「バングラデシュ国づくり奮闘記 ~アジア“新・新興国”から日本へのメッセージ~上梓のお知らせ
当ブログの内容などをもとに書き下ろした拙著『バングラデシュ国づくり奮闘記~アジア「新・新興国」から日本へのメッセージ」が、英治出版より上梓されることになりました。アマゾンでは既に予約が始まっていますが、書店に並ぶのは、来週金曜日10月25日の予定です。

途上国開発の専門書でも世銀の組織や業務のありようを紹介する堅苦しいものでもありません。2011年から2013年夏までという、長いとは言えないけれど、彩り豊かで振幅の大きかった2年間を通じて、世界銀行の一職員として、一日本人として、あるいはそれを超えて、バングラデシュの全64県のうち34県を駆け回りながら遭遇した、様々な現場での忘れ得ぬ“固有名詞”との出会いや協働を通じて感じたことや学んだことを材料にしたメモワール(回顧録)です。
日本では「貧困」、「災害」、「汚職」いったネガティブな枕詞とともに語られがちで、「大変な/かわいそうな国」というイメージばかりが先行するバングラデシュですが、実は、ダイナミックな経済成長と社会の変貌の最中にあり、その実態は「貧困国」というよりも「新・新新興国」と呼ぶのがふさわしい――こんな問題意識にたって、バングラデシュの「リ・ブランディング」を実現したい、という思いをもって綴った本でもあります。
「バングラデシュ国づくり奮闘記」がスポット・ライトを当てるテーマは、教育、産業、エネルギー、社会保障、マイクロ・クレジット、市民による参加型行政、政治、そして災害復興など多岐にわたります。しかし、物語に登場する主人公たちは皆、「国づくり」という大目的に向けてそれぞれの壁を乗り越えていく中で、国づくりを前に進める上で不可欠な、共通の「力」を示してくれています。それは「革新する力(Innovatiuon)」、「協働する力(Collaboration)」、そして「力を引き出す力(Empowerment)」です。本書は、バングラデシュで出会った人々が僕の頭とハートに刻み込んだそんな力を、その背景にある印象的なストーリーと共に、バングラデシュから日本へと「輸出」したいという僕の思いが形になったものです。
ご覧の通り、ちょっとビックリな表紙ですので(笑)、書店で見かけたら手にとって見てください。
秋の年次総会を終えたワシントンの世銀本部より
池田洋一郎
ダッカからワシントンに向かう途中、東京で1週間ほど滞在する機会をとらえて、7月13日(土)13:00より、世界銀行東京事務所 Tokyo Development Learning Centerにて「バングラデシュ ”参加型”帰国報告会 ~可能性と挑戦に満ちた新・新興国の現場から~」を開催します。

2011年8月から約2年間、世界銀行の仕事、及び多くの友人の皆さんからも支援を頂いた個人的な活動を通じて、バングラデシュの全64県のうち34県、200以上の村々を駆け回り、農村やスラムで暮らす人々、現場第一線で活躍するNGOや政府職員、そして、国を動かす政府高官やビジネス・リーダーまで、バングラデシュ人の懐に飛び込み、ともに国づくりに参加していくなかで取り組んだこと、考えたこと、そして学んだことを、日本の皆さんと対話を通じて追体験していければと思っています。
会の詳細は下記をご覧頂き、お時間とご興味のある方は、Crossoverのウェブサイトの下記専用フォームに必要事項をご記入の上、参加申込みを頂ければと思います。
http://crossover21.net/event.html
一人でも多くの皆さんと、お会いできるのを楽しみにしております。
サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?(その3)~
安全な職場を実現するためのルールは既にある。しかし、ルールを執行するための「政府の組織力強化」が遅々として進まない中、過ちは繰り返され、多くの命が失われてきた。そして、民主主義と市場経済という現行のシステムでは、投票の結果や経済取引の条件に、個別の労働者の声は反映されにくい。では、悲劇的な人災の再発を防ぐにはどうしたらよいのだろうか?
~ダッカ市内の薄暗い雑居ビルの中の零細縫製工場で黙々と作業にいそしむ女性。~
バングラデシュでは「サバールの悲劇」を機に、こうした不都合な現状を打破するための「新たな社会契約」が、 (海外の)バイヤー、(バングラデシュの)サプライヤー、業界団体、労働者、ILO(国際労働機関)等の国際機関といったバングラデシュの縫製業にかかわる様々な利害関係者(ステークホルダー)間で立ち上がりつつある。
「Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh(バングラデシュの防火及び建物の安全に関する協定)」
安全な労働環境を民間のイニシアティブで着実に定着させるべく、Industriall、International Labor Rights Forumといった国際NGOが数年前に立ち上げたこのイニシアティブは、当初は見向きもされなかったものの、昨年11月に117名の犠牲者を出したTazreen Factoryの火災事故、そして4月24日の「サバールの悲劇」を契機にモメンタムが高まり、ヨーロッパを中心とするアパレル大手(バイヤー)が次々と参画している。以下、その特徴を5つに分けて紹介したい。
① バイヤーの費用負担による工場の安全確保に向けた長期的な取組み
協定に署名したバイヤーは、バングラデシュにおける取引先である縫製工場の、防火体制と建物の安全性向上を目的とする5年間のプログラムに参加する。
プログラムは、①独立した検査官による取引先縫製工場の安全性チェック、②必要な是正措置の勧告とその実施状況のモニタリング、③専門知識を持つコーディネーターによる工場従業員と管理職への火災訓練や安全意識向上のための研修の提供、の3つで成り立っており、協定に参加するバイヤーは、検査官やコーディネーターの雇用コスト等、プログラム実施に必要な資金として、年間最大で500,000ドル(約5千万円)を拠出することを約束する。
② 積極的な情報開示
バイヤーは、バングラデシュにおいて取引のある縫製工場の名前(下請け、孫受けを含む)を全て公表することを義務付けられる。
その上で、安全検査の結果と、それを踏まえて工場側が策定する改善計画も、検査終了後遅くとも半年以内に公表される。そして、検査官は、工場側が改善計画に即してタイムリーに改善措置をとらない場合、その名前を公表できる。これらは必要な改善が確実に実施されるよう、積極的な情報開示により生まれる世論の圧力を活用する仕掛けだ。そして、こうしたプロセスを経てもなお、改善計画が実行に移されない場合、バイヤーは工場に対して、取引の停止を通告することとなっている。
③ 工場側の負担に配慮した価格交渉の要請
上記検査や情報開示などを通いて、相当なプレッシャーが縫製工場側にかかることになる。しかし、バイヤー側が工場側に対して、職場環境の改善実施に向けたプレッシャーをかけながら、同時に、単価の引き下げを今まで通り要求していたのでは、余りにも一方的だ。この点、特質すべきは、本協定が、工場側が必要な安全対策を実施しつつ利益を出せる形で、単価などの交渉に当たるようバイヤー側に義務付けていることだ。
④ ステークホルダーの声が平等に反映される意思決定メカニズム
プログラム実施に当たっては、その具体的内容、予算・決算、検査官やコーディネーターの採用等について責任を持つ、運営委員会(Steering Committee)を立ち上げることとされており、運営委員会のメンバーは、工場の経営者側、労働者代表からそれぞれ3名、そして、ILO(国際労働機関)が指名する中立的な議長一名で構成される。プログラム実施にかかる意思決定が、労働者側、経営者側のいずれにも過度に偏らないようにするための工夫だろう。
⑤ 法的拘束力
参加する国外のバイヤーと、バングラデシュの工場側でプログラムの意思決定や実施に当たって見解の不一致があった場合、最終的に裁判所の裁定を仰ぐこととされている。つまり、これは単なる紳士協定ではなく、通常の商取引における契約同様、法的拘束力を持つ文書なのだ。
「サバールの悲劇」発生以降、「Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh(バングラデシュの防火及び建物の安全に関する協定)」に参加する海外のバイヤーは、ヨーロッパの大手アパレル・メーカー、小売店を中心に増え続け、現在、署名済みのバイヤーは24社を数える。具体的には、“Fast Fasion”のキャッチフレーズで知られる世界第二のアパレル・メーカーH&M(スウェーデン)、H&Mに告ぐ世界第3位の売り上げを誇るスペインのアパレル・メーカーで日本でもお馴染みのZARAを傘下に持つInditex 、米国に拠点を置く世界最大のシャツ・メーカーで、Tommy Hilfiger、Calvin Klein等の超有名ブランドとのライセンス契約を持つPVH(Phillips-Van Heusen Corp)など、そうそうたる顔ぶれだ。

~ オーストリア、ベルギー、ドイツ等で高いマーケットシェアを持つアパレル・メーカー、小売大手のPrimarkの店舗前で、バイヤーとしての「サバールの悲劇」の責任を問う消費者団体のメンバー。Primarkも上記「協定」に参加をした。~
一方、世界の小売最大手であるアメリカのウォールマート、そして米アパレル最大手のGAPは、自社独自の取組みを実施するとして、本協定に参加しない旨を発表。日本のユニクロもこれに続いた。この経営判断について、内外のメディアや市民社会の反応は総じて否定的だが、どう考えればよいのだろうか。
上記協定は、バイヤー側の費用負担のあり方などについて、今後細部をつめなければならず、具体化には若干の時間を要する。他方、自社独自の取り組みであれば、明日にでも開始可能であり、また実施内容も自社の判断で臨機応変に決定できる(上記協定よりももっと実効性の高い枠組みを作ることも可能な訳だ)。 また、協定は最低5年のコミットメントが求められているところ、今後5年間、バングラデシュの縫製工場を取引先として活用するという確実な方針がなければ、署名は難しいのかもしれない。
一方、もし、主要バイヤーが揃って協定に参加すれば、検査方法の標準化、重複検査の排除等を通じて、バイヤー側、工場側双方の負担軽減につながるほか、工場の安全確保に関する関係者共通の理解やスタンダードが作られやすい。また、上記協定の最大の梃子は、参画するステークホルダー同士で、約束事を確実に実施しようという「ピア・プレッシャー(仲間内からのプレッシャー)」が継続的にかかることだ。
協定への不参加を表明したウォールマート、GAP、ユニクロの経営判断が、より責任あるサプライ・チェーン・マネジメントにつながるか否かは、ピア・プレッシャーのかからないところで、自社独自の実効性ある安全プログラムを実施し、そのプロセスと結果を公表するインセンティブを、各社がどれだけ持続できるか、にかかっている。
そして、バングラデシュの女工さんたちが作った質のよい服を安く購入している我々先進国の消費者は、ステークホルダー間の「新しい社会契約」に基づくアプローチと、自社独自の個別のアプローチで課題と向き合う企業の双方の取組みについて、その帰趨をアンテナを高くしてウオッチしていくことが必要だろう(続く)。
サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?~(その2)

~史上最悪の産業事故となったダッカ郊外サバールで倒壊したRana Plazaビルの現場(写真出展:Demotix by Reham Asad)。
■ 4月24日に発生した事件の事実関係に関する詳細等については、下記記事をご覧下さい。
「サバールの悲劇 ~人災は何故繰り返されるのか?(その1)」
議論が百出し、混乱が深まる一方で、バングラデシュ政府、及び業界団体であるBangladesh Garment/Knitware Manufacturers and Exporters Association(BGMEA, BKMEA)は、矢継ぎ早に再発防止策を打ち出している。まず、労使と政府代表で構成される「最低賃金委員会(Minimum Wage Board)」が2010年に月収2,400タカから3,000タカ(約3,000円)に引き上げた最低賃金を上方修正する方向で議論を開始した。また、政府は、従業員100名以下の縫製工場については適用除外となっていた労働組合結成権や、火災予防や建物の安全確保に向けた雇用者側の義務の具体化を図る労働法(Bangladesh Labor Act 2006)の改正案を閣議決定、本法案は6月からスタートした今国会に提出される見込みだ。
(注)バングラデシュの現行労働法では、組合結成権や団体交渉権は全ての労働者に認められているものの、183条3項でこれを適用除外とする産業が個別に列挙されています。これには、従業員100名以下の縫製工場だけでなく、皮革産業、ジュート産業など、労働集約的なバングラデシュの基幹産業が多く含まれるほか、政府の判断で、組合結成を認めない産業をいつでも新規に追加できることになっています。
これに加え、南北ダッカ市及びその周辺地域の建築許可付与と建築基準(Building Code)の執行権限を持つRAJUK(Rajdhani Unnayan Katripakka:首都開発公社)は、バングラデシュ工科大学(BUET)、及び業界団体の協力を得ながら、5月末までに110の縫製工場に検査に入り、建物に欠陥の見られる18の工場に閉鎖を命じた(5月26日付 Financial Express)。この検査の一環として、業界団体は、加盟業者に対し、5月末日までに工場の設計図・構造図の提出を求め、未提出業者に対しては、輸出に当たっての原産地証明やミシン等の輸入に必要な証明書の発行停止に踏み切る構えだ(6月2日付 Financial Express)。さらに、6月1日には、関係中央省庁による全国2,500の縫製工場に対する直接の検査の皮切りとして、ジュート・縫製業担当大臣(Textiles and Jute Minister)自らダッカ市内のBanani地区、Gulshan-1地区にある4つの縫製工場を訪問、4社とも安全基準を満たしていないとして、是正勧告措置を発出した(6月2日付 Financial Express)。
なんといっても、縫製業はバングラデシュ経済の生命線だ。
対欧米を中心とする輸出額は目下年間約200億ドル(約2兆円)とバングラデシュの全輸出額の78%に達する。GDPへの寄与度は16%、首都ダッカや南東部の港湾都市チッタゴンを中心に展開する約5,500の工場において360万人の雇用を生み出しており、その8割は女性だ。縫製業は、ムスリムが多数を占める国にあって、女性の社会進出と経済的な独立を後押しする大いなる力にもなっている。たとえば、女性への進学率向上などの社会指標改善の背景にも、縫製業の躍進があるのだ。マッキンゼーは、2020年までに、バングラデシュの縫製業は600万人の直接雇用を生み、その売上げ規模は3倍に増加するとの試算を出している(出展: Mckinsey& Company「Bangladesh's ready-made garments landscape: The challenge of growth」)。2020年までの中所得国入りを目指すバングラデシュにとって、縫製業は国の将来の鍵を握る、かけがえのない産業なのだ。政府や業界団体が次々と対応策を打ち出すのは、こうした縫製業の重要性が背景にあるといえるだろう。

~バングラデシュの経済に占める縫製業の圧倒的プレゼンスを示すデータ集。一方で、2000年~2013年までの間に1,500人もの労働者が火災やビルの倒壊事故の犠牲となっている(出展:6月3日付け Daily Star紙)
にもかかわらず、バングラデシュ政府を中心とした一連の対策が、悲劇の再発を防ぐに十分で、且つ持続的なものなのか、問われると、疑問を持たざるを得ない。前回の記事で述べたとおり、バングラデシュには「法律」や「基準」は既にそれなり整っているところ、繰り返される悲劇の背景には、政府による建築基準や火災予防に関する規制の執行力の弱さがあり、それは一朝一夕に改善する性質のものではないからだ。
たとえば、首都圏の建築基準の遵守状況をモニターするRAJUK(首都開発公社)の職員数は約1,200人程度だが、その主たる業務は、都市計画の策定やそれに基づく・ニュータウンや立体交差の建築の推進であり、職員の大半はそちらの「メインストリーム」の仕事に従事している。その結果、既に出来上がった建物の建築基準をチェックする「地味な」仕事を担当する検査官の数は、4つに分けた首都圏の管区それぞれで、管理職を含めわずか18人(つまり合計72人!)(出展:RAJUK Webisite)。建設ラッシュに沸く人口1,500万人のメガ・シティ、ダッカに存在する無数の建物を、わずか72人で対応しようというのだから、「建築基準法」や「労働法」が改正されたところで、それが「絵に描いた餅」であるのは明らかだ。
そもそも、RAJUKはその名(首都開発公社)が表すとおり、都市化を推進する特殊法人だ。しかし、建設許可書の発行や、建築基準の遵守状況の確認は、その性質上、いわば、都市化の暴走を止める性質を帯びる。つまり、都市化の推進というアジェンダにおいて、アクセルとブレーキの機能を両方有しているRAJUKの機構の有り様は、利益相反に他ならない。バングラデシュ政府の高官は、二言目には「RAJUKは予算が足りない、人員が足りない」と主張するが、このような組織では、仮に予算や人員が充当されたとしても、ブレーキの強化に使われるかは甚だ疑問だ。
これに加え、関連省庁・特殊法人・自治体間の権限の錯綜・重複の問題がある。たとえば、首都圏の建築基準や労働基準の遵守状況のモニタリングの一部は、南北ダッカ市も担っている。また、関連の法律や規制を策定する労働省やジュート・縫製業担当省、防災管理省などの中央省庁も複数存在し、どの役所がどんな権限で、どこまでの責任を負うのか、はっきりしない。上記のとおり、RAJUKが業界団体と手を組んで検査を実施する一方で、中央省庁側も有識者を招いた「検査パネル」を立ち上げ、大臣自ら陣頭指揮を執って検査を実施するなど、既に重複が発生している。これでは、対応する業者側の負担が増える一方で、悪質業者に対する工場の営業停止や危険なビルの取り壊しも含む検査後のフォローアップはいったい誰がやるのか、責任と権限の所在が不明確であるため、検査の実効性には疑問符がつかざるを得ない。

~ サバールの縫製工場で働く女性たち。バングラデシュの経済・社会の生命線である縫製業の担い手であり、日本を含む海外に安価で質の高い洋服を提供している彼女たちが、安心して働けるような環境を作るにはどうしたらよいだろうか?(写真出展:Reuters/Andrew Biraj)
悲惨な事件が起こった今は、内外のメディアや欧米のバイヤー、そして市民社会が、バングラデシュの工場の杜撰な管理実態に対して厳しい目を注いでいるから、政府も業界も必死になって検査や法改正に取り組んでいる。でも、複数の組織間で縦横にこんがらがった権限、ミッションのはっきりしない監督庁、少ない予算と人員といった問題が改善しなければ、目下の取組みはすぐに息切れしてしまうだろう。そして、嵐が過ぎれば、もとの木阿弥。行政も、業界団体も、バングラデシュのサプライヤーも、国外のバイヤーも、今までどおり、納期、価格、輸出額、GDPといった目の前の数字に振り回されて、従業員の安全確保は後回しにされていく。こうしたことが続いてきたから、この国では「過去最悪の事故」における死傷者の数字が、数年おきに更新されてきたのだ。

~ Rana Plaza倒壊事故で奇跡的に一命を取り留めたものの、右手を失った女性。彼女はこれからの人生、どのように生きていくのだろうか?彼女の声が、市場取引や民主主義の政策決定過程に反映されることはあるのだろうか?(写真出展:5月2日付 NewYork Times紙)~
「サバールの悲劇」の本質的な原因が、関連規制を執行する行政の足腰の弱さにあるのは確かだ。だが、悩ましいのは、これを持続的に改善するには息の長い取り組みが必要であり、また、それを持続させるためのインセンティブが、今の世の中の仕組みを前提にすると、たいそう沸きづらいということだ。
たとえば、劣悪な労働環境とそれに伴い発生する事故の割を食うことになる個々の労働者の声は小さく、資金力もなく、組織化されておらず、したがって、現状の民主主義の仕組みの中で、彼らの利害が継続的に政策形成プロセスにインプットされることは少ない。この点、上記Rajuk(都市開発公社)の“利益相反”に照らして考えると、行け行けドンドンで都市開発を進めるためのVoiceは、建設業者、不動産屋、富裕層、外国人投資家など、パワフルな面々からいくらでも上がってくるだろうが、安全検査を粛々と進めるために政府に対して予算や人員を継続的に要求する声はいったいどこから上がってくるだろうか?また、事故や事件がもたらすコストは「万が一」であるがゆえに、日々の経済取引が突きつける「納期」「価格」「給与」「売り上げ」「経費」、あるいはその集合体であるところの「輸出額」、「外貨準備」、「GDP」という具体的な数字の前には力を失ってしまうのではないか。
では、「サバールの悲劇」のような人災をこれ以上繰り返さないようにするには、いったい、どうしたらよいのか?次回は、このの難題への答えを見出すべく立ち上がった、バングラデシュの縫製業にかかわる、政府、(海外の)バイヤー、(バングラデシュの)サプライヤー、業界団体、労働者、ILO(国際労働機関)等の国際機関といった様々な利害関係者(ステークホルダー)間における“新たな社会契約”について紹介していきたい。(続く)
破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その7)
■ 竜巻被災地の支援に入った経緯と3月29日の活動の様子については、下記記事を参照下さい。
破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その4)
破壊されたコミュニティの再生に向けて、自分は何が出来るだろうか?(その5)
過激派の襲撃を受けたノアカリのヒンドゥー集落に比べると、ブラモンバリアは被害を受けた地域の広さ、被災者の数の多さから、限られた資源の配分は常に悩ましく、毎回、去り際に何となく心にわだかまりが残るような気持ちにさせられた。それでも、やっぱりこの村に関わって良かったと思えたのは、冷静さを保ちながらも情熱的且つ献身的に、自分が生まれ育った村の復興のために力を貸してくれたモニールさんの存在が大きい。そしてもちろん、家族や家財を失いながらも、わずかな元手で怪我や苦難を乗り越え、前進する姿勢を見せてくれている村の人たちの姿も。
たとえば、18歳の大黒柱、ジュルハッシュ君を覚えているだろうか?知的障がいを抱える父に代わり、大工仕事で家計を支えていた、そして竜巻に巻き込まれて瀕死の重傷を負い、テントで寝たきりになっていた(さらに、重症にもかかわらずモスクに連れて行かれていた)あの青年だ。
4月末にブラモンバリアを訪問した際、ジュルハッシュと再会した。思った以上にすらりとした長身の彼は、まだ首の後ろに痛みがあると訴えながらも、見違えて元気になっていた。あの時手渡した資金で必要な手当てを郡病院で受けたそうだ。医師の話では、あと1ヶ月ほど安静にしていれば、大工仕事に復帰することも出来そうだという。

あるいは、ダナ・ミヤさんと、ダッカの病院に入院していた彼の奥さんと娘さんはどうなっただろうか?18年間サウジアラビアで出稼ぎしたお金で立てた家と、購入したばかりのオートリキシャを竜巻で壊された挙句、末の娘を亡くし、奥さんと長女も重傷を負ってダッカの病院に担ぎ込まれたダナ・ミヤさんの絶望的な表情は忘れることが出来ない。
しかし、彼も、そして彼の家族も強かった。お渡しした2万タカを使ってオートリキシャを修理したダナ・ミヤさんは、テント暮らしを続けながら、早速村の周辺で仕事にいそしんでいる。娘さんはまだ入院中だが容態は落ち着いたという。そして、奥さんは無事退院。顔の傷が痛々しかったが、笑顔の美しい人だった。
「修理したオートリキシャを見せて下さい」と頼むと、嬉しそうに新品の車を見せてくれた。「村の周辺を案内するから、後ろに乗って!」という誘いには、「いやいや、燃料代もかかるでしょうし、仕事のためにとっておいてください」と丁寧に断ると、とても残念そう。彼の家は、まだトタン板と柱だけの掘っ立て小屋で、家財は未だ何もない。重篤な状況ではないとはいえ、入院中の娘さんのことも気がかりだろう。しかし、再会したダナ・ミヤさんの口からは、更なる助けを求める声はまったく聞かれなかった。前向きで自信に満ちた表情で「では、また仕事に行ってくる」と言ってオート・リキシャのエンジンをかける彼の後姿は、とても清々しかった。

被災後1週間目に訪問した際には瓦礫の山だった村も、今では、夏の陽光がまぶしく反射する新品のトタン屋根が並んでいる。政府の支援に加え、大手財閥のボシュンダラ・グループやモネム・グループが、CSR(Corporate Social Responsiblity)活動の一環として、被災者の住居再建のために、まとまった資材と工夫を雇うための資金を被災地に提供していることもあり、復興は思ったよりも速いスピードで進んでいるように見える。

竜巻の被災から2ヶ月。ブラモンバリアの被災地は、被災者が明日必要な食の確保と負傷者の手当てという「緊急支援のフェーズ」を超え、雨風をしのげプライバシーを確保できる「住」の建設のための「復興のフェーズ」の最中にあり、さらには、被災者自身がかつてのように仕事に就き家族を養っていく「自立再建のフェーズ」に移りつつある家庭もいる。ダナ・ミヤさんのケースは、外部からの支援をてこに、上記フェーズ1からフェーズ3にスムーズに移行できた好例といえるだろう。
しかし、多くの家庭の状況を見ると、フェーズ3への以降は容易ではなさそうだ。
まず、 村の多くの旦那衆は農家(他人の農地で仕事をして日当をもらう、いわゆる“土地なし農家”)やリキシャ引き、あるいは大工などの肉体労働に従事していたところ、怪我が完治しなければ、こうした仕事に戻ることは出来ない。しかし、まとまったお金が手元にないため、定期的に医師の元に通い十分な薬を得ることができず、回復が遅れる。なかなか体が回復しないため、仕事に復帰できない。仕事に復帰できないからお金が入らず、回復がまた遅れる・・・という悪循環に嵌っている。
5人の子供に恵まれたジアウル・イスラムさんは、別な悩みを抱える。彼はブラモンバリアとダッカなどを結ぶ長距離バスの車掌をしていた。幸い家族そろって怪我はなかったが、家は全壊の被害を受けた。修理にはまとまった資金が必要だが、そのために仕事に出ようとすると2-3日家を空けなければならない。しかし、鍵すらまともにかけられない我が家(我が掘っ立て小屋)に幼い子供たちと妻だけを残しておくのは心配だし、自分が家を空けていたら、家の修復は進まない。家の修復が進まないから長距離バスの車掌仕事に復帰できない。これまた悪循環だ。
あるいは、もともと家族の誰かが糖尿病などの慢性疾患を患っていた場合も厳しい。仮にある程度の援助資金を受け取っても、それは薬代に消えてしまい、本人と家族がフェーズ1→2→3に移行していくための力にはなりにくいからだ。
こういう問題を抱える家庭が多いために、援助資金へのニーズは一向になくならない。事実、訪問回数を重ねるうちに、すっかり顔を村中の人々に覚えられ、村に入った途端に、それぞれの窮状を訴える陳情の人だかりが出来る。しかし、これらに全て応えると、各人が手にするお金は、日常品の消費で消えてしまう程度となってしまう。また、「彼が来るとお金がもらえる」という期待が人々の間に定着してしまったとしたら、僕の存在はむしろ、「自立再建」のフェーズに人々が移行するための足かせになってしまう可能性すらある。
4回目の被災地訪問の際に、「広く薄く」の配分ではなく、村で雑貨屋を経営した経験のある2人の主人、シャハラム・ミヤさんとジアウル・イスラムさんのみに対して、ビジネス再開のためのシーズ・マネーとして3万タカという金額を手渡すことにしたのは、こうした問題意識が高まったためだ。彼らのビジネスがうまく軌道に乗り、雑貨屋の手伝いのような形で雇用を生むことになれば、彼らの家族を超えて、「自立再建」のフェーズの後押しになるだろう。

~長距離バスの車掌から、かつて営んでいた雑貨屋経営をはじめるためのスタート・アップ資金3万タカをお渡ししたジアウル・イスラムさんのご一家。長男ソフィック君(中央)に抱かれた末っ子のアブドゥラ(2歳)は愛嬌いっぱいのアイドル的存在だ。ジアウルさんの商才と家族を思う気持ちに賭けた3万タカが大きな成果を生まれるよう、願って止まない。~
色々悩ましいことが多かったが、とにかく、過激派による襲撃、竜巻の発生からそれぞれ約3ヶ月、2ヶ月が経過し、皆さんから個人的にお預かりした志、総額160万5,550円相当を、現金、あるいは「Happy Box」やトイレのような現物支給の形で、無事、現地の人々の手に全額届けることができた(寄付を頂いた皆さんには、別途メールにて収支報告をお送り致します)。
これだけの額の現金を他人から直接預かり、それを物理的に(腰巻に忍ばせて)現場に運び、コミュニティを歩き回り人の話を聞き回って状況を観察・把握し、困窮した人々の前で“札束”を取り出し、手渡し、さらに、数ヶ月にわたってその土地や人々を直接定点観測をした経験は、世銀や財務省の仕事では無いし、人生でも初めてのことだった。最初はブラモンバリアやノアカリがどんな地域なのか、被害の状況がどうなっているのか、皆目検討はついていなかった。取り敢えず、身一つで飛び込んで走りながら考えたというのが正直なところだ。
でも、だからこそ、世銀や財務省のような場所で仕事をしていたのでは、(知識としては読んだり聞いたりしたことはあっても)現実的な肌感覚として、自分の脳とハートに刻み込まれることはなかったであろう、様々な教訓や気付きを得ることが出来たと思う。それらを、個人の備忘録として列挙すると、たとえばこんな感じになろう。
1.近すぎず遠すぎないパートナーを如何に見つけるか
支援の対象となる人々やコミュニティとの長年にわたる接点を持ちながらも、現地の人間関係からは一定の距離を保っているパートナーを得ることが出来るかは、プロジェクトや支援を効果的、効率的に実施するうえで決定的に重要な要素であることが、身をもって分かった。
実際、自分ひとりで飛び込んでも、まずその被害の大きさに圧倒され、大勢の被災者に囲まれて身動きが取れなくなるし、何が本当で何が誇張された話なのか、見当のつけようがない。ノアカリの村では、破壊された家の前で涙ながらに窮状を訴えてきた中年の女性がいたが、実はその一家は集落一の金持ちであり、集落の外に別途マンションを持っていたのだ。こうしたことはGandhi Asram Trustのスタッフがいてくれたからこそ、分かったことだ。また、ブラモンバリアの被災地では、同行してくれたモニールさんの助けがなければ、病院に担ぎ込まれた重病人のいる、例えばダナ・ミヤさんのような家庭について、支援の対象に加えることは出来なかったかもしれない。その意味で、今回幸運だったのは、ノアカリではGandhi Asram、ブラモンバリアではモニールさんという、その地と長年の接点のある組織・個人をパートナーとして得ることができたことだろう。

~ ノアカリで発生した過激派襲撃の被害にあったショロショッティさんに、石鹸を手渡す筆者 ~
一方で、現場からのある程度の距離も、重要なのだ。たとえば、自分が支援対象の村の一員だったら、「佐藤さんの一家には30万円あげるけれど、後藤さんのお宅は5,000円」という差別化・重点化ができるだろうか?感謝よりも文句や非難を受けることのほうが多くなってしまうかもしれない。本人はそのつもりはなくても、「お前の親類や友人だから優遇したのだろう」という 誹謗中傷を受けるかもしれない。
実際この問題は、ブラモンバリアの竜巻被災地で発生しかかっていた(というか、殆ど発生していた)。当初、村人の「陳情先」は僕だったが、モニールさんが僕の意思決定に影響を及ぼしていることはすぐに知れ、次第に「陳情先」はモニールさんのほうにシフトしていった。時には、大勢の人が彼の実家に詰め掛け、配分方法をめぐって口論になり、騒然とした雰囲気になったこともあった。
モニールさんは、現在はダッカで暮らしているとはいえ、被災地の人々とは生まれてからずっと近所づきあいがあるし、実家にはご両親が住んでいる。人々との付き合いはこれからも続くだろう。つまり、現地の生態系に組み込まれた一個人なのだ。 彼は効果的な配分方法について一生懸命考えてくれたが、やはり見ていてとても辛そうだったし、こうした状況が続けば、彼を中心に、これまでコミュニティにはなかったゆがんだ資源配分のメカニズムが出来てしまいそうな予感がした。
この点、Gandhi Asram Trustのスタッフは、 いい意味で「外部者」として、村の人々との距離を保つことが出来る立場にあった。だから、配分の差別化が必要な局面においても、彼らが個人として非難や陳情の的にはなりにくい。
対象に対して、「冷静と情熱の間」を保つことの出来る立場にあるパートナーを見出すこと、これは、今回のような草の根の被災地支援だけでなく、たとえば新興国への直接投資といったケースでも、成否に大きな影響を及ぼす要素ではないだろうか。
2.フェーズと目的と規模に応じた最適配分をどう考えるか
資源はいつも限られている。だから出来れば有効且つ公平に使いたい。しかし、有効性と公平性が衝突するシーンから逃れることは、たいていの場合難しい。
僕自身、今回現地に行くまでは、「実際に村人に集まってもらって、彼らに決めてもらえばよい。そうすれば、重点配分にせよ、広く薄くにせよ、皆が納得いく結果が得られるだろう」と考えていた。でも、現場に現金をぶら下げて入った瞬間に、これが如何に甘い考えかだったか、思い知ることになった。
当然のことながら、支援の対象となる人たちに自ら支援金の分配方法を決めてもらうには、対象者全員が実質的な議論ができる場と時間の設定だけでなく、議論のまとめ役の確保、意思決定方法などを含めて、参加型で決めておかねばならず、相当の時間を要する。村のどこに井戸をつくるか、という話ならともかく、災害や暴動後、速やかに原状回復を図らなければならないフェーズでは、活用できない。
結局必要だったのは、現地のパートナーとともに、個別の事例に耳を傾けつつも、対象となる人々やコミュニティがグループとして、①緊急支援(取り敢えず明日生き延びられるようにする)、②生活復興(衣食住の確保)、③自立再建(雇用の確保)のいずれの段階にあるかを見極めた上で、そのコンテキストに合致する形で、自分たちが限られた資源をもって、何を実現したいのかを明確にすることだった。
3.一家を危機に陥れる脆弱性の元を如何に減らしていくか
職場から家までが遠い、軽い慢性疾患がある、家がトタンなので隙間風が入る、食い扶持には困っていないけれど、肉体労働・単純作業ばかり・・・
こうした日常的なちょっとした「不便」が、災害や事件に巻き込まれた結果、自立再建の長期間にわたる妨げになり得ることが、3ヶ月間、様々なケースを定点観測していく中で、クッキリと浮かび上がった。いざというときにアクセスできる保険制度や失業手当などの公的セーフティ・ネットを国レベルで整備・更改していくことは、途上国・先進国問わず共通の課題だ。これに加えて、個人レベル・地域レベルでの日常的な予防(防災・公衆衛生・食習慣改善)や投資(住宅投資・スキル・アップ)を促す取り組みが、個人そして地域の危機への耐久力向上に貢献するだろう。
以上7回にわたる記事で、ノアカリ・ブラモンバリアにおける個人的な活動の経緯と内容、成果と教訓について、報告をしてきた。最後まで読んでくれた人がいたら、その辛抱強さと好奇心に感謝したい。
前回の記事の終わりに書いたとおり、僕は、今回の活動を「弱者への支援」とは位置づけていない。実際、僕が出会った人々は、確かに困ってはいたが、弱い人たちでは決してなかった。家族や家財を失ってなお、そして、酷暑や暴風雨に見舞われる中でのテント暮らしという環境において、前向きに生活再建に向かっていく姿や子供たちの屈託のない笑顔、あるいは、ひるむことなく「困っているんだからお金をくださいよ!」と迫ってくる姿を見るにつけ、少なくとも、僕よりは強い人たちに見えた。

~ プレゼントをした剣玉で遊ぶブラモンバリアの村の子供たち。すぐにコツを覚えて遊びだす子供たちの器用さには脱帽だ。~
振り返ってみると、僕はバングラデシュにおいて「弱者」と感じた人は、実は殆どいないように思う。むしろちょっとしたことで腹をこわして熱を出してみたり、仕事がうまく回らなくてふてくされていた自分のほうが、よっぽど弱者だ。
本業の合間を縫って、右往左往を繰り返しながら、現場を往復した今回の経験、そしてバングラデシュでの時間が、僕を、僕という人間が持つ弱さを認識させることで、以前より少しばかり強くて優しい人間にさせてくれたのだとしたら、僕はこの国で出会ったすべての人たちに、深く感謝をしなければならない。(本シリーズ終わり)

~ブラモンバリアの竜巻被災地へと向かう道。3月29日に撮影したこちらの写真(記事中段)と見比べていただきたい。大地に根を張り、太陽と雨を一杯浴びて生命力豊かに生き抜くバングラデシュの人、草木は、強い!~