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破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その7)

 バングラデシュ東部のブラモンバリア県を大型の竜巻が襲ったのが3月22日。その一週間後の3月29日、4月26日・27日、5月17日の計4回、友人や先輩から預かった支援金を手に、被災地に入った。二人三脚で活動を展開してくれたのが、被災した村に実家がある銀行員モニールさんであったこと、彼との出会いがまったくの偶然であったことはこれまでの記事で触れた。

 ■ 竜巻被災地の支援に入った経緯と3月29日の活動の様子については、下記記事を参照下さい。
    破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その4)
    破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その5)

 過激派の襲撃を受けたノアカリのヒンドゥー集落に比べると、ブラモンバリアは被害を受けた地域の広さ、被災者の数の多さから、限られた資源の配分は常に悩ましく、毎回、去り際に何となく心にわだかまりが残るような気持ちにさせられた。それでも、やっぱりこの村に関わって良かったと思えたのは、冷静さを保ちながらも情熱的且つ献身的に、自分が生まれ育った村の復興のために力を貸してくれたモニールさんの存在が大きい。そしてもちろん、家族や家財を失いながらも、わずかな元手で怪我や苦難を乗り越え、前進する姿勢を見せてくれている村の人たちの姿も。

 たとえば、18歳の大黒柱、ジュルハッシュ君を覚えているだろうか?知的障がいを抱える父に代わり、大工仕事で家計を支えていた、そして竜巻に巻き込まれて瀕死の重傷を負い、テントで寝たきりになっていた(さらに、重症にもかかわらずモスクに連れて行かれていた)あの青年だ。

 4月末にブラモンバリアを訪問した際、ジュルハッシュと再会した。思った以上にすらりとした長身の彼は、まだ首の後ろに痛みがあると訴えながらも、見違えて元気になっていた。あの時手渡した資金で必要な手当てを郡病院で受けたそうだ。医師の話では、あと1ヶ月ほど安静にしていれば、大工仕事に復帰することも出来そうだという。 

  bramonbharia 2-1 
 
 あるいは、ダナ・ミヤさんと、ダッカの病院に入院していた彼の奥さんと娘さんはどうなっただろうか?18年間サウジアラビアで出稼ぎしたお金で立てた家と、購入したばかりのオートリキシャを竜巻で壊された挙句、末の娘を亡くし、奥さんと長女も重傷を負ってダッカの病院に担ぎ込まれたダナ・ミヤさんの絶望的な表情は忘れることが出来ない。

 しかし、彼も、そして彼の家族も強かった。お渡しした2万タカを使ってオートリキシャを修理したダナ・ミヤさんは、テント暮らしを続けながら、早速村の周辺で仕事にいそしんでいる。娘さんはまだ入院中だが容態は落ち着いたという。そして、奥さんは無事退院。顔の傷が痛々しかったが、笑顔の美しい人だった。

 「修理したオートリキシャを見せて下さい」と頼むと、嬉しそうに新品の車を見せてくれた。「村の周辺を案内するから、後ろに乗って!」という誘いには、「いやいや、燃料代もかかるでしょうし、仕事のためにとっておいてください」と丁寧に断ると、とても残念そう。彼の家は、まだトタン板と柱だけの掘っ立て小屋で、家財は未だ何もない。重篤な状況ではないとはいえ、入院中の娘さんのことも気がかりだろう。しかし、再会したダナ・ミヤさんの口からは、更なる助けを求める声はまったく聞かれなかった。前向きで自信に満ちた表情で「では、また仕事に行ってくる」と言ってオート・リキシャのエンジンをかける彼の後姿は、とても清々しかった。

  bramonbharia 2-2

 被災後1週間目に訪問した際には瓦礫の山だった村も、今では、夏の陽光がまぶしく反射する新品のトタン屋根が並んでいる。政府の支援に加え、大手財閥のボシュンダラ・グループやモネム・グループが、CSR(Corporate Social Responsiblity)活動の一環として、被災者の住居再建のために、まとまった資材と工夫を雇うための資金を被災地に提供していることもあり、復興は思ったよりも速いスピードで進んでいるように見える。 

  bramonbharia 2-6

 竜巻の被災から2ヶ月。ブラモンバリアの被災地は、被災者が明日必要な食の確保と負傷者の手当てという「緊急支援のフェーズ」を超え、雨風をしのげプライバシーを確保できる「住」の建設のための「復興のフェーズ」の最中にあり、さらには、被災者自身がかつてのように仕事に就き家族を養っていく「自立再建のフェーズ」に移りつつある家庭もいる。ダナ・ミヤさんのケースは、外部からの支援をてこに、上記フェーズ1からフェーズ3にスムーズに移行できた好例といえるだろう。
 
 しかし、多くの家庭の状況を見ると、フェーズ3への以降は容易ではなさそうだ。

 まず、 村の多くの旦那衆は農家(他人の農地で仕事をして日当をもらう、いわゆる“土地なし農家”)やリキシャ引き、あるいは大工などの肉体労働に従事していたところ、怪我が完治しなければ、こうした仕事に戻ることは出来ない。しかし、まとまったお金が手元にないため、定期的に医師の元に通い十分な薬を得ることができず、回復が遅れる。なかなか体が回復しないため、仕事に復帰できない。仕事に復帰できないからお金が入らず、回復がまた遅れる・・・という悪循環に嵌っている。 

 5人の子供に恵まれたジアウル・イスラムさんは、別な悩みを抱える。彼はブラモンバリアとダッカなどを結ぶ長距離バスの車掌をしていた。幸い家族そろって怪我はなかったが、家は全壊の被害を受けた。修理にはまとまった資金が必要だが、そのために仕事に出ようとすると2-3日家を空けなければならない。しかし、鍵すらまともにかけられない我が家(我が掘っ立て小屋)に幼い子供たちと妻だけを残しておくのは心配だし、自分が家を空けていたら、家の修復は進まない。家の修復が進まないから長距離バスの車掌仕事に復帰できない。これまた悪循環だ
 
 あるいは、もともと家族の誰かが糖尿病などの慢性疾患を患っていた場合も厳しい。仮にある程度の援助資金を受け取っても、それは薬代に消えてしまい、本人と家族がフェーズ1→2→3に移行していくための力にはなりにくいからだ。
 
 こういう問題を抱える家庭が多いために、援助資金へのニーズは一向になくならない。事実、訪問回数を重ねるうちに、すっかり顔を村中の人々に覚えられ、村に入った途端に、それぞれの窮状を訴える陳情の人だかりが出来る。しかし、これらに全て応えると、各人が手にするお金は、日常品の消費で消えてしまう程度となってしまう。また、「彼が来るとお金がもらえる」という期待が人々の間に定着してしまったとしたら、僕の存在はむしろ、「自立再建」のフェーズに人々が移行するための足かせになってしまう可能性すらある。

 4回目の被災地訪問の際に、「広く薄く」の配分ではなく、村で雑貨屋を経営した経験のある2人の主人、シャハラム・ミヤさんとジアウル・イスラムさんのみに対して、ビジネス再開のためのシーズ・マネーとして3万タカという金額を手渡すことにしたのは、こうした問題意識が高まったためだ。彼らのビジネスがうまく軌道に乗り、雑貨屋の手伝いのような形で雇用を生むことになれば、彼らの家族を超えて、「自立再建」のフェーズの後押しになるだろう。 

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   ~長距離バスの車掌から、かつて営んでいた雑貨屋経営をはじめるためのスタート・アップ資金3万タカをお渡ししたジアウル・イスラムさんのご一家。長男ソフィック君(中央)に抱かれた末っ子のアブドゥラ(2歳)は愛嬌いっぱいのアイドル的存在だ。ジアウルさんの商才と家族を思う気持ちに賭けた3万タカが大きな成果を生まれるよう、願って止まない。~


 色々悩ましいことが多かったが、とにかく、過激派による襲撃、竜巻の発生からそれぞれ約3ヶ月、2ヶ月が経過し、皆さんから個人的にお預かりした志、総額160万5,550円相当を、現金、あるいは「Happy Box」やトイレのような現物支給の形で、無事、現地の人々の手に全額届けることができた(寄付を頂いた皆さんには、別途メールにて収支報告をお送り致します)。

 これだけの額の現金を他人から直接預かり、それを物理的に(腰巻に忍ばせて)現場に運び、コミュニティを歩き回り人の話を聞き回って状況を観察・把握し、困窮した人々の前で“札束”を取り出し、手渡し、さらに、数ヶ月にわたってその土地や人々を直接定点観測をした経験は、世銀や財務省の仕事では無いし、人生でも初めてのことだった。最初はブラモンバリアやノアカリがどんな地域なのか、被害の状況がどうなっているのか、皆目検討はついていなかった。取り敢えず、身一つで飛び込んで走りながら考えたというのが正直なところだ。

 でも、だからこそ、世銀や財務省のような場所で仕事をしていたのでは、(知識としては読んだり聞いたりしたことはあっても)現実的な肌感覚として、自分の脳とハートに刻み込まれることはなかったであろう、様々な教訓や気付きを得ることが出来たと思う。それらを、個人の備忘録として列挙すると、たとえばこんな感じになろう。

1.近すぎず遠すぎないパートナーを如何に見つけるか 
 
 支援の対象となる人々やコミュニティとの長年にわたる接点を持ちながらも、現地の人間関係からは一定の距離を保っているパートナーを得ることが出来るかは、プロジェクトや支援を効果的、効率的に実施するうえで決定的に重要な要素であることが、身をもって分かった。

 実際、自分ひとりで飛び込んでも、まずその被害の大きさに圧倒され、大勢の被災者に囲まれて身動きが取れなくなるし、何が本当で何が誇張された話なのか、見当のつけようがない。ノアカリの村では、破壊された家の前で涙ながらに窮状を訴えてきた中年の女性がいたが、実はその一家は集落一の金持ちであり、集落の外に別途マンションを持っていたのだ。こうしたことはGandhi Asram Trustのスタッフがいてくれたからこそ、分かったことだ。また、ブラモンバリアの被災地では、同行してくれたモニールさんの助けがなければ、病院に担ぎ込まれた重病人のいる、例えばダナ・ミヤさんのような家庭について、支援の対象に加えることは出来なかったかもしれない。その意味で、今回幸運だったのは、ノアカリではGandhi Asram、ブラモンバリアではモニールさんという、その地と長年の接点のある組織・個人をパートナーとして得ることができたことだろう。

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   ~ ノアカリで発生した過激派襲撃の被害にあったショロショッティさんに、石鹸を手渡す筆者 ~

 一方で、現場からのある程度の距離も、重要なのだ。たとえば、自分が支援対象の村の一員だったら、「佐藤さんの一家には30万円あげるけれど、後藤さんのお宅は5,000円」という差別化・重点化ができるだろうか?感謝よりも文句や非難を受けることのほうが多くなってしまうかもしれない。本人はそのつもりはなくても、「お前の親類や友人だから優遇したのだろう」という 誹謗中傷を受けるかもしれない。

 実際この問題は、ブラモンバリアの竜巻被災地で発生しかかっていた(というか、殆ど発生していた)。当初、村人の「陳情先」は僕だったが、モニールさんが僕の意思決定に影響を及ぼしていることはすぐに知れ、次第に「陳情先」はモニールさんのほうにシフトしていった。時には、大勢の人が彼の実家に詰め掛け、配分方法をめぐって口論になり、騒然とした雰囲気になったこともあった。 
  
    モニールさんは、現在はダッカで暮らしているとはいえ、被災地の人々とは生まれてからずっと近所づきあいがあるし、実家にはご両親が住んでいる。人々との付き合いはこれからも続くだろう。つまり、現地の生態系に組み込まれた一個人なのだ。 彼は効果的な配分方法について一生懸命考えてくれたが、やはり見ていてとても辛そうだったし、こうした状況が続けば、彼を中心に、これまでコミュニティにはなかったゆがんだ資源配分のメカニズムが出来てしまいそうな予感がした

   この点、Gandhi Asram Trustのスタッフは、 いい意味で「外部者」として、村の人々との距離を保つことが出来る立場にあった。だから、配分の差別化が必要な局面においても、彼らが個人として非難や陳情の的にはなりにくい。

 対象に対して、「冷静と情熱の間」を保つことの出来る立場にあるパートナーを見出すこと、これは、今回のような草の根の被災地支援だけでなく、たとえば新興国への直接投資といったケースでも、成否に大きな影響を及ぼす要素ではないだろうか。 
 
2.フェーズと目的と規模に応じた最適配分をどう考えるか

 資源はいつも限られている。だから出来れば有効且つ公平に使いたい。しかし、有効性と公平性が衝突するシーンから逃れることは、たいていの場合難しい

 僕自身、今回現地に行くまでは、「実際に村人に集まってもらって、彼らに決めてもらえばよい。そうすれば、重点配分にせよ、広く薄くにせよ、皆が納得いく結果が得られるだろう」と考えていた。でも、現場に現金をぶら下げて入った瞬間に、これが如何に甘い考えかだったか、思い知ることになった。

 当然のことながら、支援の対象となる人たちに自ら支援金の分配方法を決めてもらうには、対象者全員が実質的な議論ができる場と時間の設定だけでなく、議論のまとめ役の確保、意思決定方法などを含めて、参加型で決めておかねばならず、相当の時間を要する。村のどこに井戸をつくるか、という話ならともかく、災害や暴動後、速やかに原状回復を図らなければならないフェーズでは、活用できない。 
 
 結局必要だったのは、現地のパートナーとともに、個別の事例に耳を傾けつつも、対象となる人々やコミュニティがグループとして、①緊急支援(取り敢えず明日生き延びられるようにする)、②生活復興(衣食住の確保)、③自立再建(雇用の確保)のいずれの段階にあるかを見極めた上で、そのコンテキストに合致する形で、自分たちが限られた資源をもって、何を実現したいのかを明確にすることだった。 

3.一家を危機に陥れる脆弱性の元を如何に減らしていくか

 職場から家までが遠い、軽い慢性疾患がある、家がトタンなので隙間風が入る、食い扶持には困っていないけれど、肉体労働・単純作業ばかり・・・

 こうした日常的なちょっとした「不便」が、災害や事件に巻き込まれた結果、自立再建の長期間にわたる妨げになり得ることが、3ヶ月間、様々なケースを定点観測していく中で、クッキリと浮かび上がった。いざというときにアクセスできる保険制度や失業手当などの公的セーフティ・ネットを国レベルで整備・更改していくことは、途上国・先進国問わず共通の課題だ。これに加えて、個人レベル・地域レベルでの日常的な予防(防災・公衆衛生・食習慣改善)や投資(住宅投資・スキル・アップ)を促す取り組みが、個人そして地域の危機への耐久力向上に貢献するだろう。 
 
 以上7回にわたる記事で、ノアカリ・ブラモンバリアにおける個人的な活動の経緯と内容、成果と教訓について、報告をしてきた。最後まで読んでくれた人がいたら、その辛抱強さと好奇心に感謝したい。

 前回の記事の終わりに書いたとおり、僕は、今回の活動を「弱者への支援」とは位置づけていない。実際、僕が出会った人々は、確かに困ってはいたが、弱い人たちでは決してなかった。家族や家財を失ってなお、そして、酷暑や暴風雨に見舞われる中でのテント暮らしという環境において、前向きに生活再建に向かっていく姿や子供たちの屈託のない笑顔、あるいは、ひるむことなく「困っているんだからお金をくださいよ!」と迫ってくる姿を見るにつけ、少なくとも、僕よりは強い人たちに見えた。  

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 ~ プレゼントをした剣玉で遊ぶブラモンバリアの村の子供たち。すぐにコツを覚えて遊びだす子供たちの器用さには脱帽だ。~

 振り返ってみると、僕はバングラデシュにおいて「弱者」と感じた人は、実は殆どいないように思う。むしろちょっとしたことで腹をこわして熱を出してみたり、仕事がうまく回らなくてふてくされていた自分のほうが、よっぽど弱者だ。 
   
 本業の合間を縫って、右往左往を繰り返しながら、現場を往復した今回の経験、そしてバングラデシュでの時間が、僕を、僕という人間が持つ弱さを認識させることで、以前より少しばかり強くて優しい人間にさせてくれたのだとしたら、僕はこの国で出会ったすべての人たちに、深く感謝をしなければならない。(本シリーズ終わり)

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 ~ブラモンバリアの竜巻被災地へと向かう道。3月29日に撮影したこちらの写真(記事中段)と見比べていただきたい。大地に根を張り、太陽と雨を一杯浴びて生命力豊かに生き抜くバングラデシュの人、草木は、強い!~ 
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バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/05/29 18:21

破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その6)

 戦犯裁判に激昂した過激派によって破壊されたノアカリ県のヒンドゥー教徒のコミュニティ、竜巻の被害で大勢の人々が家族や資産を失ったブラモンバリア県の村に、バングラデシュ国内外の友人や先輩方から個人的に預かった総額160万5,550円相当の志を直接届け始めてから3ヶ月が経った。 
  ■ それぞれのコミュニティへの個人的支援に至った経緯と、これまでの活動内容については、下記記事をご覧下さい。

   『破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その1)
   『破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その4)


 この間、頻発する暴動と悪化する治安、そして5月上旬に入った2週間の海外出張の合間を縫って、ノアカリの集落には3月23日、4月12日、5月18日の計3日、ブラモンバリアの村には3月29日、4月26日・27日、5月17日の計4日、それぞれ支援に入った。大切な家族、長年かけてつくりあげてきた生活の基盤、そして平穏な日々を失い、困窮と悲しみの下にある人々のもとへと繰り返し向かう力を、僕に貸しくれた皆さんに、改めて感謝を伝えたい。以下では、皆さんの志がもたらした確かな変化と、村の人々や現地のパートナーと向き合う中で得た学びについて、共有したいと思う。
 
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 ~ 2月28日に過激派の襲撃を受けたノアカリ県のアランディノゴル村にあるヒンドゥー・コミュニティへはローカル・バスでダッカから6,7時間、3月22日に竜巻に襲われたブラモンバリア県のジャイルリトラ村へはダッカから汽車、あるいはローカル・バスで4時間程度を要する ~

1. ノアカリ県ラジゴンジ・ユニオン、アランディノゴル村にて
 
 長距離バスやオートリキシャの往来が激しいラジゴンジ中心街を折れて、青々とした田園を横切る村道をオートリキシャで10分ほど進むと、右手に見慣れたドカン(雑貨屋)と小さな橋が見えてくる。橋を渡るとすぐ右手に見える掘っ立て小屋は破壊されたヒンドゥー寺院、左手には警官隊が24時間体制で待機しているテントが張られている。

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 今年3月以降、ヒンドゥー教徒などマイノリティへの攻撃が全国各地で多発している中、バングラデシュ政府は食料などの緊急支援物資の被害者への提供に加え、村人や寺院などがこれ以上攻撃されないよう警官隊を常駐させているのだ。

 このコミュニティを初めて訪れた3月上旬には、徹底的に破壊された家々や寺院の跡が痛々しく、集落は焼け焦げた匂いで満ちていた。あれから2ヶ月半。今や集落の全ての家庭が、政府が配給したトタンでつくられた小屋で風雨をしのげている。しかし、小屋の中にはまだ殆どモノはない。

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 この集落の大学生に対して、焼かれてしまった教科書やノートを買うお金として5,000タカ(約5,000円)ずつを手渡してたことは、以前の記事で触れた。4月中旬に彼らと再会したとき、新品の分厚い教科書を見せてくれたビカッシュ君は、「家の修理も大体目処がついたので、今は学校に通えています」と笑顔で語ってくれた。「バングラデシュの未来をつくるのは、君たち大学生だからね」と声をかけながら交わした握手の力強さは、僕の手にしっかりと残っている。
 
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 この集落を訪問する都度、手渡した1万タカなり2万タカがどのように使われたのか、各家庭を回って確認してきた。よく耳にするのは、ドアや柱といった家の資材、ベットや椅子などの家具、あるいは医薬品の購入に当てたというはなし。コミュニティの人々は酷い人災に見舞われたが、不幸中の幸いだったのは、けが人や死者が出なかったこと。つまり、住環境さえ整えば、それぞれの学校や職場に復帰でき、自らの力で何とか生き抜いていくことはできるだろう。

 問題は、彼らの日当や給与レベルでは、家族の「衣」と「食」を賄うだけで精一杯であるため、まとまった家財道具を取り揃える余裕が生まれないことだ。何しろ、親の代から受け継いできた資産の全てを失った人が殆どなのだから。こうした状況を少しでも変えるために、現地のパートナーであるNGO、Ghandhi Asram Trustのスタッフの皆さんの力も借りて、被害を受けたコミュニティの40家族に対して提供したのが「Happy Box」と名づけたダンボール箱だ。

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 「Happy Box」には、5人家族向けのグラス、お皿、トイレを流すための桶、洗濯やシャワーに使う大き目のバケツ、水がめ、お米を蒸すための釜、カレーを調理する際に使う調理用スプーン、そして蚊帳といった、バングラデシュの一般家庭には必ず備わっている生活必需品が詰っている。NGOのスタッフが卸売業者から大量に仕入れ、各家庭ごとにパケットにして段ボール箱に詰めてくれたのだ。4月中旬に村を訪問した折には、「Happy Box」を荷台に山積みにしたトラックで乗り込み、各家庭に直接届けて回った。ちなみに、一箱分に要した金額は4,280タカだ。

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 また、今後雨季が本格化するなかで集落の衛生環境の悪化が懸念されるところ、コミュニティの公衆衛生を改善するために、各家庭に一つ新品のトイレを設置するとともに、5月半ばに訪問した際には、石鹸を200個買い込んで集落に持ち込み、各家庭に配布した。トイレの整備にはまとまった資金が必要なため後回しにされがちだが、現状のような“垂れ流し”の状況が続けば、病気の蔓延につながりかねない。また資金に余裕のある一部の家だけが据え付けたとしても、狭い土地に100人以上が住んでいるコミュニティの衛生環境は改善しない。そして、病はせっかく軌道に乗った復興に水を差す。  

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 ~ ぼろ布で覆われているだけのトイレ。タンクと便器とをつなぐパイプも破壊されてしまったため、汚物は周囲に垂れ流されている状態だった ~

 というわけで、皆さんからお預かりしたお金を用いて、現地の業者と契約、現地で日々活動しているGandhi Asraf Trustのスタッフによるモニタリングのもとで衛生的な簡易トイレ設置を35個設置することにしたというわけだ。設置に要する資金はトイレ一つにつき1万4,800タカ。耐用年数は5年。5月末現在で35個中20件が完成した。

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 ~新設されたトイレ。トタンでしっかりプライバシーが確保されたほか、便器や汚物タンクも新品に取り替えられた~

 トイレとあわせて支援しているのが、破壊された二件のヒンドゥー寺院の修復。村の人々の信仰の拠り所を取り戻せるよう、それぞれの管理者に5万タカを手渡した。ご神体の修復は6月上旬には終了する見込みだ。


 過激派の襲撃を受けたヒンドゥー教徒の集落については、当初、新聞・テレビで大きく取り上げられたが、その後も高まる政情不安やサバールのビル倒壊事件などもあり、今では殆ど光は当たっていない。しかし、少なくともラジゴンジ・ユニオンのアランディのゴール村に関しては、頂いた支援とGhandhi Asram Trustの協力のおかげで、着実に生活の再建が進んでいる。一方で、コミュニティの間で失われた信頼の再構築に関しては、殆ど進んでいない状況だ。
 
 当初、Ghandhi Asram Trustは、ラジゴンジ・ユニオンのムスリム、ヒンドゥー双方の宗教リーダー、学校の先生、被害を受けた家族の代表、その近隣のムスリム集落の代表などを集めて、「マイノリティへの攻撃が二度と起こらないようにするために何が必要か」、「そのために、一人ひとりが出来ることは何か?」といったテーマについて、落ち着いた環境でじっくりと対話をするためのフォーラムを継続的に実施する予定だった。ちなみに、フォーラム実施の場所は、破壊されたヒンドゥー寺院の前にある広場だ。

 しかし、戦犯問題や年末の選挙の実施方法などをめぐり、与野党、さらにはチッタゴンに拠点をおく宗教団体Hefajafti Isam(ヒファジャット・イスラム)による衝突がその頻度とスケールを増していく中今のところ、対話の機会は一度しかもてていない。今のバングラデシュは、宗教や立場の違いを超えて、人々がセンシティブな問題について落ち着いて話し合えるような状況には、残念ながら、ない。一方で、攻撃を受けた集落と、その近隣のムスリム・コミュニティとは徒歩1分くらいしか離れていないこと、地元の人間の協力がなければターゲットを絞った攻撃は出来なかったことを考えれば、継続的な対話の機会が確保されなければ、お互いの関係はギクシャクしたままとなり、被害者側としては、心を落ち着かせて生活をすることは難しいだろう。Ghandhi Asram Trustのディレクター、ナバ・クマール氏は、フォーラムのメンバーへの個別の働きかけを続けながら、国全体の状況も見つつ、フォーラム再開の機会をうかがっている。

 先日、村での活動を終えたあと、実働部隊として二人三脚で支援を提供してくれたアシムさん、そして責任者のナバ・クマール氏に伴われて、ノアカリ県Begumganj Upozila(郡)の北端にあるGandhi Asram Trustの本部を訪問した。1947年、インド・パキスタンの分離独立に伴ってノアカリ県、チャンドプール県の村々で発生したヒンドゥー教徒とムスリム教徒との間の暴力を憂い、この地を訪問して宗教や価値観の違いに対する寛容さ、非暴力の徹底といった理想を説いて回ったマハトマ・ガンジーに感銘を受けたノアカリの人々が、ガンジーの理想を守り、そして広めていくために私財を投げ打って立ち上げたNGOがGandhi Asramであることは、以前にも紹介した。 

  美しい木々に囲まれ、澄んだ池のほとりに佇むGandhi Asramの施設では、マハトマ・ガンジーのトレードマークでもある糸紡ぎ車を回しながらテーブル・クロスなどを編んでいる女性-その多くは未亡人や障がいを持つ女性たち-の姿とともに、ガンジーが人類に残した数々の至言がそこかしこに掲げられている。 

 「Use hands, not for destruction, but for construction」(手を動かそう、破壊のためでなく、建設のために) 
 「Say "No" to violence, Vioence Solves No Problem」(暴力にNo!、暴力は如何なる問題も解決しない)
「Politics without principle/ Worship without Sacrifice/ Commerce without morality,  cause violence」 (暴力をもたらすもの、原理原則なき政治、犠牲心なき信仰、道徳心なき商売・・・)
  

 あまりにも現代のコンテキストに一致したメッセージを前に、思わず足をとめる。今のバングラデシュ、そして世界の状況を、マハトマ・ガンジーは心から憂いていることだろう。
 
 思えば、僕がノアカリに足を運んだのは、言われなき突然の暴力によって多くを失った人々が生活を取り戻す足がかりを提供するためだけでなく、彼らが怒りと悲しみに身を任せて、次なる暴力の担い手とならないよう、僕自身が彼らの痛みに共感し、彼らのことを案じている人々がこの社会には大勢存在することを具体的な支援とともに伝え、そして、多様性への寛容さを共有しおうという想いからだった。

 村では、多くの涙を目にし、悲痛な訴えを聞いた。限りある支援金や石鹸をめぐって口論をする人々の姿も見た。でも、彼らは、確かにとても困ってはいたが、僕よりもずっと強い人たちのように思えた。怒りに身を任せるどころか、起こったことを受け入れ、その上で、家族を守るために手足を動かし、前に進もうとする、そんな人たちに見えた。僕が同じ状況にあったら、果たして同じような強さを持ち続けられるだろうか、そんな問いと向き合わざるを得なかった。そして、そんな自問自答は、 ブラモンバリアの竜巻の被災地でも僕の心に渦巻いていた。(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/05/28 01:17

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その5)

 これまで4回にわたり今年2月以降激変したバングラデシュ情勢とその背景について、「票」、「正義」そして「アイデンティティ」をめぐる分断に焦点を当て議論をしてきた。では、今後、事態はどのように展開するのだろうか?収束に向けた展望は開けるのだろうか?そして、状況を打開にするには何が必要だろうか?

 最も妥当な答えは、バングラデシュ人お得意の「インシャー・アラー(全てはアッラーの神の思し召しの通り(成るようになる、といったニュアンス)」なのだろう。バングラデシュのような不確実性満載の国において、状況を先読みするのは正に神をも恐れぬ所業だ。そうと知りつつ、以下、当地でのバングラデシュ人との議論、新聞やテレビなどで見聞きする情勢、そして現地で感じる肌感覚でもって、今後の展開について、精一杯の憶測を書いてみたい。

    悪化するバングラデシュの政情・治安の現状と、その背景にある「票」、「正義」、そして「アイデンティティ」を巡る分断については、以下の記事を参照ください。

  まず、本シリーズの冒頭で書いた、結論めいたことを改めて強調したい。バングラデシュは今、独立以来最大の試練に直面しており、事態は年末の選挙、及びそれを超えて、さらに悪化する可能性が高い。しかし、この国がアフリカや中東、そして南アジアの一部の国々のような全面的な内戦やテロリズムの跋扈という事態に陥ることはない

① なぜ、「独立以来最大の試練」なのか?

 これまで繰り返し書いてきたとおり、頻発する暴動と政情不安の背景には、年末に予定されている選挙に向けたアワミ・リーグとBNP(バングラデシュ民族主義者党)という2大政党間の「票」をめぐる争いだけでなく、「戦犯裁判」というパンドラの箱から飛び出した「正義」「アイデンティティ」という、バングラデシュ社会の深部、バングラデシュ人の心の奥深くに走る亀裂がある。

    後者が厄介なのは、冷静な議論を通じた「落とし所」が、その性質上見出せない問題であるからだけでなく、農村部や地方都市における衝突やヒンドゥー教徒などのマイノリティへの一方的な攻撃という形で、これまでバングラデシュが様々な試練を乗り越えるに当たって発揮した耐久力(Resilience)の源泉である、国民としての一体感や、コミュニティに息づく社会資本を傷つけているためだ。 そして、こうした問題が国全体を覆う規模で表面化したのは、42年前の独立戦争以来、今回が初めてのことだからだ。


② なぜ、「今後、年末の選挙、及びそれを超えてさらに悪化する」のか? 

 今後、バングラデシュの情勢は、6月末から7月中旬までの断食月とそれに続くイード休暇、及び10月上旬の犠牲祭といったムスリムの祭事期間中、一時凪ぐことがあっても、基本的なトーンとしては選挙に向けてさらに悪化していくだろう。バングラデシュ社会に暴力という名の嵐をもたらす最大の要因が、「戦犯裁判」であることは既に繰り返し述べたが、問題は、現在「戦犯」として11名の人物が裁かれている(ジャマティ・イスラム党の幹部9名と、BNPの幹部2名)ところ、刑罰が確定しているのは、パキスタンに亡命しているために欠席裁判で死刑判決が確定した1名のみである、ということだ。従って、今後判決が出るたびに、大規模な暴力や長期間のホルタル(暴力的なデモ)が発生する可能性が高い。そして、戦犯裁判を巡る騒動は少なくとも年末の選挙までは続くだろう。幹部が裁かれているジャマティ・イスラム党やBNPの立場からすれば、ホルタルを連発して裁判の実施を遅らせ、選挙で勝利さえすれば、戦犯裁判自体を「不当・不公正」としてご破算にできるのだから。
  
 ここでさらに問題なのは、年末の選挙は実施されないか、されたとしても、無効・再実施となる可能性が極めて高いことだ。

 1991年の民主化以降、民主的手続きに沿って権力を移行する上で重要な役割を果たしてきた「(現政権与党ではなく)中立的な選挙管理内閣の下で選挙を実施する」という憲法の条項を、現政権与党アワミ・リーグが廃止してしまったことは前回までの記事で触れた。こうした状況では、野党側は決して選挙に参加することはなく、悪くすると、力ずくで選挙の実施を妨害するだろう。仮に何とか選挙が実施できたとしても、野党不在の状況で実施された選挙結果をもって、新政権の正統性を根拠付けることは至極困難であり、野党側は選挙の再実施を求めて、あらゆる手段を講じるだろう。たとえば、「中立的な主体による選挙が再実施されるまでの無期限ホルタル実施」や、従来のホルタルでは“聖域”であった「空港や港湾の閉鎖」といった手段をとることも十分に考えられる。  

   Bangladesh Politics 

    この点、前回の選挙の経験は、今後の見通しを考えるうえで、甚だ不吉な材料を与えるものだ。

 というのは、前回の選挙は2006年末に実施される予定だったところ、「選挙は中立的な選挙管理内閣のもとで実施する」との憲法の条項が生きていたにもかかわらず、結成された選挙管理内閣の顔ぶれが「中立的でない」という理由で、当時野党だったアワミ・リーグが選挙をボイコット。その後に続いた政治騒乱を収めるために軍の介入によって戒厳令がしかれ、ようやく選挙が実施できたのは2年後の2008年末だったのだ

 こうした前回選挙の経験を振り返ってみると、「現在のバングラデシュの政情・社会不安は年末の選挙でもって収束する」という見方は、あまりに楽観的なものであるといわざるを得ない。バングラデシュがホルタル等の政情不安を気にすることなくビジネスや開発プロジェクトに専念できる状況を取り戻すには、選挙後少なくとも半年から1年、あるいはそれ以上の時間がかかるかもしれない。


③ なぜ、それでもなお「全面的な内戦や大規模テロの頻発といった事態には陥らない」と言えるのか?
 
 この問いには、 「経済の力」、「軍の力」そして「コトバの力」という三つに着目して議論したい。

☆ 「経済の力」
 バングラデシュは、多くの日本人がもつ「最貧国」というステレオタイプとは裏腹に、強力な国内地場産業を持つことは既にこのブログを通じて幾度も伝えてきた。輸出の8割を占める縫製業を筆頭に、食品加工・製薬・プラスチック製品といった輸出産業、家具、家電、オートバイ、そしてセメント等の建築資材といった国内向け製造業、さらに金融・物流・不動産・各種小売店といった国内サービス業が繁茂している。

 こうしたバングラデシュの地場産業は、巨大財閥が担っているケースが多く、彼らはその資金力を武器に強い政治力を持っている。また一部の財閥は、与野党の要人の家族・親類などがその経営を担っている。こうした政治力を持つ財閥や経済界は、同時に、頻発するホルタルによって最も大きな経済損失を蒙るグループであり、日常的に海外のバイヤーや投資家とも向き合っていることから、国の状況を比較的客観的に見ることができる立場にある。

 
彼らは既にその政治力を梃子にして、現与党のアワミリーグ、野党第一党のBNPとの間の対話を働きかけている。今のところ、こうした努力は実を結んではいないが、財閥や各種経済団体が二大政党に対してかけるプレッシャーは、事態が制御不可能な破滅的状況へと転げ落ちるのを防ぐブレーキとしての役割を、今後も果たしていくだろう。


☆  「軍の力」:
 
今は表に出てきていないが、今後年末にかけて軍幹部の発言、動きや、軍に関する与野党首脳の発言には特段の注意が必要と思われる。  

 バングラデシュの軍はその高い士気と統率力、プロジェクト実施能力で知られる。例えば、ソマリアやスーダンなどの紛争地域で活躍する国連平和維持軍に、男性兵士約1万人、女性兵士約240名を送り込むなど、世界最大の人的貢献をしている(出展:2012 Ranking of Military and Police Contributions to UN Operations)。また、バングラデシュの軍は、サイクロン等の国内激震災害時にも緊急支援や復興に大きな役割を果たしているほか、独自の公共インフラ建設部隊を擁しており、たとえば、現在、ダッカの空港から市内に伸びるフライ・オーバー(高架路)を急ピッチで建設しているのはバングラデシュ軍のチームだ。歴史を振り返ってみても、前回の選挙時を含め、既存の政党が統治能力を低下させた際に、リリーフ投手のように登板して場を収め、その後に続く民主的な政党政治へとバトンタッチをしてきた。来る選挙についても、混乱が長引けば、前回同様、軍の介入によって事態の収束が図られる可能性もあるだろう。 

             bangladsh military

 もちろん、国によっては軍の介入が独裁政治につながるパターンも稀ではない。バングラデシュも1982年から1991年までの9年間、エルシャド将軍が軍の力を背景に独裁をしいていた。しかし、その後バングラデシュは度重なる政治混乱を経ながらも20年以上にわたり民主的な体制を維持、経済・社会の成長と共に相当数の中間層が育ち、新聞・テレビやソーシャル・メディアなどの公的言論の媒体も分厚い。さらに、独裁に移行すれば、現在国の開発予算の半分近くを占める海外からのODAがストップしかねないことも踏まえると、仮に軍の登板があったとしても、それは混乱を収拾し、次なる民主的な体制に移行するまでの一時的な措置にとどまるのではないだろうか


☆ 「コトバの力」:
 結局のところ、
現在バングラデシュが直面している一連の混乱を生み出しているのは、バングラデシュの人々だ。これはつまり、その解決が、バングラデシュ人自身の手に委ねられているということに他ならない。そして、解決のための鍵は、金でも技術力でも外国の介入でもなく、バングラデシュ人同士の継続的な対話以外に無い。この点、バングラデシュ人は、その考え方、宗教観、政治的利害の違いにもかかわらず、ベンガル語という「言葉」を共有している。この事実は、たとえ長期間の混乱を経験したとしても、バングラデシュは内戦やテロリズムの跋扈といった事態には陥らないという予想に、最も大きな根拠を与えるものだと、僕は考えている。

 今のところ、与野党のリーダー同士の対話は実現が実現する兆しはないものの、テレビでは「朝まで生テレビ」のような、政治をテーマとする討論番組が組まれ、ジャーナリストの見事な司会と突っ込みの下で、BNP、アワミ・リーグ、ヒファジャット・イスラム、シャハバグ・ムーブメント、そしてジャマティ・イスラム等、現在の騒乱の当事者の一員や支持者が、口角泡を飛ばしながら激論を交わしている(バングラデシュ人はとにかく議論(おしゃべり)が大好きなのだ)。 さまざまなレベルや機会を捉えたこうした対話の積み重ねが、事態を収束に向かわせる上で、遠回りなようで一番効果的な道であるのは間違えない。

 最後に、日本人ができることについて考えてみたい。

 大前提として、日本は、バングラデシュに対して過去40年、莫大な投資をしている。電力、道路、橋といった基礎インフラをつくってきた円借款(2011年3月時点で累計7,193億円)の原資は日本人の預貯金だし、JICAの技術協力、無償資金協力、そして世銀やアジア開発銀行が実施するプロジェクトの元手の多くは、日本人の税金だ。さらに、青年海外協力隊員として、技術者として、ビジネス・パーソンとして、草の根NGOの職員として、あるいは医師や研究者として、大勢の日本人が、その寿命とパッションをバングラデシュに投じてきた。
 
 つまり、バングラデシュが傾くとは、日本と日本人がこれまで国境を越えて長年にわたって成してきた投資の価値が毀損することを意味し、一方で、バングラデシュが安定的に発展していけば、日本もそれにともない大きな「配当」を期待できるのだ。

 ここで言う「配当」とは、よりいっそう信頼できる能力の高いビジネスのパートナーとして、日本企業のバリュー・チェーンの一翼をバングラデシュの企業やその従業員が担っていくことや、日本人が生み出したモノやサービスを、購買力を増したバングラデシュの人々が各々の生活をより豊かで心地よいものにするために今まで以上に購入するといった経済的な意味だけでなく、気候変動への対応や食料生産性の向上といった21世紀の地球が抱える課題について、共に試行錯誤し解決策を実行していくパートナーシップを結べることかもしれないし、日本が国連や世銀といった多国間交渉の場でよりいっそうの責任を果たしていくうえでの追い風が増えることかもしれない。あるいは、もっと身近に、バングラデシュ人と日本人が、お互い、思い出深い人生を彩り豊かに送っていく上で欠かせない友人として、ともにトルカリを食べながら語りあえたり、歌を歌ったり、スポーツで汗を流せることかもしれない。

 こう考えると、バングラデシュという国、バングラデシュ人に対して、直接の係わり合いを通じて個人的な愛着を感じている日本人にとってはもちろんのこと、バングラデシュと直接の関係が無かった人々にとっても、バングラデシュの失敗は自らの損失だし、バングラデシュの成功は、自分の利益だと言えるのではないだろうか。   
   
 日本とこうした関係にあるバングラデシュが不安定化している局面で大切なことは、「自分は、引き続きバングラデシュと伴にいる」というメッセージを発信し、そして行動で示すことだと思う。

   もちろん、政情不安の局面では大きなイベントの企画や新規投資案件の検討・実施は見合わせざるを得ないかもしれない。自分が手がけてきたイベントや入念に準備してきた出張がホルタルで中止になって、「こんな国で仕事なんかやっていられるか!」と思うこともあるかもしれない(何度もありました・・・)。

 でも、今、目の前で取り組んでいるプロジェクトや仕事を続けるだけでも、例えば現地の雇用維持・創出や問題解決に少なからぬ貢献を出来ているはずだ。あるいは、遠く離れた場所にいても、バングラデシュの状況についてアンテナを張り、思いをめぐらすこと、そしてたとえ小さな機会でも接点があればそれをつかもうという意思持つことで、状況の悪化を食い止める、あるいは状況を改善する力になれることもある。例えば、破壊されたノアカリ県のヒンドゥーのコミュニティや、竜巻の被害を受けたブラモンバリア県の村の生活再建のために、日本の多くの友人たちが僕に預けてくれた志が、現地でもたらしているインパクトは計り知れない。

 人は、自分が困難な状況に陥ったとき、普段「トモダチ」だと称する人たちが、如何なる行動をとるのか、見て、覚えているものだ。物事が順調な時は調子のいいことを言っていて、ちょっと情勢が危うくなったらすぐ引いてしまう人々もいれば、普段は物静かでも、いざという時に、伴にいてくれる人もいる。そのどちらに、どのくらい感謝と信頼の念が沸くか、3.11の巨大津波とその後の原発事故といった危機を経た日本人なら誰でも、自ずと答えは一つであることを知っている。
 
 確かに、現在ベンガルの大地には深い、いくつもの亀裂が走っている。しかし、その断絶にかける橋、つまり「共通の言語」を駆使して、バングラデシュ人はきっと試練を乗り越えるだろう。日本は、日本人は、長年のパートナーとして、そんなバングラデシュの人々と伴にありたい。これから永きに渡り、お互いがより豊かで持続的な「配当」を手にするためにも。(本シリーズ:終わり)

  Eco-Run Bangladesh 3
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2013/04/29 01:20

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その4)

 本年2月以降激変したバングラデシュ情勢。

 今週はバングラ暦のお正月で祝賀モードだったこともあり、全国規模のホルタル(暴動を伴う政治デモ)は実施されなかった。今年1月末以来初めてのことだ。しかし、ラッシャヒ管区など一部の地域ではホルタルが実施されたほか、数百年の歴史を持つヒンドゥー寺院が相次いで焼き討ちにあうなどの事件が続いている。

 こうした政情・社会不安の背景には、本年末に予定されている選挙をめぐる二大政党間の「票」をめぐる分断、そして独立戦争時にぶつかり合った「パキスタンからの独立」と「イスラム共和国としての連帯」という正義をめぐる分断が存在する。そして、票と正義を巡る衝突が複雑に絡み合い激しさを増す中で頭をもたげているのが、「バングラデシュとは何か?/バングラデシュ人とは誰か?」というアイデンティティを巡る亀裂だ。

 悪化するバングラデシュの政情・治安の現状と、その背景にある「票」と「正義」を巡る分断については、以下の記事を参照ください。

3. アイデンティティをめぐる分断


 4月最初の週末を控えた4日4日木曜日、バングラデシュは極度の緊張感に包まれていた。長距離バス、ローカルバス、鉄道、そして船舶など、すべての公共交通機関が運行を取りやめ、 国民は固唾を呑んでメディアの報道を見守っていた。

 その週末、独立戦争時にパキスタン軍による残虐行為に加担したとされる「戦犯」への死刑を求めてダッカのシャハバグ広場を基点に展開するムーブメントの火付け役であるブロガーを、「ムスリムを冒涜する無神論者」として死刑にするよう求める一団が、バングラデシュ第二の港湾都市チッタゴンから首都ダッカまで約250キロの道のりを行進し、ダッカで巨大な集会を実施するというのだ。木曜日のATNニュースは、純白の帽子とパンジャビ(ムスリム男性の衣装)に身を包んだ10万人を軽く超える集団と、一千台以上のバスがチッタゴンに集結している様を映し出していた。
 
 明けた5日金曜日、ジュマの祈り(金曜正午過ぎに行われる一番大切なお祈り)を終えた彼らは、次々とバスに乗り込み首都への進行を開始。フェニ、ノアカリ、クミラなど、チッタゴンからダッカへと向かう途中にある主要都市でも次々と支持者が加わっていく。沿道では、彼らの行進を応援する人々が水や食料を手渡していく風景も映し出された。

  Hifazat-e-Islam
 
  シャハバグ・ムーブメントの仕掛け人への死刑を求めて首都に向けて巨大な行進をする一団の名はHifazat-e-Islam(ヒファジャット・イスラム) 。チッタゴンで200年以上の歴史あるムスリムの名門教育機関(マドラサ)の宗教指導者が率いるこのグループは、政党ではない。イスラムの教えを日々の生活の中で徹底的に実践するとともに、「シャーリアー(イスラム法)」による社会や国家の統治を主張するムスリム系宗教団体だ。そして、現在多くのリーダーが戦犯として裁かれているジャマティ・イスラム党(イスラム教会)とのつながりが指摘されている。

 一方、シャハバグ・ムーブメントを主導する学生や市民は、ヒファジャット・イスラムの首都流入を食い止めるべく、5日金曜日の夕刻から24時間体制で全国規模のホルタル、つまりシャットダウン実施を宣言。チッタゴンからダッカへと入る市南部のバスターミナルのあるサエダバット、ジャトラバリ、グリスタンといった地域にバリゲードを築くとともに、ホルタル期間中の全公共交通機関の運行停止を求めた。

 このままでは、二大勢力が正面衝突し内戦のような悲劇的事態が発生するのではないか・・・そんな悪夢のようなシナリオが渦巻く中、明けた土曜日の朝にメディアが一斉に映し出したのは・・・・ 


   

  Hifazat-e-Islam grand rally

 
  
  純白の帽子とパンジャビで身を包んだ約40万人もの大集団で埋め尽くされた、ダッカ中央駅近くの商業の中心地モティジール(東京でいう丸の内・大手町のような地域)の様子だった(写真出展:Daily Star)。


 メディアやネットを通したものを含めても、これだけの数の人間を一度に見たのは、生まれて初めてだった。シャハバグ広場に1万人を超える市民が集まった時も度肝を抜かれたが、これはその比ではない。正に「人の海」としか形容できない圧倒的な光景。そして、ヒファジャット・イスラムの指導者の声が響き渡った。

 「我々は、ムスリム、そして預言者ムハンマドを冒涜したブロガーを死刑に処す法律制定を含む「13か条の要求」を、政府に提示する。我々は暴力や動乱は好まない。本日の集会も邪魔が入らない限り、平和的に実施しなければならない。しかし、今日ここに集った一人一人、そして全国各地の同胞たちは、ムスリムへの冒涜に対しては、命懸けで戦う覚悟が十分にできている!!


 ブロガーの処刑を求めるヘファジャット・イスラムの大集団が集結したモティジールと、戦犯の処刑を求めるブロガー率いる市民が集うシャハバグ広場とはわずか3キロ程度しか離れていない。いつ何時、計画的、あるいは偶発的な衝突が起こってもおかしくはなかった。しかし、この日の巨大集会、そしてその翌々日にヒファジャット・イスラムが実施したホルタルでは、散発的な衝突があっただけで、大惨事は免れた。胸をなでおろすとともに、数十万人ものデモ参加者が殆ど不規則行動をとらなかったことについて、ヒファジャット・イスラムの圧倒的な組織力と統制力にむしろ脅威を感じた市民も少なくなかっただろう。なぜなら、現在、ヘファジャット・イスラムはバングラデシュの地方主要都市で集会やラリーを繰り返しながら「政府が“13か条の要求”を4月末までに呑まなければ、5月5日にダッカ占拠(seize)を実行すると宣言しているのだから。

 驚異的な動員力と統率力を示した宗教組織、ヒファジャット・イスラムは、一体どのような要求を政府に突きつけたのだろうか?以下、「13か条要求」をすべて列挙してみた。

政府は・・・ 
1.   国家の基本原則として「全能の神アッラーへの信頼と忠誠」を憲法に明記すること、
2.   ムスリムに対する誹謗中傷、アッラーや預言者ムハンマドに対する冒涜をする者を死刑に処す法律を制定すること、
3.   預言者ムスリムを冒涜する無神論者であるシャハバグのリーダー、ブロガー、そして反イスラム主義者を罰すること、
4.   イスラム学者やマドラサの学生に対する殺傷、発砲を停止すること、
5.   逮捕されたイスラム学者やマドラサの学生を解放すること、
6.   モスクへの立入禁止を解除するとともに、宗教行事実施へのあらゆる妨害を取り除くこと、
7.   Qadianis(イスラム修正主義者)はムスリムではないことを宣言し、彼らによる出版行為や陰謀を止めさせること、
8.   公衆の場での自由な男女の混ざり合い等、外国文化を禁止すること、
9.   国中の交差点、高校、大学構内における彫像の設置を停止すること、
10. 女子教育を促進する政策を停止するとともに、小中学校におけるイスラム教育を義務化すること、
11. マドラサの学生・教師・イスラム学者やイマーム等に対する脅迫を停止すること、
12. メディアによるイスラム文化の曲解を通じて若者のムスリムへの憎しみを煽るのを停止すること、
13. NGOによる反イスラム運動や修正イスラム主義者による邪悪な試み、そしてチッタゴン丘陵地帯や全国でのクリスチャンによる改宗活動を停止すること、

 
 これらが、「票」「正義」を巡る議論とどのように絡み合い「バングラデシュとは何か?バングラデシュ人とは誰か?」というアイデンティティを巡る議論にいかなる亀裂を走らせるものかを知るには、前回の記事で紹介したバングラデシュ独立時に制定された憲法が謡う国家の基本精神、すなわち、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)との対比が助けになる。

 一方で、「我々バングラデシュ人とは、“パキスタン・イスラム共和国”から独立を勝ち取った者である」と自らを定義する人々がいる。彼らの中には、現在バングラデシュの人口の9割近くを占めるムスリムも含まれれば、ヒンドゥー教徒やクリスチャン、仏教徒も含まれる。あるいは、欧米に留学をしたエリート層の中には「あんまり宗教には縛られたくない」と考えている人も少なからずいるだろう。こうした宗教観や信仰の違いにもかかわらず、42年前にパキスタンという共通の敵と戦い独立を手にしたという物語を共有しているこうした人々にとって、バングラデシュ人としての一体性(Nationalism)は、宗教の違いを超えた強固なアイデンティティの基盤となる。同時に、「ムスリムの連帯」を掲げるJamati-Islam(イスラム協会)のような政党が、パキスタン軍による蛮行に積極的に加担した史実、言い方を変えれば「宗教の政治利用」がもたらす災禍が脳裏にこびりついている彼らにとって、「政治と宗教の分離」は大切な原則となる。

 他方、「我らバングラデシュ人とは、ムスリムであり、バングラデシュはムスリムの国家である」と自らを定義する人々がいる。 こうした人々は、バングラデシュという同じ空間を共有しているヒンドゥー教徒やクリスチャンよりも、数千キロ離れたパキスタンやサウジアラビアにいるムスリムのほうが「同胞」としての意識を強く感じる。また、街中や全国の学校構内に作られている「フリーダム・ファイターズ」の銅像や、言語運動の犠牲者となった学生を悼む「ショヒド・ミナール」は、ムスリムの教えである偶像崇拝の禁止に触れるものであり、必ずしも心地良く受け入れられるものではない(この点について、上記13か条要求の第9条をご覧頂きたい)。彼らはさらに、「パキスタンから独立を勝ち取った我ら」という自己規定を大切にするムスリムに対しては、同じムスリムであっても「修正主義者」として反感を持つ(上記13か条の第7条・13条のとおり)。

 いうまでもなく、こうしたアイデンティティを巡る亀裂をベンガルの地に走らせたのは独立戦争だ。実際、1971年当時、パキスタン軍に協力したジャマティ・イスラム党をはじめとするイスラム政党は「(ヒンドゥー教徒である)インドにそそのかされて、ムスリム共和国としての一体感を脅かす連中は駆逐すべし」という正義を掲げていた。また、ジャマティ・イスラム党の元党首であり、現在戦犯として逮捕され裁かれているGolam Azam(ゴラム・アザム)氏などは、バングラデシュ独立後にパキスタンに亡命している間、

 「バングラデシュという国は、モスクを破壊し、イスラム教徒を迫害しているほか、“偽のムスリム”がはびこっている、ろくでもない国だ(だから、“真のムスリム”である私は追い出された)」

 というキャンペーンを張って、自らの立場を擁護していた(この点について、上記13か条の5番目が戦犯の釈放を暗示していること、その言い分として、4条、6条、7条、11条、12条でムスリムへの口撃・攻撃を使っていることに留意したい)。
 
  歴史に“IF”はないが、仮に独立直後のバングラデシュが、戦争中にパキスタンに加担した勢力に対して「亡命か死か」の究極の選択を迫り、ベンガルの地から完全に放逐していれば、こうしたアイデンティティを巡る衝突は、その後のバングラデシュには存在しなかったかもしれない。しかしながら、このような難題を完遂する力は、建国間もないバングラデシュにはなかった。巨大サイクロンの被害、旱魃に伴う飢餓、そして汚職とクーデターという苦難のなかで、「戦犯への裁き」という難題はウヤムヤにされていった。また、バングラデシュ独立直後の1970年代前半は第一次オイル・ショックという外憂とも重なっており、燃料確保のために、産油国である中東イスラム諸国との関係改善を図らなければならない国際政治・経済の文脈の中では、「ムスリムとしての連帯」を重視する勢力に、厳罰を下すことは困難だった。

 それから、40年の歳月が流れた。

 バングラデシュは、国としての一体感を保ちながら天災や政治混乱など数々の苦難に対して驚異的な耐久力を見せ、経済・社会を成長軌道に乗せた。ムスリムが多数を占める国家にもかかわらず、例えば、中等教育の就学率は男子よりも女子が上回り、国の経済を牽引する縫製業の担い手の8割は女性であるなど、女性の地位向上という側面でも目覚しい成果を見せた。2005年にはBRICSに続く経済成長が見込まれるNEXT11に名を連ね、今や、2021年までの中所得国入りが射程に入っている。
 
 一方、アイデンティティや正義を巡る議論が風化していくなかで、「戦犯」として裁かれるはずだった勢力は、バングラデシュ農村部の貧しい若者をマドラサ(イスラム宗教学校)での教育を通じて惹きつけ、パキスタンや中東諸国からのふんだんな資金援助を得ながら、着実にその政治力・資金力・そして組織力を蓄えていった。そして今や彼らは、バングラデシュのなかで、決して無視できない政治的・経済的・文化的な影響力を持つ存在なのだ。

 そんな2013年という年に、独立戦争時の亡霊ともいえる、アイデンティティを巡る亀裂があらわになった。そのトリガーが「戦犯裁判という正義を巡る論争」であり、これに油を注ぐのが「年末の選挙を巡る票」なのだ。
 
 ところで、ヒファジャット・イスラムが政府に突きつけた「13か条の要求」について、ハシナ首相は「ムスリムに限らず、あらゆる宗教に対する冒涜を罰する法律は既にこの国にある。ヒファジャット・イスラムの要求は受け入れない」と早々と発表した。つまり、このままでは5月5日に、この巨大且つ、強固な組織力・統率力を持つ集団による「首都占拠」は確実に実施される情勢だ。今までホルタルの際には「聖域」だった空港についても、「占拠」の対象に入るやも知れない。

 2月以降、既に多くの血が流れ途方もない経済損失が発生しているバングラデシュ。しかし、国を引き裂く亀裂はさらにそのスケールを増していく可能性が高い。バングラデシュは、独立以来最大の危機を乗り切れるのだろうか?そのためには何が必要だろうか?(続く)
  
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(8) | トラックバック:(0) | 2013/04/21 02:17

バングラデシュの混乱と政情不安はどこまで深まるのだろうか?(その3)

 バングラデシュで今年2月以降の激増したホルタル(暴動を伴うデモ)を実施しているのは、年末の選挙で政権与党への返り咲きを狙う野党第一党のBNP(バングラデシュ国民主義党)だけではない。それぞれの正義を掲げる複数のグループが、その生死をかけて展開しているという意味で、「毎度お馴染み」のホルタルとは質的にも量的にも異なる、より深刻な衝突が発生しているのだ。 

2.「正義」をめぐる 分断


 あらゆる戦争の背景には、対峙する双方が掲げる正義がある。

 42年前、バングラデシュはパキスタンからの独立を果たした。9ヶ月にわたる戦闘で約300万人もの同胞を失うという途方もない犠牲を伴いながら手にした独立だった。独立に当たって作られた憲法には、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)といった、独立戦争を戦う上での精神的支柱となった正義が、バングラデシュという国民国家の精神として謡われた。独立戦争を戦い抜いたフリーダム・ファイターは英雄となり、国のあちこちにその像が建てられた。

 一方、独立戦争に際して、ムスリムの連帯重視という別な正義を掲げていたグループが、当時東パキスタンだったバングラデシュの領土内に存在した。「イスラム共和国」としての一体性を重視していた、例えば「ジャマティ・イスラム(Bangladesh Jamaat e Islami:イスラム協会)」といったグループは、バングラデシュのパキスタンからの独立に反対し、「インドの回し者である分離主義者」を駆逐すべくパキスタン軍に加担した。彼らは1971年12月16日までは官軍だったが、パキスタンの敗北により「ラザカー(裏切り者)」の汚名を着る賊軍となった。

 独立戦争から42年を経た今、当時ぶつかり合った二つの正義が再び表面化し、バングラデシュの社会に亀裂を走らせている。「戦犯問題」という名のパンドラの箱が開いたためだ。 
 
若手のブロガー/オンライン・アクティビストの呼びかけに共感した数万人の市民がダッカの目抜き通りであるシャハバグ(Shahbag)広場に集い、「戦犯」への死刑を求めている「シャハバグ・ムーブメント」の経緯と背景、及びシャハバグ・ムーブメントや戦犯裁判に反対するジャマティ・イスラム党やその支持者の実相については、以下の記事を参照下さい。
 
  国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その1)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その2)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その3)
  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その4)

  
国民国家は何によって結びつき、何によって引き裂かれるのか?(その5)

   
  「戦犯裁判」という名のパンドラの箱を大きく開けたのは、与党アワミリーグが2008年末の前回総選挙の際に掲げた「マニフェスト(政権公約)」であること、その背後に、「正義」の実現とあわせて、長年のライバルBNP(Bangladesh Nationalist Party)の連立政権パートナーだったジャマティ・イスラム党の弱体化を通じた「票」の確保という政治的動機が見え隠れしていることは、以前の記事で触れた。しかし、戦犯への法の裁きを求める勢力は、政権与党アワミ・リーグがこうした政治的動きを採るずっと以前から、バングラデシュの市民社会の間に存在していたのだ。

 ここで、戦犯全員の処刑とジャマティ・イスラム党の解党を求めて2月5日よりシャハバグ広場を基点に全国各地で展開してるGonojagaran Mancha (ゴノ・ジャガラン・マンチャ:“市民覚醒のためのステージ”)」と名付けられたムーブメントが、どのような勢力によって火が付けられ、牽引されているかについて、僕の観察を書きたい。

 Shahbagh10
 ~ 戦犯への死刑判決を求める一般市民や学生たちで埋め尽くされたダッカのシャハバグ・広場 ~

 結論から言うと、バングラデシュの独立以来、最も巨大且つ、非暴力を貫いているという意味でユニークなムーブメントは、個別に活動をしているブロガーや学生らの個人プレーがもたらした自然発生的なものでも、既存の大政党が政治的意図を持って仕掛けたものでもなく、長い歴史を持つ組織化された複数の市民社会のグループが、満を持して仕掛けたものだ。

 たとえば、シャハバグ・ムーブメントで中心的役割を担っている 市民社会のグループの一つに、「Ekattorer Ghatak Dalal Nirmul Committee(エカトレール・ガタック・ダラル・ニルムール委員会)」がある。長々としたカタカナだけでは一体どのような委員会なのか皆目見当がつかないが、日本語に訳すると 、その名前自体が強烈なメッセージであることが明らかになる。

 すなわち、「71年の殺戮協力者を根絶する会」-71年は独立戦争を、殺戮協力者とはパキスタン軍に協力したラザカー(戦犯)を指すことは言うまでもない。

 戦犯の処刑と、ジャマティ・イスラム党の解散を求めるこの団体の設立は1992年1月までさかのぼる。この年、戦犯の象徴的存在であり、戦後しばらくパキスタンに亡命していたGolam Azam(ゴラム・アザム)が、バングラデシュ・ジャマティ・イスラム党の党首に就任したのだ。上記「エカトレール・ガタック・ダラル・ニルムール委員会」は、戦犯として裁かれるべき人物が政党の党首に堂々と就任し、バングラデシュの政治に返り咲いたことに強い反発を覚えた作家、大学教授、芸術家、ジャーナリスト、学生、そしてかつてのフリーダム・ファイターらが立ち上げた市民団体なのだ。以来彼らは、時々の政府・与党に対して、戦犯裁判の開設を要求し、「政府が戦犯を裁かないのであれば私設の市民裁判所を立ち上げて正義を下す」との主張を20年以上続けてきた。

 ちなみに、この委員会のリーダーはJahanara Imam(ジャハナラ・イマム)という女性だ。ジャーナリストであり作家であり、二人の息子の母親でもあったジャハナラは数々の著作を残したが、中でも、その長男Rumiを独立戦争で失った悲しみとバングラデシュ独立への想いを、その卓越した筆致でつづった日記「Ekatturer Dingul (エカトレール・ディングル:“71年の日々”) 」は、“バングラデシュのアンネの日記”と評され、多くのバングラデシュ人の心を強く揺さぶる名作だという。"Shaheed Janani"(ショヒド・ジャナニ:殉教者の母).と呼ばれ国民から慕われてきたジャハナラは1994年に亡くなったが、今でも戦犯処刑とジャマティ・イスラム党の解党を求める市民運動の精神的支柱であり、シャハバグ広場には彼女の巨大な肖像画が掲げられている。

 Jahanara Imam
 ~シャハバグ広場に掲げられた“殉教者の母” Jahanara Imamの巨大な肖像画の前で、独立戦争におけるフリーダム・ファイターズの合言葉「ジョーイ・バングラ!!(バングラデシュに勝利を!!)」を絶叫する若者~

 このように、「エカトレール・ガタック・ダラム・ニルムール」委員会や、フリーダム・ファイターズのOB会組織といった市民社会のグループは、バングラデシュ独立時の憲法に刻まれた精神、即ち、バングラデシュ人としての一体性(Nationalisim)、民主主義(Democracy)、そして政治と宗教の分離(Securalism)を体現するバングラデシュの実現に強い思い入れを持ち、数十年にわたり戦犯の処刑という「正義」を求め続けてきた。2月5日以降に本格化したシャハバグ・ムーブメントを主導しているのは、こうした筋金入りで強固なつながりを持った勢力なのだ。

 2月中旬には火付け役の一人だったブロガーのAhmed Rajib Haidar(アハマド・ラジブ・ハイダー)が、ジャマティ・イスラム党の学生支持母体であるジャマティ・シビールのメンバー数人により惨殺されたことは以前の記事で触れた。この他にも、シャハバグ・ムーブメントのリーダーであるDr. Imran Sarkar(イムラン・ショルカー)に対しては、その命を狙う様々な脅迫が飛び交っている。

 彼らの活動はまさに命懸けなのだ。にもかかわらず、このムーブメントの勢いは衰えない。ダッカのシャハバグ広場だけでなく全国の主要都市を行脚し、「正義」の実現とジャマティ・イスラムによる暴力に屈しないよう、国民に呼びかけ続けている。こうした経緯を見ればシャハバグ・ムーブメントが一過性の底の薄いものではなく、強力な精神的・思想的支柱を持った命懸けのムーブメントであることがわかる。

 一方で、ジャマティ・イスラムとその学生支持団体、ジャマティ・シビール側は、当然のことながら、あらゆる手段を使って、徹底抗戦をすることになる。自分が心酔する宗教指導者の命、そして自分が所属する団体そのものの命運がかかってるのだから、彼らが実施するホルタルは、暇をもてあました若者を日当で動員しているBNP主導のホルタルとは、当然のことながら迫力がちがう。政治的なデモや衝突により一ヶ月で100名を超える死者が出るのは、バングラデシュの歴史で初めてのことだが、これは激しさを増すジャマティ・イスラム党とシビールの攻撃を前に警察側にも死者や重傷者が出ているために、治安維持部隊が実弾を使って応戦していることによる。

  clash
  ~警官隊・機動隊との激しい衝突を繰り返すジャマティ・イスラム党の学生組織ジャマティ・シビールの活動家~

 また、ホルタルの連発は、戦犯裁判を遅らせる意図もある。被告側の弁護団が「治安上の問題があるので、法廷まで出向くことが出来ない」とごねて法廷に姿を現さなければ、裁判を前に進めることが出来ないからだ。彼らにとっては、「ホルタルをやりすぎると国全体に途方もない経済的ロスをもたらす」とか、「有権者を呆れさせて選挙で負けるかもしれない」といった計算は働かない。なぜなら、ホルタルの実施は自らの命を守る合理的で強力な手段であるからだ。 ちなみに、現在裁判にかけられている戦犯は11人名(うち9人がジャマティ・イスラム党の幹部、2人がBNPの幹部)おり、まだ判決は三人しか出ていない(しかも、うち2人は上告している)。こうした背景を知れば、「ホルタル等の騒擾事件が、今後増えることがあっても減る可能性は殆どない」との予測は極めて確度の高いものと言わざるを得ないだろう。

   ghulam azam
 ~戦犯の一人としてダッカの国際犯罪法廷に出廷しているジャマティ・イスラム党の元党首、Ghulam Azam。本日(4月17日)の段階で審理はすべて終了し、あとは判決を待つのみとなっている。戦犯問題の象徴的な存在である一方、ジャマティ・イスラム党にとっては偉大なリーダーであるこの人物に死刑判決が下れば、大規模且つ深刻な暴動が発生するのは避けられない…(写真出展:Daily Star)~

 そして、より根本的な正義に関する問題は、戦犯裁判の正統性をめぐる議論だ。

 そもそもジャマティ・イスラム党は「ムスリムの連帯維持」という正義を掲げて「バングラデシュのパキスタンからの分離独立に反対する」という政治的立場をとり、その当然の帰結として、パキスタン軍に加勢した。パキスタン軍による非人道的蛮行は許されるものではないが、パキスタンを支持したというだけで、野党の指導者のみを「戦犯」のレッテルを貼って次々と捕らえて裁判にかけ、厳罰を求める”世論’に迎合して客観的な証拠や公平で開かれた審議も不十分なまま死刑判決を下すとは、政治的動機に基づいた人権侵害に他ならないのではないか?さらに、リーダーに対する不当な死刑判決の撤回を求めて立ち上がった若者に対して、実弾を浴びせかけて大勢の命を奪うとは、 現政権与党と、それに扇動されたシャハバグ・ムーブメントのほうこそ、非人道的な極悪非道なのではないか?

 ジャマティ・イスラム党とその学生支持団体であるジャマティ・シビールのこんな主張も、頭から否定するのは難しい。

 こうした主義主張と計算の下で暴動を繰り返すジャマティ・イスラム党に対して、野党第一党のBNPは積極的な支持を表明するとともに、シャハバグ・ムーブメントについては、「与党アワミ・リーグが陰で操る政治的な陰謀」として切って捨てている。これはどのような動機によるものだろうか?前回の記事で紹介したとおり、BNPにとって重要なのは年末に予定されている総選挙で「票」を確保するための「中立的な選挙管理内閣」の設置だ。これを、例えば軍の介入によって実現するには、国が出来るだけ荒れ、政権与党の国家統治能力に国内外の人々が疑問符を投げかけるような状態が作り出されることが望ましい。また、もともと都市部の産業界のエリートや軍関係者によって独立戦争後に作られたBNPは、アワミリーグと比べれば地方の組織票が弱い。農村部に張り巡らされたジャマティ・イスラムの強固な組織力と豊かな資金力は、BNPの比較劣位を補う強力な武器となりうる。

 つまり、シャハバグ・ムーブメントとジャマティ・イスラム党との「正義」をめぐる断絶の背後には、既存の二大政党が「票」を得るための政治的な思惑が交錯しているのだ。これが、問題の解決をさらに遠のかせている構造的背景となっている。

 そして、今月に入りジャマティ・イスラムと関係があると見られる、別の巨大な勢力がその存在感を増している。そのグループの名はHifazat-e-Islam(ヒファジャット・イスラム)-バングラデシュ第二の都市チッタゴンに拠点をおき、シャリア(イスラム法)による社会統治を理想とする宗教団体だ。ヒファジャット・イスラムの登場により、バングラデシュの混乱は新たな段階に入ったように見える。それはバングラデシュという国民国家を、「票」、「正義」をめぐる争いよりもさらに深くて厄介な、アイデンティティをめぐる分断へと導いていくのだ。(続く)
バングラデシュでの生活が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/04/17 18:33
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