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「バングラデシュ国づくり奮闘記 ~アジア“新・新興国”から日本へのメッセージ~上梓のお知らせ

ブログを読んで下さっていた皆さんへ 

 当ブログの内容などをもとに書き下ろした拙著『バングラデシュ国づくり奮闘記~アジア「新・新興国」から日本へのメッセージ」が、英治出版より上梓されることになりました。アマゾンでは既に予約が始まっていますが、書店に並ぶのは、来週金曜日10月25日の予定です。    

  バングラデシュ国づくり奮闘記(表紙)

 途上国開発の専門書でも世銀の組織や業務のありようを紹介する堅苦しいものでもありません。2011年から2013年夏までという、長いとは言えないけれど、彩り豊かで振幅の大きかった2年間を通じて、世界銀行の一職員として、一日本人として、あるいはそれを超えて、バングラデシュの全64県のうち34県を駆け回りながら遭遇した、様々な現場での忘れ得ぬ“固有名詞”との出会いや協働を通じて感じたことや学んだことを材料にしたメモワール(回顧録)です。

 日本では「貧困」、「災害」、「汚職」いったネガティブな枕詞とともに語られがちで、「大変な/かわいそうな国」というイメージばかりが先行するバングラデシュですが、実は、ダイナミックな経済成長と社会の変貌の最中にあり、その実態は「貧困国」というよりも「新・新新興国」と呼ぶのがふさわしい――こんな問題意識にたって、バングラデシュの「リ・ブランディング」を実現したい、という思いをもって綴った本でもあります。

 「バングラデシュ国づくり奮闘記」がスポット・ライトを当てるテーマは、教育、産業、エネルギー、社会保障、マイクロ・クレジット、市民による参加型行政、政治、そして災害復興など多岐にわたります。しかし、物語に登場する主人公たちは皆、「国づくり」という大目的に向けてそれぞれの壁を乗り越えていく中で、国づくりを前に進める上で不可欠な、共通の「力」を示してくれています。それは「革新する力(Innovatiuon)」、「協働する力(Collaboration)」、そして「力を引き出す力(Empowerment)」です。本書は、バングラデシュで出会った人々が僕の頭とハートに刻み込んだそんな力を、その背景にある印象的なストーリーと共に、バングラデシュから日本へと「輸出」したいという僕の思いが形になったものです。

 ご覧の通り、ちょっとビックリな表紙ですので(笑)、書店で見かけたら手にとって見てください。 
 
   
 秋の年次総会を終えたワシントンの世銀本部より
 池田洋一郎 
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バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(6) | トラックバック:(0) | 2013/10/16 12:48

バングラデシュが未来を切り拓くには何が必要だろうか? ~技術立国を目指して走り続ける若者たちの物語(その4)~

 気温の上昇とともに高まるボンゴボンドゥ国際会議場の熱気。スタートを切ったエコラン・カーが会場を3周して戻ってくると、すぐにレフリーが駆け寄り、車両に据え付けてある燃料用シリンダーのメモリを確認、ガソリンの使用量をチェックする。狭いコックピットから下りてヘルメットを脱いだドライバーの学生は、安堵と興奮が混じりあった笑顔を仲間に向けながらハイタッチを交わす。会場が歓声と拍手に包まれる。

   Ecorun 2013 8

 一方で、一旦スタートラインに並んだものの、走り出すことが出来ない車もある。学生たちは会場脇に車を移動させ、作業用具箱を広げ突貫工事に入る。エンジン・カバーをあけ、車輪と車軸の接続を確認するも問題点は見つからないようだ。

 「この前、うちのキャンパスで試したときは、ちゃんと動いたんだ…」

 焦りと失意が浮かぶ彼らの背中を、太陽が容赦なく照りつける。滲む汗、会場にこだまする金属音、そして無情に過ぎていく時間。真剣勝負のレースだからこそ、結果は冷徹だ。そこに妥協や抜け道、交渉の余地はない。動くものは動くし、動かないものは動かない。ものづくりの厳しい現実が、おそろいのポロシャツに身を包んだ学生たちの前に立ちはだかる。
 
  Eco-Run Bangladesh 2

 3月15日に開催されたエコラン全国大会に至る経緯、及びエコラン-バングラデシュの火付け役である青年海外協力隊員、大河原俊弥さんのエコランに懸ける想いについては、以下の記事を参照ください。
 「バングラデシュが未来を切り開くには何が必要だろうか~技術立国を目指す若者たちの物語(その1)~
 「バングラデシュが未来を切り開くには何が必要だろうか~技術立国を目指す若者たちの物語(その2)~
 「バングラデシュが未来を切り開くには何が必要だろうか~技術立国を目指す若者たちの物語(その3)~
  
 結局「第一回バングラデシュ・エコラン全国大会」という晴れ舞台で、見事完走することが出来たのは、エントリーした15台のうち10台だった。そして、小休止をはさんでいよいよレースの結果が発表される。JICAバングラデシュの戸田事務所長と、Ghulam Muhammed Quader商業大臣がステージに上がると、これまで会場を支配していた歓声が静寂と緊張に取って代わられた。参加チームそれぞれに参加賞が授与され、いよいよ3輪・4輪それぞれの部門における最優秀賞の発表だ。 
  
  「第一位、BUET!! (バングラデシュ工科大学)」
 
 会場の一角から沸きあがった雄叫びが、大臣の声をかき消した。そして「ブーエット!!ブーエット!!ブーエット!!!」という地鳴りのようなコールが続く。抱き合い、ハイタッチを交わしながら勝利の喜びをかみ締めるBUETのチーム・メンバー。 バングラデシュ最高峰の工科大学であるBUETは三輪部門、四輪部門ともに、優勝の栄光を手にした。

 続く第二位に輝いたのはCUET(チッタゴン工科大学)。そう、あのアルディーラさんのチームだ。 おそろいのライト・ブルーのポロシャツと弾ける笑顔、そして雲ひとつない空に突き上げられたVサインが、まっすぐな陽光の下でキラキラ輝いている。 人生に深く刻み込まれるであろうアツい青春の一ページを、今この瞬間、全身で謳歌している若い学生たちを、春風にそよぐバングラデシュと日本の国旗が温かく見守っている。「勝利の喜びを、敗北の悔しさを、さらなる挑戦への動力とするんだ。君たち一人ひとりが「技術立国バングラデシュ」という未来の担い手なんだ!」そんなメッセージを投げかけながら。 
 
  ECORUN-DHAKA3 
   ~ 三輪部門で2位、四輪部門で3位に輝いたCUET(チッタゴン工科大学)の学生たち。前から二列目、左から2番目の小柄な女学生がアルディーラさんだ~

 初の全国大会実現に至る3年という長い月日を通じて、若者たちを焚き付け、叱咤激励し、そして二人三脚で走り続けてきたエコラン・バングラデシュの原動力、大河原俊弥さんは、大会を振り返ってこんな風に語ってくれた。

 「エコラン全国大会を実現した今、バングラデシュの大学生たちに一番伝えたいこと・・・それはもちろん「どうだ、ものづくりって楽しいだろう?!」これに尽きます。」

 「頭で考えるだけではない、喧々諤々議論するだけでもない、思い描いたものを実際に具体的な形に落とし込む作業。これが本当に難しく、そして楽しい。失敗を重ねながら少しでも完成度を高めていくそのプロセスを、これからも大いに楽しんでもらいたい。来年以降もエコラン全国大会を続けていくことで、負けた悔しさ、勝った喜びを次に活かす機会が生まれるし、また、先輩と後輩同士の共同作業を通じた新たな絆も生まれるはずです。」

  Eco-Run Bangladesh 4

 「初のエコラン全国大会に敢えて点数をつけるとしたら・・・そうですね、60点というところでしょうか。いえ、別に厳しすぎる訳ではないと思いますよ。実際にエントリーした15車両のうち、しっかり完走できたのは3分の2でしたしね。それに、今回はJICAとバングラデシュの共同開催ということで、大会に必要な資金もJICA側から出ています。来年以降、バングラデシュ側の単独開催、そしてJICAの協賛という形にして、よりいっそう、バングラデシュの工科大学とそこで学ぶ学生たちが、資金面でも運営面でも独立していかなければならない。」

 大河原さんの視線は常に前にあり、その行動は常に現場にある。そんな大河原さんと語りながら、僕の脳裏に昔聞いたひとつのエピソードが蘇った。

 1950年代前半。未だバングラデシュが東パキスタンだった時代に、4人の日本人農業技術者がベンガルの土地にいた。当時のメディアや政府の高官は「ズボンのすそを膝までまくり上げ、はだしで泥田に入り込み、農家とともに田植えに勤しむ日本人技術者」の姿に驚嘆としたという。何しろ、 当時の東パキスタンの農業普及員と言えば、日傘を差しながら、田んぼの畦に立って、農家に「ああしろ、こうしろ」と指示を出すのが当たり前の姿だったのだから。

 それから半世紀以上を経た現在、バングラデシュの農村を訪問した日本人は、日本の農村を髣髴とさせる整然と列を成す水稲に出会うだろう。そして40年前の独立時と比較して2倍以上に増加した1億5千万人という巨大な人口にもかかわらず、ほぼ100%の自給率を達成したバングラデシュの米の生産力の高さに印象付けられるだろう。こうした持続的で確かな開発成果の影には、暑い太陽と容赦無い風雨の中で日々汗をかく現場の農家と徹底的に向き合い、彼らの声に耳を傾け、ともに試行錯誤を続け、そして必要な改善を自らの行動で示してきた日本人農業技術者の姿があるのだ。 
 
  そして今、バングラデシュは2020年までの中所得国入りを目指して第二次産業の基盤強化に官民を上げて取り組んでいる。そして、既に世界第2の輸出量を誇る既製服(Ready Made Garment)に加え、このブログでも紹介した強力な製薬産業、あるいは食品加工業、そして"Our Product"のキャッチ・コピーで知られ、Made in Bangladeshの冷房、冷蔵庫、そしてバイクまでをも生産するWalton等の製造業など、バングラデシュの極めて多彩で裾野の広い地場産業の存在を知れば、その目標が、決して非現実的なものではないことに気付くだろう。もちろん、課題も多い。たとえば、上述の産業が真に競争力を持つには、縫製業であればミシン、製造業であれば金型、製薬業であればAPI(Active Pharmaceutical Ingredients:医薬品有効成分)、バイクであればエンジンといった、付加価値の源泉となるインプットや装置を、輸入ではなくバングラデシュ人の手でつくれるようにならなければならない。

   Eco-Run Bangladesh 1
 ~エコラン全国大会の会場で見かけたWaltonのたて看板。レースに参加する学生チームにエンジンを無償提供するなど、Waltonはエコランの実現に大いに貢献した。なお、来年開催予定の第2回エコラン全国大会はHONDAとバングラデシュの共催で実施することも検討中だ~

 しかし、バングラデシュには、こうした大きな課題を乗り越えていく上で必要な資産がある。それは国全体の平均年齢が24歳という数字が示す大きな若い力だ。エコランに参加したような若者たちが、ものづくりの魅力を知り、その背景にある規律あるグループ・ワークや失敗から学ぶ創意工夫の大切さを全身で学んでいけば、この国は、その可能性を大きく開花できる。そして、日本人は、バングラデシュ人が自らの力で飛翔する上で大きな力となるパートナーとなれるのだ。バングラデシュの大学生とともに汗をかく大河原さんや、60年前にベンガルの大地で農家とともにあった日本人農業技術者たちが、その背中と行動で示したように。

  Eco-Run Bangladesh 3
~若い歓声が響くエコラン・バングラデシュの会場にはためく両国の国旗。大いなる感動と学びの機会を創ってくれた大河原俊弥さん、そしてバングラデシュの大学生の皆さん、本当にありがとう!~
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/03/26 18:52

バングラデシュが未来を切り拓くには何が必要だろうか? ~技術立国を目指して走り続ける若者たちの物語(その3)~

 先の見えない政情不安という暗雲が垂れ込めているバングラデシュに、久しぶりに光が差した。それは、真夏の太陽のように、真っ直ぐで、力強く、そして前向きな光だ。

 2013年3月15日。ひょっとしたら将来、バングラデシュの産業史に刻まれる記念日となるかもしれないこの日の空は、突き抜けるように青く、雲ひとつなかった。リキシャに揺られながら朝の街を駆ければ、からりとした風が清々しく体を撫でる。そしてぐんぐんと上がる気温。この日ダッカの最高気温は34度を記録した。そんな「春」真っ盛りの日に(バングラデシュの夏はもっと暑く、そして耐え難い湿気に支配される)「エコラン・バングラデシュ全国大会」がダッカの「ボンゴ・ボンドゥ国際会議場」の広々とした駐車場で開催されたのだ。

 エコランとは、「最も燃費の良い車両をつくる」ことを目標に、バングラデシュ各地の工業大学の学生たちがチームを作って車両を作成、ガソリン1リットルで何キロ走れるかを競い合う大会だ。

     Eco-Run 2013-1

 
   エコラン全国大会に至る経緯、及びエコラン-バングラデシュの火付け役である青年海外協力隊員、大河原俊弥さんのエコランに懸ける想いについては、以下の記事を参照ください。
 「バングラデシュが未来を切り開くには何が必要だろうか~技術立国を目指す若者たちの物語(その1)~」 
 「バングラデシュが未来を切り開くには何が必要だろうか~技術立国を目指す若者たちの物語(その2)~



 会場となった「ボンゴ・ボンドゥ(バングラデシュ初代大統領ムジウル・ラーマンの愛称)国際会議場」は、その名のとおり、国賓クラスを招いての国際会議を実施するために作られたバングラデシュの中でもっとも立派で規模の大きな施設。午前9:30の開会を前に会場に入ると、そこは既に大勢の人々で熱気で満ちている。そして、初のエコラン全国大会の実施を告げる巨大なバナーや協賛企業のたて看板が所狭しと並べられている。

 大会の方針は、バングラデシュの主要工業大学の教授陣、JICAスタッフ、そして協賛企業の役員で構成される運営委員会で決定、フルタイムのイベント・マネージャーとして雇われたバングラデシュ工科技術大学卒の優秀な若者が、大会実施に向けた具体的な段取りや運営を担ったという。会場で配布された立派な冊子をめくれば、招かれたゲストとして、JICAのバングラデシュ事務所長、日本大使館の参事官、そしてバングラデシュ政府の商業大臣、教育省事務次官など、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。 
   
 「晴れ舞台」というにふさわしいこの場に、主役として参加するのは、バングラデシュ工科技術大学(BUET: Bangladesh University of Enginnering and Technology)チッタゴン技術工科大学(CUET)ラッシャヒ工科技術大学(RUET)イスラム技術大学(IUT)、ボリシャル職業訓練大学(BTSC)、そして軍の科学技術研究校(MIST: Military Institute of Science and Technology)の6校の若者たちが、チームを組んで作り上げた5台の四輪車両、10台の三輪車両だった。
 
 ふと、長い黒髪を掻きあげてヘルメットをかぶり、その華奢な体を四輪のエコラン・カーに滑り込ませた女子学生の姿に目が留まった。確かに見覚えがある。そう、昨年3月にダッカ郊外にあるイスラム工科大学のキャンパスで開催された試行ランを兼ねた予備選(Eco-run Demonstrative Trial Contest)で僕は彼女を見かけたのだった。
  
         Eco-Run 2013-4

   あのとき、チッタゴン技術工科大学の女学生である彼女のチームが作り上げたエコラン・カーは、エンジン・トラブルで走り出すことが出来なかった。調整は数時間に渡り、もうイベントも解散か・・・と思われたその時、唸り声のようなエンジン音とともに急発進したその車のハンドルを必死でさばき、イスラム工科大学キャンパスを一周したのが彼女だったのだ。走り終えた後の彼女の表情、そして、歓声を上げながら急発進した車を追いかけていったチーム・メンバーの躍動感に満ちた背中に、鳥肌が立つような感動を覚えたのが、昨日のようだ。

 そして、あれから1年という月日が流れたのだ。
 
 如何にしてエンジンの動力を無駄なく車軸に伝えることができるか?風の抵抗が少なく、軽い車体をどうデザインし、それをどのように具体的な形に落とし込むか?カーブを曲がりきることの出来る安定感をどうやって保つか?部品や道具はバングラデシュのローカル・マーケットで手に入るのか?そして、全体の予算を10万タカ(約10万円)の上限に押さえ込み、且つ、試行ランも含めて期限内にしっかり完成品を作り出せるのか?

 学生たちは、数々の難問・難関を、頭を働かせるだけでなく、工房の中で手を動かし、車体の下にもぐりこみ、ローカル・マーケットに足しげく通いながら、突破してきたのだ。、そんな努力と試行錯誤の結晶が、今、ダッカの春の陽光の下で輝いている。いよいよ、レースがスタートだ。

   Eco-Run 2013-3

 審判員が1リットルのガソリンを、エコラン・カーにすえつけられたシリンダーに注ぎこむ。レースは、ボンゴ・ボンドゥ国際会議場の駐車場を3周し戻ってきた車のガソリン消費量を競い合う。もちろん、最も消費量が少ない「エコな」車が勝者だ。

    Eco-Run 2013-2     

 拍手に包まれながら次々とスタートを切るエコラン・カー。昨年の試行ランの際は、なかなか動き出さないと思ったら急発進をする車や、カーブを曲がり切れずリタイアしてしまう車が目立ったが、一年を経た今日、スムーズにスタートを切る車の数が圧倒的に多く、金属音が触れ合うノイズやエンジンを吹かす音も少ないのには印象付けられる。そして、進化を遂げたエコラン・カーが広々とした国際会議場の敷地を回る姿を、静かに見つめる人物がいる。この巨大なムーブメントを牽引してきた大河原俊弥さんだ。
 
 3年前、バングラデシュ南部の地方都市ボリシャルで、勤務先だったボリシャル職業訓練大学の学生たちに、日本では歴史あるエコラン・イベントの興奮と可能性、そして、その先にある夢を語り、彼らの情熱に火を灯したのが出発点だった。その後、2010年12月にボリシャル空港の滑走路で開かれた初のエコランに参加できたのは、職業訓練校の学生がつくる2チームのみ、そして実際に走ることが出来たのは一台のみだったことは、以前の記事で触れた。そして、その後も、大河原さんの全力疾走は続いた。バングラデシュ全土を、船で、ローカル・バスで、そしてその両足で駆けずり回り、エコランにかける思いとビジョンを語り続けてきた大河原さん。そんな彼の背中にひきつけられ、共に走り出す学生たち、そして本気になって応援しようという教授陣の数は増え続け、ついにJICAやバングラデシュ政府も本格的に支援をするに至ったのだ。

    Eco-Run 5
 
 そして、今日、大勢の観衆の声援がこだまするボンゴ・ボンドゥ国際会議場で、純白の作業服に身を包み、白い帽子を深々とかぶってエコラン・カーが次々と目の前を駆け抜けていく様子を見守っている大河原さんは、今、何を感じてるのだろうか?その視線や姿勢、そしてアクションから学生たちに何を伝えたいのだろうか?まぁ、レースが架橋に入っている今は、感慨に浸っている暇もないだろう。
 
 ひときわ大きくなる歓声に我に返ると、ゴールに入ってくるライト・ブルーの車体が目に入った。車体とお揃いのライト・ブルーのTシャツの学生たちが歓喜の声をあげながら、今スムーズなゴール・インを遂げた車の周りに集まってくる。コックピットから立ち上がり、ヘルメットをはずしたのは、チッタゴン工科大学の彼女だった。思わず、彼女の元へと駆け寄っていく自分がいた。


 
 「おめでとう!すばらしい走りだったね!!昨年のイスラム工科大学でのイベントにも出ていたよね?」
 「ありがとうございます!!今回はちゃんと走れてよかったぁー。本当によかった。」
 「もしよかったら、少し話を聞かせてもらいたいのだけれど・・・なぜ、エコランに参加しようと思ったのかな?」

 突然の僕からの質問に、彼女は、息を弾ませながらこう答えてくれた。

 「コンセプトにすごく興味があったんです。車の速度を競い合うのではなく、燃費の良い車を作るって言うコンセプト。今のバングラデシュにとってすごく大事だと思ったんです。今、チッタゴンは大気汚染が深刻です。それに燃料も足りない。ガスの値段はどんどん高くなっていますよね。」
 「なるほど、確かにそうだね。ところで、エコランに参加している女子の数って少ないよね?男子ばかりのレースに参加するのは、抵抗はなかったの?」
 「逆ですよ。女子が少ないから参加したんです。私が参加するといったら、加わってくれた女友達もいましたし。来年からは後輩の女子ももっと参加すると思いますよ。」
 「ごめん、順番が逆になってしまったのだけれど、名前と学年を教えてもらえる?」
 「アルディーラ、チッタゴン工科大学の3年生です。」
 「3年生なんだ。もうすぐ就職活動も始まるんじゃない?将来はどうしたいの?」
 「そうですね、バングラデシュの国内の企業に就職して、もっと色々なものづくりに挑戦したいです。


 まぶしい笑顔を残して、彼女は仲間の元に駆け戻っていった。相変わらずゴール付近で淡々と記録をとる大河原さんの姿がある。彼の思いは、ものづくりの楽しさを知り、試行錯誤とグループワークの大切さを学んだ、アルディーラのような「技術立国バングラデシュ」の担い手に、確かに届いているようだ(つづく)。


バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2013/03/19 19:51

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告⑤ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(4)~

 マトワイルで目にした風景の衝撃と、ワゴン車に入り込んだ大量のハエを伴いながら、Crossoverのメンバーは、「ダッカ市廃棄物管理能力強化プロジェクト」のプロジェクト・チーム・メンバーが待つ、ダッカ市役所へと向かった。折からのにわか雨で、凸凹だらけのダッカの路上のあちこちに、巨大な水溜りが出来上がっている。泥しぶきを上げながら緩々と進む車に揺られること1時間少々、一向を乗せたワゴン車は、石造りの立派な市庁舎の前にたどり着いた。
       DCC Waste Management Division
~ ダッカ廃棄物管理局のたて看板。組織改変を経て、今はWaste Manegement Departmentへとアップグレードされている~

 エレベータを使って13階にあるWaste Management Departmentへと上がる。時刻は3時を少し回ったところだ。冷房の効いた立派なミーティングルームへと通してもらうと、そこには、引率してくれている協力隊の仲間が、親切にも用意してくれていたランチ・ボックスが待っていた!

 皆、腹がへっている。早速ふたを開けてみると上手そうなチキン・ビリヤーニ!(チャーハンに似たインド・バングラデシュの定番料理の一つ)。早速頂こうと思うが、スプーンが無い…

 周囲のスタッフに尋ねるが、無いものは無い。という訳で、皆、ベンガル人の食事作法を真似て、左手は膝元に置き、右手だけを使って、ビリヤーニを食べにかかる。しかし、ボロボロと手のひらからこぼれ出て苦戦するメンバー多数。これもスタディの一環だ。


 さて、今回僕らが焦点を当てているプロジェクトは、ダッカ市内で発生する家庭ごみの収集・運搬・廃棄を担当するダッカ市廃棄物管理局のオペレーション能力や組織力、そして“住民巻き込み力”を強化するために、日本が知恵を貸す技術協力プロジェクトであることは既に述べた。その上で強調したいのは、本プロジェクトは、ダッカ市とダッカ市民の手による「クリーン・ダッカ」の持続的実現という大目標に向けた複数のプロジェクトの、主要だが、一つのプロジェクトに過ぎない、ということだ。全体像は、JICAのプロジェクト担当者がまとめた記事にある、下記のフローチャートに上手くまとめられている。
  clean dhaka japan oda
 まず、プロジェクトを実施前の「下調べ」を2000年から実施している。その上で、2003年から2006年までの第一段階の技術協力プロジェクトとして、ダッカ市が担うクリーン・ダッカに向けたマスター・プラン策定を支援しているのだ。今回のトリップで、Crossoverのメンバーが目にし、このブログで紹介してきた幾つかのプロジェクトは、上記マスター・プランをダッカ市が実行に移すための第二段階の支援に当たる訳だ。

 具体的には、ハード(モノやカネ)の提供となる
 ① 新しいゴミ収集車100台の無償提供(約12億円)
 ② マトワイル最終処分場のアップグレード(過去の円借款の棒引き分約1,600億円の一部をダッカ市が活用)
 ③ マトワイル最終処分場で医療廃棄物処理を担うNPO"Prism Bangladesh"への資金提供(草の根無償資金:約1,900万円)
 
そして、提供したハードを上手く使いこなすために必要な、知恵や知識、そして心構えを共有するための、
 ④ 市役所の組織力やオペレーションの強化、及び住民参加の促進に向けた技術協力(期間:2007年~2013年、4.5億円)
 ⑤ 青年海外協力隊の派遣を通じた現場の支援及び環境教育の実施(Priceless!!
といった形で、ゴミ処理行政の改善という多様な側面を持つ課題に対して、ハードとソフトを組み合せ重層的にアプローチしているのだ。また、上記5つのプロジェクトが、ダッカ市が策定したマスター・プランの実施の支援との位置付けられている点にも注目したい。なぜなら、これにより、プロジェクトを通じて提供されるモノ、人、カネの全てが、日本側からの一方的な「プレゼント」ではなく、ベンガル人や市役所が、自らの課題と取り組むために必要となるインプットとして位置付けられていることが内外に示されるからだ。

    DCC Waste Management Division-II
  ~ ダッカ市の地図を示しながら、プロジェクトの全体像を説明してくれる青年海外協力隊員のRyoくん~


 本プロジェクトを市役所の廃棄物処理局でリードするショリフさんのテンポの良いプレゼンテーションで、意見交換が始まった。それにしても、ショリフさんのプレゼンはスゴイ。これまで世銀の仕事やプライベートを通じて、ベンガル人のプレゼンテーションをたびたび聞いてきたが、往々にして、テキストでびっしり埋め尽くされたパワーポイントを使って、「言葉の定義」や「背景」の説明に延々と時間を費やし、メッセージや結論がチットモ伝わらない、というものが多かったところ、彼のプレゼンテーションは、コンパクトでディープ・インパクト。英語の表現や発音も極めて的確。おかげで通訳をするにも苦労が少ない。今日一日目にしてきた様々な現場のシーンが、彼が示す全体のフレームワークの中で、整理されていくのを感じる。

  Dhaka Waste Management Divison III
 ~談笑するプロジェクト・チームとクロスオーバーのメンバー。左から二番目、白のワイシャツにメガネをかけた男性が、リーダーのショリフさんだ。~

 概要説明に続くディスカッションで焦点のひとつとなったのが、プロジェクトの効果の持続可能性だ。技術協力プロジェクトは2013年までとされているところ、日本の専門家や協力隊が去った後、果たして、ベンガル人だけの手で、効率的で環境・安全にも配慮した、家庭ごみの収集・運搬・廃棄が継続的に実現されるのだろうか?10年以上にわたり、決して少なくない血税と人員が投入されてきたことを考えれば、是非ともベンガル人の口から、考えを聞きたいところだ。

 ショリフさんは、一息ついて、クリアに語り始めた。

 「成果の持続は、プロジェクトの成功を評価する上での最重要項目と考えます。この点、現場を担うクリーナーや清掃管理官向けのマニュアル作成やワークショップの継続的な実施などに取り組んでいますが、未だ道半ばにあるというのが、正直なところです。現時点でも、ベンガル人だけの手でやることはやれるのでしょうが、やはり、効率性や質等の面で、改善の余地が大いにある。成功を手にする上で重要な前提条件は3つあると考えます。
 第一に、廃棄物局の全てのポジションに人が配置されること。現在は、職員がついていない空席ポストも多いのです。
 第二に、中央省庁や民間セクター、そしてNGO等との連携を強化すること。
 第三に、配分される予算を、プロジェクトの個別項目間の相乗効果を意識しながら活用することです。幸い、廃棄物局向けの予算自体は伸びていますので。」

 ショリフさんの回答は続く。
 「現時点では、この国で、家庭ゴミの収集・運搬・廃棄のシステムがあるのは、ダッカ市だけなのです。各家庭が庭先などで適当にゴミを処分しているのが地方の現状ですが、人口や所得の増加等を背景に、多くの町で、今後ゴミ処理システムの導入が必要となる、との認識が高まっています。しかし、現状を分析し、解決策を考え、それを市民も巻き込んで実行に移していくための、ノウハウを持っている人がいない。これは、大きな機会です。というのも、日本の支援の下でノウハウを学んだ我々ダッカ市の職員が、作成したマニュアルなどを活用して、全国で指導をしていくことができるのですから。」

 日本の技術協力や協力隊の派遣を通じて、移転された知識・知恵・そして心構えが、ベンガル人自らの手で、国中に広がっていくとすれば、これまでの投資は確かに成功だと、言えるのではないだろうか。自分たちが抱える問題を正面から認め、改善のための方策を明確に説明でき、さらに課題を機会と捉えて野心的なゴールを設定するショリフさんの切れ味鋭い前向きさは、とても心強い。

 ちなみに、JICAが作成・公表している本技術協力の「事業事前評価表」の成果管理フレームワークには、プロジェクトの成功とそれを計るための指標が、以下のように定義されている。


協力終了時の達成目標(プロジェクト目標)と指標・目標値
[目標]ダッカ市の廃棄物管理サービスが向上する。
[指標]1) 廃棄物収集量が1日あたり1400トンからプロジェクト終了時までに2053トンに上がる。
協力終了後に達成が期待される目標(上位目標)と指標・目標値
[目標]ダッカ市の廃棄物管理サービスが持続的に実施され、同市の衛生環境が改善する。
[指標]1) 廃棄物収集量が1日あたり1400トンから2015年以内に3054トンに上がる。

   
 プロジェクトが終了し、日本の支援がなくなった後もなお、継続的に、ゴミの収集量が向上していくことがプロジェクトの成功である旨が、測定可能な定量的指標とともに明記されていることが分かる。
 
 もちろん、2015年の段階で、上記指標が満たされたからといって、スタッフの能力が向上したと捉えるのは早計だ。廃棄される家庭ごみの量自体が増えただけかもしれないし、ゴミ収集車などのハードが充実したからかもしれない。一般に、組織力や人材の強化等、目に見えない価値の実現を目的とする技術協力の成果が、果たして実際に出ているかのかをチェックするための指標設定は、悩ましい課題だ。例えば、上で紹介した「事前評価表」には、「ダッカ市廃棄物管理局のマネジメント能力が強化される」という目標の達成状況を計測するための指標として、
 - 「プロジェクトによって開催された会議、セミナー、ワークショップの回数」、
 - 「プロジェクトによって作成、ウェブサイトに掲示されたニューズレターの本数」
といった、言わばアウトプットの指標が挙げられている。しかし、ワークショップや会議の開催回数は、「参加者の能力の向上」という成果が出ていることを説得力を持って裏付ける指標と言えるだろうか。例えば、参加者の出席率が低ければ、研修を何回開催しても、能力の向上にはつながらないだろう。

 そこで、もう一歩踏み込んで、たとえば、ショリフさんの指摘にあるような、「研修を受けた職員のうち、プロジェクト終了時に、将来の講師役として研修を実施できるようになった職員の数」といったアウトカム指標を盛り込むのも一案かもしれない。

 時間を大幅に延長したディスカッション。その締めとなったのは、今まで寡黙に議論を見守っていたプロジェクト・チームの一人であるパラブさんの印象的なメッセージだった。

 「何故、ベンガル人は家の中は綺麗にするのに、一歩敷居をまたいで外に出ると、平気でゴミを捨てるのか。自分の車の中には決してゴミを捨てることのないベンガル人紳士が、市バスに乗った瞬間に、座席の下にゴミをおいて帰るのは、一体何故なのか?それは、公の空間へのオーナーシップが足りないからです。「ダッカは、自分の街なのだ」、という感覚を一人ひとりが持てば、家の中同様、ゴミを捨てて去ったりはしないはずでしょう。ゴミの問題だけではない。この国は、あるいはこの星が、自分たちのものなのだ、というオーナーシップを持つことで、社会の問題は解決していくはずです。困難だが、希望はある。それは教育です。私が子供のころは、学校でゴミや環境の問題を教わることはまず無かった。しかし、今では、協力隊をはじめとする日本の支援の力もあり、ダッカの多くの学校で環境教育が行われています。子供が変われば、大人の行動が変わり、そして、社会も変わる。そして変化は確実に起こっているのです。


 パラブさんの話を聞きながら思い出した。「共有地の悲劇~Tragedy of Commons~」という有名なフレーズを。共有地とは、皆が使っている、アクセス・フリーの場所。例えば、公園や市街地などがそれに当たるだろう。もともと、共有地である牧草地において、複数の牧畜農家が自分のことだけを考えて、牛の数をドンドンと増やす結果、共有財産である牧草地の草が枯れ果ててしまう、という悲劇が起こることを例に、全ての利用者(潜在的な利用者も含む)が共有地から、持続的に価値を享受できるような、ルールや取り決めを作る事の重要性を説いたものだ。

 「共有地の悲劇」をダッカ市のゴミ問題に当てはめて考えると、どうだろう。誰でもアクセスできる、ダッカという共有地。そこで、増え続ける人。そして「誰もがやっているし」、「自分ひとりなら良いだろう」という発想で、路上に投げ捨てられ、放置されるゴミ。経済活動が活発化する中、こうした発想が齎す悲劇のスケールは大きくなる。そして、共有地から生まれる利益は享受するが、そのコストは負担しないという行動が続く先に待っている、巨大な悲劇の主人公となるのは、ほかならぬダッカ市民だ。

 他方で、慣れ親しんだ日常習慣や価値観の変容は難しい。政府による規制も、根っこの価値観や習慣に変化がなければ、効果は薄い。今回のスタディ・トリップで、Crossoverのメンバーは、その難しさを何度も目にし、耳にした。だからこそ、ステークホルダーを巻き込んだ継続的な対話とルール作りが不可欠なのだろう。

 その際、おそらく効果的なのが、「変化」を見せることではないか。ゴミの問題は、あるとき突然発生する危機というよりも、生活習慣病のように、徐々に人々の生活を蝕むものであるがゆえに、問題の深刻さに人々は気付きにくい。

 例えば、未だ人口が少なく、ゴミ問題が深刻でなかった頃のダッカ市内の写真、日本が支援に乗り出す前、2000年の頃の町や処分場の様子、そして現在の様子を、出来る限り具体的に、ステークホルダーと共有すること、あるいは、それぞれの口から語ってもらうことが、人々の意識を敏感にする上で効果的かもしれない。また、そうした取組みを支援する日本の納税者にその意義や効果を説明する際にも、こうしたPast-Present-Futureの比較を分かりやすく示す写真やエピソードは欠かせないだろう。 
 


 「ゴミ」という身近なテーマを追いかける中で見えてきたバングラデシュ社会の現状や課題、そして可能性、それらと正面から向き合うベンガル人との印象的な出会い、あるいは、日本のODAのあり方への示唆…、僕も含め、Crossover Study Tripのメンバーに多くの気付きと学びを与えてくれた一日だった。「クリーン・ダッカ」に向けてこれからも挑戦を続ける、ショヒブさんやパラブさんをはじめとするプロジェクト・チームのメンバー、そして、現場で汗をかく清掃管理官やクリーナーの皆さんに、心からのエールを送りたい。そして、多忙な中、超濃密な学びの機会を創ってくれた、青年海外協力隊のRyo君、Okuちゃん、Kogaさん、本当にありがとう!!

 それにしても、これ、まだ初日だって、信じられますか?この後、直接ダッカの港に移動して、夜行船に乗っかって村へと向かうって!?信じられます?

 という訳で、まだまだ続くよ、Crossoverのバングラデシュ・スタディ・トリップ。
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/25 10:15

Crossover21 バングラデシュ・スタディ・トリップ 報告④ ~この街のゴミは誰の手で、どこに向かうのだろうか?(3)~

 我が家を含む、ダッカ市内の各家庭でゴミ箱に捨てられたゴミたちは、旅をする。

 まず、民間事業者であるPrimary Collection Service Providerにより地区ごとにリヤカーのようなもので回収され、ダッカ市役所が市内のあちこちに設置している鉄製のゴミ収集用コンテナに集められる(正確には、コンテナの周囲にぶちまけられる…)。また、路上をはじめとする市内のパブリック・スペースに捨てられたゴミや溝に溜まったヘドロ等については、クリーナーがかき集め、コンテナまで運ぶ手はずとなっているのは、前回までの記事で述べた。そして、市内各所からコンテナに集められたゴミがたどり着く、旅の終着駅が、ダッカ市の南東部にあるマトワイル最終ゴミ処分場だ。

 最終ゴミ処分場といっても、焼却施設等がある訳ではなく、ただただ、そこに積み上げられていく。一言で言えばゴミの山だ。かつては、オープン・スペースにひたすらゴミが積み上げられていくだけであったために、有毒ガスや汚水が周囲に流出し、深刻な環境汚染を引き起こすリスクが極めて高かったところ、現在では、それらを浄化するための煙突や浄水システムが導入され、環境に配慮したオペレーションが実施されている。また、処分場の入り口には、ゴミ収集車が通過する際に自動的に重量を計測し、ゴミ収集・運搬が日々正しく実施されているかを確認するためのシステムも導入された他、一仕事終えたゴミ収集車を洗浄する場も設けられている。このように「ただのゴミ山」を「より良いオペレーションと環境に配慮したゴミ山」へと変革するのに要した経費は、日本のODAから拠出されている。正確には、2005年に日本政府がバングラデシュ政府に対して実施した、過去に貸し付けた円借款の一部(約1,600億円)の棒引き(債務免除)部分から支出されている(つまり、バングラデシュ政府は、本来日本に返済しなければならなかった資金の一部を、マトワイルの最終処分場のアップ・グレードに活用したという訳)。

 さて、マトワイル最終処分場の入り口をくぐったCrossoverのメンバーが、最初に目を留めたのが、エメラルド・グリーンとピンクという可愛らしい色のゴミ収集車だ。車輌の横を良く見ると、日の丸とJICAのロゴが付けられている。従来のゴミ収集車が激しく老朽化し、効率的なごみ収集の妨げとなっていたことから、2009年に日本政府が、約12億円の無償資金協力(グラント)で100台のごみ収集車と、メンテナンスのための修理工場を提供したのだ。

  dhaka waste collection vheicle
 ~日本が無償資金で100台供与したごみ収集車。日々ダッカ市内を駆け回りゴミを集めては最終処分場まで運んでいる~ 

 処分場のアップ・グレードや新しいゴミ収集車の提供といった、目に見える(ハードの)支援が真に活きるには、それを使う人や組織の能力、という目に見えない部分(ソフト)が向上していかなければならない。我々Crossover Study Tripのメンバーが今フォーカスを当てている「ダッカ市廃棄物管理能力強化プロジェクト」は、ソフト面を2007年から2013年までの6年間かけて手当している日本の技術協力支援なのだ。

 具体的には、クリーン・ダッカを実現するための「ゴミの回収・運搬・廃棄」を、住民も巻き込みながら、より確実に、効率的に、そして環境面や安全面での負荷を出来るだけ減らしつつ持続的に実施するために必要な、ベンガル人自身のオペレーション力を高めてもらうべく、日本人専門家(コンサルタント)の派遣や各種セミナー実施などを実施。それらに係る資金として、総額4億5千万円が使われているという訳だ。

 話を、最終処分場に戻す。こちらが、マトワイル最終処分場の全体像を示した模型だ。

   matrile waste reclaiming land-1

 広さは約20ヘクタール(東京ドーム4個分に相当)。ゴミ山は、二つある。一つは写真手前。上の写真で紹介したゴミ収集車の背景にあるのが実際のゴミ山だ。計画的に積み上げられ、また、有毒ガスの浄化システムも設置された効果もあってか、表面は草で覆われており、臭いもしない。手前の山は、既にある程度まで積みあがったため、現在は、写真上方の灰色の部分に、新たなゴミが積み上げられている。

 そして僕らは、その新しいゴミ山と遭遇した。

 matwile waste landfill cite-2

間違ってゴミ収集車の中に入ってしまったら、きっとこんな臭いがするだろう。急いでマスクを取り出す仲間もいる。そんな臭いに惹かれてか、僕らの視界を圧倒的な量のハエが遮り、上空には、大量のカラスが舞う。その下を重機の巨大なアームがせわしなく動き、積み上げられたゴミと格闘している。そしてパワーショベルのすぐ後ろでゴミを拾い集める女性達の姿が目に映る

 女性達は、長旅を終えたゴミたちの中から、未だ使えるかもしれないものをピックアップして集め、市場で売るために、ゴミ山に入り込んでいるのだ。彼女らの頭の中に「危険」の二文字は無いのだろうか。巨大なパワーショベルは、小さな彼女らの存在を一顧だにすることなく、至近距離でその巨大なキャタピラとアームを動かしている。いつ巻き込まれ、押しつぶされてもおかしくない。自分の手が、じっとりとイヤな汗をかいているに気付く。

 突然の雷鳴とともに降り始めた雨と分厚い雲が、目の前の空間を、より一層暗く染めていく。天から降り注ぐ水は、ほどなく豪雨へと変わった。しかし、パワーショベルの腕は動き続け、女性達は、黙々とゴミを拾い続ける。

    matwile waste landfill cite 4

 ダッカ市内の各家庭から、長旅の末にこの場所にまでたどり着いたゴミたちの多くにとって、マトワイル処分場は、旅の終着駅ではなく、リサイクルという名の新しい旅に向けた始発駅でもある。巨大なゴミ山に小さな体をうずめながら働く女性達は、そんな旅のシフトをアレンジする役割を果たしながら、僅かながらの日々の糧を手にしているのだ。

 ダッカ市の担当職員も、彼女達がゴミのリサイクルに果たしている大きな役割と、晒されている危険に対する認識は強く持っている。NGO等と連携をしつつ、彼女らを組織化して、もう少し安全且つ効率的に、リサイクルの役割を担うための、パートナーシップを模索しているという。

 なお、マトワイルで目にしたのは、ウェイスト・ピッカーの女性達やカラスだけではない。ゴミ山から滲み出る危険な汚水を可能な限り浄化した上で、河川へと流していくための施設も、同じくせわしなく動いている。繰り返しになるが、これも、日本国民の血税が元手となって実現したものだ。

    matwile- waste landfill cite -5

 クリーナーによる路上清掃、彼らの居住区(コロニー)、現場の司令塔であるWard清掃事務所、そしてマトワイル最終処分処分所と、家庭ゴミがたどる道を追いかけてきたCrossoverのメンバー。学びの総決算として、ダッカ市の中央に位置する立派な市庁舎の中にある、Dhaka Waste Management Divisionに乗り込み、本プロジェクトの総指揮をするプロジェクト・マネージャーとの意見交換に向うべく、灰色の山を後にしたのだった(続く)。
バングラデシュ人と日本人の協働が織り成す物語 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/09/23 11:07
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