しつつ、③世銀スタッフが培った知見を活かした革新的で持続的な効果が見込まれる方法で、支援するときに限り、お金を使うことを許されるのが、JSDFだ。逆に言うと、世銀スタッフに上記①-③を考え実行に移すためのツールを与えているものだともいえる。バングラデシュ最大のNGO、BRACを実施主体として使い、危機影響をまともに受けた農村出身の出稼ぎ労働者をターゲットに、当座の危機対応と併せ技で、且つ、支援の対象となる一人ひとりが自ら問題解決の担い手となれるようempowerする形で支援を実施するこのプロジェクトは、JSDFを活用した一つの好例だ。



 「私たちは皆、一生顔を見ることも無く、その言語も解さず、その名を聞いても分からないような人々の判断や行動に大きく影響を受けており、そうした人々もまた、私たちの影響を大きく受けている」

 「アラブの春」は中東・北アフリカ全域に広がり、マーケットを揺るがし、そしてその影響はバングラデシュにまで及んだ。迅速な支援は必要だが「危機対応」に名を借りて、乾いた砂に水をまくようなバラマキをやっているような余裕は、国際機関にも先進国にも無い。こんな時代だからこそ、「観察される問題はどのようにフェーズ分けができるか」、「如何にして各アクターの比較優位を活かした連携が可能か」、そして「支援の対象者が同時に問題解決の主体となり得るにはどのような解決策が必要か」といった疑問を走りながら考え、実行に移し、そしてfine tuning(微修正)していくことが求められる。

 やれやれ。
 誰にとっても、楽な時代ではない。しかし問題を機会と捉える人たちにとっては、何ともexcitingな時代ではないか。
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バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/26 02:41

何故、チュニジアの野菜売りが抗議の焼身自殺をすると、バングラデシュの子供たちが学校に通えなくなるのか?①

 今年に入ってチュニジアのベンアリ政権、エジプトのムバラク政権、そしてリビアのカダフィ政権など、中東で数十年にわたり続いてきた独裁体制がドミノ倒しのように崩壊した。ウィーン体制の崩壊の始まりとなった1848年の「諸国民の春(2月革命)」、「人間の顔をした社会主義」のスローガンの下で旧ソ連の圧制に抗した1968年のチェコスロバキアの変革運動「プラハの春」に準えて、「アラブの春」と呼ばれる一連の革命は中東・北アフリカ全域に広まり、イエメンやシリア等、動乱は今なお続いている。そして革命を成功させた国々が、これから先、機会の平等や開かれた政府、若者への十分な雇用といった「春」を謳歌できるかは分からない。

 「アラブの春」の歴史的な帰結が明らかになるには未だ時間がかかるだろうが、中東・北アフリカにおける一連の出来事は、昨年末の、たった一人の名も知れない若者の文字通り命を賭した抗議が、TwitterやFacebookという、個人をメディアに変える現代のコミュニケーション・ツールの力を借りて燎原の火のごとく広がったという意味で、その歴史的意味合いは大きい。今年4月、「開発のための新たな社会契約」とのタイトルでワシントンのピーターソン国際経済研究所で行われた世界銀行ぜーリック総裁の講演の冒頭は、その意義をクリアに語っている。



 ある出来事が、時として、大きな事件に発展するだけでなく歴史的意味を持つことがあります。

 昨年12月、路上で野菜や果物を売っていたムハンマド・ブアジジという青年が果物の秤を屋台ごと押収された上、野次馬の見ている前で警官にビンタをあびせられ、彼が抗議しようとしても全く相手にされないという出来事がありました。青年は誇りを傷つけられ、抗議の焼身自殺を遂げました。この事件の火の手は瞬く間にチュニジアをはじめとする中東地域全域を飲み込みました。

       世界銀行ぜーリック総裁
   (世界銀行ロバート・ぜーリック総裁(写真出典:World Bank))    

 ブアジジの死はチュジニアの公的メディアでは、何日間も「その件」としか言及されませんでしたが、その詳細はフェースブックやツイッターなどのソーシャルメディアを通じて広まり、政権を崩壊させるに至りました。チュニジアには何万人ものブアジジがいたのです。それどころか、彼と同じような苦しみを味わっている人々は世界中にいます。貧困、社会からの疎外、公民権剥奪、法的救済の欠如などによって、機会や希望が奪われているのです。しかし、チュニジアや中東での教訓は、地域や国、市場の枠を超えるものです。果物売りの青年の死は、この地域を揺るがす政治的動乱以上の意味をもっています。世界全体、各国政府、開発機関、そして経済学にとって新たな教訓をもたらしたのです。



 正に、「私たちは皆、一生顔を見ることも無く、その言語も解さず、その名を聞いても分からないような人々の判断や行動に大きく影響を受けており、そうした人々もまた、私たちの影響を大きく受けている」との時代認識の通り、ブアジジの死は中東全体を大きな変革の渦に巻き込んだだけではなく、原油や食料価格というチャネルを通じて、世界中のマーケット、そして人々の食卓にも影響を与えている。

 そして、バングラデシュもその例外ではない。というのも、バングラデシュは一大「人材輸出大国」であり、出稼ぎ先の約6割がサウジアラビアやエジプト、リビアをはじめとする中東諸国だからだ。例えば2010年6月時点で、約650万人もの人々が、故郷から遠く離れた海外で出稼ぎ労働をし、農村に残してきた家族に送金をしていた。建設ラッシュに沸く中東の工事現場の土方として、運転手として、あるいは事務作業員として働く彼らの大半は、バングラデシュの農村から、家族を支えるために出てきた父親たちであり、兄たちだ。彼らが送金するお金は、農村で暮らす家族が日々の糧を得るための生活資金になり、子供たちが学校に通うための費用になり、また病を患う両親が病院に通うために欠かすことができない。

 こうした出稼ぎ労働者の送金がバングラデシュのマクロ経済や対外ポジションに与える影響は極めて大きい。まず、2009年の海外労働者送金額は、GDPの約15%に相当する約97億ドルにもなる

 バングラデシュは安価で豊富な労働力を活かした縫製品や皮革製品などを輸出しているが、輸出で稼ぐことのできる外貨は、自動車や電気製品、工場機械といった高付加価値製品や、石油・石炭・小麦といった一次産品等の輸入品目の支払いをできる程十分な額ではない。つまり、バングラデシュの貿易収支はずっと赤字続き(2009年は47億ドルの貿易赤字)だ。しかし、出稼ぎ労働者からの送金が、慢性的な貿易赤字を補って余りある程であることから、バングラデシュは、グローバル金融危機の最中にあってもなお、堅調な経常収支の黒字を維持できていた。つまり、外国からの資金の一斉引き上げにより、輸入品の支払いが出来なくなったり、銀行が倒産に追い込まれたりした多くの途上国とは一線を画すことが出来ていたのだ。

 こうしたコンテキストを見ると、何故「アラブの春」がバングラデシュのマクロ経済や人々の暮らしに大きな影響を及ぼすのかがみえてくる。海外送金が長期にわたり滞れば、経常収支が赤字に陥り、企業や政府が外国から借りた借金を返せなくなるかもしれないし、輸入決済を出来なくなるかもしれない。こうした支払いにあてる外貨を賄うために、中央銀行が自国通貨(タカ)を売って外貨(ドルやユーロ)を購入するオペレーションを大規模に繰り返さざるを得なくなれば、自国通貨安になり、それはそのまま輸入品(その殆んどが石油や小麦等の生活や事業の基盤)の価格高騰(いわゆる輸入インフレ)という形でバングラデシュの人々の暮らしに襲い掛かるかもしれない。
 
 「アラブの春」がバングラデシュに及ぼすマクロ経済への影響は、現時点では不吉な「見通し」の段階だが、北アフリカ・中東地域で家族のために働く多くのバングラデシュの父や兄たちの艱難辛苦は、既に現実に発生している問題だ。例えば、カダフィ政権と反政府勢力との抗争に欧米が軍事介入することで全面戦争に発展したリビアでは、今年初めの段階で7万人から8万人ものバングラデシュ人が出稼ぎ労働者として働いていた。彼らはミサイルや銃弾が飛び交うリビアの主要都市を命からがら逃げだしたものの、帰国するための手段や資金も確保できないまま、砂漠の真ん中にある国境付近の難民キャンプのような場所に釘付けになってしまったのだ。

          リビア国境沿いで助けを求めるバングラデシュ出稼ぎ労働者
    (リビア国境周辺で助けを求めるバングラデシュ出稼ぎ労働者(写真出典:World Bank))
       
 そもそも、彼らはどうやってバングラデシュの農村から遠くリビアにまでやって来たのだろうか。さすがに手漕ぎボートで繰り出した訳ではなく、多くは飛行機だ。しかしそのお金はどこから?それに、出稼ぎ先での住居はどのようにして確保したのだろう?VISAを手に入れるための資金はどうしたのだろう?

 農村で家族を養っていくのに十分な給料を得ることが出来る仕事がなかったからこそ、様々な危険や不安の中で敢えて中東・北アフリカまで出稼ぎに来ている彼らに、まとまったお金があるはずはない。当然のことながら彼らは借金をして出国や出稼ぎ先の生活の立ち上げに必要な資金を賄い、その借金を少しずつ返済しつつ家族に毎月送金をしているのだ。

 つまり、特に最近になって出稼ぎを始めた多くのバングラデシュの父親や兄たちは、文無しどころか多額の借金を抱えたまま、また、自らの身の安全もままならないまま、遠く離れた家族のことを想いながら国境付近のキャンプで身を寄せていたことになる。また、辛くも母国に帰ることが出来たとして、その後の生活はどうなる?田舎に仕事がないので中東まで来たのだから、戻ってもまともな仕事がある訳はない。子供を中学校に通わせ続けることは出来るだろうか?病気の母親の治療費はどうなる?

 そんな辛く不安な心中は想像することすらできない…

 こうして、チュニジアの野菜売りの抗議の焼身自殺が、バングラデシュの子供たちが学校に通えなくなることにつながるという、誰にとっても想像が出来なかったシナリオが現実のものとなるのだ。

 仮に日本でこうした問題が発生すれば、つまり、大勢の海外駐在員がどこかの国の政情不安によって出国できないという事態が発生すれば、現地の大使館、東京の外務省、そして送出し元の企業が一丸となって身の安全と帰国の途を確保するのだろうが、残念ながら、バングラデシュ政府にはそれを実施できるだけの財政的な余裕や人員はない。またバングラデシュの出稼ぎ労働者の身の安全に責任を持ってくれる企業もいない。

 そこで登場するのが、世銀をはじめとする国際的な支援なのだ(次回に続く)。
バングラデシュと世銀の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/24 19:26

自分は何故バングラデシュにいるのか③

 ダッカにも、日本人や日本から戻ったバングラデシュ人が経営する日本料理屋や居酒屋が何軒かある。肉じゃがやシシャモもの塩焼き、お新香といった品々は、ダッカではめったに拝むことの出来ない贅沢品。カレーで疲れた舌を懐かしい味で癒しながら、こちらで親しくなった日本企業や政府機関の駐在員の方々に「バングラデシュを希望してきたのです」と話すと、たいていの場合、「へぇ、何でまた?ずいぶんと変わってますね」と返事が返ってくる。確かに自分でも変わっていると思う。なぜなら僕は辛いものが大の苦手だからだ…



 「なぜ、バングラデシュなのか?」

 「世界の銀行」と銘打っているだけあり、世銀は世界150箇所以上に現地事務所(Country Office)を展開している。数ある現地事務所の中で敢えてバングラデシュを希望したのは、仕事で使う主たる言語がフランス語やスペイン語ではなく、英語であること、現地オフィスがそれなりに大きな規模とPresenceを持っていること、といった実務的な理由からだけでなく、バングラデシュが今世界が直面しているグローバル課題の縮図のような国だと捉えたからだ。


 
 小学校のころ50億と習った世界人口は、今年中に70億人に達する。1900年に20億人だった人口が30億人になったのが1960年。つまり、20世紀の前半と比較して1990年から2010年までの間に、人口増加のスピードは6倍になっている。世界の人口は2050年には90億人に突破するだろうと予測されている。

 人の数が増えること自体は悪いことではないはずだ。お目出度いことと言えるかもしれない。より多くの人が戦争や疫病に怯えることなく長く生きられるようになり、より少ない赤ちゃんが生まれてすぐに死ななくてすんでいる証拠だからだ(実際、世界の平均寿命は1960年の48歳から、2009年には68歳にまで伸びている)。

 ただし、「人の数が増えるのはお目出度いこと」と言えるのは、人々皆に、「健康で文化的に」生きることの出来る基盤(衣食住、電力やガス水道)があり、それらを、他人からの施しではなく、自らの労働で得ていけるような仕事があり、そしてそういう機会を見つけ、続けていけるだけの力を身につける教育の機会があり、さらに、いざ病気や怪我や災害などで生活の基盤を失ってしまった時に恩恵を受けられるセーフティーネットなどがあっての話、という条件がつくのだが。

 そして、こうした条件は、今の時点で、残念ながら相当程度満たされていない。今後、現在の中国とインドを丸々合わせたような人口が追加されていく世界で、こうした条件は、どうやったら満たしていけるだろうか?皆、一心不乱に「高度経済成長」を目指せばいいのだろうか?

 ここで、さらに厄介な問題がある。生活の基盤や労働機会、教育機会、セーフティネットといった様々な生きる糧は、水や土地、天然資源、生態系、ある程度で穏やかで規則正しい天候といった「たまたま、既にそこにあったモノ」を、人々が技術によって転換した結果得られた糧であり、そうした生活の糧の創出に不可欠な、“たまたま”存在したモノたちは「既にそこにはなくなりつつある」ということだ。

 つまり、今世界は、「資源制約と人口増大のプレッシャーが高まる中で、如何にして持続的に経済成長を実現していくか」という課題に直面している。この課題を上手に解いていかなければ、戦争やテロといった究極の手段を用いた資源の争奪の結果、人口が、利用可能な資源に見合うレベルにまで、否応なく「減少」するという、余り想像したくない未来が待ってるような気がする。しかも、そう遠くない未来に。



 バングラデシュはそんな地球の課題がギュっと凝縮されたような国だ。北海道と四国をあわせた程度の、殆んどが海抜10メートル以下に位置する中州のような土地に、1億5千万人もの人々が住んでいる。人口増加は、そのペースは緩やかになったものの、なお続いており、2030年には2億人を突破すると見込まれている。一方、土地は、静かに、着実に、物理的に、失われている。例えば溶け出したヒマラヤの氷河によって水かさを増した大河による川岸の侵食によって。あるいは、海面の上昇や高潮による耕地への塩害によって。今後、世界の気温が4度上昇すると、バングラデシュの国土の15%、2000万人分の土地が失われるという。

 つまり、20世紀後半に、世界の多くの人々の寿命を延ばし、赤ちゃんを生き延びさせ、人々が手に出来る機会を増やしてくれた「高度経済成長」や「大量生産大量消費」がもたらした、気候変動や生態系の喪失といった負の置き土産の影響を真っ先に受けている国がバングラデシュなのだ。そして、バングラデシュの中でも、そうした事柄の影響をより直接受けるのは、漁業や農業で生計を立てている農村の貧困層であり、ダッカのスモッグの中で汗まみれになっているリキシャ引きであり、毒性の強い化学染料を手袋もつけずに扱っている牛革加工工場で働いている農村からの出稼ぎ労働者であり、また濛々と煙を上げるレンガ工場の煙突の下で、マスクもつけずに黙々と資材を運ぶ女性たちなのだ。

 しかし、困ったことに(あるいは当然のことに)、こうした人々の暮らしを良くするためにも、バングラデシュはこれからも経済成長をしなければならない。なぜなら、バングラデシュには、「健康で文化的な生活」を営むために必要な様々なモノが圧倒的に足りないからだ。今よりもっと、質のよいモノを大量に作らなければならない。あるいは外国からそういうモノを買うために、自らそれに見合う何かを作り出し、輸出していかなければならない。質の良いモノを大量に作れるように、電力やガス、道路網を整備しなければならない。

 さもなければ、過去10年毎年6%近い経済成長の結果減少してきたとはいえ、なお、人口の3割以上を占める最貧層が「健康で文化的な暮らし」を享受できる日はやってこない。貧困のために中学校に通うのをあきらめなければならない子供たちの数は減らない。交通渋滞も交通事故も停電も減らないし、安心して飲める水も手に入らない。建設ラッシュに沸くダッカの工事現場で働く作業員に作業着、ヘルメット、軍手、安全靴を支給する余裕も生まれない(ダッカの土方作業員の殆んどは、Tシャツとジーンズに、サンダル!というビーチを歩くような格好で、且つ素手で、竹で組んだ足場の上で、重い資材を持ち上げているのだ!)。

 なんというジレンマだろう。経済成長を追求しなければ貧困削減ができないが、大量生産・消費に代表される既存の経済成長のモデルを追求すると、その負の影響をまともに受け、結局経済や社会の発展は期待できない。

 でも、考えてみるとバングラデシュが直面するこうしたジレンマは、日本を含め、あらゆる国とそこで暮らす人々が直面する課題ではないだろうか。バングラデシュは低所得の後進国でありながら、地球の課題を先取りしていると言えないだろうか。こうした途方もない課題を前に、世銀や国連といった国際機関、バングラデシュ政府、そして豊かに根を張るNGOのネットワークに代表される市民社会が連携して、試行錯誤を続けている。ひょっとしたら日本がこれから世界に貢献し、あるいは自らの進む道を模索する上でのヒントが、バングラデシュにはあるのではないか?



 渋滞が酷い、お酒が簡単には手に入らない、街中をジョギングできない、生野菜を食べられない、どこに行ってもカレーばかりなどなど、困ることを挙げればキリがないが、仕事を通じて日本、バングラデシュを含む世界が共通して直面する課題解決に関わることが出来る、という意味では、これほど恵まれた国はないといったら言い過ぎろうか?

 もちろん、ここに書いたような思いは、仕事の後で居酒屋で話す話題としては全く場違い、というか、せっかくのシシャモの塩焼きの味を台無しにしかねないので、「まぁ…色々、修行が必要かと思いまして…例えば辛いものをちゃんと食べられるようになるとか…」などと答えると、「なるほど~、修行ですか!それならバングラデシュは丁度良いですねぇ」と軽く笑って流してもらえる。

 おそらく、共にグラスを傾けあうその人たちも、きっとそれぞれ、居酒屋で語るには不釣合いな、でもぎゅっと詰まった思いを胸に、ダッカで頑張っているのだろう。
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/20 00:35

自分は何故バングラデシュにいるのだろうか ②

        線路脇のスラム

 Kamalapur駅(コムラプール駅;ダッカ中央駅)からTejgaon(テジガオン)駅まで約4キロの道のりを線路の上を辿って歩いてみる。時折汽笛と共にゆるゆると走ってくる列車と遭遇しなければ、自分が歩むその道が、線路の上であることは容易に忘れてしまう。そこは線路というより街であり、市場であり、工場であり、また、台所であり、風呂場だからだ。

 気温は30℃を下回るが体全体にまとわり付く湿気のために、汗のしずくが額から間断なく落ちる。いつの間にか近づいてきた列車を見上げると、上半身裸の子供たちが走ってくる列車の屋根で飛んだり跳ねたりしながらはしゃいでいる。そんな命知らずの子供たちを、泥まみれのヤギが平和な顔つきで見守っている。首周りだけ灰色のカラスどもが、お昼寝中のウシの背中に群がって嫌がらせをしている。人生の労苦を深い皺に刻んだ老婆が、無心にハンマーをふるってレンガを砕いている。巨大な荷物を頭に載せ、両手にも包みを抱えた男性が、涼しい顔をして通り過ぎていく。

 そんな線路上を、東洋人の男性が、一人歩いていく。自分は何故ダッカにいるのかを自問自答しながら。

        線路上を歩きながら・・・



 「なぜ、世銀の本部のあるワシントンではなく、現地事務所での勤務を選択したのか?」

 毎年、財務省、外務省やJICA等、日本の政府機関から何名かの職員が世界銀行に出向している。しかし、勤務先は、ほぼ例外なくワシントンにある本部となっている。世銀全体の意思決定がなされ、IMF・世銀総会を初めとする様々な国際会議が頻繁に開催され、人も情報も集まってくる本部での勤務はもちろん重要だ。一方で、世銀はここ数年、過去の失敗の反省に立ち、スタッフと権限を各国に配置しているCountry Officeに徐々に委譲する「現地化(Decentralization)」を推進している。過去の失敗とは、「ワシントン・コンセンサス」の一言で語られることが多い。途上国の経済的・社会的・文化的バックグラウンドを無視して、ワシントンの机上で考えた、特に規制緩和や民営化を中心とする解決策を処方箋として途上国に押し付けた結果、所期の開発効果を得ることが出来なかった、という見方だ。

 こうした見方には様々な議論があり、また、規制緩和や民営化を一律で悪しき処方箋とする考え方も、同様の問題を生み出し得るが、いずれにしても、世銀はクライアントたる途上国の政府や人々から遠く離れた存在だった(今でも遠い、との批判はよく耳にする)。プロジェクト視察のミッションも、クライアント(相手国政府)との政策対話も、ワシントンからの出張ベース、何らかの問題が発生して上司(Sector DirectorやCountry Director)の指示を仰ごうにも時差の関係で迅速なコミュニケーションが図りにくい。例えばバングラデシュでは金・土が祝日であるため、10時間の時差も合わせると、ワシントンの本部と何らか電話で相談したい、と木曜日の午後に思い立つと、(お互い週末は働かない、と言う前提に立てば)、その電話会議が成立するのは、最速でダッカ時間で4日後の月曜日の夜(ワシントンの月曜日の朝)となってしまうのだ。また、大型連休のカレンダーも各国により異なる。例えば、バングラデシュでは8月の末から9月の第一週が断食明けを祝うEID(イード)という大型連休で政府機関と併せて現地オフィスも休みに入るが、ワシントンの本部は当たり前のように稼働している。他方で、ワシントンの本部から人がいなくなる12月後半のクリスマスは、バングラデシュにとっては何の休日でもない。週末や休日のタイミング一つ取ってもこれだけの差がある中で、ワシントン中心主義で、クライアントのニーズにタイムリー且つきめ細かに対応できるはずがない

 こうした問題意識にたって徐々に現地化が推進されていった結果、2010年度末には約1万人の職員のうちおよそ6割が現地のCountry Officeに展開し、その責任者であるCountry Directorは、ほぼ全員現地駐在となった。特にバングラデシュが所属する南アジア局は現地化が最も進んだ局の一つであり、7割の職員がインド、アフガニスタン、パキスタン、スリランカ、ブータン、ネパール、そしてバングラデシュのいずれかのCountry Officeで勤務している。多くのSector Managerもチェンナイやバンコク等時差の少ない地域局で勤務し、ダッカのCountry Officeとの往復を繰り返している。

        線路上での生活
  (線路脇で堂々と果物や野菜を並べる人々。電車は彼らの50センチほど前を通り過ぎる)

 こうした世銀の動きに対して、日本は株主として追いついていないのではないか、これが僕の基本的な問題意識であった。そもそも、国創り(開発)は、理論ありきではなく、まず先に課題ありきで、その課題に対して、現地のコンテキストに応じた解決策を、グローバルな知見も活用しつつ用意するのが有効ではないか。また世銀自体も過去の経緯も踏まえて現地化を推進している。にもかかわらず、日本政府から送られる職員の大半がワシントン勤務では、世銀のことも途上国のことも、あまり良く分からないまま、その任期を終えることになってしまい、日本政府内において、世銀のオペレーションや組織文化についてのInstitutional Memory(組織としての記憶)が構築されないままになってしまうのではないか。その結果、第二の株主としての発言力を持ちながらも、世銀の運営方針等について有効なInterventionを続けていくことや、現場レベルでの世銀と日本(例えばJICA)との協働のデザインが困難になってしまうのではないか。

 という訳で、小回りの利く30代前半の若い衆を、一人くらいは現地に送り込んでもよいのではないか(というか、自分が行きたい)という、主張だか妄言だか分からない言説をことあるごとに垂れ流していたところ、「では、お前が実験台で行って来い」、ということで、もう「若気の至り」とは言っていらない年齢でありながらも、希望をかなえて頂いた。

 もちろん、受け入れる側も送り込む側もコストがかかる。コストを上回る便益を、自分が示していかなければ、後は続かないだろう。また、パイオニアとして直面する様々な苦労も、自分で巻いた種なのだから楽しく、また感謝しつつ刈り取らなければならない。
 
        何気なくすれ違う人と列車

 そんなことを縷々考えている内に、隣駅のTejgaon(テジガオン)に着いた。約1時間歩くなかで、何人かの人懐っこいバングラデシュ人に声をかけられ、片言のベンガル語で返すと大喜びの笑顔をもらったが、物乞いや押し売りにあうことは一度も無かった。線路沿いで暮らす多くの人々は、一人内省にふける東洋人のことは気にもかけず、それぞれの午後を、それぞれのペースで過ごしていた。
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/17 22:43

自分は何故バングラデシュにいるのだろうか ①

 バングラデシュに降り立ってから1ヶ月半が過ぎた。
 非日常だったダッカの混沌とした風景も日常に溶けていく。時間はゆっくりと、しかし確実に流れていく。そういえば、5年前、僕が米国留学に旅立つ直前に、世話になっていた大学時代の先輩からこんなメッセージを頂いていたっけ。
 「池田君、2年後、アメリカから成田に帰る飛行機の中で、君は何を思っていたい?それを想像しながら、アメリカに向かうと良い。」

 今から2年後(正確には1年10ヶ月後)、「自分は成長し貢献した」という充足感と納得感を携えて日本に戻ることが出来るだろうか。分からない。ただ、それには、自分をこの地に導いた内なる北極星を意識し続けることが必要である気はする。




 7月11日の土曜日。
 今年3回目となる官民協働ネットワークCrossover21主催の「異業種ディスカッション大会」の会場となった世界銀行東京事務所は100名以上の人の熱気で沸いていた。Crossover21は、本業や本業以外の活動を通じて、社会を少しでも良くしたいと思い活動をしている人、活動を始めたいと思っている人たちが集う場だ。日常生活や仕事ではおそらく出会うことがなかったであろう、様々な業種で活躍する人々、10代の高校生から、第一線を退いてなお活躍する60代、70代の大先輩までが、社会に山積する様々な問題について、完全にフラットな立場で「自分は何が出来るか」を語り合い、お互いの生き方や価値観をぶつけ合うことのできる非日常的空間。
 Crossover21は、参加者が、自らのマインドセットを変える新しい物の見方や考え方を、新しい一歩を踏み出すパッションを、そして、新しいプロジェクトを始めるためのパートナーを得ることの出来る場として、2002年3月の立上げ以来、これまで10年間、多くの人々の支持と共感を得ながら続いてきた。

      Crossover21 グループ・ディスカッションの様子
  (Crossover21では様々な職業、年齢層で構成される参加者がフラットな立場で議論する)

 自分自身、創設以来のスタッフとして、そして一参加者として、Crossover21に集う、好奇心と向上心、そして公共心に満ちた仲間から、新しい気付きや前向きなエネルギー、そして自分が壁に当たった時に胸襟を開いて相談できる友情と信頼関係で結ばれた仲間を得ることが出来た。

 7月11日の「異業種ディスカッション大会」のテーマは「貧困削減と持続可能な成長に向けて ~日本と日本人が出来ること~」。バングラデシュへの旅立ちを前に、「所信表明」も兼ねて、僕から、バングラデシュの開発課題、日本人のボランティア、NGO、起業家、JICAが果たしてきた役割、そして世銀のバングラデシュでの立ち位置と自分自身の目標などについて、「Global Issuesの解決に向けて ~ 日本人が世界との「つながり」を見出し、協働していくには?~」と題するプレゼンテーションをする機会を得た。

      Crossover21 ディスカッション大会の様子
  (冒頭にプレゼンテーションをする著者。世界銀行東京事務所のTokyo Development Learning Centerをお借りした)


 以下、自分の内なる北極星に、バングラデシュでの自分自身の日々の行動をしっかりとつなぎとめるために、Crossover21の場で参加者の皆さんと共有した自分の問題意識を改めて整理していきたい。



「何故、国家公務員という立場をいったん離れ、グローバル益を追及する国際機関、世銀での勤務を希望したのか?」 

 『世界で生きる力 ~自分を本当にグローバル化する4つのステップ~』という素晴らしい本がある。その著者マーク・ガーゾン氏が冒頭に記している認識は、留学から戻って以降、財務省の国際局で働く中で感じた認識と重なるものであり、僕を今の場所に導いた問題意識を生み出す出発点でもあった。

 「私たちは皆、一生顔を見ることも無く、その言語も解さず、その名を聞いても分からないような人々の判断や行動に大きく影響を受けており、そうした人々もまた、私たちの影響を大きく受けている」 

 21世紀を生きる僕らは、例えばこんな問と向き合わなければならない。それは政策担当者だけでなく、ビジネス・パーソンに、メディアに、そして生活者に対して、共通に、容赦なく突きつけられる。

 「なぜ、カリフォルニアで住宅ローンの返済が大量に滞ると日比谷公園に派遣村が出来、さらに、最貧国で6,400万人が新たに絶対的貧困に陥ってしまうのか?」

 2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻した際、その3ヵ月後には、日本の電気製品や自動車の工場で製造ラインを担ってきた多くの人々が職や住まいもないまま、年を越さざるを得ない事態が発生すると想像した人は、おそらく殆んどいなかったのではないか。米国企業への部品納入や、米国消費者の旺盛な購買意欲に日本経済がそれ程までに依存していたという事実を、米国発の「Financial Tsunami」は露わにしたのだった。

 それだけではない。米国発の「Financial Tsunami」の影響で先進各国の景気が大幅に後退。途上国に対して積極的に展開されてきた先進国からの投資や、NGOへの寄付、途上国から先進国への輸出も激減。これにより、多くの途上国で援助や税収の低下から、例えば、公立学校への無料給食の提供サービスや、失業者への給付金提供などが停止に追い込まれる。この結果、途上国において、金融危機がなかったときと比較して、新たに6,400万人もの人々が、一日2ドル以下の絶対的貧困に陥ることになる。

 こんな「風が吹けば桶屋が儲かる」の悪夢版のようなシナリオが、凄まじい規模とスピードでもってグローバルに展開されていく。

 ○ この巨大な津波の影響を少しでも和らげるには何が必要か?
 ○ そもそも危機の原因は何だったのか?
 ○ 将来の再発を防止するには、どのような仕組みが必要だろうか?

 G7やG20等の国際協調のプラットフォームの場において、あるいは、IMF、世銀の理事会の場等において、こうした問と向き合って議論し、有効と思われる解決策を実行に移していくことに追われたのが、財務省国際局での3年間だった。グローバル金融危機以外にも、豚インフルエンザ等のグローバル感染症、欧州債務危機、中東の「アラブの春」等、どれをとっても、「一生顔を見ることも無く、その言語も解さず、その名を聞いても分からないような人々の判断や行動に大きく影響を受けており、そうした人々もまた、私たちの影響を大きく受けている」という認識を持たざるを得ないイベントばかりが次々と起こった

 よもやNational Interest(国益)とGlobal Interest(グローバル益)の重なり合う範囲は、未だかつてなく広く、そして深くなっている。そうであるならば、これから自分が日本の国創りを担っていく上で、より一層Global Issueへの感度を高めていくことが必要ではないか?財政・金融やマクロ経済だけでなく、公衆衛生や気候変動、雇用、教育、食料等、様々なセクターにおけるグローバル・イシューの相互作用を理解し、セクター横断的な解決策を見出していくことが必要ではないか?

 そのために、留学後4年目、30代前半という時点において、自分はどこに身を置くべきか?

 こんな自問自答の結果浮かび上がってきたのが、2010年夏から1年間、パートナーとして仕事を共にしていた世界銀行という組織だった。

 「貧困削減と持続可能な成長」をミッションに、教育・農業・食料・栄養・気候変動・インフラ整備・マクロ経済・水管理・防災・民間セクター開発、ガバナンス等、様々なセクターで専門性を有する1万人を超える職員を擁する組織。

 先進国を初めとするドナーから単に援助資金を「もらう」だけでなく、その資金を資本金としてレバレッヂをかけてトリプルA格の世銀債を発行し、グローバル金融市場から資金を調達できる資金動員力を持つ組織。

 さらに、そうして集めた資金を途上国に「あげて」しまうのではなく、市場金利と比較すればaffordableな金利や手数料を付して対象国に貸し付けることを通じて培われる資金管理力を持つ組織。

 世銀は、現状の世界において、グローバル・イシューを解決するために必要なリソースを最も多く有している国際機関の一つだ。日本は第二の株主として、グローバル・イシュー解決のために、この組織を有効に活用しない手はない。

 こうした世銀というグローバルな人間集団の中に飛び込んで、組織の生態系や強み・課題を理解し、そこで活躍する人々と密な絆を作り、そして、自分自身がグローバル・イシュー解決のプレーヤーとして課題と向き合う経験を積んでいけば、日本のNational InterestとGlobal Interestが重なり合うSweet Spotを見極め、セクターを越えて必要なリソースを動員し、課題解決に向けて前進していける、21世紀のPublic Policyの担い手として必要なスキル・セットを身につけていくことが出来るのではないか?
 7月11日のCrossover21の場ではこんな思いを語った。

 もう一つある。

 それは「他流試合」の実践を通じた自らの能力向上だ。
 
 留学から戻って3年間、降りかかる仕事と無我夢中で向き合っている中で、周囲の同僚や上司・部下にも恵まれたこともあり、ある程度、仕事がスムーズに回せるようになってきた。しかし、それは、自分が周囲に恵まれ、組織特有のお作法や人間関係などに慣れてきただけであって、いざ、他の組織で働くことになったら、ちっとも上手く貢献できないのではないか?自分が所属する組織とは全くカルチャーの異なる場で「他流試合」の機会を得ることで、自分のエッジをより鋭くし、また足りない部分の補い方を学ぶことが出来るのではないか?もと居た組織の強みや弱みを再発見できるのではないか。 

 この点、世銀は、日本の多くの大組織(財務省も含まれるだろう)に共通の「組織で仕事をする」というカルチャーと、対極のカルチャーを持っている。

 基本的に異なる専門性を有する個人商店の集まりであり、仕事は、プロジェクト・ベースで関連する専門家が離合集散する形で進められる。反面、情報の共有や引継ぎ等は、積極的にはなされているとは言い難い。

 また、職員の殆どが終身雇用の公務員、しかも男性が大半(そして日本人のみ)である財務省とは比較にならないDiversity(多様性)に満ちており、英語だけでなく、様々な言語が飛び交い(残念ながら日本語は僕の独り言以外は飛び交わない…)文化的・宗教的にも多様な職員で構成されている。Work-Life BalanceやGender Issue等への配慮も日本の典型的な大組織とは比較にならない。

 異動・昇進等についても、組織の人事課が一元的に面倒を見る日本の多くの企業・官庁と異なり、世銀では、空きポストが生じると、給与水準、Job Description等をまとめた「求人広告」が全職員宛にイントラネット等を通じて共有される。そのポストに興味のある職員は、自分の履歴書に志望動機等をまとめたLetterを添えて担当者に提出。書類審査と面接を経て選ばれて初めて、そのポストにつけることになる。逆に言えば、こうした「社内就職活動」をしなければ、昇進もなければ異動もない。今のポストに任期があれば、その任期が切れた途端、世銀との縁も切れることになりかねない。こうした人事制度を採っていることから、日本の典型的な大組織と比較すれば、より競争的なカルチャーであるといえるだろう。

 つまり、「他流試合」をするにはうってつけの組織だと言える(「うってつけ」等と強がっていられるのも、最初のうちだけかもしれないけれど)。

 こんな想いを胸に今、僕は世銀職員のネーム・タグを肩からぶら下げている。
 ネーム・タグの賞味期限は2年だ。今から約2年後、「成長し、貢献した」という充実感と納得感を持って、帰国の途につけるか、それは一日一日の過ごし方にかかっている。

      Crossover21スタッフに囲まれて

 (7月11日、Crossover21ディスカッション大会の二次会で、飛び切りの笑顔のスタッフと抱えきれない程の花束に囲まれて)
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2011/09/15 22:47
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