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 本日、6月末日をもって、約2年にわたる世界銀行バングラデシュ現地事務所での勤務を終え、7月半ばからは、次なる目的地ワシントンにて、世界銀行本部の「組織改革・戦略局」のチームに加わることになりました。

ダッカからワシントンに向かう途中、東京で1週間ほど滞在する機会をとらえて、7月13日(土)13:00より、世界銀行東京事務所 Tokyo Development Learning Centerにて「バングラデシュ ”参加型”帰国報告会 ~可能性と挑戦に満ちた新・新興国の現場から~」を開催します。

  帰国報告会
 
2011年8月から約2年間、世界銀行の仕事、及び多くの友人の皆さんからも支援を頂いた個人的な活動を通じて、バングラデシュの全64県のうち34県、200以上の村々を駆け回り、農村やスラムで暮らす人々、現場第一線で活躍するNGOや政府職員、そして、国を動かす政府高官やビジネス・リーダーまで、バングラデシュ人の懐に飛び込み、ともに国づくりに参加していくなかで取り組んだこと、考えたこと、そして学んだことを、日本の皆さんと対話を通じて追体験していければと思っています。

会の詳細は下記をご覧頂き、お時間とご興味のある方は、Crossoverのウェブサイトの下記専用フォームに必要事項をご記入の上、参加申込みを頂ければと思います。
    http://crossover21.net/event.html

 一人でも多くの皆さんと、お会いできるのを楽しみにしております。
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バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/06/30 20:07

バングラデシュが教えてくれた大切なこと⑧

 新しく生まれてきた君へ、

     列車の汽笛よりも高く その産声を響かせよう  
            車輪の振動よりも力強く、その手足で大地を振るわせよう   
  
  Kawran Bazar 7   
  
    怖れることはない、君は一人じゃない 
 
    きっと君は、その小さな足で、力強く大地を踏みしめ、矛盾と混乱と可能性に満ちたこの社会を、楽しみながら生きていけるはずだ    


 

    間断なく鳴り響くクラクションが支配する無秩序な交差点を突破したリキシャは、その車体をガタガタと揺らしながら人の海を泳いでいく。額から滴り落ちる汗をぬぐいながらリキシャを降りた僕は、鼻を突くような大量の川魚の生臭さと軒先に吊るされた巨大な牛肉の塊が発する血の臭い、そして人と鶏の叫び声が混ざり合う市場に入っていく。

  ふと、汽笛が聞こえた。

  人々は、魚や野菜を並べた目の前のザルを少しばかり移動させる。ほどなく汽車の巨大な車輪が、ザルの20センチほど前を通り過ぎていく。汽車の屋根で飛び跳ねる命知らずの子供らが、最高の笑顔で手を振ってくる。線路脇には共同住宅が密集するスラムが広がっている。

 ここはダッカの巨大な市場、カウラン・バザール(Kawran Bazar)

 1億5千万人が豊かさを求めて前進を続けるバングラデシュの熱気と矛盾が織り成す原色の風景の中、週末、僕は一杯5タカ(約5円)の茶をすすり、ベンガル語での会話を楽しみつつ、人々の仕事の様子や生活の息遣いを五感の全てで吸収する。そんな時間と空間が、自分の狭い思考や視野に、新しい地平線を齎してくれることに気付く。日々目にする余りに多くの情報に飲まれて、情報に反応する力が鈍くなった僕の右脳と心に、様々な漣を立ててくれることに気付く。

  Kawran Bazar 2

 線路は列車が通るためだけにあるものだと、いつ誰が決めたのだろう。数十分おきに長距離列車が横切るこの空間は、人々の仕事場であり、市場であり、食堂であり、寝床であり、また子供たちの遊び場だ。

 例えば、列車の車窓から、あるいは市場で取引をする人々の手から、次々と線路脇に投げ置かれる様々なものたちを、僕らは「ゴミ」と呼ぶだろう。しかし、創意工夫と好奇心に満ちたカウランバザールの子供たちにとっては、「新しいおもちゃを作る材料」だ。

 子供たちの手にかかれば、かつて商品を梱包していた発泡スチロールと、泥まみれの新聞紙は、バトミントンを楽しむための、手ごろなラケットとボールに早代わり。
  
 空のペットボトルと洗剤容器なんて見つけた日には、たちまち水鉄砲の出来上がり。

 ほこりにまみれた糸くずと、そこらのヤギの胃に入ろうとしている紙切れを見つければ、器用に凧をつくって、高々と空に掲げる。

 
   Kawran Bazar 5
 ~ペットボトル容器とスプレーの頭でつくった水鉄砲を、当たり構わず打ちまくる男の子。後ろで若干いらだっているお母さんの叱り声もどこ吹く風だ~

 いわゆる発展途上国のスラムは、悲しげなバックグランド・ミュージックと、子供たちの泣き声というお決まりのセットで、いわゆる先進国のお茶の間に映し出される。でも、少なくともダッカの多くのスラムは、そんな人工的なシーンからは感じられない、人々の力強さと笑顔と創意工夫に満ちた場所なのだ。 そして、そんな豊かさを、日本はむしろ失いつつあるものではないか。 そして今や課題先進国となった日本を前進をする上で、日本人一人ひとりが取り戻さなければならないものではないか。
 

   Kawran Bazar 6

 翻って今、この国は、「戦犯問題」を契機とする独立以来の最大の困難に直面している。人々が掲げるそれぞれの「正義」の間にある大きなギャップが、暴力と怒りの連鎖を生んでいる。 そして、この困難を、バングラデシュの人々は、自らの力で乗り越えていかなければならない。電力不足やインフレといった、目に見える数字で表せる課題よりももっと困難な、バングラデシュというひとつ国の中で国民を分かつ目に見えない壁を、乗り越え、連帯していかなければならない。

 そして、僕はこの国の人々には、そのための力があると信じている。

 内なる壁を乗り越え連帯していく力の源泉・・・それはベンガル語という共通言語だ。そして、それを使って相手の言葉に耳を傾け、自らの思いを発信する力だ。独立後40数年を経て蘇った戦犯問題という名の亡霊が人々の心を支配するなかで、選挙という起爆剤を控えこんだ2013年という時代において、この国の中に確かに根付いているそんな力を、国民一人ひとりが発揮し、壁を乗り越えていくことを願ってやまない。

  バングラデシュの人々やバングラデシュでの生活が教えてくれた大切なことは、以下にまとめています。

  「バングラデシュが教えてくれたこと⑦ ~母語の日を迎えて~
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと⑥  ~縫製工場での出会い~
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと⑤  ~ハオールの水に浸かりながら~
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと④  ~農村での出会い~
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと③  ~ダッカの道端での出会った体重測定屋~
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと②  ~直視するということ~」
  「バングラデシュが教えてくれた大切なこと①  ~川の流れを見つめながら~
 
 
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/03/07 16:31

バングラデシュが教えてくれた大切なこと⑦

 2月21日は国際母語デー(International Mother Language Day)だ。1999年11月17日にユネスコ(国連教育科学文化機関)が制定した国際母語デーは、言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてそれぞれの母語(母国語ではない)を尊重する精神を世界が共有するための日だ。

 母国語と母語とは違う。母国語とは、自らが国籍を有する国で使用される言葉。母語とは文字通り母親から赤ちゃんへの語りかけを通じて受け継がれていく言葉だ。この違いは「母国語=母語=日本語」との公式が無意識に成り立つ多くの日本人にとっては分かりづらい。しかし、世界にはこんなストーリーがある。


 今から61年前、1952年2月21日、ダッカで5人の大学生が亡くなった。パキスタン政府が、西パキスタンの「母語」であったウルドゥ語を、東パキスタン(現在のバングラデシュ)も含む東西パキスタンにおける唯一の公用語、つまり母国語にするとの方針に抗議してデモ行進をしている最中に、警官隊の銃撃によって斃れたのだ。学生達の命懸けのアクションは、「母語ベンガル語」を守るための巨大なムーブメントとなって東パキスタン全土に燎原の火のごとく広がり、パキスタン政府にベンガル語も公用語として認めさせる原動力となるとともに、その約20年後に起こるバングラデシュ独立戦争における精神的な布石ともなる。

 「Amar Ekushey(アマール・エクシェイ:私の2月21日)」と呼ばれるこの日は、バングラデシュの国民の祝日だ。人々は5人の学生の魂を悼み、母語の大切さを心に刻むためにShaheed Minar(ショヒド・ミナール)と呼ばれる碑に花を手向ける。現在、ベンガル語を母語として日常生活で使用しているのは、バングラデシュの国土で暮らすベンガル人に加え、インドのコルカタを州都とする西ベンガル州の人々、そして世界中で生活しているベンガル人移民労働者などなど、その数約1億8千万人。ベンガル語は、世界で6番目の使用人口を擁するのだ。

   ショヒド・ミナール
 ~ダッカ大学のキャンパスに程近い場所、そしてバングラデシュの国中の学校に建てられているショヒド・ミナール。亡くなった5人の学生を表す4つの柱、その死を悲しんで頭を垂れる母親を表す中央の柱、そして流された彼らの血を表す背景の赤いサークルで構成されている。~

 日本ではしばしば、バングラデシュが「イスラム国家」と表現される。でも、ここで生活をしていれば、それに違和感を感じる人は多いだろう。確かに街のあちこちにモスクがあり、断食や犠牲祭などイスラムの行事も多い。しかし、ヒンドゥーや仏教の寺院、キリスト教の教会も、モスクと比べれば数は少ないものの、街や村で、大切な施設になっている。また、「ドゥルガ・プジャ」と呼ばれるヒンドゥー教徒最大の祭が、バングラデシュでは国民の祝日になっており、ダッカを含め国中のあちこちがヒンドゥーの神様と踊りで熱気に満ちることは、既にこのブログでも何度か紹介した。さらに、公立学校の科目の一つである「宗教」の授業では、多数派のイスラム教だけが教えられる訳ではない。子供達の宗教に応じてクラスがグループ分けされ、それぞれの宗教について教えられるのだ。

 こう見ると、バングラデシュはイスラム教国というよりも、その名、つまり「バングラ(ベンガル人の)デシュ(国)」が表す通り、ベンガル語を話すベンガル人の国としての側面が強いように感じる。そして、2月21日は、ベンガル人が宗教の違いを超えて、一つの国民国家としての絆と基盤を、その歴史の重みを持って再認識するための大切な日なのだ。


 ところで、旧約聖書に登場する「バベルの塔」の物語がある。そのとき、人間は、一つの共通言語を話していた。共通言語を持って人々はシンアルの野に集まり、天まで届くような巨大なバベルの塔を作るための共同作業を始める。これを見た神は、人々に違う言葉を話させるようにした結果、人々は混乱に陥り、世界の各地に散っていった…そんな神話だ。

       バベルの塔
   ~フランスの画家ギュスターヴ・ドレ (1832–1883)が描いた『言語の混乱』(出展:Wikipedia)~

 今、世界にはいくつの母語があるのだろう。想像もつかない。専門家の間でも4,000から8,000の間で見解が分かれるようだ。例えば、この記事の最初に「多くの日本人にとって母国語=母語=日本語」と書いたが、例えば琉球の人々やアイヌの人々にとっては、日本語は標準語ではあっても、母親から子供に、代々語り継がれてきた母語ではないだろう。バングラデシュでも、ガロ、ロヒンギャ、チャクマと呼ばれる少数民族が、ベンガル語とは異なるそれぞれの母語を大切にしている。

 もしも、神が、共通の言語で共同作業に勤しむ人類を、もう少し寛大な心で見守っていてくれたら、世界はどうなっていただろうか?実際、世界は今、少しずつ神が恐れた方向に向かっているようだ。少数民族の間で、母語を学び続ける人々が減少し、世界の言語の半数近くが21世紀中に消失すると予想する専門家もいる。こうした傾向をどう考えればよいだろうか。

 バラバラだった様々な母語が、多数が使う共通言語に収斂し、世界がフラット化していけば、混乱が少なくなり、共同作業がしやすくなるかもしれない。とても効率的な社会だ。でも、そんな効率的な社会は、ひょっとしたら、今よりも深みや面白みに欠ける社会なのかもしれない。なぜなら、言葉は他者との意思疎通のための単なる手段以上のものだからだ。それは、言葉とは人が五感で感じる何かを表現する道具でもあり、ある言葉が失われるということは、それが表現していた何かも同時に失われてしまうことを意味するからだ。例えば、ある山間にしか咲かない花、それが醸し出す香り、その花を使った行事、そして、それを嗅覚や視覚で味わったときに沸き立つ感情など。あるいは、人々が語り継いできた物語に基づく諺や故事成語など。 言葉が失われれば、その言葉が表現していた文化、歴史、感覚も希薄化せざるを得ない。

 あるいは、国際公用語の一つである英語で「cherry blossom」と米国人に言えば、植物としての桜について話をしていることは伝わるだろう。しかし、日本人の多くが「さくら」の言葉を聴いたときに沸き立つ感情、例えば新しい旅立ちや別れに伴う想いは伝わりにくい。それは、「さくら」が咲き乱れ、そして散り行く3月・4月に卒業式、入学式、そして入社式といった人生の節目が重なっているという、アメリカとは異なる人生や文化のカレンダーがあるからに他ならない。

 効率性は大切だが、人々が、自分とは異なる他者への好奇心、数字では計り知れないものに対する畏れ、そして差異の背景にある未知の価値や物語への敬意を持ち続けることが出来れば、言語の不一致は、混乱ではなく、新しい解決策、新鮮な喜び、そしてより強固な連帯の源になるかもしれない。 


 ふと玄関のベルが鳴った。あぁ、スーザン先生がやって来る時間だ。

 クリスチャンのベンガル人である彼女とのベンガル語レッスンも、かれこれ1年と半年を越えた。話すほうは大分上達したので、今年に入ってから、ベンガル語の読み書きも始めている。アルファベットや日本語と全く異なる「記号」を言語として脳や舌、そしてペンを握る指先に刻んでいくと、自分がまるで小学生に戻ったような、新鮮な気持ちになる。自分が普段あまり使わない部分が刺激されているような、何とも「イタ気持ちいい」感覚だ。そして、ベンガル語は、バングラデシュという国、ベンガル人という人をより深く理解し、そして彼らと信頼関係を持って協働するための力を、僕に与えてくれているんだ。
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/02/22 03:06

バングラデシュが教えてくれた大切なコト⑥

   縫製工場で働く女性

 「この国が好きか、ですって?それはそうでしょう。ここに住んでいるんですから。他に行くところなんてないんですから。」


ロシュンアラさんは、明るい笑顔で応えた。彼女と出会ったのは、オールド・ダッカの一角にある雑居ビルの3階、むせ返るような湿気と暑さが支配する縫製工場だった。床には近い将来ジーンズとなって国内外の市場に出て行く青色の布が無造作に積み上がっている。所狭しと並ぶミシンの列が、天井のファンとともに、折からの停電で所在無げに沈黙している。柔らかい彼女の表情と声色は、過酷に見える工場の環境と、あまりに明瞭なコントラストを描きながら、僕の心に刻まれた。

 ベンガル人が、事あるごとに口ずさむ、ことばがある。

 「インシャー・アラー」

 「全てはアラーの神の思し召し」との意味を持つというこの言葉。日本語に敢えて訳せば「成るように成る」とでも言うのだろうか。

 「インシャー・アラー」はありとあらゆる場面で登場する。

 会議が首尾よくまとまる様子に「インシャー・アラー」。パンクしたタイヤを前に「インシャー・アラー」。子供の成績が上がれば「インシャー・アラー」。約束の時間に遅れそうでも「インシャー・アラー」。結婚式のその日まで自らの結婚相手の男性の顔すら拝めなくとも「インシャー・アラー」

 「インシャー・アラー」は時として感謝に、時として行動を改めぬことの言い訳に使われる。用途無限の「インシャー・アラー」だが、その背景には「目の前の現実を受け入れる」という心の姿勢があるように思う。現実を受け入れる多くのベンガル人は、不条理な世の中に心を腐らせることなく、拡大する格差を前に、羨望という名の暗い感情に支配されることなく、自分が身を置くその環境で、最大限楽しむ術を、自然と身に着けているように感じられる。


 自分はどうか。

 これまで、自分自身や自己を取り巻く現状を変えるべく目標を立て、それを実現することを自らの生きる糧としてきた僕にとって、それを成長や幸せと定義してきた自分にとって、「受け入れる」という言葉は、妥協、安逸、諦念といったことばと同義で、後ろ向きな「受け入れ難い」発想だった。

 そんな自分が、世銀という新しい組織、バングラデシュという未知の国で、余りにも思い通り事が運ばない現実を前に、七転八倒を続けた一年を経た今、見えているのは、「受け入れる」とは、積極的で能動的な行為であるという気付きだ。

 「受け入れる」こと。

 それは、自分を相対化する行為だ。自分中心に物事を捉えているうちは、他者や環境を受け入れることは出来ない。

 それは、透徹した眼差しで、対象や状況を見据える行為だ。他者や環境について、「良い/悪い」の判断に飛びつく前に、好奇心を持って、ありのままを観察する姿勢だ。

 それは、今、自分が関わっている対象、自身が置かれた状況と、正面から向き合う姿勢だ。眼前に数多用意されているかに見える、あるいは、過去の自分が手にし得た選択肢に心を奪われているうちは、目の前の現実を受け入れることはできない。

 他者、環境、あるいは現実を「受け入れる」と、ある豊かさが眼前に広がる。それは感謝、好奇心、学びの意欲、あるいは、愛情。一時、事が思い通り運ばなくても、焦らず腐らず、時々の状況を楽しむ心の余裕。そして、気付くと、他者や環境に、自分自身が受け入れられている、という現象だ。そうなって初めて、今までどうにも思い通りにならなかったその対象と、新しい方向に向けて、ともに動き出している自分を認めることだろう。

 自我の強過ぎる自分に「受け入れる」ことの意味を教えてくれた、バングラデシュでの時間に感謝しつつ、この国で2度目の8月が過ぎていく。
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/08/31 14:20

バングラデシュが教えてくれた大切なコト⑤

ハウルで水浴び

      実際に飛び込んでみないと分からないことって、あるよね! 
                  ~キショルゴンジ県、ハウル地区を覆う増水した河川にて~


 思い切って飛び込んだその先は、思いがけず心地の良い流れに満ちていて、

    元居た場所からは想像も出来ないくらいの、深みと温かみのある空間で、

      そして何より、行動を思いとどまらせ、思考を狭めていたその壁が、実はそんなに高いものではなかったんだ、と言う気付きを自分に与えてくれたんだ。



 組織の壁、業界の壁、官民の壁、国境の壁、年齢の壁…僕らは見えないけれど、高い壁に囲まれている。それらは殆ど所与のようだ。
 
 でも、実は、自分自身が身に付けてきた思考や行動様式が、煙幕のように視界を取り囲んでいるだけではないだろうか?

 本物の壁か? それともバーチャルなのか?

 確かめる術は自分の元にある。そう、ちょっとした勇気と好奇心をもって、壁の向こう側に飛び込んでみればいい。答えは自ずから見える。
            
バングラデシュが教えてくれた大切なコト | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2012/07/17 03:19
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