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サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?(その3)~

  安全な職場を実現するためのルールは既にある。しかし、ルールを執行するための「政府の組織力強化」が遅々として進まない中、過ちは繰り返され、多くの命が失われてきた。そして、民主主義と市場経済という現行のシステムでは、投票の結果や経済取引の条件に、個別の労働者の声は反映されにくい。では、悲劇的な人災の再発を防ぐにはどうしたらよいのだろうか?

  garment worker
    ~ダッカ市内の薄暗い雑居ビルの中の零細縫製工場で黙々と作業にいそしむ女性。~

 バングラデシュでは「サバールの悲劇」を機に、こうした不都合な現状を打破するための「新たな社会契約」が、 (海外の)バイヤー、(バングラデシュの)サプライヤー、業界団体、労働者、ILO(国際労働機関)等の国際機関といったバングラデシュの縫製業にかかわる様々な利害関係者(ステークホルダー)間で立ち上がりつつある。

Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh(バングラデシュの防火及び建物の安全に関する協定)」  

  安全な労働環境を民間のイニシアティブで着実に定着させるべく、IndustriallInternational Labor Rights Forumといった国際NGOが数年前に立ち上げたこのイニシアティブは、当初は見向きもされなかったものの、昨年11月に117名の犠牲者を出したTazreen Factoryの火災事故、そして4月24日の「サバールの悲劇」を契機にモメンタムが高まり、ヨーロッパを中心とするアパレル大手(バイヤー)が次々と参画している。以下、その特徴を5つに分けて紹介したい。
 
① バイヤーの費用負担による工場の安全確保に向けた長期的な取組み

 協定に署名したバイヤーは、バングラデシュにおける取引先である縫製工場の、防火体制と建物の安全性向上を目的とする5年間のプログラムに参加する。

 プログラムは、①独立した検査官による取引先縫製工場の安全性チェック、②必要な是正措置の勧告とその実施状況のモニタリング、③専門知識を持つコーディネーターによる工場従業員と管理職への火災訓練や安全意識向上のための研修の提供、の3つで成り立っており、協定に参加するバイヤーは、検査官やコーディネーターの雇用コスト等、プログラム実施に必要な資金として、年間最大で500,000ドル(約5千万円)を拠出することを約束する。

② 積極的な情報開示

 バイヤーは、バングラデシュにおいて取引のある縫製工場の名前(下請け、孫受けを含む)を全て公表することを義務付けられる。
 その上で、安全検査の結果と、それを踏まえて工場側が策定する改善計画も、検査終了後遅くとも半年以内に公表される。そして、検査官は、工場側が改善計画に即してタイムリーに改善措置をとらない場合、その名前を公表できる。これらは必要な改善が確実に実施されるよう、積極的な情報開示により生まれる世論の圧力を活用する仕掛けだ。そして、こうしたプロセスを経てもなお、改善計画が実行に移されない場合、バイヤーは工場に対して、取引の停止を通告することとなっている。

③ 工場側の負担に配慮した価格交渉の要請

 上記検査や情報開示などを通いて、相当なプレッシャーが縫製工場側にかかることになる。しかし、バイヤー側が工場側に対して、職場環境の改善実施に向けたプレッシャーをかけながら、同時に、単価の引き下げを今まで通り要求していたのでは、余りにも一方的だ。この点、特質すべきは、本協定が、工場側が必要な安全対策を実施しつつ利益を出せる形で、単価などの交渉に当たるようバイヤー側に義務付けていることだ

④ ステークホルダーの声が平等に反映される意思決定メカニズム

 プログラム実施に当たっては、その具体的内容、予算・決算、検査官やコーディネーターの採用等について責任を持つ、運営委員会(Steering Committee)を立ち上げることとされており、運営委員会のメンバーは、工場の経営者側、労働者代表からそれぞれ3名、そして、ILO(国際労働機関)が指名する中立的な議長一名で構成される。プログラム実施にかかる意思決定が、労働者側、経営者側のいずれにも過度に偏らないようにするための工夫だろう。

⑤ 法的拘束力

 参加する国外のバイヤーと、バングラデシュの工場側でプログラムの意思決定や実施に当たって見解の不一致があった場合、最終的に裁判所の裁定を仰ぐこととされている。つまり、これは単なる紳士協定ではなく、通常の商取引における契約同様、法的拘束力を持つ文書なのだ。


 「サバールの悲劇」発生以降、Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh(バングラデシュの防火及び建物の安全に関する協定)」に参加する海外のバイヤーは、ヨーロッパの大手アパレル・メーカー、小売店を中心に増え続け、現在、署名済みのバイヤーは24社を数える。具体的には、“Fast Fasion”のキャッチフレーズで知られる世界第二のアパレル・メーカーH&M(スウェーデン)、H&Mに告ぐ世界第3位の売り上げを誇るスペインのアパレル・メーカーで日本でもお馴染みのZARAを傘下に持つInditex 、米国に拠点を置く世界最大のシャツ・メーカーで、Tommy Hilfiger、Calvin Klein等の超有名ブランドとのライセンス契約を持つPVH(Phillips-Van Heusen Corp)など、そうそうたる顔ぶれだ。

  consumer protest
 ~ オーストリア、ベルギー、ドイツ等で高いマーケットシェアを持つアパレル・メーカー、小売大手のPrimarkの店舗前で、バイヤーとしての「サバールの悲劇」の責任を問う消費者団体のメンバー。Primarkも上記「協定」に参加をした。~

 一方、
世界の小売最大手であるアメリカのウォールマート、そして米アパレル最大手のGAPは、自社独自の取組みを実施するとして、本協定に参加しない旨を発表。日本のユニクロもこれに続いた。この経営判断について、内外のメディアや市民社会の反応は総じて否定的だが、どう考えればよいのだろうか。

 上記協定は、バイヤー側の費用負担のあり方などについて、今後細部をつめなければならず、具体化には若干の時間を要する。他方、自社独自の取り組みであれば、明日にでも開始可能であり、また実施内容も自社の判断で臨機応変に決定できる(上記協定よりももっと実効性の高い枠組みを作ることも可能な訳だ)。 また、協定は最低5年のコミットメントが求められているところ、今後5年間、バングラデシュの縫製工場を取引先として活用するという確実な方針がなければ、署名は難しいのかもしれない。

 一方、もし、主要バイヤーが揃って協定に参加すれば、検査方法の標準化、重複検査の排除等を通じて、バイヤー側、工場側双方の負担軽減につながるほか、工場の安全確保に関する関係者共通の理解やスタンダードが作られやすい。また、上記協定の最大の梃子は、参画するステークホルダー同士で、約束事を確実に実施しようという「ピア・プレッシャー(仲間内からのプレッシャー)」が継続的にかかることだ。
 
 協定への不参加を表明したウォールマート、GAP、ユニクロの経営判断が、より責任あるサプライ・チェーン・マネジメントにつながるか否かは、ピア・プレッシャーのかからないところで、自社独自の実効性ある安全プログラムを実施し、そのプロセスと結果を公表するインセンティブを、各社がどれだけ持続できるか、にかかっている。  

  そして、バングラデシュの女工さんたちが作った質のよい服を安く購入している我々先進国の消費者は、ステークホルダー間の「新しい社会契約」に基づくアプローチと、自社独自の個別のアプローチで課題と向き合う企業の双方の取組みについて、その帰趨をアンテナを高くしてウオッチしていくことが必要だろう(続く)。

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バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(4) | トラックバック:(0) | 2013/06/08 03:37

サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?~(その2)

 1,127人もの死者と多数の負傷者を出したサバールの悲劇から1ヵ月半。国内外で議論を沸騰させているこの事件は、バングラデシュにとって最大の雇用と外貨と源泉である縫製業のイメージを決定的に悪化させ、バングラデシュの経済・社会を揺るがしている。事件発生以来、最大の縫製工場集積地であるAshulia(アシュリア)を中心に、倒壊したビルRana Plazaのオーナーや縫製工場の経営陣への厳罰と、労働条件の改善を求める労働者らによる、工場の打ちこわしや幹線道路の占拠等が続いており、多くの工場が操業中止に追い込まれている。   

   SAVAR TARAGEDY-1  
~史上最悪の産業事故となったダッカ郊外サバールで倒壊したRana Plazaビルの現場(写真出展:Demotix by Reham Asad)。

  ■ 4月24日に発生した事件の事実関係に関する詳細等については、下記記事をご覧下さい。
  「サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?(その1)」

 議論が百出し、混乱が深まる一方で、バングラデシュ政府、及び業界団体であるBangladesh Garment/Knitware Manufacturers and Exporters Association(BGMEA, BKMEA)は、矢継ぎ早に再発防止策を打ち出している。まず、労使と政府代表で構成される「最低賃金委員会(Minimum Wage Board)」が2010年に月収2,400タカから3,000タカ(約3,000円)に引き上げた最低賃金を上方修正する方向で議論を開始した。また、政府は、従業員100名以下の縫製工場については適用除外となっていた労働組合結成権や、火災予防や建物の安全確保に向けた雇用者側の義務の具体化を図る労働法(Bangladesh Labor Act 2006)の改正案を閣議決定、本法案は6月からスタートした今国会に提出される見込みだ。

(注)バングラデシュの現行労働法では、組合結成権や団体交渉権は全ての労働者に認められているものの、183条3項でこれを適用除外とする産業が個別に列挙されています。これには、従業員100名以下の縫製工場だけでなく、皮革産業、ジュート産業など、労働集約的なバングラデシュの基幹産業が多く含まれるほか、政府の判断で、組合結成を認めない産業をいつでも新規に追加できることになっています。

 これに加え、南北ダッカ市及びその周辺地域の建築許可付与と建築基準(Building Code)の執行権限を持つRAJUK(Rajdhani Unnayan Katripakka:首都開発公社)は、バングラデシュ工科大学(BUET)、及び業界団体の協力を得ながら、5月末までに110の縫製工場に検査に入り、建物に欠陥の見られる18の工場に閉鎖を命じた5月26日付 Financial Express)。この検査の一環として、業界団体は、加盟業者に対し、5月末日までに工場の設計図・構造図の提出を求め、未提出業者に対しては、輸出に当たっての原産地証明やミシン等の輸入に必要な証明書の発行停止に踏み切る構えだ(6月2日付 Financial Express)。さらに、6月1日には、関係中央省庁による全国2,500の縫製工場に対する直接の検査の皮切りとして、ジュート・縫製業担当大臣(Textiles and Jute Minister)自らダッカ市内のBanani地区、Gulshan-1地区にある4つの縫製工場を訪問、4社とも安全基準を満たしていないとして、是正勧告措置を発出した(6月2日付 Financial Express)。

 なんといっても、縫製業はバングラデシュ経済の生命線だ。
 
 対欧米を中心とする輸出額は目下年間約200億ドル(約2兆円)とバングラデシュの全輸出額の78%に達する。GDPへの寄与度は16%、首都ダッカや南東部の港湾都市チッタゴンを中心に展開する約5,500の工場において360万人の雇用を生み出しており、その8割は女性だ。縫製業は、ムスリムが多数を占める国にあって、女性の社会進出と経済的な独立を後押しする大いなる力にもなっている。たとえば、女性への進学率向上などの社会指標改善の背景にも、縫製業の躍進があるのだ。マッキンゼーは、2020年までに、バングラデシュの縫製業は600万人の直接雇用を生み、その売上げ規模は3倍に増加するとの試算を出している(出展: Mckinsey& Company「Bangladesh's ready-made garments landscape: The challenge of growth」)。2020年までの中所得国入りを目指すバングラデシュにとって、縫製業は国の将来の鍵を握る、かけがえのない産業なのだ。政府や業界団体が次々と対応策を打ち出すのは、こうした縫製業の重要性が背景にあるといえるだろう。 
 
 LIFE LINE RMG INDUSTRY
 ~バングラデシュの経済に占める縫製業の圧倒的プレゼンスを示すデータ集。一方で、2000年~2013年までの間に1,500人もの労働者が火災やビルの倒壊事故の犠牲となっている(出展:6月3日付け Daily Star紙)

 にもかかわらず、バングラデシュ政府を中心とした一連の対策が、悲劇の再発を防ぐに十分で、且つ持続的なものなのか、問われると、疑問を持たざるを得ない。前回の記事で述べたとおり、バングラデシュには「法律」や「基準」は既にそれなり整っているところ、繰り返される悲劇の背景には、政府による建築基準や火災予防に関する規制の執行力の弱さがあり、それは一朝一夕に改善する性質のものではないからだ。

 たとえば、首都圏の建築基準の遵守状況をモニターするRAJUK(首都開発公社)の職員数は約1,200人程度だが、その主たる業務は、都市計画の策定やそれに基づく・ニュータウンや立体交差の建築の推進であり、職員の大半はそちらの「メインストリーム」の仕事に従事している。その結果、既に出来上がった建物の建築基準をチェックする「地味な」仕事を担当する検査官の数は、4つに分けた首都圏の管区それぞれで、管理職を含めわずか18人(つまり合計72人!)出展:RAJUK Webisite)。建設ラッシュに沸く人口1,500万人のメガ・シティ、ダッカに存在する無数の建物を、わずか72人で対応しようというのだから、「建築基準法」や「労働法」が改正されたところで、それが「絵に描いた餅」であるのは明らかだ。

 そもそも、RAJUKはその名(首都開発公社)が表すとおり、都市化を推進する特殊法人だ。しかし、建設許可書の発行や、建築基準の遵守状況の確認は、その性質上、いわば、都市化の暴走を止める性質を帯びる。つまり、都市化の推進というアジェンダにおいて、アクセルとブレーキの機能を両方有しているRAJUKの機構の有り様は、利益相反に他ならない。バングラデシュ政府の高官は、二言目には「RAJUKは予算が足りない、人員が足りない」と主張するが、このような組織では、仮に予算や人員が充当されたとしても、ブレーキの強化に使われるかは甚だ疑問だ。
 
 これに加え、関連省庁・特殊法人・自治体間の権限の錯綜・重複の問題がある。たとえば、首都圏の建築基準や労働基準の遵守状況のモニタリングの一部は、南北ダッカ市も担っている。また、関連の法律や規制を策定する労働省やジュート・縫製業担当省、防災管理省などの中央省庁も複数存在し、どの役所がどんな権限で、どこまでの責任を負うのか、はっきりしない。上記のとおり、RAJUKが業界団体と手を組んで検査を実施する一方で、中央省庁側も有識者を招いた「検査パネル」を立ち上げ、大臣自ら陣頭指揮を執って検査を実施するなど、既に重複が発生している。これでは、対応する業者側の負担が増える一方で、悪質業者に対する工場の営業停止や危険なビルの取り壊しも含む検査後のフォローアップはいったい誰がやるのか、責任と権限の所在が不明確であるため、検査の実効性には疑問符がつかざるを得ない。

  SAVAR TARAGEDY-2
 ~ サバールの縫製工場で働く女性たち。バングラデシュの経済・社会の生命線である縫製業の担い手であり、日本を含む海外に安価で質の高い洋服を提供している彼女たちが、安心して働けるような環境を作るにはどうしたらよいだろうか?(写真出展:Reuters/Andrew Biraj)

 悲惨な事件が起こった今は、内外のメディアや欧米のバイヤー、そして市民社会が、バングラデシュの工場の杜撰な管理実態に対して厳しい目を注いでいるから、政府も業界も必死になって検査や法改正に取り組んでいる。でも、複数の組織間で縦横にこんがらがった権限、ミッションのはっきりしない監督庁、少ない予算と人員といった問題が改善しなければ、目下の取組みはすぐに息切れしてしまうだろう。そして、嵐が過ぎれば、もとの木阿弥。行政も、業界団体も、バングラデシュのサプライヤーも、国外のバイヤーも、今までどおり、納期、価格、輸出額、GDPといった目の前の数字に振り回されて、従業員の安全確保は後回しにされていく。こうしたことが続いてきたから、この国では「過去最悪の事故」における死傷者の数字が、数年おきに更新されてきたのだ。

 SAVAR TARAGEDY-3
 ~ Rana Plaza倒壊事故で奇跡的に一命を取り留めたものの、右手を失った女性。彼女はこれからの人生、どのように生きていくのだろうか?彼女の声が、市場取引や民主主義の政策決定過程に反映されることはあるのだろうか?(写真出展:5月2日付 NewYork Times紙)~
 
 「サバールの悲劇」の本質的な原因が、関連規制を執行する行政の足腰の弱さにあるのは確かだ。だが、悩ましいのは、これを持続的に改善するには息の長い取り組みが必要であり、また、それを持続させるためのインセンティブが、今の世の中の仕組みを前提にすると、たいそう沸きづらいということだ。

 たとえば、劣悪な労働環境とそれに伴い発生する事故の割を食うことになる個々の労働者の声は小さく、資金力もなく、組織化されておらず、したがって、現状の民主主義の仕組みの中で、彼らの利害が継続的に政策形成プロセスにインプットされることは少ない。この点、上記Rajuk(都市開発公社)の“利益相反”に照らして考えると、行け行けドンドンで都市開発を進めるためのVoiceは、建設業者、不動産屋、富裕層、外国人投資家など、パワフルな面々からいくらでも上がってくるだろうが、安全検査を粛々と進めるために政府に対して予算や人員を継続的に要求する声はいったいどこから上がってくるだろうか?また、事故や事件がもたらすコストは「万が一」であるがゆえに、日々の経済取引が突きつける「納期」「価格」「給与」「売り上げ」「経費」、あるいはその集合体であるところの「輸出額」、「外貨準備」、「GDP」という具体的な数字の前には力を失ってしまうのではないか。

 では、「サバールの悲劇」のような人災をこれ以上繰り返さないようにするには、いったい、どうしたらよいのか?次回は、このの難題への答えを見出すべく立ち上がった、バングラデシュの縫製業にかかわる、政府、(海外の)バイヤー、(バングラデシュの)サプライヤー、業界団体、労働者、ILO(国際労働機関)等の国際機関といった様々な利害関係者(ステークホルダー)間における“新たな社会契約”について紹介していきたい。(続く) 
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2013/06/05 01:51

サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?~

   悲劇は424日水曜日の朝9時に起こった。

 ダッカから北西へ約15キロ、縫製工場が密集するサバール(Savar)という地区で、8階建てのビルRana Plazaが倒壊、ビル内の5つの縫製工場(New Wave Style社、Ether Tex社、Canton Tech Apparel社、Phatom Apparel社、New Wave Bottoms社)で働いていた約3,000の工員たちがコンクリートと鉄骨の山に飲まれたのだ。事故発生直後から、駆けつけた消防や軍のチームが、周囲の市民ボランティアとともに、巨大な瓦礫の下から一人でも多くを救い出すべく、不眠不休の救助作業を約1週間にわたって続けた。BNP(バングラデシュ民族主義者等)率いる野党連合も、実施していたホルタル(暴力的なデモ)を急遽取りやめ、現地に人員を派遣して救援作業を側面支援。市内の大病院では、医療従事者がフル回転で次々と運び込まれる負傷者の手当てに必死で取り組んでいる。事故発生から17日が経過した5月9日には、重機が取り除いた瓦礫の下から、女性工員がほぼ無傷で救出されるという奇跡も起こった。

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    ~倒壊したRana Plazaビルとその周囲に集まる人々(写真出展:Daily Star)~
 

 こうした関係者の懸命の努力にもかかわらず、死者は1,000名を超え、なお増え続けている。そして、このバングラデシュの産業史上最悪の悲劇が、突然起こった不運な事故として片付けられるものでは決してなく、確実に避けられたにもかかわらず発生した、殺人とも言える人災であったことが明らかになるにつれ、人々の、特に全国約5,000の縫製工場で働く工員たちの怒りは爆発した。

 そう、ビルは「突如」倒壊したのではなかったのだ。事件が起こる前日に、従業員がビルの柱に大きな亀裂が走っているのを発見。通報を受けた現地の警察がRana Plazaに立入り、倒壊の危険が高いため、ビルへの立入りを当面の間禁止する旨の命令を出していたのだ。にもかかわらずビルのオーナーは当局の役人が去った後、「建築の専門家」と称する人物を連れてビルの安全性を「検証」し、「修繕は必要だがすぐに倒壊するリスクはない」とビルの関係者に伝えたのだ。これを受け、翌朝5つの縫製工場のマネジメントは通常通りの操業を決定。不安と抗議の声を上げる従業員に対して、

 専門家もオーナーも問題ないと言っているんだ。納期も迫っている。つべこべ言うと、給料を払わんぞ。クビになりたいのか!?」

と脅しをかけて 従業員を、その多くは若い女性の工員たちを、持ち場に着かせた。そして、悲劇はその30分後に起こったのだった。

 一方、このビルの一階に入っていたBRAC Bankの支店では、死者も負傷者もゼロだった。当局の警告を受け、マネージャーはすぐに当面の間の支店業務の停止を決定、従業員だけでなく約2,000人の顧客に対しても、携帯電話のショート・メッセージを使って、支店業務の停止とともに、倒壊の危険性があるRana Plazaには近づかないように伝えるとともに、同趣旨を、監督官庁であるバングラデシュ中央銀行にも報告していたのだ。

  rana plaza collapse1
 ~倒壊前のRana Plazaの様子。左下は事故発生前日に発見された、柱に走る大きな亀裂。警察と郡事務所の職員が建物の閉鎖を命じたにも拘らず、操業は続けられた(写真出展:Daily Star)~

 利益確保のために操業継続を最優先し、従業員の命をないがしろにした工場の経営者とビルのオーナーは、業務上過失致死や建築基準法違反の容疑で警察当局によって逮捕されたものの、縫製工場で働く工員たちの怒りは収まらなかった。Rana Plazaの倒壊以降、サバール、アミンバザール、ヘマエプール、アシュリア、ナラヤンゴンジ等、ダッカ近郊の縫製工場地帯を中心に、大規模な暴動がたびたび発生。複数の工場を透析などにより破壊、火炎瓶を投げ込んで放火するとともに、道行くバスや乗用車にも無差別攻撃を加えたのだ。
429日には、出張中だった日本人がアシュリア周辺を車で移動中、デモ隊と遭遇。車を破壊された挙句、鉄パイプやこん棒で殴られ負傷する事件も発生した。

 怒りに駆られた彼らの行動に対しては、「無関係な人を巻き込むのはどうかしている」、「工場を破壊してしまっては自分たちが働く場所がなくなってしまうではないか」、「もっと生産的な方法で抗議できないのか」といった疑問が当然沸いてくる。しかし、以下の事実に思いを致せば、バングラデシュの縫製工場で働く人々が、到底受け入れ難い不条理の下で、如何にやり場のない怒りを沸騰させてきたのかを、理解できるかもしれない。

 例えば20054月に、Spectrum 社の縫製工場が入っていたビルが、ずさんな建築によって倒壊し、少なくとも64人の命が失われ約80人が重軽傷を負った。昨年11月には、Tazreen社の縫製工場で火事が発生、112名が亡くなった。この事件では、ビルの防火管理が皆無であったほか、火災発生が確認されているにもかかわらず、マネジメントが従業員に対して迅速な避難を指揮するどころか、現場にとどまるよう指示を出したことにより、犠牲者の数が膨らんだという、受け入れ難い実態が明らかになった。さらに、今年1月には、ダッカのモハンマドプール地区にあるマンションで火災が発生。そのビルは一般住居用として登録されていたにも拘らず、Smart Export Garment社の縫製工場が違法に操業をしており、10人の女工の命が失われた
 
 つまり、バングラデシュでは、過去何度も「史上最悪」の人的被害を出した事故が起こってきたにも拘らず、しかも、その殆どが、ある程度の注意とコストを払えば死傷者を出さずに済んだものであったにも拘らず、その不幸な記録の更新が続いてきているのだ。何故こうした人災が続くのだろうか?これ以上の悲劇を繰り返さないためには、何が必要だろうか?


 今回の事件はその人的被害の大きさもさることながら、悲劇の舞台となったRana Plazaに入っていた5つの縫製工場が、カナダ、アメリカ、ヨーロッパのアパレル・ブランド向けの服を生産していたこともあり、海外でも大きく報道されている。中には、一月4,000タカ(4,000円程度)という女工の給与や、週6日、一日12-14時間労働という彼女たちの勤務時間にもスポット・ライトを当て、「奴隷労働を強いている」、「労働者の人権を蔑ろにしているバングラデシュからの洋服の輸入は控えるべきだ」、「安い洋服を買い求める先進国の消費者も、間接的に悲劇の発生や労働者の苦境に加担している」といった主張を展開するものも見受けられる。実際、ウォルト・デズニーは昨年11月に発生したTazreen社の縫製工場における火災を契機に、バングラデシュでの委託生産の打ち切りに踏み切った。今回のサバールの悲劇は、欧米企業の更なる撤退を招き、バングラデシュの輸出の8割を占める同国の縫製業、さらにはバングラデシュの経済全体に対して、大きな痛手となる恐れが高い。 

 さらに、欧州や米国の議会では、「一般特恵関税制度(GSP:Generalized System of Preferences:開発途上国から輸入される一定の農水産品や鉱工業産品に対して、一般の関税率よりも低い税率(特恵税率)を適用する制度)について、バングラデシュは、その対象から外すべきではないか」といった、経済制裁に近い提案まで出されている。

 しかし、主としてバングラデシュ国外で盛り上がっているこうした議論は、事件の本質を捉え損ねており、悲劇の再発防止にも貢献しないように思う。なぜなら、事件は建築基準や火災予防基準といった関連規制の執行が著しく弱い、という多くの途上国に共通する構造問題によって引き起こされたものであり、こうした問題は、「可哀想な女工さん」にシンパシーを感じた先進国の消費者が当該国の製品の不買運動をしたり、海外のバイヤーがバングラデシュから撤退したりしても、一切解決しないどころか、より一層の悪化を招くものだからだ。
  
 例えば、今回倒壊した8階建てのRana Plazaビルは、本来4階建てで設計されていたにも拘らず、当局に届出をしないまま5階以上の上層階が付け足されていたこと、かつて沼地だった場所に“おが屑”を敷き詰めただけの地盤に建てられていたこと、もともとショッピング・モールやオフィスとして使うことが想定されていたため、大型のジェネレーターや多数のミシンが一度に稼動することで発生する振動に耐えられるような設計になっていなかったこと、などが指摘されている。  

 これだけを読むと、「Rana Plazaビルのオーナーや、そこで経営をしていた縫製工場の経営陣は実に酷いヤツだ」という結論に飛びつきたくなるが、実は、そして大変残念なことに、バングラデシュに住んでいれば誰しも、こうした信じられないほど杜撰な設計・建築が決して珍しいものではなく、国内の多くのビルが、多かれ少なかれ、日常的な使用のなかで倒壊するリスクを含んでいることを知っている。なぜなら、「ビルの上にビルが建つ」風景や、路上で雨風に晒されてさび付いた鉄骨がそのまま建築に使われている状況を日常的に目にし、あるいは解体した廃船から得たくず鉄をビルの建築に再利用している、という実態を聞いているからだ。また、建築業者の中には、セメントに砂を混ぜる、柱を設計よりも細くするといった方法で「経費を削減」している悪質な者もおり、こうした業者が取り締まられることも無く、堂々と営業を続けていることも、周知の事実なのだ。 

  dhaka construction  
     ~ダッカ市内で建築途中の建物。床、壁ともに建築基準に沿った厚さと品質が確保されているかは大いに疑問だ~

 一方で、バングラデシュには1993年に当時の国際的な基準に準拠する形で作られ、2006年にJICAの協力も得ながら改定された建築基準(Bangladesh National Building Code)がある。また、この建築基準を満たす設計やデザインをするために必要な専門知識を有するエンジニア(建築士)も存在する。問題は、建築基準を実行するための体制、例えば十分な数の検査官の採用と彼らへの継続的な研修実施、検査官による定期的なモニタリングと違反が発見された場合の罰則策定、そしてその執行、といった体制が整っていないため、せっかくの規制が“絵に描いた餅”になっていることだ。建築士についても、公的な資格制度が整備されていないために、権限がはっきりせず、専門家としての彼らの指摘が、実際の建築の過程で考慮されにくい状況となっている。

 サバールの悲劇の背景には、こうした構造問題があるのだ。無論、柱に大きなヒビが入っているにも関わらず、スタッフに勤務を命じた管理職やオーナーは言語道断であり法の裁きを受けるべきだが、それだけでは、あるいは、その様子を見て他の縫製工場のオーナーたちが襟を正したとしても、ビルの倒壊リスクや火災発生のリスクは無くならない。ましてや、海外のバイヤーが撤退しても、問題は解決するどころか、単にその工場の仕事が少なくなって、女工の給料が下がる、あるいは彼女らが失業する、という結果がもたらさせるだけだ。

 したがって、今後、悲劇が繰り返されないために第一に必要なのは、関連規制の執行強化に向けた政府の体制整備なのだ。一方で、バングラデシュの縫製工場をサプライ・チェーンに組み込んでいる、あるいは組み込もうと考えている海外民間企業のビジネス・パーソンが、問題解決に向けて貢献出来ることもある。

 それは恐らく、今ある建築基準や火災予防基準の遵守を、バングラデシュの工場経営者に対して建設的に働きかけることではないだろうか。具体的には、経営陣やマネージャー・クラスとの価格や納期をめぐる交渉だけでなく、工場の現場作業員との対話に時間を割き、現場の実態を可能な限り把握すること、規制の遵守状況の確認と是正措置をとるために必要な時間を工場のマネジメントに与えること、そして、それに伴い必要となるコストが、製品単価に転嫁された際に、それを受け入れることではないだろうか。こうした関与の継続は、一時コストの増をもたらすかもしれないが、バングラデシュの工場が、今まで以上の品質の商品をタイムリーに生産する体制を整える上での助けになるとともに、自社のリスク管理にも貢献するだろう。

   一方で、「労働者の人権を確保し、規制を守らなければ取引を打ち切るぞ」、「関税上の優遇措置だって、無くなるかも知れないぞ」と脅しをかけておいて、工場の実情もつぶさに見ることなく、単価のカットと納期の遵守を主張していたのでは、バングラデシュの工場経営者側は、ますます防御的になり、問題解決に必要な対応を継続的にとることが難しくなるだろう。 

 CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)の重要性が叫ばれて久しく、その一環として環境問題や貧困問題に取り組むNGOへの寄付や地域社会への貢献などに取り組んでいる企業も多い。それはそれで結構なことだが、「責任」とは「権限」と表裏一体の言葉であることを踏まえれば、自らの権限が直接及ぶ範囲、たとえば取引先や委託先が、法令順守などの最低限の責任を継続的に果たすようなインセンティブを与え得る関与を続けるために人と時間と金を割くほうがことが、まずもって優先されるべきCSRではないだろうか。サバールのような悲劇がバングラデシュで、あるいは他のどの国においても、これ以上繰り返されないために。

バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(6) | トラックバック:(0) | 2013/05/10 20:50

何故、バングラデシュで強い製薬業が育ったのだろうか?(その2)

 本来的に先進国が持つ比較優位、そして、これまで幾度となく紹介してきたバングラデシュの厳しいインフラ事情や不安定な政情にもかかわらず、何故、バングラデシュでは国内需要の約97%を満たすことのできる強い地場製薬産業が育ったのだろうか。それだけではない。バングラデシュの製薬業は先進国を含む世界約80カ国に輸出すらしているのだ。下記グラフが示すとおり輸出額は右肩上がりで2012年には約5,000万ドルに達している。洪水・貧困・汚職など負のイメージがつきまとい、“最貧国"の枕詞とともに語られがちなバングラデシュからはおよそ想像できない、こうした力強い産業力の背景には何があるのだろうか。  
Bangladesh Pharmaceutical Export Trend

  
 答えの一つはバングラデシュが薬を製造・販売する上で国際的に与えられている優遇措置だ。通常新薬の開発には膨大な研究開発コストと長い時間がかかる。従って、そうしたコストを回収できるよう、開発された新薬には特許権が付され、その有効期間中は新薬を開発した製薬会社に独占的な販売権が与えられる。そして、このルールは国内だけでなく、WTOに加盟した国同士の貿易にも適用されることになっている。(「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS: Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)。

 膨大なコストのかかる新薬開発を奨励するための特許権だが、人道的な問題もはらんでいる。例えば、新たな抗HIV薬が開発されても、適用された特許権のために価格が高止まりし、それを最も必要としている低所得国の貧困層の下には届かない。特許の有効期間が切れれば、ジェネリック薬(後発医薬品)が出回り価格は大幅に低下するものの、それを待っていれば、その間助かるかもしれなかった多くの命が、治癒の術があるにもかかわらず、失われていくことになる。また、特許の有効期間中にその新薬への耐久力を持つ新種が発生してしまうかもしれない。

 特許権の適用除外があれば、低所得国でも、開発された新薬のノウハウと自国の安価な労働力を使って、より安い価格でスピーディーに貧困層に新薬を届けることができる。

 こうした問題意識から、2001年のWTOドーハ閣僚宣言(TRIPS協定と公衆衛生に関する宣言および、その後に続く事務レベルの集中討議で、経済的動機付けと人道的な配慮のバランスを取るべく、
低所得国に限って、2006年までの間、(特許期間中に)特許料を支払うことなく、新薬を製造・販売することができる(この特例はその後2016年まで延長)
医薬品の生産能力が不十分または無い(主として低所得)国に対しては、特許料を支払うことなく新薬を輸出できる、
との合意
が得られたのだ。そして、バングラデシュは上記①の例外規定の対象である低所得国として、未だ特許の効いている新薬を、特許料を支払うことなく国内で製造・販売し、さらに、②の規定により、国外(医薬品の生産能力が不十分/無い国)に輸出できている
のだ。

 一方、1995年のWTO-TRIPS協定発行前には、開発されたばかりの新薬を特許料を支払うことなくコピーして大量製造・輸出してきたブラジル、タイ、インド等の新興国・途上国は割を食うことになる。というのは、②の規定により、特許料を支払うことなく医療品を生産できない国に対して新薬を輸出をすることはできるものの、上記①の特例を受けられないことから、製造の段階で、その薬を開発した先進国の製薬会社に対して特許料を支払わなければならないためだ。

 本来、低所得国の新薬へのアクセス改善のために合意されたWTOの特例規定が、新興国・途上国間の競争条件の差別化をもたらした訳だが、バングラデシュは低所得国でありながら、2001年の段階で既に、十分な医薬品生産能力を国内で有していた、という稀有な立場を利用して、製薬業を輸出産業へと変革することに成功したのだ。   

        Bangladesh Drug Industry 
   ~バングラデシュの製薬会社工場内の様子。Square Pharmaceuticals、Beximico各社のウェブサイトより筆者作成~

 しかし、実際、こんなことができているのは、上記WTOの特例を受けているWTO加盟の低所得国31カ国のうち、バングラデシュだけ。残りの30カ国は、国外への輸出はもちろん、国内向けの製造・販売すらおぼつかない状況だ。何故バングラデシュだけが、こんな芸当をできるのだろうか? 実際、 1971年の独立当時、バングラデシュには有力な製薬会社は皆無だった。他の低所得国同様、欧米の多国籍製薬企業が、貧困層には届かない価格で薬を販売している状況が続いていたのだ。

 転機は1982年に訪れる。その年に制定された「Drugs Control Ordinance(薬剤規正法)」は、バングラデシュ国内での薬の製造、販売、輸入、薬価の制定、薬剤師の登録等に関するルールを定めた法律であるが、その中に以下のような厳しい外資規制が盛り込まれたのだ

「バングラデシュ国内に自社の製造施設を持たない外資製薬会社は、たとえバングラデシュ企業と委託製造・販売契約を結んでいるとしても、バングラデシュ国内で販売・営業をしてはならない」
「既にバングラデシュにおいて同様の薬品が製造されている場合には、バングラデシュ国内で外国ブランドを製造してはならない」

 これにより、1970年には国内市場シェアの70%を握っていた欧米の製薬会社は次々と撤退を強いられることになる。さらにバングラデシュ政府は国内の製薬会社向けに手厚い補助金を支給。製薬会社はそうした補助金を使って最新設備の外国からの輸入や外国の技術者の受け入れ等で成長基盤を整えていったのだ。当時幼稚産業だった国内製薬業界を保護するためにとられたこうした外資規制や補助金政策により、Square Pharma等の地場製薬会社が、グローバルな競争にさらされることなく徐々に力をつけていくことができたのだ。
 
 バングラデシュ製薬業の成功の背景を考えるとき、こうした貿易・産業政策が果たした競争環境の整備の影響は無視できない。しかし、実際に産業を興し、成長させていくのはグランドでプレーをするプレーヤー、すなわち個別の企業だ。その意味で、業界をリードしてきたバングラデシュ製薬業界の経営者の鋭敏な経営判断、それを実行に移す組織力、精緻で複雑なラインに従事する作業員の力などの総合力があってこその成功と言えるだろう。

 今後も予想される、富裕層の増大、人々の所得水準の向上・・・平均寿命が68歳にまで伸び、従来の感染症から糖尿病に端を発する心疾患などの生活習慣病への対応が重視されていく中で、バングラデシュの医薬品の需要は量・種類ともに拡大していくだろう。そもそも、バングラデシュの人口が現在の約1億5千万人から2020年には2億人を突破することは国連の推計で確実視されている。 こう見ると、バングラデシュの医薬品市場は引き続き着実に拡大していように思われる。

    もちろん課題も多い。

 上記紹介した特許期間中の新薬製造・販売権を低所得国のみに付与する特例は2016年で失効する予定であり、その後も輸出競争力を維持するには、各社が今から研究開発のためのラボラトリー等の設備投資に取り組まなければならない。バングラデシュの製薬業が強いと言っても、製薬業の付加価値の要であり、従って最大のコストを要するAPI(Active Pharmaceutical Ingredients:医薬品有効成分)やその原料については、国内で7%程度しか供給できておらず、大半は輸入で賄っているのだ(出展:FInancial Express: Bangladesh Pharmaceutical Industry won't be ready to implement TRIPS by 2016)。これは、バングラデシュのリーディング・インダストリーである縫製業が、その原料である綿花や工程で不可欠のミシンの殆どを輸入に頼っている構図と似ている。縫製業であれ、製薬業であれ、バングラデシュの製造業が真に国内で付加価値を生み出していける産業となるには、富の源泉を国内で製造していく力を身につけなければならない。

 こうした課題と対処するため、現在、バングラデシュ政府はダッカ南西部37キロにあるMunshiganj県Gazaria郡に製薬業の研究開発拠点を集積するための特別工業地区、API- Industrial Parkを建設しており、今年中に完成する予定だ。また、昨年11月に二プロがバングラデシュのJMI Pharma Ltd.(現 ニプロ JMI ファーマ Ltd.)を子会社とし、バングラデシュにおける医薬品事業に進出したように、外資との提携による技術基盤の向上も、バングラデシュ製薬業の競争力強化に資するだろう。

 また、安全な医薬品へのアクセスを今後さらに高めていくためには、政府の関連規制の改革や執行力強化も喫緊の課題だ。どんなに辺鄙な村でも医薬品が手に入ると入っても、それが安全なものかは分からない。前回の記事で紹介したとおり、日本であれば医師の処方箋がなければ販売できない強い医薬品や副作用のあるものについても、「何ちゃって薬剤師」の手によって、躊躇いなく販売されてしまう。また、この記事で紹介してきた大手の製薬会社以外にも、地方の名の知れない製薬会社が地方で粗悪品を製造・販売しているという指摘もある。国内の消費者の安全確保はもちろん、先進国も含めた輸出をさらに増やしていくためにも、各国の厳しい安全規制を満たすだけの品質確保は欠かせない。

 さらに、ここ数ヶ月、薬の値段の高騰が問題になっている。バングラデシュでは政府が指定した117のEssential Drugs以外は、製薬会社が自由に薬の年段を設定できることになっているところ、過去数ヶ月で1,200種類の市販薬の価格が1.2倍から2倍に上昇した。こうした薬には、糖尿病や呼吸器疾患、潰瘍、そして高血圧などの慢性疾患への常備薬も多く含まれているため、消費者の負担は馬鹿にならない(出展:Financial Express: Scaling dow cost of pharmaceutical products)。  医薬品規制監督当局による法改正や執行力強化が急務である所以だ。


 以前2回にわたり「バングラデシュは本当に最貧国なのだろうか?」と題する記事で、バングラデシュはその人口の多さゆえに一人頭に引きなおすと年間平気所得700ドルと低所得国(最貧国)に分類されてしまうが、その実態は明らかに最貧国との枕詞とともに語るにはあまりにも不似合であること、「新・新興国」と呼ぶにふさわしい動力で過去10年、そしてこれからも発展していく可能性に満ちていることを紹介した。今回特集した製薬業の事例は、正にこうしたバングラデシュの力、レベルの高さを如実に物語るものといえるだろう。

 今後、政府、製薬会社それぞれが、上記で挙げたような課題をクリアし、製薬業が今後も持続的に成長していくことができれば、労働集約的な縫製業一辺倒から多様化・高度化の必要性が叫ばれて久しいバングラデシュの産業にとっての大きな力となる。そんなバングラデシュの製薬業界にとって、 日本医薬品・医療機器関連企業は有効なパートナー足りうるのではないだろうか。そして、日本企業にとっても、バングラデシュは大きな可能性を持つ国といえるだろう。(終わり)
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/17 02:50

何故、バングラデシュで強い製薬産業が育ったのだろうか?(その1)

 今年もバングラデシュに霧の季節がやってきた。濃霧に包まれる朝の空気を、軽快なベルを響かせて破っていくリキシャ引きは、厚い毛糸の帽子とセーターで身を包み(しかし足元はサンダルのままだ)、底冷えのする夜に備えるために、雑貨屋の軒先には暖かい毛布が積まれるようになる。そして、霧が晴れる頃には本格的な冬がやってくる。ダッカでも朝夕は気温が10度前後まで下がる。

 季節の変わり目は風邪を引きやすい。しかし大きな心配は要らない。バングラデシュでは殆どどんな場所でも薬が手に入る。しかもその多くは低所得層にも手が届く価格で。例えば、風邪を引いたら飲めといわれる「ナパ」という錠剤がある。ナパは熱、咳、鼻水、頭痛等、風邪の諸症状向けのいわゆる総合感冒薬で、一粒5タカ(5円)。ひどい咳が止まらなければ喉の炎症を抑えるシロップが20タカ。不幸にして酷い下痢に悩まさせた場合には、脱水症状を抑えるための“ポカリスェット”が即席で作れる粉末「テイスティ・サライン」が一袋10タカ。その他にも各種のビタミン剤、痛み止め、抗生物質までが薬局で処方箋なしで手に入る。 
  
    
   Napa & Saline
 ~バングラデシュで超定番の風邪薬「ナパ」と、下痢の時には欠かせない「テイスティ・サライン」。僕も何度もお世話になっている~

 これは首都ダッカや地方の都市部に限った話では決してない。バングラデシュにやってきて早1年5ヶ月、仕事で、あるいは個人的に訪れた村(union)の数は100を超えた。どんな村でも市場には、茶屋、散髪屋、雑貨屋、八百屋などと並んで必ずといって良いほど薬局がある。薬局の店主は薬のことを良く知っている(ように振舞う)。薬を求めると、日に何回、食後に何粒、といった投薬量とともに、副作用等についても教えてくれる(真偽の程は分からない)。また、薬を売る前に、おもむろに(得意そうに)棚のから取り出してきた聴診器や血圧測定器で“患者”の様態をチェックしてくれる店主もいる。
   
 彼らは「薬剤師」を名乗っている。Certificateを見せてくれ、と頼むと「大学で薬学を勉強した」とか「3年前、どこそこの町で開かれたワーク・ショップに参加して終了証をもらった」とか、色々な答えが返ってくる。あんまり突っ込んでも得るものもないので、自称薬剤師に頂いた薬を素直に飲んで優れない体調を整えたことが、バングラデシュにやってきてから何度かあった。これがなかなか良く効くのだ。ちなみに、薬局で手に入る薬の箱に記されている様々な注意書きは殆ど全てベンガル語。そう、辺境の村でも安価な値段で手に入る様々な薬の殆どがMade in Bangladeshなのだ。

     local drug store 1
 ~ダッカから南へ300キロの地点にあるボルグナ地区、ガージョン・ブニア・バザールの薬局にて、顧客の体調をチェックする「薬剤師」のおじさん~

 発展途上国、特に低所得国では、国内で流通する薬はもっぱら輸入品となるため価格は高く、偏狭の村では殆ど手に入らない、というのが一般的なイメージだろう。何しろ薬の開発・量産は簡単ではない。新薬開発に必要な巨額の研究開発投資、高度で緻密なラインを持つ工場、それらを使いこなせる技術を持つ人材など、高付加価値の知識集約産業である製薬業を成り立たせるのは、一朝一夕では育たない要素が多い。縫製業のように廉価な賃金で一生懸命働いてくれる労働者が居ればそれが直ちに比較優位になるという分野ではないのだ。したがって、低所得国で地場製薬業を起こすのは至極困難であり、仮にスタートをしても、幼稚産業の段階で、既にグローバル市場を席巻しているノバルティス、ファイザー、ロシュ、グラクソスミス&クライン等、巨大な欧米企業に飲み込まれてしまう可能性は極めて高い。   

 しかし、この一般常識は一人当たりの国民所得が700ドルの低所得国であるバングラデシュには当てはまらない。現在バングラデシュ国内では240の製薬会社があり、それらの売上高は2007年の400億タカから2011年には900億タカと4年間でほぼ倍増している。その背景には過去3年で少なくとも約200億タカに上る設備投資がある。強力な地場製薬産業による旺盛な薬剤供給は、1億5千万人のバングラデシュ消費者が作り出す約11億ドルの市場の97%を満たしている(以上出展:Financial Express 10月25日付記事 「Pharma Industry: The Journey Ahead」)。 

 下記の円グラフはバングラデシュの製薬会社の国内市場シェアを示したものだ。1958年の創業以来製薬に特化して業界をリードしてきたSquare Pharmaを筆頭に、製薬以外にもメディア、縫製業、IT、不動産を広く手がけるコングロマリットBeximco(冒頭紹介したNAPAの製造会社でもある)、そして1999年に創業したばかりで首都近郊のサバール地区に最新の設備を擁する工場を構えるInceptaなど大手6社でシェアの半分を占めているものの、どの製薬会社も市場を支配する力を手にするには遠い。国内市場をめぐって数多くの地場製薬会社が激しい競争を展開していることが分かる。
 Pharmaceutical industry share

 こうした国内製薬会社が、約5,600のブランドを生産し、約1,500の卸売業者と約4万の小売業者(ライセンスを取得している社に限る)の販売網を使って、大河で分断され雨季には国土の3分の1が水没するバングラデシュの全国津々浦々にまで、医薬品を届けているのだ(数字出展:『Business Analysis of Pharmaceutical Firms in Bangladesh』MD. ANAMUL HABIB, MD. ZAHEDUL ALAM)

 それだけではない。Made in Bangladeshの薬はアフリカ、中東、そしてヨーロッパまでをも含む約80カ国に対して輸出されているのだ。輸出額は右肩上がりで、2012年度には5,000万ドル近くの外貨を稼いでいる。バングラデシュの製薬産業は国内の隅々にまで自ら作り出した製品を浸透させているだけでなく、ジュート、皮革、そしてニット・ウェア等の縫製業に続く一大輸出産業でもあるのだ(続く)。
バングラデシュの経済・産業が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/16 15:38
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